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序章
第6話 過去編1 悪夢
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布団の中で丸まったまま、天井を見上げていた。目は開いているのに、頭がまだうまく動かない。
机の上に広げっぱなしの教科書と、壁に掛かった通学用のリュックが視界の端に入る。
ああ、これは夢か。
なぜか、俺には分かった。この後に起こることも、分かってしまう。
忘れもしない、中学時代のあの日の夢。俺の能力――呪いが、初めて発現した日だ。
「タケシ、いつまで寝てるの? 朝ごはん、もうできているわよ」
懐かしい声がする。しばらく会っていない、母の声だ。
俺は布団の中で一度、深く息を吸った。
ドアが開く音がした。反射的にそちらへ顔を向ける。
その瞬間、視界がうまく噛み合わなかった。
何かが立っている。人の形をしているはずなのに、輪郭が定まらない。視線が滑る。焦点が合わない。心臓が一拍、変な間を置いて跳ねた。息の仕方を忘れる。理解するより先に、体が勝手に布団の上で後ずさっていた。
──おかしい。
色がにじんでいる。いや、色というより線だ。無数の細い線と塊が絡まり合って、身体の形をなぞっている。
まるで理科室にある人体模型を、無理やり動かしたみたいなナニカだと感じて、遅れてようやく分かる。
赤い。
そこに立っていたのは、どう見ても普通の人間じゃなかった。
俺はベッドから飛び降りながら叫んだ。
「近づくな……!」
声が裏返る。俺はドアを無理やり閉めた。
言葉が通じたのかどうかは分からないが、それは一瞬だけ動きを止め、廊下の奥へ下がっていく音がした。
俺は半ば転げるように部屋の奥へ逃げ、机と椅子を持ち上げてドアの前に押し当てた。即席のバリケードだ。指が震えて、うまく掴めない。
耳が熱い。自分の鼓動と、呼吸音だけが、やけに大きく聞こえた。
ドアがガタガタと揺れる。誰かが入って来ようとしている。
野太い声が響いた。父の声だ。
「おい、母さんに何言ってるんだ!」
その声を聞いた瞬間、少しだけ安心した。
さっきのは夢だと思いたかった。寝ぼけているだけだと、そうであってほしいと願いながら、俺はドアの隙間に顔を近づけた。
見えるはずのものを、無意識に思い浮かべていた。寝起きで不機嫌そうな顔。いつもの、あの人の姿。
だが、隙間の向こうにいたのは、化け物だった。
ドア越しだからか、さっきより落ち着いて見える。だからこそ、はっきり分かってしまう。赤い線と塊が、皮膚の形をなぞっている。
名前は分からない。でも、体の内側だと直感した。なぜか、少し目を凝らすと、さらに奥まで見えてしまう。
見ようとしたわけじゃないのに、勝手に視界に入り込んでくる。動いている。脈打っている。生きている。
筋肉だ。
人間の形を真似た、筋肉の塊だ。
この世のものじゃない。少なくとも、俺の知っている世界のものじゃない。
ドンドン、とドアが叩かれる。机が少しずつずれる。
しばらく持つだろうか。そんなことを考えた瞬間、背中が冷えた。
持たない。普通に壊される。
俺は部屋の隅に下がり、震える指でスマホを握った。画面が滲んで、たった三桁の番号がうまく押せない。
通話が繋がる。
「……緊急です」
声が思ったより小さい。相手の落ち着いた声に促され、必死に言葉を繋げる。
「家に……知らない人がいて……」
住所を告げる。
電話を切ってからも、俺はその場から動けなかった。ドアの向こうの音が怖い。でも、静かすぎるのも怖い。どっちに転んでも、心臓が縮む。
何度も時計を見る。針が進んでいるのか分からない。時間が、妙に伸びたり縮んだりしている気がした。
遠くで、かすかな音がした。気のせいかもしれない。でも、それに縋るしかなかった。
俺はさらに机を引き寄せ、椅子を横倒しにして重ねる。
その直後、はっきりとサイレンの音が聞こえた。
膝の力が抜ける。
助けが来た。……来たはずだ。
そう思い込まないと、頭が壊れそうだった。
ドアを叩く音が止まる。しばらくして、ノックの音がした。さっきまでとは違う、妙に丁寧な音。
「日野さーん。警察です。ドア、開けてもらえますか?」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥の硬いものが少しだけ緩んだ。信じたい。今度こそ。
「ありがとうございます……」
駆け寄って、ドアに手を伸ばす。
その隙間から見えたのは、同じ赤い塊だった。
背筋が凍りつく。
──まだ、終わっていない。
警察のふりをして、油断させる作戦か。
俺は咄嗟にベッドもドアの前へ移動させ、机と重ねた。
部屋の隅に置いてある竹刀を掴む。指が滑った。汗で濡れている。
俺は小学生の頃から剣道をやっていて、全国大会にも出たことがある。
腕にはそこそこ自信がある。化け物相手でも戦えるはずだ。
そう自分に言い聞かせるしかなかった。
しばらくして、さらにパトカーの音が聞こえた。
窓から見ると、三台、また三台とパトカーが増えていく。パトカーから次々と降りてくる化け物たち。赤い塊が、家の中に入ってくるのが見えた。
何度も呼びかけられるが無視する。返事をした瞬間に負ける気がした。
ドアが軋み始めた。金属が削れるような音がして、ヒンジから火花が散る。ドアを壊して、無理やり押し入ってくるつもりだ。
竹刀を構える。
構えが正しいのか分からない。息が荒れて、視界が狭くなっている。相手の顔は見えない。ただ、近づいてくる赤い塊があるだけだ。
警棒を持ち、バリケードを乗り越えて俺を制圧しようとする化け物。
竹刀は室内では扱いにくい。
一体めは、突きで倒した。
突いた感触が手に残る。思ったより軽い。
筋肉がなぜ人間に擬態しているのかは分からないが、欠点は明白だった。弱点が剥き出しで、鳩尾が丸見えだ。
仲間に足を引きずられ、家の廊下へ戻っていく化け物。
しばらく静寂が続く。その間にも、家の前にはどんどんパトカーが増えていく。
窓からは、パトカーから降りた赤い化け物が次々と家の中に入ってくるのが見えた。現実が、少しずつ薄くなっていく。
俺の呼吸は浅くなり、腕がじんじん痺れているのが、今さら分かった。
次は五体、一気に入って来た。
俺は後ろへ下がれない。背中は壁。竹刀は汗で滑る。
化け物が持っている短い棒を弾き、鳩尾に突きを入れる。
空気が抜けるような音がした。人と同じなら、しばらく立ち上がれないはずだ。
一人目、二人目、三人目。何人倒したか、もう分からない。
全員倒し終えたと思ったところで、横から強烈なタックルを受けた。
手から竹刀が吹き飛ぶ。
竹刀が飛んだ瞬間、頭の中が真っ白になった。
ああ、終わったと思った。
そこから一体、二体。
なんとか、素手で倒したところまでは覚えている。拳に鈍い痛みが走った。血が出た気もする。
けれど赤い世界では、それが自分の血なのか相手の血なのかも分からない。
最後に、後ろからの衝撃で床に押し倒された。息が詰まる。胸に重いものがのしかかる。
その後のことは、よく覚えていない。
必死に抵抗した。誰かの腕を掴んで引きはがそうとした。声にならない声を出した。
冷たい床の感触。誰かに押さえつけられていた圧。赤い影が視界の端で揺れている。
何かを叫んでいた気がするが、声が自分のものか分からなかった。
強い光。
消毒液の匂い。
それから、何も分からなくなった。
机の上に広げっぱなしの教科書と、壁に掛かった通学用のリュックが視界の端に入る。
ああ、これは夢か。
なぜか、俺には分かった。この後に起こることも、分かってしまう。
忘れもしない、中学時代のあの日の夢。俺の能力――呪いが、初めて発現した日だ。
「タケシ、いつまで寝てるの? 朝ごはん、もうできているわよ」
懐かしい声がする。しばらく会っていない、母の声だ。
俺は布団の中で一度、深く息を吸った。
ドアが開く音がした。反射的にそちらへ顔を向ける。
その瞬間、視界がうまく噛み合わなかった。
何かが立っている。人の形をしているはずなのに、輪郭が定まらない。視線が滑る。焦点が合わない。心臓が一拍、変な間を置いて跳ねた。息の仕方を忘れる。理解するより先に、体が勝手に布団の上で後ずさっていた。
──おかしい。
色がにじんでいる。いや、色というより線だ。無数の細い線と塊が絡まり合って、身体の形をなぞっている。
まるで理科室にある人体模型を、無理やり動かしたみたいなナニカだと感じて、遅れてようやく分かる。
赤い。
そこに立っていたのは、どう見ても普通の人間じゃなかった。
俺はベッドから飛び降りながら叫んだ。
「近づくな……!」
声が裏返る。俺はドアを無理やり閉めた。
言葉が通じたのかどうかは分からないが、それは一瞬だけ動きを止め、廊下の奥へ下がっていく音がした。
俺は半ば転げるように部屋の奥へ逃げ、机と椅子を持ち上げてドアの前に押し当てた。即席のバリケードだ。指が震えて、うまく掴めない。
耳が熱い。自分の鼓動と、呼吸音だけが、やけに大きく聞こえた。
ドアがガタガタと揺れる。誰かが入って来ようとしている。
野太い声が響いた。父の声だ。
「おい、母さんに何言ってるんだ!」
その声を聞いた瞬間、少しだけ安心した。
さっきのは夢だと思いたかった。寝ぼけているだけだと、そうであってほしいと願いながら、俺はドアの隙間に顔を近づけた。
見えるはずのものを、無意識に思い浮かべていた。寝起きで不機嫌そうな顔。いつもの、あの人の姿。
だが、隙間の向こうにいたのは、化け物だった。
ドア越しだからか、さっきより落ち着いて見える。だからこそ、はっきり分かってしまう。赤い線と塊が、皮膚の形をなぞっている。
名前は分からない。でも、体の内側だと直感した。なぜか、少し目を凝らすと、さらに奥まで見えてしまう。
見ようとしたわけじゃないのに、勝手に視界に入り込んでくる。動いている。脈打っている。生きている。
筋肉だ。
人間の形を真似た、筋肉の塊だ。
この世のものじゃない。少なくとも、俺の知っている世界のものじゃない。
ドンドン、とドアが叩かれる。机が少しずつずれる。
しばらく持つだろうか。そんなことを考えた瞬間、背中が冷えた。
持たない。普通に壊される。
俺は部屋の隅に下がり、震える指でスマホを握った。画面が滲んで、たった三桁の番号がうまく押せない。
通話が繋がる。
「……緊急です」
声が思ったより小さい。相手の落ち着いた声に促され、必死に言葉を繋げる。
「家に……知らない人がいて……」
住所を告げる。
電話を切ってからも、俺はその場から動けなかった。ドアの向こうの音が怖い。でも、静かすぎるのも怖い。どっちに転んでも、心臓が縮む。
何度も時計を見る。針が進んでいるのか分からない。時間が、妙に伸びたり縮んだりしている気がした。
遠くで、かすかな音がした。気のせいかもしれない。でも、それに縋るしかなかった。
俺はさらに机を引き寄せ、椅子を横倒しにして重ねる。
その直後、はっきりとサイレンの音が聞こえた。
膝の力が抜ける。
助けが来た。……来たはずだ。
そう思い込まないと、頭が壊れそうだった。
ドアを叩く音が止まる。しばらくして、ノックの音がした。さっきまでとは違う、妙に丁寧な音。
「日野さーん。警察です。ドア、開けてもらえますか?」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥の硬いものが少しだけ緩んだ。信じたい。今度こそ。
「ありがとうございます……」
駆け寄って、ドアに手を伸ばす。
その隙間から見えたのは、同じ赤い塊だった。
背筋が凍りつく。
──まだ、終わっていない。
警察のふりをして、油断させる作戦か。
俺は咄嗟にベッドもドアの前へ移動させ、机と重ねた。
部屋の隅に置いてある竹刀を掴む。指が滑った。汗で濡れている。
俺は小学生の頃から剣道をやっていて、全国大会にも出たことがある。
腕にはそこそこ自信がある。化け物相手でも戦えるはずだ。
そう自分に言い聞かせるしかなかった。
しばらくして、さらにパトカーの音が聞こえた。
窓から見ると、三台、また三台とパトカーが増えていく。パトカーから次々と降りてくる化け物たち。赤い塊が、家の中に入ってくるのが見えた。
何度も呼びかけられるが無視する。返事をした瞬間に負ける気がした。
ドアが軋み始めた。金属が削れるような音がして、ヒンジから火花が散る。ドアを壊して、無理やり押し入ってくるつもりだ。
竹刀を構える。
構えが正しいのか分からない。息が荒れて、視界が狭くなっている。相手の顔は見えない。ただ、近づいてくる赤い塊があるだけだ。
警棒を持ち、バリケードを乗り越えて俺を制圧しようとする化け物。
竹刀は室内では扱いにくい。
一体めは、突きで倒した。
突いた感触が手に残る。思ったより軽い。
筋肉がなぜ人間に擬態しているのかは分からないが、欠点は明白だった。弱点が剥き出しで、鳩尾が丸見えだ。
仲間に足を引きずられ、家の廊下へ戻っていく化け物。
しばらく静寂が続く。その間にも、家の前にはどんどんパトカーが増えていく。
窓からは、パトカーから降りた赤い化け物が次々と家の中に入ってくるのが見えた。現実が、少しずつ薄くなっていく。
俺の呼吸は浅くなり、腕がじんじん痺れているのが、今さら分かった。
次は五体、一気に入って来た。
俺は後ろへ下がれない。背中は壁。竹刀は汗で滑る。
化け物が持っている短い棒を弾き、鳩尾に突きを入れる。
空気が抜けるような音がした。人と同じなら、しばらく立ち上がれないはずだ。
一人目、二人目、三人目。何人倒したか、もう分からない。
全員倒し終えたと思ったところで、横から強烈なタックルを受けた。
手から竹刀が吹き飛ぶ。
竹刀が飛んだ瞬間、頭の中が真っ白になった。
ああ、終わったと思った。
そこから一体、二体。
なんとか、素手で倒したところまでは覚えている。拳に鈍い痛みが走った。血が出た気もする。
けれど赤い世界では、それが自分の血なのか相手の血なのかも分からない。
最後に、後ろからの衝撃で床に押し倒された。息が詰まる。胸に重いものがのしかかる。
その後のことは、よく覚えていない。
必死に抵抗した。誰かの腕を掴んで引きはがそうとした。声にならない声を出した。
冷たい床の感触。誰かに押さえつけられていた圧。赤い影が視界の端で揺れている。
何かを叫んでいた気がするが、声が自分のものか分からなかった。
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