笑顔の向こう側

ゆん

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同棲編

moonlight

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 泣くなよ、と透くんが僕の唇の上に囁いた。泣くなよって無理だよ透くん。こんな恥ずかしくて悲しいことってないから。可哀想に思うんなら、放して欲しい。慰めは、今はいいから……

 透くんが愛してくれてること、分かってる。僕が欲張っただけ。僕自身のトラウマのせいなのに、透くんだって我慢してくれてるのに。

「放して、透くん……」
「放さないって言っただろ」
「ひとりになりたい……」
「だめ」

 なんなのそれ……ひどいよ……僕の気持ち分かってて……透くんの唇が僕の目尻に触れ、涙を吸い取るようにする。それが恥ずかしさに傷ついた胸の奥に伝わって、やっぱり泣きたくなる。

「あんたには悪いけど、フェロモンで我を忘れてヤんのはやっぱり嫌だ。ただ……あんたが素面しらふで出来るようになった後なら、いい」

 透くんは眉を寄せて僕を見下ろし、大きな片手で僕の頬を包んで親指で唇に触れた。セクシーな表情だった。彼が僕を想う気持ちが流れ込んできて我がままを言った僕を優しく宥めにかかり、ささくれだった痛みが徐々に引いていく。

 僕は気持ちを伝えた。それは僕の思うようにはならなかったけど、それを聞いた彼が自分の思いを返してくれて、僕と彼は確かに何かを渡し合った。当たり前のことだけど、僕が自分がどうしたいのかを伝えなければ起こり得なかった、交感だった。

「だったら……早くしらふで出来るようになりたい……」

 覚えたての主張を、もう一度。でもしらふで出来るようになったらもう、ヒートを待たなくったっていい。ヒートだからしたいんじゃない。ヒートを利用してでも、透くんと深く繋がりたかっただけだから。

「風呂入って来る」
「うん……」

 透くんが、やっと僕を解放して向こうへ行った。ヒートの駆り立てる欲望が収まるとなんだかどっと疲れて、でもその疲れはまるで脱皮を終えたばかりの白いセミが美しく透けた羽が伸びるのをじっと待っているような、次なる変化の予兆を孕んでた。

 僕はリビングのソファにごろりと横になった。片脚を下ろして、天井を見るとはなしに見て、耳はお風呂場の透くんの気配を追っていた。

 少しうとうとしかけていたのを、透くんがお風呂から出てきたガラス戸の音でふっと起こされた。僕はそれでちゃんと目覚めたけど、タオルを頭にかけてごしごし拭きながらこっちへ来た透くんが僕を覗き込んだ時には、いつもより反応が鈍かったみたい。

「起きてる?」
「ん……起きてる……」
「目ぇ開けて寝てんのかと思った」

 笑ってキッチンの方へ行く透くんの後ろ姿を見送りながら、僕の中のわずかな変化を感じている。
 僕は今までいつだって緊張していた。それが好きな人でも苦手な人でも。緊張の種類が違うだけで、何か間違うんじゃないか、機嫌を損ねるんじゃないかっていうのがいつも根っこの所にあったんだ。その緊張がもたらす不安感を、今はほとんど感じていない。

 透くんがキッチンからこっちへ戻って来る。ソファに横たわったままでいる僕に差し伸べた手が、上へ行こうと誘ってる。僕はその手を取り、一緒に階段を上り、透くんの綺麗に整頓された部屋に入った。

 あの日……初めて彼に抱かれるはずだった夜、足元から突き上げて来る不安に息が乱れて最後には悲鳴を上げた……あの時の恐ろしさの影は、今はない。期待が膨らむ。今度こそいけるかもって。

「怖くなったら教えて」

 透くんがあの時と同じように窓明かりだけの暗い部屋の中で言った。月が出てる。生成りのリネンのカーテン越しに白く滲み、部屋の中に差し込むその淡い光で彼の姿を浮かび上がらせてる。

 僕となんて違ってるんだろう。背の高い彼の、しっかりとした骨格。陰影の際立つ顔。おろした前腕のその手首の骨にそっと手を伸ばして指先で触れると、彼の手が僕の手首を掴んで引っ張った。

 そのまま抱き込まれて鼻腔に入り込んだ、透くんの……アルファの、匂い。鼻から、脳へ。脳から全身へ。主従支配を強いる伝達物質が流れていってどんどん鼓動が早くなる。

 何かが僕を駆り立てる。息が乱れて、僕は透くんに怖い、と告げた。この雰囲気を壊すとか、言ったら透くんがどう思うとか、今までのようには考えなかった。

「怖くなくなるまで、こうしてよう」

 透くんが僕の背中を上へ、下へとゆっくり撫でる。ほんの指先くらいの大勢の小人が怖い怖いと叫びながら駆け回ってるみたいに、僕の皮膚の下がざわざわしてる。それでも、あの時は一気に喉元まで埋まって息が出来ない苦しさになった恐怖も、今はまだその程度だった。

「大丈夫かも……」

 透くんの背中に手を回すと彼が僕の耳にキスをして、それが合図のように上向いた僕は、透くんに唇を開いた。


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