いつか、ふたりで

ゆん

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知らない感情の名前

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上映まであと10分もない。急がないと──

人だかりを避けるようにして売り場の前の行列に並んだ。ウーロン茶一択で、上映時間に間に合うかどうかだけを気にしてそわそわしていた。

だから、耳元で「何にする?」と海堂の声がしたとき、リアルに体が跳ねた。

海堂は「そんなにびっくりする?」と肩を揺らした。

「お、音もなく後ろに立たないでください!」
「なに、俺、刺客かなんか?」

海堂がさらに笑った。

この男の前ではこんな顔ばかり見せている気がする。友達にはクールだとか、落ち着いてるだとか、そういうことを言われるのが常なのに。

順番が来て私が注文を済ませると、海堂はアイスコーヒーを頼んで私の分まで支払いをした。

「あの──」
「いーのいーの。驚かせたお詫び」
「……ありがとう」

まるでジェットコースターみたいに、心が振り回されている。

カラカラと音を立てる氷入りのカップを両手で持って元のスクリーンに入ろうとしたら、出入り口から男の子たちがふざけながら飛び出してきた。

あ、と思った時には海堂の手が私の肩に伸びて、抱き寄せられた。

触れそうなほどに近づいた海堂の肩口から、ふわっとコロンの香りがした。

「ごめんなさい」
「え、なんで謝る?俺、役得」

ニヤリと笑って、海堂がすんすん、と鼻を鳴らす。

「何かつけてる?」
「え、つけてません」
「てことは体臭かぁ」
「えっ……く、臭いです?」

どうしよう、と慌てて離れたのに、海堂はまた吹き出して、私はもういたたまれなくなって、そそくさと元の席へ急いだ。

ポップコーンは?と光流に訊かれたけど、適当に返事をしてシートに体をうずめる。

笑いを口元に残したまま戻ってきた海堂が、席について、何か言いたげにこっちを見ている。

じろりと見やると、「いい匂いだから、安心して」と言い残して体勢をもとに戻した。

安心したけれど、ざわついている。

映画が始まっても、抱き寄せられた時の海堂の筋肉質な体の感触が、ずっとまとわりついていた。



映画の後、4人でカフェに入った。光流と泉さんはとてもいい雰囲気だった。光流はやっぱりいつもより緊張ぎみだったけど、それを泉さんが大らかに受け止めてくれていて、私の方が嬉しくなる。

4人で出かけるのは初めてなのに、落ち着くな、と思った。私は光流が大好きだし、光流を好きなことが隠せていない泉さんにも好感が持てるし。

それに、海堂も。

なんだかんだ親にも友達にも見せない顔を見せているのにそれでも全然変わらない海堂を目の前にすると、まだ名前を知らない感情が、封をされた引き出しの中でカタカタと揺れている。

それは落ち着かないのに、見たい気がしてしまう。

見たいけど、封を解くのは怖い。

だから剥がれないように、厳重に封をする。知らないままでいたい、と二重、三重に。



カフェを出た後、次はどこに行く?と光流と私が話をしていると、海堂が私の手を掴んで引っ張った。

「んじゃ、こっからは別行動で」
「え、」

え、え、と目線を光流に残しながら引っ張られて、ついにバイバイ、と手を振った。

頭を掻きながら照れ臭そうに光流と話している泉さんが遠ざかる。

そうだ。いい雰囲気になってるふたりを、ふたりっきりにしてあげなきゃいけないんだった。今日はふたりをくっつける会(私命名)。がんばれ、光流!もう大丈夫!

「すみません、自分の使命を忘れてました」
「使命?」
「今日はふたりをくっつける会ですから」

海堂は、ネーミングセンス、と体を震わせて笑う。
いつも揶揄いを含んでいる海堂の表情の中に、少し違うニュアンスを感じてくすぐったくなる。

ああ、これはあの頃にも微かに感じた、深くに沈んでいた余韻だ。

私たちがまだ同じ道を歩んでいけると思っていた、束の間重なったあのときの中の。

「俺は二人きりになりたかっただけだけど?」

海堂が意地悪く、わざと言ってくる。それが分かるから、まるでネタを演ずるように私も平然と返した。

「煩悩は身を滅ぼしますよ」
「煩悩即菩提だろ」
「あなたほどその言葉に説得力のある人はいませんね」
「おっ褒められた」

褒めてません、とツッコミながら、握られたままになっていた手を引いて、奥の方でトクトク響く鼓動を宥めるように胸に当てた。

この時間を楽しく感じる気持ちは、抑えなくていい。

友達といたって、楽しいものは楽しいんだから。



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