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7章 怪我をした犬を全力で助ける魔女
51話 風の魔王への求婚
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それとも、アスタフェルに正直に言ってしまうか? 王子様の愛人になるためにワタシと結婚してくれ、と。それがワタシの野望を叶えるということになるから、と。
だが……。
さすがにそんなの、酷すぎないか?
結婚するのなら一人とだけがいい。複数の人を愛するなんて器用なことはできない。――いや、愛する必要なんかないか。
アスタフェルと名義上の結婚をしてしまえばいい。それで、王子を利用する。それでいい。簡単なことだ。
でも……。
私は至極明快な答えから、必死に目を背けている。
そのとき、小麦の穂を揺らし渡ってきた風にワタシの前髪が広がった。それでワタシは空を見上げる。
午後になってしばらくした空は大きく広がり、白い雲がいくつか浮いていた。いつか見たような、夕陽前の濃く鮮やかな青空――。
ああ、そうか。魔王が美しい理由が分かった。
「……オマエは空の色をしているんだな、アスタフェル。雲の色の髪に、天頂の碧の瞳、内面は高き空を渡る澄んだ風のように軽やか。赤く染まる頬はさしずめ夕空の緋か……」
空を見上げて魔物を呼ぼうと決意したのを覚えている。それなら空の色を映した風の魔王を呼び出したのは必然だ。
こいつはワタシを殺すために自分から出てきたというようなことを言っていたが、真実は違う。
ワタシが彼を求めたんだ。あの時見た空と同じ色をした、風の魔王を……。
「空は美しい。ならば空の色を映したオマエが美しいのは、自然の摂理によるものだ」
隣で歩きづらそうにしていたアスタフェルが、口の横に手を持っていって大空に向かって呼びかけた。
「自覚ー!!!!!!」
「なっ、なんだよ」
「いや、なんかもう叫ばずにはいられなくてな。ついでにジャンザの自覚を呼び戻そうと思って」
真っ赤な顔で爽やかに笑うアスタフェル。
「言っとくが、お前俺のこと口説いているからなそれ」
「そうか? いや……」
アスタフェルと結婚して、この世界に留まるようにするには……。ワタシが彼を……。
「口説いたんだ、オマエを」
「え」
「オマエが好きだ。結婚してほしい」
紺碧の空を見上げ、そんな空虚な言葉を口にする。
せっかくの告白なのに。せっかくの求婚なのに。
……ドキドキもなんともしていない。
ただ、胸に空いた穴に染みるような、それでも爽やかな風が入ってくるような感覚があるだけだった。
「あ……あわ……あわ……」
アスタフェルはあわあわ言っている。実際にあわあわ言う人を見たのはこれが始めてだ。
「……ごめん、忘れて」
無駄にアスタフェルを動転させるのはよくない。
「いや、忘れない! 忘れないからな。忘れないが……何かあったのか?」
ああ。アスタフェルに感づかれるくらい、今のワタシはおかしいんだ。
王子に愛人に誘われたことを……言うべきなのだろうか。そのためにアスタフェルとの結婚を勧められていることを。
アスタフェルは当事者の一人だ。事実を知るべきだ。
彼が彼なりの考えのもとにワタシを籠絡しようとしているのは承知している。ついさっきまで、ワタシが王子にしようとしていたことと同じだ。
それでいけば、アスタフェルも本気でワタシを惚れさせようとしている。
ワタシは王子に惚れさせて思い通りに動かそうとした。アスタフェルもワタシを籠絡して同じことをしようと目論んでいるのだろう。
違うのは、王子はワタシの思い通りに惚れてはくれなかったが、ワタシはアスタフェルのことを本気で好きらしいということだ。おそらく、彼の望みのままに。
だからアスタフェルを利用するのは……躊躇われる。愛を誓うのは一人だけにしたいと想うのは、野望を叶えるためには純粋すぎるか。
愚かだな、ワタシは。こんな魔王に籠絡されたか……。
「もしかして、アークに……手篭めにされたとか……?」
「手篭めか。面白いな、それ」
アスタフェルはワタシの言葉にあからさまに胸を撫で下ろす。
「そうか。それなら良かった」
「ワタシが王子のものになったら嫌なのか?」
魔王は空を見上げた。彼の白銀の前髪が風に揺れている。
「お前が望むなら、と思ったが。いざとなると決心が鈍る……。こんな薬を飲んだせいかな。以前よりお前を想う心が増しているようだ」
「邪魔しようとしたのは薬を飲む前だろ。薬によって心が変わったんじゃなく、決心はもうとっくに鈍っていたんじゃないのか」
「違いない。時系列さえ曖昧になっている。俺は変だな。薬の影響か」
自嘲するように彼は微笑む。
そして真面目な顔になると、燃え上がりそうな赤い顔で前を見つめた。
数歩先に進み――翼を現出させる。
久しぶりに見る。柔らかく美しい、四枚の純白の大翼。彼が異型である証明のような、それでいて神々しさすらも感じさせる……清らかですらある、その翼。そしてこめかみから生えた禍々しき捻れた角……。
「何があったか、話したくなったら言ってくれ。だが、悪いが、今は先に帰らせてもらう。今のお前を見ていたらなんだか理性がおかしくなりそうでな……。このままでは良くないことをしてしまう。では、またあとで」
いうが早いが彼は翼を打ち下ろして飛び立ち、空を突っ切っていってしまった。
「人に見られるなよ……」
そんなことを呟きながら、ワタシは。
ワタシがこんな檻に囚われていなくて、アスタフェルが風の魔王じゃなかったらな……と、願うように思いながら、彼が消えていった碧い空を見つめていた。
* * *
だが……。
さすがにそんなの、酷すぎないか?
結婚するのなら一人とだけがいい。複数の人を愛するなんて器用なことはできない。――いや、愛する必要なんかないか。
アスタフェルと名義上の結婚をしてしまえばいい。それで、王子を利用する。それでいい。簡単なことだ。
でも……。
私は至極明快な答えから、必死に目を背けている。
そのとき、小麦の穂を揺らし渡ってきた風にワタシの前髪が広がった。それでワタシは空を見上げる。
午後になってしばらくした空は大きく広がり、白い雲がいくつか浮いていた。いつか見たような、夕陽前の濃く鮮やかな青空――。
ああ、そうか。魔王が美しい理由が分かった。
「……オマエは空の色をしているんだな、アスタフェル。雲の色の髪に、天頂の碧の瞳、内面は高き空を渡る澄んだ風のように軽やか。赤く染まる頬はさしずめ夕空の緋か……」
空を見上げて魔物を呼ぼうと決意したのを覚えている。それなら空の色を映した風の魔王を呼び出したのは必然だ。
こいつはワタシを殺すために自分から出てきたというようなことを言っていたが、真実は違う。
ワタシが彼を求めたんだ。あの時見た空と同じ色をした、風の魔王を……。
「空は美しい。ならば空の色を映したオマエが美しいのは、自然の摂理によるものだ」
隣で歩きづらそうにしていたアスタフェルが、口の横に手を持っていって大空に向かって呼びかけた。
「自覚ー!!!!!!」
「なっ、なんだよ」
「いや、なんかもう叫ばずにはいられなくてな。ついでにジャンザの自覚を呼び戻そうと思って」
真っ赤な顔で爽やかに笑うアスタフェル。
「言っとくが、お前俺のこと口説いているからなそれ」
「そうか? いや……」
アスタフェルと結婚して、この世界に留まるようにするには……。ワタシが彼を……。
「口説いたんだ、オマエを」
「え」
「オマエが好きだ。結婚してほしい」
紺碧の空を見上げ、そんな空虚な言葉を口にする。
せっかくの告白なのに。せっかくの求婚なのに。
……ドキドキもなんともしていない。
ただ、胸に空いた穴に染みるような、それでも爽やかな風が入ってくるような感覚があるだけだった。
「あ……あわ……あわ……」
アスタフェルはあわあわ言っている。実際にあわあわ言う人を見たのはこれが始めてだ。
「……ごめん、忘れて」
無駄にアスタフェルを動転させるのはよくない。
「いや、忘れない! 忘れないからな。忘れないが……何かあったのか?」
ああ。アスタフェルに感づかれるくらい、今のワタシはおかしいんだ。
王子に愛人に誘われたことを……言うべきなのだろうか。そのためにアスタフェルとの結婚を勧められていることを。
アスタフェルは当事者の一人だ。事実を知るべきだ。
彼が彼なりの考えのもとにワタシを籠絡しようとしているのは承知している。ついさっきまで、ワタシが王子にしようとしていたことと同じだ。
それでいけば、アスタフェルも本気でワタシを惚れさせようとしている。
ワタシは王子に惚れさせて思い通りに動かそうとした。アスタフェルもワタシを籠絡して同じことをしようと目論んでいるのだろう。
違うのは、王子はワタシの思い通りに惚れてはくれなかったが、ワタシはアスタフェルのことを本気で好きらしいということだ。おそらく、彼の望みのままに。
だからアスタフェルを利用するのは……躊躇われる。愛を誓うのは一人だけにしたいと想うのは、野望を叶えるためには純粋すぎるか。
愚かだな、ワタシは。こんな魔王に籠絡されたか……。
「もしかして、アークに……手篭めにされたとか……?」
「手篭めか。面白いな、それ」
アスタフェルはワタシの言葉にあからさまに胸を撫で下ろす。
「そうか。それなら良かった」
「ワタシが王子のものになったら嫌なのか?」
魔王は空を見上げた。彼の白銀の前髪が風に揺れている。
「お前が望むなら、と思ったが。いざとなると決心が鈍る……。こんな薬を飲んだせいかな。以前よりお前を想う心が増しているようだ」
「邪魔しようとしたのは薬を飲む前だろ。薬によって心が変わったんじゃなく、決心はもうとっくに鈍っていたんじゃないのか」
「違いない。時系列さえ曖昧になっている。俺は変だな。薬の影響か」
自嘲するように彼は微笑む。
そして真面目な顔になると、燃え上がりそうな赤い顔で前を見つめた。
数歩先に進み――翼を現出させる。
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「何があったか、話したくなったら言ってくれ。だが、悪いが、今は先に帰らせてもらう。今のお前を見ていたらなんだか理性がおかしくなりそうでな……。このままでは良くないことをしてしまう。では、またあとで」
いうが早いが彼は翼を打ち下ろして飛び立ち、空を突っ切っていってしまった。
「人に見られるなよ……」
そんなことを呟きながら、ワタシは。
ワタシがこんな檻に囚われていなくて、アスタフェルが風の魔王じゃなかったらな……と、願うように思いながら、彼が消えていった碧い空を見つめていた。
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