上 下
7 / 23

第7話 俺の天使1(ルース視点)

しおりを挟む
「婚約破棄だ、シルヴィア・ディミトゥール!」

 俺の宣言は実に堂々としたものだった。

 なのに……。

「言いたいことはそれだけですか?」

 シルヴィアはそう涼しい顔でそういってのけたのである。

「え?」

 俺は思わず聞き返す。
 シルヴィアが、その氷のような美貌を醜くゆがめるとか。
 婚約破棄の理由を聞いて、自分がしてきたことを俺に告げ口したルミナを罵るとか。

 そういう反応をするとばかり思っていたのだが……。

 そして俺は言うはずだったのだ。

 探偵小説ばかり読む異色の令嬢よ。
 お前は真実の愛に敗れたのだ、と。

「え? じゃありませんわよ」

 なのにシルヴィアときた日には、さも『何言ってんだこいつ』みたいな呆れた瞳で俺を見てくるのであった。

 白く輝く銀髪に、深く鋭い緑の瞳。
 シルヴィアは顔だけ見れば確かに美しく、貴族令嬢に相応しい品を兼ね備えた女である。……胸が小さいのが婚約者としては残念だが。

「なにを寝耳に水みたいな顔をされているのです、ルース殿下。私たちの婚約は国王陛下がまとめられたものなのですよ。それをまさか『婚約破棄だシルヴィア』の言葉だけで解消できるとでも思っているのですか?」

「……できるさ! 俺はやれる!」

 俺はぐっと拳を握りこんだ。
 ルミナを守る。そう決めたのだ。できなかったら男じゃない。

 俺は、一歩下がったところに控えているルミナをちらっとみた。

 可哀想に、ルミナは不安そうにシルヴィアを見ている……。
 当たり前だ、シルヴィアに殺されかけたのだから。

「できません。王命をなんだと思っているのですか。それでも第二王子なのですか、あなたは」

 心底呆れた――というような物言いのシルヴィア。

 しかし俺は負けない。

 我が天使ルミナ。俺はお前を守る騎士はくばのきしになると決めたのだから……。


  ◆◆◆◆


 俺とルミナのロマンティックな出会いを振り返る前に、まずはシルヴィアとの馴れ初めを確認しておこうと思う。
 俺がどれだけ彼女に迷惑してきたか、そこから思い出していきたいのだ。

 シルヴィアが俺の婚約者となったのは、今から十年前のことだ。
 俺が十歳のときである。

 父が急に、

「お前とこの令嬢との婚約が決まった」

 といってきた。

 父への反論など特になく、俺はその婚約を謹んでお受けした。
 俺は第二王子であり、国の将来を担う者である。好きでもない女と結婚するのは王族の義務であるということくらいは心得ていた。

 きっと父が見つけてきたこの女にも貴族の派閥やらなんやらというくだらない背景があるのだろう、と思った程度である。

 それにシルヴィアは美しく、氷のような凜とした気品をもつ女だった。この美貌ならば王子妃にも相応しかろう。
 あのとき俺は、このような美少女が将来の妻になる幸運に感謝すらしたのだった。

 しかし、同じ学園に通うようになってその想いは打ち砕かれた。
 シルヴィアの化けの皮がはがれたのだ。

 学園で俺は先輩であり、シルヴィアは後輩だった。

 ハルツハイム王国の第二王子である俺は、学園でも責任ある立場を任されていた。生徒会で生徒会長をしていたのだ。そこに図書委員となった彼女が嘆願書をもってきたのである。

 それは、図書室に小説を置けという内容であった。

 嘆願書を俺に渡しながらシルヴィアは、各国の国史や紳士名鑑は豊富なのに小説がないなんてお話にならない、そう小説だけにね! などと上手いことをいっていた。

『学園というのは勉学の場であり、娯楽小説など置いたところで誰も喜ばない』と俺は説明したのだが、シルヴィアは聞き入れなかった。

 それどころか、彼女が好きだという探偵小説『水晶探偵アメトリン』シリーズの良さを早口で説明してきたのである。

 このとき、俺は彼女と距離をちょっと感じたものである。
 ものすごい早口で探偵小説の良さをアピールしてきたシルヴィアに引いてしまったのだ。

 まぁ興味がなさすぎて、シルヴィアが話し始めてからすぐに居眠りをしてしまったのだが。

 それでも【小説のない図書室】より【小説のある図書室】のほうが格が上な気がする――との意見が生徒会内からも出たため、小説を置くことが決定した。

 別にシルヴィアの熱意にうたれて小説を置くようになったわけではないし、シルヴィア自身も手柄を自慢したりはしなかった。
 が、事情を知らない生徒たちは、『奇跡を成し遂げた図書委員』としてシルヴィアをもてはやしたのであった。

 それ以来、シルヴィアは図書館に籠もってよく本を読むようになった。

 彼女がよく読むのはやはり探偵小説だった。殺人事件が起こって誰が犯人かを当てる、という娯楽小説である。

 令嬢――しかも第二王子の婚約者ともあろうものが好むべきジャンルではない。令嬢ならば令嬢らしく、身の丈に合ったジャンルに興味をもつべきである。
 だが寛大なる俺は、どうせただの作り話だから、と意に介さなかった。俺が口を挟まずともそのうち飽きるだろう、と高もくくっていた。

 だが、いつまでもいつまでも、シルヴィアの探偵小説への読書欲は続いた。

 シルヴィアは美人だが貧乳。頭はいいが探偵小説への熱意が怖い。

 こんな女が婚約者でいいのか? と俺は疑問に思いはじめていた。

 だから俺はシルヴィアに『探偵令嬢』というあだ名をつけた。
 シルヴィアを的確に表したあだ名だと我ながら思う。

 こういうあだ名で客観的事実、つまり第二王子の婚約者ともあろう令嬢が探偵小説が好きだどというのは治すべき悪癖である、ということを突きつけていけば、いつかは自分から気づいて探偵小説を読むのをやめるのではないか――と。そんな願いを込めたのである。

 そんな思いを抱えたまま学園を卒業し、遅れて一年後、シルヴィアも卒業した。もちろん、探偵小説は読み続けたままだった。


しおりを挟む

処理中です...