1 / 6
『杜子春 - 芥川龍之介』1
しおりを挟む
一
或る春の日暮れ。
京都駅程近くのロータリー、一人の若者がぼんやりと空を眺め、立ち竦んでいた。
若者の名は杜子春。出自は金持ちの血筋であるものの、両親を失った今は財産を費い尽くし、その日暮らしのような憐れな生活を送っていた。
此の頃京都はインバウンド需要に依って嘗てないほどに繁昌を極め、仕切無く人や車の往来が続いている。油のように光る夕日の中に、人種の垣根を越え入り混じり、絶えず流れる容子など、まるで画のような美しさである。
然し、対比するように杜子春は相も変わらず、壁に身を凭せ、ぼんやりと空だけを仰いでいた。夕暮れ時ということもあり、空には薄らと細い月が顔を覗かせている。然様な、他の誰もが気にも留める必要もない些細な事柄だけが、彼の世界に於ける唯一の変化であった。
───日は暮れるばかりで腹は減る。昨今では寝泊りできるような場所は排除されつつある。こんな思いをして生きる位ならば、一そ鴨川に身を投げた方がマシかもしれない。
と、このような取り留めもない事を杜子春は思い巡らせていたわけだ。
すると、ふっと湧いて出てきたように、突然彼の目の前に片目を髪で隠す青年が現れた。
夕日の光を遮り大きな影を杜子春の顔に落とし、
「お前、今何考えてんの?」
と、横柄に言葉を掛けた。
「僕ですか?んー……今夜寝る場所も無いんで、どうしたもんかなと考えてましたよ」
杜子春は、青年の唐突な問いに思わず一瞥なく正直に答えてしまう。
自らと同じ境遇───生活困窮者同士の他愛もない世間話かと思ってのことだったからだ。
然し今一度、青年の顔に向き直してみると、立ち振る舞いや風貌、身に着ける雅な京風袴、そのどれをとっても宿無しの其れではなかった。
それを踏まえて、先の台詞を考えてみれば単なる一般人の冷やかしにも取れる。考え無しに返事をするのではなかったと、杜子春は少しだけ後悔した。
それと同時に、馬鹿にされていると終ぞ知らぬ阿呆と、さぞ嘲笑されるだろうと、起こり得る次に、焦って目を伏せる。
然し、裏腹に青年は暫く考えている様子であった。
「そっか。ソレは可哀そうやなあ」
そして、徐に往来に射す夕日の光を指差し、
「じゃあ俺が好いことを教えてやるよ。この夕日の中に立って、お前の影の頭に当たる部分を覚えておけ。夜中に再び訪れれば、その場所にきっとお前が生きるのに困らぬ程度の金が在る筈だ」
「え、マジすか」
杜子春は驚き、伏せていた眼を挙げた。すると、不思議なことにあの青年は居らず、影も形も見当たりはしなかったのだ。
その代わり、空の月の色は猶白くなり、止め処ない往来の人通りの上には、もう気の早い蝙蝠が二三匹ひらひらと舞っていた。
或る春の日暮れ。
京都駅程近くのロータリー、一人の若者がぼんやりと空を眺め、立ち竦んでいた。
若者の名は杜子春。出自は金持ちの血筋であるものの、両親を失った今は財産を費い尽くし、その日暮らしのような憐れな生活を送っていた。
此の頃京都はインバウンド需要に依って嘗てないほどに繁昌を極め、仕切無く人や車の往来が続いている。油のように光る夕日の中に、人種の垣根を越え入り混じり、絶えず流れる容子など、まるで画のような美しさである。
然し、対比するように杜子春は相も変わらず、壁に身を凭せ、ぼんやりと空だけを仰いでいた。夕暮れ時ということもあり、空には薄らと細い月が顔を覗かせている。然様な、他の誰もが気にも留める必要もない些細な事柄だけが、彼の世界に於ける唯一の変化であった。
───日は暮れるばかりで腹は減る。昨今では寝泊りできるような場所は排除されつつある。こんな思いをして生きる位ならば、一そ鴨川に身を投げた方がマシかもしれない。
と、このような取り留めもない事を杜子春は思い巡らせていたわけだ。
すると、ふっと湧いて出てきたように、突然彼の目の前に片目を髪で隠す青年が現れた。
夕日の光を遮り大きな影を杜子春の顔に落とし、
「お前、今何考えてんの?」
と、横柄に言葉を掛けた。
「僕ですか?んー……今夜寝る場所も無いんで、どうしたもんかなと考えてましたよ」
杜子春は、青年の唐突な問いに思わず一瞥なく正直に答えてしまう。
自らと同じ境遇───生活困窮者同士の他愛もない世間話かと思ってのことだったからだ。
然し今一度、青年の顔に向き直してみると、立ち振る舞いや風貌、身に着ける雅な京風袴、そのどれをとっても宿無しの其れではなかった。
それを踏まえて、先の台詞を考えてみれば単なる一般人の冷やかしにも取れる。考え無しに返事をするのではなかったと、杜子春は少しだけ後悔した。
それと同時に、馬鹿にされていると終ぞ知らぬ阿呆と、さぞ嘲笑されるだろうと、起こり得る次に、焦って目を伏せる。
然し、裏腹に青年は暫く考えている様子であった。
「そっか。ソレは可哀そうやなあ」
そして、徐に往来に射す夕日の光を指差し、
「じゃあ俺が好いことを教えてやるよ。この夕日の中に立って、お前の影の頭に当たる部分を覚えておけ。夜中に再び訪れれば、その場所にきっとお前が生きるのに困らぬ程度の金が在る筈だ」
「え、マジすか」
杜子春は驚き、伏せていた眼を挙げた。すると、不思議なことにあの青年は居らず、影も形も見当たりはしなかったのだ。
その代わり、空の月の色は猶白くなり、止め処ない往来の人通りの上には、もう気の早い蝙蝠が二三匹ひらひらと舞っていた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。
カレンと晴人はその後、どうなる?
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる