78 / 131
1. Black Sheep
14-1.
しおりを挟む
「何よこれ……」
抱えていた書類と鞄を床に落とし、唖然とした様子のジュネが、ヴィクターの部屋の戸の前で立ち尽くした。
部屋の中で嵐が暴れ回ったように思えるほど物が引っ繰り返り、荒れ果てていた。その中で苦しそうにソファーに蹲っているヴィクターを見付け、ジュネは思わず走り寄った。
「ヴィクター、どうしたの! 何があったの!」
「ちょっと、悪魔がね、悪さをしていっただけだよ……」
ジュネは彼がバストバンドを巻いているのを見、肋骨が骨折しているのだと見抜いた。処置はキチンと出来ているから、一先ず安心だが……。部屋の中に彼以外がいないのなら、脅威は去った後なのだろう。普段と変わらない様子で嘯くヴィクターの様子に、却ってジュネは落ち着きを取り戻していった。
「悪魔の仕業だって言うなら、ジョンは? ジャネットはどこ?」
「ジョンは……――」
ヴィクターは少し顔を上げて空を仰ぐようにして、口を開いた。しかし、全てを言い切る前に大きな音を立てて部屋の戸が開いた。
「あれ……、ジョン! ジョンはっ!?」
飛び出して来たのはジャネットだった。部屋の中にいる筈のジョンの姿が見えない事に、酷く狼狽していた。
「ジャネット、遅かったね。どうしたんだい」
ヴィクターはどこか自嘲気味に笑いながら、言った。
「『教会』の電話交換手の手際が悪かっただけよ。それよりもジョンはどこ!」
いっそ怒鳴るようなジャネットの声に、ヴィクターは「嗚呼」と溜め息をついた。
「ごめん、ジャネット。……もう、行ってしまったよ」
「――――ッ!」
ジャネットがヴィクターの言葉に息を呑み、踵を返して部屋を飛び出、す――直前に立ち止まり、ヴィクターに振り返った。
「ヴィクター、帰ったら、一発殴るからね!」
乱暴な捨て台詞を残し、ジャネットは今度こそ部屋を後にした。
「いやあ、おっかないなあ」ヴィクターは頭を抱え、天井を見上げた。「いやあ……、殴られたくは、ないけどなあ……」
「……ヴィクター?」
ジュネは頭を抱えるヴィクターの背中を見詰める。心なしか、彼の背中が小さく震えているような気がした。
「……ボクはジョンを見放してしまったのかな、ジュネ」
「…………」
ヴィクターらしくない言葉だと、ジュネは思った。彼は頭がいい、だから自分のメンタルだって完璧に捉えられていると信じている。それなのにそんな質問をするなんて、彼らしくない。
そう、確かに彼は頭が良かった。その頭脳の優秀さは確かなものであって、それ故に常人には理解出来ない領域にまで踏み込んでしまう事もあった。ジュネは、彼が後ろ指を差されている姿を何度も目にして来た。「変人」、「変態」と呼ばれる事ばかりだった。しかし、彼は自分が世間からどう見られているか、完璧に理解していながらも、それを正そうとは考えなかった。
――「お前、ソレ、つまんねえからやめろよ」。それは敢えて奇言奇行を繰り返し、わざと疎まれる事で周囲の人間と距離を取ろうとしていたヴィクターに、ほぼ初対面のジョンが放った言葉だった。その言葉は、彼の胸を深く貫いた。
けれど、それ以来だ。生まれてからずっと兄のような存在だったヴィクターを見ていたジュネは、ジョンに出会ってからヴィクターはようやく「人間」になれたと感じていた。
ジョンとヴィクター。彼らの組み合わせが世間にどう見られているのか、ジュネは知らないし、知ろうとも思わない。彼らは出会うべくして出会い、そしてお互いを本当の意味で信頼し合っている。それは疑いようのない事実だと、彼女は信じている。
「ヴィクターは自分が人間嫌いだと思っているかも知れないけど、本当は人間を嫌いになりたいだけのお人好しよ」溜め息交じりにジュネは続ける。「いつも他人の事ばかり考えているようなあんたが、ジョンを見放せる訳ないでしょ」
「……そうかなあ。本当に、そうかなあ……」
「私はずっとあんたの事を見ていたのよ? あんたの事ならあんた以上に知っているわよ、『お兄ちゃん』」
「…………」
鳩が豆鉄砲を食ったようとは、この事だろうか。目を丸くして、ジュネに振り返ったヴィクターの顔は涙で濡れていた。それを見て、ジュネは「やっぱり」とまた溜息をついた。
「ホラ、みっともないから涙を拭きなさいよ。何があったか分からないけど、あんたはジョンを裏切らないし、ジョンだってそれはあり得ない」
ヴィクターは力が抜けたように俯いて、大きく息を吐いた。
「ああ――、でも、待っているだけと言うのは、辛いものだよ」
「そんなの、いつもの事じゃない」
ジュネは笑う。しかし、彼女も同じ気持ちだった。
「ジェーンも、こんな気持ちだったんだろうか」
「……そう、ね。そうだと思うわ。ジェーンはいつもニコニコしていたけど、あの笑顔が痛そうに見える時もあった」
誰よりもジョンを、そしてジャネットを信じていたのはジェーンだった。けれど傷付いて帰って来る二人を迎える彼女の瞳はいつだって――――。
彼女は祈っていた、二人の無事を。献身的に、誠実に、愚直なまでに、必死に。彼女のその姿は美しかったが、心が掻き毟られるような感覚も覚えた。嗚呼――と、思い出したジュネは今も胸を押さえる。
「だけど、あんたは違うでしょ、ヴィクター」ジュネは涙が溢れそうになるのを堪えながら、強い瞳でヴィクターを見る。「あんたは医者でしょ。あの二人が怪我をして帰って来たら、治してあげればいいだけじゃない」
「そう――か……、……そうだね……」
ヴィクターはようやく顔を上げた。その頬には赤みが戻っていた。
「不安だって言うなら、わたしも一緒に待つ。あんたは一人でいるのが好きだけど、孤独なのは嫌いでしょ。全く、面倒臭い兄貴ね」
「……そこは『お兄ちゃん』じゃないのかい」
戻って来たいつもの減らず口に、ジュネは「調子に乗るな」とヴィクターの頭を叩いた。
「ジャネットは間に合うかな」
「間に合うわよ」
ジュネはそう即答した。ヴィクターはまた少し笑い、彼女を見る。
「ジャネットはいつもジョンを追い掛けてる。それなのに、こんな時ばかりジョンに追い付けないなんて、そんなの嘘よ」
鼻息荒くそう言うジュネの様子に、ヴィクターは何故かホッとした。なんの根拠もないのに、その通りになるのではないかと思ってしまう力が、彼女の言葉の中にはあった。
抱えていた書類と鞄を床に落とし、唖然とした様子のジュネが、ヴィクターの部屋の戸の前で立ち尽くした。
部屋の中で嵐が暴れ回ったように思えるほど物が引っ繰り返り、荒れ果てていた。その中で苦しそうにソファーに蹲っているヴィクターを見付け、ジュネは思わず走り寄った。
「ヴィクター、どうしたの! 何があったの!」
「ちょっと、悪魔がね、悪さをしていっただけだよ……」
ジュネは彼がバストバンドを巻いているのを見、肋骨が骨折しているのだと見抜いた。処置はキチンと出来ているから、一先ず安心だが……。部屋の中に彼以外がいないのなら、脅威は去った後なのだろう。普段と変わらない様子で嘯くヴィクターの様子に、却ってジュネは落ち着きを取り戻していった。
「悪魔の仕業だって言うなら、ジョンは? ジャネットはどこ?」
「ジョンは……――」
ヴィクターは少し顔を上げて空を仰ぐようにして、口を開いた。しかし、全てを言い切る前に大きな音を立てて部屋の戸が開いた。
「あれ……、ジョン! ジョンはっ!?」
飛び出して来たのはジャネットだった。部屋の中にいる筈のジョンの姿が見えない事に、酷く狼狽していた。
「ジャネット、遅かったね。どうしたんだい」
ヴィクターはどこか自嘲気味に笑いながら、言った。
「『教会』の電話交換手の手際が悪かっただけよ。それよりもジョンはどこ!」
いっそ怒鳴るようなジャネットの声に、ヴィクターは「嗚呼」と溜め息をついた。
「ごめん、ジャネット。……もう、行ってしまったよ」
「――――ッ!」
ジャネットがヴィクターの言葉に息を呑み、踵を返して部屋を飛び出、す――直前に立ち止まり、ヴィクターに振り返った。
「ヴィクター、帰ったら、一発殴るからね!」
乱暴な捨て台詞を残し、ジャネットは今度こそ部屋を後にした。
「いやあ、おっかないなあ」ヴィクターは頭を抱え、天井を見上げた。「いやあ……、殴られたくは、ないけどなあ……」
「……ヴィクター?」
ジュネは頭を抱えるヴィクターの背中を見詰める。心なしか、彼の背中が小さく震えているような気がした。
「……ボクはジョンを見放してしまったのかな、ジュネ」
「…………」
ヴィクターらしくない言葉だと、ジュネは思った。彼は頭がいい、だから自分のメンタルだって完璧に捉えられていると信じている。それなのにそんな質問をするなんて、彼らしくない。
そう、確かに彼は頭が良かった。その頭脳の優秀さは確かなものであって、それ故に常人には理解出来ない領域にまで踏み込んでしまう事もあった。ジュネは、彼が後ろ指を差されている姿を何度も目にして来た。「変人」、「変態」と呼ばれる事ばかりだった。しかし、彼は自分が世間からどう見られているか、完璧に理解していながらも、それを正そうとは考えなかった。
――「お前、ソレ、つまんねえからやめろよ」。それは敢えて奇言奇行を繰り返し、わざと疎まれる事で周囲の人間と距離を取ろうとしていたヴィクターに、ほぼ初対面のジョンが放った言葉だった。その言葉は、彼の胸を深く貫いた。
けれど、それ以来だ。生まれてからずっと兄のような存在だったヴィクターを見ていたジュネは、ジョンに出会ってからヴィクターはようやく「人間」になれたと感じていた。
ジョンとヴィクター。彼らの組み合わせが世間にどう見られているのか、ジュネは知らないし、知ろうとも思わない。彼らは出会うべくして出会い、そしてお互いを本当の意味で信頼し合っている。それは疑いようのない事実だと、彼女は信じている。
「ヴィクターは自分が人間嫌いだと思っているかも知れないけど、本当は人間を嫌いになりたいだけのお人好しよ」溜め息交じりにジュネは続ける。「いつも他人の事ばかり考えているようなあんたが、ジョンを見放せる訳ないでしょ」
「……そうかなあ。本当に、そうかなあ……」
「私はずっとあんたの事を見ていたのよ? あんたの事ならあんた以上に知っているわよ、『お兄ちゃん』」
「…………」
鳩が豆鉄砲を食ったようとは、この事だろうか。目を丸くして、ジュネに振り返ったヴィクターの顔は涙で濡れていた。それを見て、ジュネは「やっぱり」とまた溜息をついた。
「ホラ、みっともないから涙を拭きなさいよ。何があったか分からないけど、あんたはジョンを裏切らないし、ジョンだってそれはあり得ない」
ヴィクターは力が抜けたように俯いて、大きく息を吐いた。
「ああ――、でも、待っているだけと言うのは、辛いものだよ」
「そんなの、いつもの事じゃない」
ジュネは笑う。しかし、彼女も同じ気持ちだった。
「ジェーンも、こんな気持ちだったんだろうか」
「……そう、ね。そうだと思うわ。ジェーンはいつもニコニコしていたけど、あの笑顔が痛そうに見える時もあった」
誰よりもジョンを、そしてジャネットを信じていたのはジェーンだった。けれど傷付いて帰って来る二人を迎える彼女の瞳はいつだって――――。
彼女は祈っていた、二人の無事を。献身的に、誠実に、愚直なまでに、必死に。彼女のその姿は美しかったが、心が掻き毟られるような感覚も覚えた。嗚呼――と、思い出したジュネは今も胸を押さえる。
「だけど、あんたは違うでしょ、ヴィクター」ジュネは涙が溢れそうになるのを堪えながら、強い瞳でヴィクターを見る。「あんたは医者でしょ。あの二人が怪我をして帰って来たら、治してあげればいいだけじゃない」
「そう――か……、……そうだね……」
ヴィクターはようやく顔を上げた。その頬には赤みが戻っていた。
「不安だって言うなら、わたしも一緒に待つ。あんたは一人でいるのが好きだけど、孤独なのは嫌いでしょ。全く、面倒臭い兄貴ね」
「……そこは『お兄ちゃん』じゃないのかい」
戻って来たいつもの減らず口に、ジュネは「調子に乗るな」とヴィクターの頭を叩いた。
「ジャネットは間に合うかな」
「間に合うわよ」
ジュネはそう即答した。ヴィクターはまた少し笑い、彼女を見る。
「ジャネットはいつもジョンを追い掛けてる。それなのに、こんな時ばかりジョンに追い付けないなんて、そんなの嘘よ」
鼻息荒くそう言うジュネの様子に、ヴィクターは何故かホッとした。なんの根拠もないのに、その通りになるのではないかと思ってしまう力が、彼女の言葉の中にはあった。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる