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第二章 黒猫の恋人
第58話 あの日の約束
しおりを挟む艶然と笑んだ森川くんの瞳は一切笑っておらず、まるで獲物を射抜くような視線に、言い知れぬ恐怖を感じて私の背筋はゾクリと粟立った。
あの瞳………
そう、あの瞳は良く見る目だ。
情事に及ぶ前の弦の瞳の色に似ている。
獲物に狙いを定めた捕食者の目だ。
ヤバい…非常にヤバい……
このままではよからぬ方向に話が流れそうだと、危惧した私は慌てて話題を変えた。
「そ、そうだね、もう立派な男の人だね!あ、そう言えば……帰国したばかりっていってたけど、外国にいたの?」
森川くんはふっと笑んだ後、短く嘆息しテーブルの上で指を組むと、先程とは打って変わって優しい表情で返答した。
「…うん。中学1年生の夏休み中に親の転勤でアメリカにね。そのまま大学卒業まで向こうにいたんだけど、どうしても日本に帰ってきたくて、就職はこっちにしたんだ。」
「そうだったんだね……」
人生の半分を過ごしてきて、友人も生活も全てがアメリカにあると言うのに、何も無い日本に帰国をしたい理由は一体なんだろう。
そんな考えを見透かすように、森川くんは続けた。
「うん、どうしても帰ってきたかった理由があったからね。」
「理由?」
どうしても帰ってきたい理由……
薮蛇かもしれないが、それ程までに帰国をしたかったという強い動機に若干の興味が湧いてしまい、聞かなければいいのに、つい口からポロッと先を促すような言葉が出てしまった。
理由について聞いた私を、森川くんは嬉しそうに目を細めて見つめた。
その表情から、私はどうやら自ら進んで薮をつついてしまったということに気が付く。
う、迂闊にも程がある……
自分の迂闊さに頭を抱えて青くなっている私を尻目に、森川くんは笑顔で理由について語り出した。
「そう、理由。なっちゃん、昨日も言ったけど…約束、覚えてる?」
「約束って……」
「うん、最後の日の約束。大人になっても気持ちが変わっていなかったら、俺がなっちゃんの家族になる、ってやつ。」
「……家族…」
確かに、そんな事を言われた記憶があるような、ないような……
しっかりと思い出すためにも、私は、あの日の記憶を辿った。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
最後の日。
田舎を出るその日は、私の卒業式の日で、ヒトちゃんの卒業式の日でもあった。
午後18時の新幹線に乗るためには、ターミナル駅に17時には到着しなければならなかった。地元の駅からターミナル駅までは電車で1時間程、地元の駅は電車が1時間に数本程度しか通っていないような駅なので、余裕をもって15時半到着予定で駅まで向かうタクシーを配車していた。
祖母の家から地元の駅までは車で30分程なのだが、予定よりもかなり早めの14時過ぎた頃に迎車が到着した。
待つ時間が長くなればなるほど別れが辛くなるので、少し早いが、駅に向かおうと、小さなトランク一つとショルダーバッグをタクシーの荷台に積んでタクシーに乗り込もうとしたその時……
「なっちゃん!!!ま、待って!!!」
卒業式の為真新しい制服に身を包んだ幼馴染が、着の身着のまま、息をきらせて全速力で走ってこちらに向かって来ていた。
私はタクシーの運転手に、少し待って欲しいと声をかけ、乗りかけたタクシーを降車し、幼馴染の方へと少し歩を進めると、漸く追い付いた幼馴染が目の前で足を止める。
「ヒトちゃん!そんなに走ってどうしたの?」
「なっ…ちゃん、俺、今日って……きい……てな…」
はぁはぁと肩で荒い呼吸をしながら、一生懸命に言葉を紡いだ。
「……うん、ごめんね。大学入る前にあっちで色々準備したくて…ちょっと早めに行くことにしたんだ。」
「そんな……大事なこと、なんで勝手に決めるんだよ!俺に心の準備はさせてくれないのかよ!」
幼馴染の言葉に、鼻の奥がツンとした。
「うん…ごめん。みんなにさよなら言うのが辛くて……」
「だからって、このままさよならも言わないでひとりで行くのかよ!!!」
ひとりは辛い、だけど、みんなに見送られたら後髪引かれてしまう。
だから誰にも言わずにこの地を去ろうとした。
もう、誰かにさよならを言うのは嫌だった。だから、にっこり笑ってまたねと言いたかった。
「さよならじゃないよ。またこっちに戻って来た時に会えるよ。」
「いつ?それはいつだよ。」
私の言葉に、幼馴染は語気を強めて反応した。
「…夏休みとか、冬休みとか……」
嘘だ。もう二度と帰るつもりはなかった。
ここには悲しい思い出しか無かったから。
そんな私の考えを幼馴染は悟ったのか、私の腕を掴み、私の顔を見上げて言った。
「そんな不確実な約束なんかじゃ耐えられない!俺、なっちゃんの事が好きなんだ!」
弟のように思っていた幼馴染からの突然の告白に吃驚して、心臓が早鐘を打った。
嬉しかった。誰も私の事など好きだと言ってくれる人がいなかったから……
でも、所詮は子供の好きだ。ましてや、小学校と高校生。
きっと、幼馴染のいう『好き』は近所のお姉さんに抱く憧れのようなものだろう。
そう思ったらチリっと胸の辺りに痛みを感じた。
「ふふふ、ありがとう。私もヒトちゃんのこと好きだよ。」
私はにっこりと笑顔を作り、幼馴染の頭をぽんぽんと撫でた。
幼馴染は頭を撫でる手を掴み引き寄せ、小さな身体で私にしがみつくように抱きしめた。
「っ!そういうんじゃなくて、まだ中学にも上がってない子供が何言ってんだって、俺だって思うけど……好きなんだ。ずっと好きだった。」
私にしがみつきながら、幼馴染は切なそうに言葉を絞り出した。
私はそんな幼馴染の気持ちに胸が締め付けられて、小さな身体をぎゅっと抱きしめ返した。
「ダメだよ。ヒトちゃんはまだ若くて沢山可能性があるんだから。今は年上のお姉さんに憧れを抱いているだけ。すぐにそんな気持ち忘れるよ。」
そう、淡い恋心は時間と共に風化していくもの。
気持ちには応えられない私の事は忘れて、幸せになって欲しい。
そう思いを込めて抱きしめ、そして、身体を離して微笑んだ。
「そろそろいくね。元気でね。」
私がくるりと踵を返し、タクシーの方へ歩き出すと、後ろから幼馴染が大きな声で私を呼んだ。
「忘れない!絶対に忘れるもんか!憧れなんかじゃない!年の差なんて大人になればすぐに埋まるし埋めてみせる。だから、もし、大人になって、この気持ちを忘れていなかったら……その時は、俺がなっちゃんの家族になる。」
「……家族…」
私は足を止め、幼馴染の方へ振り返った。
幼馴染は顔を真っ赤にして涙を流していた。
「もう絶対ひとりにはしない。だから……」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「……だから、約束な。」
ポツリと呟くと、森川くんは心底嬉しそうに破顔した。
……そうだ、思い出した。
あの日に、まだ幼かった森川くんから言われた言葉だ。
「俺、約束忘れた事ないよ。この会社に入ったのはたまたまだけど。なっちゃんに会えて……もうこれって運命感じない?」
「ごめん……全然覚えてなくて……」
忘れてしまっていた事もそうだが、まさか森川くんがその約束を覚えていて、そのために帰国をしたという事実が申し訳なくて俯く事しか出来なかった。
「しょうがないよ。だって、あの時はまだ小学生で、子供だったし。でも、俺、本気だから。よかったら……」
「ごめん、今ね、付き合ってる人がいるの。」
その続きの言葉を聞きたくなくて、遮るように言葉を被せると、森川くんの顔からすっと表情が消え、彼の口から驚く程冷えた声が聞こえた。
「へぇ…そう、なんだ。その人とはもう、長いの?」
「まだ3ヶ月くらいだけど…一緒に暮らしてるの。」
「……なんだ、じゃあまだチャンスがありそうだ…」
私は気まずさから顔をあげられず、俯いたまま答えると頭の上から呟くような低い声が聞こえた。
「……え?」
弾かれたように顔を上げると、私への特別な感情を浮かべ、まるで愛おしいものを見るような眼差しを向けて見つめる森川くんの視線と絡み、身が竦んだ。
そのタイミングで注文したランチが運ばれてきて、気まずい空気は払拭される。
「ううん、何でもないよ。美味しそうだから、そろそろ食べよう。」
そう言ってにこりと笑顔を作ると、森川くんは箸を持った。
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