【R18】黒猫は月を愛でる

夢乃 空大

文字の大きさ
68 / 106
第二章 黒猫の恋人

第63話 急病人

しおりを挟む
 
 声のした方を振り返ると、無表情な森川くんが立っていた。心做しか顔が青白くみえるが、会場の照明が暗いせいなのか、それとも具合が悪くてそう見えるのかは定かではないが、とにかく酷く憔悴しているように見えた。


「森川くん!どうしたの凄く具合が悪そう……」

「………………だよ…」


 俯いたまま森川くんは何かを呟いたようだが、会場の騒がしさに掻き消されて私の耳まで届くことはなかった。
 私は彼の前まで行き、下から顔を覗き込んで、森川くんの言葉を聞き取ろうとした。


「え?今なんて……」

「……なんでもない……大丈夫だよ。」


 森川くんはふぅと息を吐くとそう言った後に、少し何かを考えて頭をふり、ガシッと私の腕を掴んだ。
 咄嗟の事に吃驚して身構えると、森川くんは辛そうに笑い思い詰めたように私を見つめる。私はその顔を見上げながら、なんだか泣き出しそうだなと漠然と思った。


「……あぁ、でも少し気分が悪いかも。休憩室に行きたいんだけど、なっちゃん一緒についてきてくれる?」


 お願い、と眉を下げて震える声で森川くんは懇願してくる。腕を掴んだ手にぎゅっと力が入り、このまま抱き締められるのでは無いかという勢いで引き寄せられそうになるが、なんとか踏みとどまり、パッと身体を離す。
 なんとなく森川くんの視線に熱が籠っているように感じてしまい、ふいと視線を逸らして周囲に視線を巡らせているように装った。


「え、あぁ、うん。そうだね、わかった。休憩室の使用の件とかマネージャーに報告してくるから、ロビーでちょっと待っててくれる?」

「……うん…わかった。なっちゃん、俺ロビーで待ってる…来てくれるまで待ってるから。」


 そう言った森川くんは一瞬傷ついたような顔をしたが、すぐに打ち消すように深く嘆息すると、会場の出口の方へ向かった。

 来てくれるまで……

 その言葉に多少引っかかりを覚え、行くかどうか迷ったが、具合の悪い新人をましてや幼馴染を放って置くことなど出来るはずがない。
 だからと言って、知らない役職者に任せるのもなんとなく気が引けてしまう。
 それに、森川くんは子供の頃から具合が悪い時は手を繋いがないと眠れない程の寂しがり屋だった。帰国してまだ日が浅いので、きっと心細くなったのだろうと、そんな心細い彼をひとりにしておく訳にはいかないな、と無理やりそう納得する事にする。

 私は森川くんがロビーに向かう様子を見届けてから、さてと、と辺りを見回した。ちょうど近くに管理本部の瀬田マネージャーと談笑している山田マネージャーを見つけたので近くまで行き声をかけた。


「お話中すみません。山田さん、ちょっといいですか?」

「おー、仲原。どうした?っていうか……今日もお前ら夫婦はやってくれたよな…なんて言うんだ?ペアルックとは違うな…お揃いか?まぁとにかく、あからさま過ぎて新人みんな吃驚してたぞ?可哀想に。」


 楽しそうにくつくつと喉を鳴らして笑う山田さんを、横の瀬田マネージャーは横目で若干呆れたように見て頭をふると、深く重い溜息を吐いた。


「ペアルックとか……山田さん、おっさんじゃないんですから…。ああいうのはリンクコーディネートっていうんですよ。同じ色合いだったり、小物を合わせたりしてたでしょ?」


 瀬田さんの言葉を受けた山田さんは、思いっきり眉を顰め面倒くさそうに漏らした。


「うへぇ、リンクコーディネート?なんだそれ?おっさんには小難しい言葉はわからねぇから、全部ペアルックでいいじゃねぇか。」

「あー…はいはい、厳密には違いますけど、もうめんどくさいんでそれでいいです。」


 かかかっと豪快に笑う山田さんの発言の訂正をする事を諦めた瀬田さんは、適当に山田さんに相槌を打ってさらりと受け流し私の方に向き直ると、申し訳なさそうに言う。


「…で、ごめんね仲原さん、話の腰を折っちゃって。そういえば、猫ちゃんはどうしたのよ?」

「あ、げ…猫実さんはさっきバーカウンターに飲み物を取りにいったんですけど……多分私と一緒で新人さんに囲まれちゃってるんだと思います。」


 私がそういうと、瀬田さんはバーカウンターの方をチラリと見遣り、案の定という表情をした。


「あー……そうかもね。ところで、山田さんに用事があったんだよね?」


 瀬田さんに指摘されて、漸く本来の用事を思い出して山田さんの方に向き直って話しかけると、瀬田さんは徐にスマホを取り出してどこかに電話しだした。


「そうだ!山田さん、急病人が出たので、上に用意した休憩室に連れていきたいんですが…」

「おぅわかったけど、急病人って一体どこのどいつだ?飲み過ぎか?」

「一営の森川 仁成です。いや、そんなに飲んでなかったと思うんですけど……顔色がすごく悪かったので……」


 ニヤニヤ顔の山田さんに森川くんの事を伝えると、山田さんは先程とは一転して至極真剣な顔になる。


「は?ヤローか!それは色々と……不味いんじゃないか…?その……お前女だし、パートナーいるし……なぁ?」


 腕を組んで綺麗に整えられた顎の髭を触りながら、チラチラと私の背後を見ながら難しい顔で言った。

 まぁ、そうなんだけど……

 誰かに任せたらいいのはわかってるよ、わかっているけど、なんて言うのだろうか……
 複雑な感情があって……近い感情は弟に感じる家族の情だと思う。
 弟が心細く思っていたら何とかしてあげたいと思ってしまうのは仕方がないとは思うのだが、しかし、最近の森川くんの言動を鑑みると、山田さんの言うように『色々と不味い』と言う意味もわからない事はない。

 しかし、さっきからチラチラと私の後ろを見ているのは何なんだろうか……

 森川くんの事も気になるし、私の後のことも気になる。
 色々な感情がごちゃ混ぜになって、もうどうしたらいいのかさっぱり検討がつかないが、とりあえず、森川くんと私の関係を明らかにしないと事態は進まないなと思い話を続けた。


「はい、そうなんですけど…彼、帰国子女で知り合いいなそうで……それに、実は……森川くんは私の幼馴染なんです。なので、大丈夫……かと……」


 しどろもどろ山田さんに森川くんの事を伝えていると、私の話が終わらないうちに、後ろから恐ろしく冷えたバリトンボイスが、それ以上言う事は許さない、とでも言うように私の声を遮った。


「だぁめ。却下だね。名月、さすがにそれは危機感無さすぎ。」


 その冷え冷えとしたオーラに、はっとして振り向くと、グラスをふたつ持った弦が冷ややかな笑みを湛えて立っていた。

しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

禁断溺愛

流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。

出逢いがしらに恋をして 〜一目惚れした超イケメンが今日から上司になりました〜

泉南佳那
恋愛
高橋ひよりは25歳の会社員。 ある朝、遅刻寸前で乗った会社のエレベーターで見知らぬ男性とふたりになる。 モデルと見まごうほど超美形のその人は、その日、本社から移動してきた ひよりの上司だった。 彼、宮沢ジュリアーノは29歳。日伊ハーフの気鋭のプロジェクト・マネージャー。 彼に一目惚れしたひよりだが、彼には本社重役の娘で会社で一番の美人、鈴木亜矢美の花婿候補との噂が……

ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?

春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。 しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。 美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……? 2021.08.13

新人メイド桃ちゃんのお仕事

さわみりん
恋愛
黒髪ボブのメイドの桃ちゃんが、働き先のお屋敷で、旦那様とその息子との親子丼。

処理中です...