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第二章 黒猫の恋人
第70話 壮行会で
しおりを挟む名月がシャワーの間に手配していたタクシーに乗って、壮行会会場のウェストホテルに到着したのは20時少し前。
ロビーを抜け、クロークに荷物を預けた後、会場入口で受付を済ませると、名月をエスコートして会場に入る。
すると、俺の思った通り一斉にフロアの人間が俺たちに視線を向け注目した。
会場の皆が揃いの格好の俺たちを見て、また、その俺たちに向ける役職者達の生暖かい眼差しを見て、俺たちが会社公認の恋人同士であることを理解し、新卒社員達は思い思いの視線を投げる。
その視線は驚きと羨望が殆どだったので、俺は綺麗に俺色に着飾った愛しい名月を見つめ、それらの視線を横目で受け流した。
会場での名月はいつも以上に美しくキラキラと輝いていて、いつまでも見ていたい程、俺の心と視線を捉えて離さなかった。
そして、そんな名月が俺の物であると会場中に知らしめられるこの瞬間は、俺の独占欲が満たされ非常に気分がいいものだった。
気分良く会場を進んでいく中で、不意にそれらとは明らかに違う異質な視線を感じ、辺りを見回しその視線の先を辿ると、そこには俺に対しての激しい嫉妬と憎悪の他に、名月に対しての狂おしい程の恋慕の表情を浮かべた森川がいた。
俺はすっと表情を消し、警告の意味を込めて視線を森川の方に遣ると、俺を鋭い視線で睨め付ける森川と視線がかち合う。
残念だけど、お前の出る幕はないよ。
俺は視線の先の森川に片口角を上げて薄らと冷笑を送ると、愛しい名月に視線を戻し名月だけを見つめる。
当の名月は森川の視線には全く気がついていない様子で、
それよりも会場中の視線を集めてしまっていた事に気が付いてからは、あわあわと気もそぞろで、青くなったり赤くなったりと忙しそうだ。
俺はクルクルと変わる表情が可愛くて、陶然とその様子を眺めていると、俺の視線に気が付いた名月がちらりと上目遣いで俺を見上げてきた。
ぽっと蒸気したように赤く色付いた頬に潤んだ瞳、艶めいた半開きの唇……
名月は俺の顔を見ながら、キスを強請るように無意識に自分の唇を触った。
その表情が妙に色っぽくて婀娜やかで、思わず下半身がズクリと疼き、俺は劣情を催した。
今すぐこの場で名月の唇を激しく貪りたい衝動に駆られるが、ここではダメだ。パーティが終わるまでは我慢しないと。
しかし……
凄まじい色香を振り撒く名月をこのままにして置くのはよろしくない。
周りの名月に対しての視線も不埒な物が混じり始めて来たところで、俺は名月の腰に回した腕に力を込め、きゅっと引き寄せて耳元で艶っぽく囁いた。
「こぉら。そんな物欲しそうな目で見ないの。……俺だって同じ気持ち。」
途端に名月の顔が羞恥心で頭から湯気が出てるのではないかという程、真っ赤になってうんうん唸っている姿が可笑しくて可愛くて笑ってしまう。
もう大丈夫だな。いつもの名月だ。
腕の時計を見ると時刻は20時を少し過ぎたところで、そろそろ壮行会が開会する。
最初は乾杯から始まるので、俺はバーカウンターへ飲み物を取りに行こうと思い、名月に声を掛けた。
「ふふふ、可愛い。そうだ、お腹すいてない?何か飲み物もってくるから、名月も何か食べ物取っておいで。」
お腹が空いていたのだろう、名月は先程からそわそわとビュッフェコーナーを気にしていたので、俺の声掛けに嬉しそうに満面の笑顔で頷いた。
「う、うん。そうする。」
◇◇◇
名月と一時別れて、俺は飲み物を取りにバーカウンターに向かった。
名月用のカシスオレンジと自分用に生ビールを注文し、受け取り待ちをしている時に、不意に新卒社員に囲まれて質問攻めに合ってしまう。無碍にあしらうこともできず、どうしたものかと考えあぐねているとポケットのスマホが鳴った。
スマホを取り出しロック画面を確認すると、瀬田からの着信だったので、新卒社員の輪から抜け電話に出ると、瀬田は余裕なさそうに矢継ぎ早に捲し立ててきた。
「猫ちゃん、用件だけいうな。嫁さんなんか大変な事になってるぞ。森川が思い詰めた顔して迫ってた。今山田さんと話してる。近くだから早くこい。」
それだけ言うとブチッと通話が切れた。
は?名月と森川に何かあったのか?
俺は嫌な予感と焦燥感に駆られ、バーカウンターからグラスを受け取ると急いで名月の元へ向かう。
俺同様、背の高い瀬田は目立つのでいい感じに目印になってくれて助かった。
瀬田と山田さんは俺の方に向かい合う様に立っており、名月は俺に背を向けていた。
人混みを掻き分けて、近くまで行くと瀬田が俺に気が付きアイコンタクトを取ってきたので、山田さんと話している名月の背後からそっと近づいて行く。
周りが騒がしくてよく聞こえないが、何やら不穏な話をしている様で、いつになく真剣な顔の山田さんと目が合った。
「山田さん、急病人が出たので、上に用意した休憩室に連れていきたいんですが…」
「おぅわかったけど、急病人って一体どこのどいつだ?飲み過ぎか?」
「一営の森川 仁成です。いや、そんなに飲んでなかったと思うんですけど……顔色がすごく悪かったので……」
後ろを向いているので表情は良く見えないが、心配そうな口調で山田さんに森川の事を介抱したいと伝えている名月に、俺は心が冷えて行った。
すっと表情の消えた俺を見た山田さんは、一瞬表情を引き攣らせる。気まずそうにチラチラと俺と名月を交互に見ながら、腕を組んで顎の髭を触った。
「は?男か!それは色々と……不味いんじゃないか…?その……お前女だし、パートナーいるし……なぁ?」
「はい、そうなんですけど…彼、帰国子女で知り合いいなそうで……」
山田さんは俺の事が頭からすっかり抜けている名月に、それとなく俺を認識させて介抱するのを断念させようとするが、そういったことに頗る鈍い名月は、少し考えた後、山田さんの意図することとは全く斜め上の解釈をしたようだ。
そして、あろうことか俺の逆鱗に触れるような回答を口にした。
「それに、実は……森川くんは私の幼馴染なんです。なので、大丈夫……かと……」
「だぁめ。却下だね。名月、さすがにそれは危機感無さすぎ。」
それ以上森川を気遣う発言は聞きたくないし、聞くつもりはない。
俺の中に静かに怒りの火が灯り、冷えた声でそれ以上言う事は許さない、と名月の発言を遮った。
無表情から綺麗な作り笑顔にかわった俺を見た山田さんと瀬田が固まる。
そして、俺の冷えた声を背中越しに聞き、ハッとして振り向いた名月も俺の表情をみて固まった。
「げ……弦………」
「瀬田から電話貰って慌ててきてみれば……何?どういうこと?体調不良の幼馴染を介抱したいって?ホテルの部屋で?ふたりっきりで?」
普通に考えても体調不良の異性を密室で介抱とか…下心なしにするはずがない。
今回に到っては、名月にはそんな物ある筈がないのはわかっているが、介抱される側には確実な下心がある訳だ。
名月だって薄々気が付いている筈なのだが、彼女の優しさに付け込んだ森川によって掛けさせられた『幼馴染フィルター』が視界を曇らせているようだが……
子供の頃からの幼馴染は安全?
森川の持っている感情はただの憧れ?
そんな訳ないだろ。
森川は危険だ。
俺が長い片想いを拗らせたのと同様に、森川だって長い間燻る想いを拗らせてきている。
そんな相手と密室にふたりきりにできる訳ないだろ。
挙句の果てに、お願いされたから介抱しに行くだと?
付け込まれてるだけなのに、それに気が付かないだけでなく、俺の女だという自覚のない名月に、作り笑顔を崩す事なく冷静に対応していた俺の我慢が限界を迎えた。
「ハッ!お願い、ね。そんなの、だめに決まってるよね?許可出来るわけがないよ。」
顔が怒りで歪む。表情が作れない。
「で、でも、ただの幼馴染だよ?年だって下だし……」
そんな俺をみて、名月は慌てて取り繕うが、その無自覚な発言は更に俺の感情を逆撫でした。
「いくら幼馴染でも森川は『男』だよ。男とふたりでホテルの部屋に入るってどういうことか、賢い名月ならわかると思うんだけど……ねぇ?名月。」
ここまで言うと、名月は漸く自分が巻き込まれるであろう事態に気が付いたようで、小さくあっ……と言うと、閉口して俯いた。
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