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第二章 黒猫の恋人
【閑話】事の顛末-後編-
しおりを挟むあの日、本部長と握った件が功を奏したのか、あの日以降、全く接点がなかった猫実と仲原さんだが、頻繁に電話と内線で連絡を取り合うようになったり、たまにお互いの所を訪ね会うようになっていた。
ただ、双方の部署への訪問はあれど、お互いが多忙過ぎて相変わらずのすれ違い状態は続き、未だに一度も会えてはいないのだが……
社内報やらホームページやら、営業や販促用の会社概要パンフレットに顔が載る程の有名人なふたりなのだから、流石に顔は把握しているはずだ。
社外で気が付かなくとも、流石に廊下やエレベーター等ですれ違ったりした時に挨拶位はしたりしてるだろう……
そう思っていたのだが、俺の考えが甘かった。現実はもっと厳しかったようだ。
仲原さんが入社してから今まで、何度かすれ違ったりはしたようなのだが、仲原さんには気付いて貰えず…
もちろん、ヘタレな猫実に声をかける勇気などあるはずもない。
その他にもチャンスはあったのではないかと聞いてみると、これが嘘のような本当の話なのだが、打ち合わせや案件成約の御礼等の顔合わせには、いつも仲原さんの上長が来るため、顔を合わせたりしていないし、話はおろか挨拶すらもした事がないそうだ。
マジでなにやってんだよ……猫実……
そんな状態のふたりだったが、漸く仲原さんの役職が上がった事と専属案件という確実な接点ができたことにより、内線で直接話をする機会が増えたことが功を奏して、少しずつゆっくりだが着実に距離が近付いていたように思えた。
まぁ、ゆっくり、ゆっくりとだが。
蝸牛の歩みを極めていた猫実と仲原さんの関係が大きく動いたのは、あの決意の日から更に1年の月日が流れた頃だった。
ある日突然、猫実はすっかり辞めていた女遊びを再開させてしまったのだ。そして同時に、今までとは比べ物にならない様な仕事量をこなすようになった。
当時、事情を知らない俺ですら、何かがあったことがわかる程のそれはもう相当な荒れようで、ひたすら仕事してセックスして、また仕事してセックスする…… お前はいつ寝てる?と心配になるくらい、自堕落な生活を半年程繰り返すことになる。
だが、そんな生活が長く続くわけもない。
猫実が元々武道をやっていて身体を鍛えていたから、大丈夫だっただけで、こんなハードな生活を続けていたら普通の人なら3ヶ月持たずにぶっ倒れる所だ。
そして、そんな生活をはじめて半年が過ぎた頃、流石の猫実もそろそろ倒れるんじゃないかって時に、とうとう事件が起こった。
仲原さんの恋人である2営の鈴木が、あろう事か二股相手と結婚をすると、本部長に婚約の挨拶にきたのだ。
仲原さんからしたら史上最悪の出来事だろうが、猫実の事情を知っているこちらからすると、鈴木、良くぞ決断した!だ。
こんな喜ばしい朗報はすぐにアイツに伝えてやらなきゃ!
そう思い、急いで第三営業部のフロアに行ったところ、自席付近で倒れている猫実を発見して……
俺はすぐ様、気を失って床に転がっているデカい猫実を担ぎ上げ、引き摺りながら医務室へ運んだ。
その時に聞いた話だが、荒れていた理由は、仕事の帰りに仲原さんと鈴木の逢瀬を目撃してしまい打ちのめされて自暴自棄になったとか……
なんだよ、それ。ただの嫉妬じゃねーか。
そんなに好きなら奪ってやれば良かったのに。
そんなになる程惚れてるのに、迎えに行けないとか……
ウジウジウジウジウジウジウジウジ……
言い訳のオンパレードを聞いていたら、なんだかだんだん腹が立ってきた。
それから、いつまでもウジウジと後ろ向きの発言を繰り返す猫実に、逆に俺が悔しくなってきて涙が滲んできた。
そして、気が付くと俺は猫実にグーパンをかましていた。
「は?ふっざけんな!5年間以上もお前は彼女だけを想い続けてきたんだろ?付け入れよ!今彼女を救えるのはお前しかいないだろ!それとも彼女のことすっぱり諦めんのか?!」
感情のまま怒鳴り、グーパンで猫実の綺麗な横っ面を殴ってやった。口の端が切れていたが知った事か。
猫実は頬を抑えてポカンと俺を見上げたが、やがて俺の想いを受け取たかのように頷き立ち上がると、滲んだ血を手で拭い、俺の目を真っ直ぐに見て、はっきりと意思を伝えてきた。
そこには先程までのウジウジとした情けない猫実の姿はなかった。
「……諦められるわけない…。瀬田、ありがとう。俺、どうかしていたみたいだ。しっかり彼女を捕まえてくる。」
「あぁ!頑張れよ!!!」
吹っ切れたかの様な表情で愛しい人の所に向かって走って行く猫実の後ろ姿に、俺は心からのエールを送った。
それが、今まで喧嘩らしい喧嘩をしてこなかった俺らの初めての感情のぶつけ合いで、この件を境に、俺と猫実は本当の友人になれた気がする。
それから程なくして、仲原さんが無事に(?)恋人に振られてから1ヶ月後、漸くピュアっピュアな猫実が仲原さんに想いを告げ、晴れて恋人となった。
紆余曲折あったが、漸く今日、猫実は壮行会の後に仲原さんに正式にプロポーズをすると言っていた。
それなのに…
まさかこんな形で横槍が入るとは夢にも思わなかった。
いや、正確には、森川が仲原さんにちょっかいを出し始めて来てから目を光らせて監視は続けていたのだが、ここの所は森川に全く動きがなかったので、完全に油断していたというのが正しい。
今思えば、それは嵐の前の静けさだったのかもしれないが……
そんな俺の親友の大事な日に行動を起こしてきた森川に、俺は怒りに似た感情を覚えている。
どんなにコイツに同情して共感出来たとしても、申し訳ないが、俺はコイツの恋路を応援しないし、想いを断つ方へしか誘導する気はない。
俺は深く溜息を吐くと、項垂れる森川に声を掛けた。
「……森川。大丈夫か?」
森川は手元のミネラルウォーターをグイと飲み、濡れた唇を拳で拭って頭を軽く振ると、顔を上げて俺に強い視線を向けた。
「瀬田さん、ですよね?…大丈夫と言いたいところですが、全然大丈夫じゃないですね。」
「あぁ、まぁ……そうだよな。だけど、人の物に手を出すのは如何なものかと思うよ。」
俺が薄く笑みを浮かべると、森川に負けない強い視線で森川を見据えると、森川も挑戦的な視線を投げてきた。
「……瀬田さんは、なっちゃんと猫実さんのこと詳しいんですか?」
「んー、それなりに……知ってる…かな?猫実とは長い付き合いだから。」
「ふぅん、だから猫実さんの肩を持つんですね。当たり前か……I stand alone with no one on my side.ってやつですね。」
そう言って苦々しい表情で深く溜息を吐きながら、額に手を当てて森川は嘲笑した。
俺はその森川の言葉に若干イラつきを覚えたが、相手は新入社員だ。俺が問題を起こす訳にはいかない。気持ちを落ち着かせるために、俺は胸ポケットからタバコを取り出し火をつける。一応、森川にも勧めると、森川は黙ってそれを受け取り火をつけ深く吸い込んだ。
俺はふぅと深く深呼吸して煙を吐き出しながら、森川に鋭い牽制を掛ける。
「あぁ、猫実は俺の親友だからな。それに、アイツだって仲原さんに長い間片想いしてたんだよ。仲原さんだって色々あってようやく幸せになれるんだ…それを引っ掻き回すのはあまりにも無粋だと思わない?」
「……でも、長さなら負けません……想いだって。だったらなっちゃんの相手は俺でもいいじゃないですか。そう簡単に諦められるわけないですよ。なっちゃんを迎えに日本に帰国したんですから。」
さっきから黙って聞いていれば……
まるでそこに仲原さんの意思は関係ないとばかりに、自分本位な発言ばかり繰り返す森川に、流石に俺も言葉を選んでいる余裕が無くなってくる。
イライラをぶつけるように灰皿にタバコをグリグリと押し付けると、俺は森川に問いを投げつけた。
「それは、仲原さんの了承が取れてるの?そこに仲原さんの気持ちはある?ていうか、自分の気持ちばかり押し付けてさ、仲原さんの幸せ考えた事あるの?」
「……そんなの………だったら、奪えばよかったですか?」
俺の問いかけに対して想定外だったのか、森川が一瞬言い淀む。しかし俺は強い口調を崩さず、更に追い打ちをかけて言った。
「奪うって……随分と過激だね。どうやって?猫実がそんなことさせないと思うけど。」
俺の言葉に、森川はぐっと押し黙った。
先程までの威勢は何処へ行ったのか、下を向き拳を握りしめながら震える声で絞り出すように言った。
「俺と…なっちゃんには約束と絆があります。猫実さんとはまだ日が浅い。ゆっくり思い出して貰えたら……俺だって……」
「猫実とだって絆はあるよ。それこそ、アイツの溺愛っぷりを見ればわかると思うけど。今日のふたりを見てそう思わなかった?」
俺は間髪入れず、厳しい視線で見据えたまま、森川の続きの言葉を握り潰した。
森川は俺の言葉にはっとした顔をすると、すぐに苦虫を噛み潰したような苦々しい顔をし、両手で顔を覆って俯いた。
そして、暫しの沈黙の後、森川はポツリと呟いた。
「……なんで、俺じゃダメなんですかね。」
「君がダメなんじゃなくて、猫実がいいんだよ。猫実じゃなきゃダメって事だろうね。」
俺がそう言うと、森川は深く大きな溜息をひとつ吐き、顔を覆っていた両手を外して俺を見る。その目には薄らと涙が滲んでいた。
「……どうあっても、俺には勝ち目はありませんか?0.1%も?可能性はない?」
期待を持たせるのは逆に残酷だ。
一縷の望みに縋るような視線と言葉を投げかける森川に、俺はハッキリとトドメを刺してやる。
「うん、贔屓目無しにみてもないね。それに……今日猫実から仲原さんにプロポーズしてると思うし。可哀想だけど、もう諦めて?」
「No way that! そっか……プロポーズって…もう頑張らせて貰うことすら出来ないって事じゃないですか。……うわぁ…きっついなぁ…。」
森川は涙を一筋零すと、額に手を当てて大袈裟なリアクションを取りながら大声で叫んだ後、ガックリと肩を落として呟いた。
「はぁ……もう日本にいる理由がなくなっちゃったよ……」
「んー、いずれはニューヨーク支社に戻る事になってると思うから研修終わりに戻れるようにしてあげる事も出来るとは思うけど……折角日本に来たんだからここで頑張って実績作ってから戻っても遅くはないと思うよ?」
そう、森川はいずれはニューヨーク支社に戻る予定なのだ。もし、希望があれば研修終了後に戻してやる事も可能だ。いや、寧ろ猫実のためにはそうした方がいいのかも知れない。
だけど…恋破れた傷も癒えないまま戻す事が果たして森川のためになるのだろうか。
親友の猫実はもちろん大切だが、未来ある若人にトラウマだけを植え付けてしまうにはあまりにも残酷なのではないか、偽善なのかもしれないが、出来ればしっかりと受け止めて立ち直ってから送り出してやりたい、そう思って森川に言葉を掛けた。
「そっか……そうですね。…どうせなら、俺みたいな優良物件を選ばなかった事、なっちゃんに死ぬほど後悔させてからニューヨークに戻ってやります。」
「ははは、その意気だよ。見返してやれるくらいに頑張りな。」
森川に俺の意図が伝わったのかどうかまではわからないが、先程とは打って変わって、笑いながら素直に俺の言葉を聞いて、考えて、答える森川に、それならばと……少しばかりのエールを送った。
なぁ、少しなら……猫実は怒らないよな?
「俺、いつか……なっちゃんに心からおめでとうって言えるようになれるかな?」
「あぁ、なれるよ。お前の努力次第だがな。」
森川は、深く長く息を吐くと、善処します、といい、力なく笑った。
______________________________
2話分の文字数!
でもこれ以上わけられなかったので1話にまとめました。
長くてすみません。
帰国子女の森川くんはパニックになると、英語が出ちゃう設定です。
第57話でもでてました。
つい、日本語の熟語が出てこなくて英語になっちゃったり、アメリカ人みたいなリアクションでつい出ちゃったり……
一応対訳付けておきます。
意訳ですが……
I stand alone with no one on my side.(四面楚歌)
No way that!(まじか!)
藪からスティック!とかいう某お笑い芸人さんみたい……
ふ、ふ、古いですね_(›´ω`‹ 」∠)_
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