少年K少女M

黒蜜きなこ

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困惑と魅惑

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 成人式から三日後。午後五時過ぎ。
 一通のメールで俺のスマホが震えた。内容を見たとき、同時に俺も震えた。

 ”今日、夜時間ある?”

 彼女からのメールだった。三日前の出来事なのに。彼女の振袖の姿がまだ目に焼き付いている。俺はというと、特にやることもなかったので早めの風呂を済ませ夕飯の時間まで自室でダラダラしていた所だった。大丈夫。とだけ返事をする。数分経って、また返信が来る。

 ”見たい映画、あるんだけど”

 映画。ご飯とかそういうのじゃなくて映画。デート。独り言の様に呟きかけて止まる。身体中の血管を伝って、顔までノンストップで血流が回るのを感じる。高校の時に友人と本気で喧嘩した時とは違う。でも似た感覚。返信をする前に、続けて送られてくる文章。

 ”DVD、あるんだけど”

 最初はその文の意味がくみ取れず、俺は数秒間停止した。

 俺達は駅前で待ち合わせをし、コンビニで買い物をして自宅に戻る。その間の事を殆ど覚えていない。バイト代もまだで金欠だったのにも関わらず、コンビニで全額払って少しだけ後悔した記憶だけ少しある。それはたぶん、見栄を張りたかったから。
 彼女はコートをかけて荷物を置き、適当に腰かけていた。俺はコップを取りに行くと伝え自室を出たところだ。一回に降りてリビングに入るとソファーで寝転びながらにやけ顔の妹と、キッチンで料理をしながらちらちら俺を見る母親の姿があった。

「お兄ちゃーん、彼女?」

「静香、やめなさい」

「えー?いいじゃーん」

 平常心。その言葉を心の中でぶつぶつと唱えながらコップを適当に二つ手に取る。

「もし遅くなるなら、あんた。ちゃんと送っていきなさい」

「わかってるって」

 それだけ伝えて目も合わさずにリビングをでる。妹が"お兄ちゃんの彼女ってなーんかいつも可愛い人多いよね"なんてデカい声で騒いでいるもんだから、本人に聞こえていないかヒヤヒヤした。恐らく廊下でも聞こえたので、聞こえていたのかもしれないが。自室に戻ると彼女は買ってきた食べ物をテーブルに並べていた。食べたいと言っていたお菓子を食べながら。

「妹さん、元気なのね」

 聞こえていたらしい。俺は軽く溜息をついて持ってきたコップをテーブルに置く。適当に距離を開けて座り、飲み物を二人分作る。乾杯。彼女がそういったのでグラスを一度合わせ口に流し込んだ。普段小汚い部屋も何度も掃除機をかけ、片付けをした。宝物である成人誌もクローゼットの奥深くに沈めてある。それでも緊張するものだ。異性が自室にいるというのは。

「あの、さ」

「――映画見よっか」

 俺の言葉を遮るように、彼女が言った。その反応だけで俺の心からすっと何か突っかかりの様なものが消えた。俺はその反応を知っている。自分で体感したこともある。緊張。体が強張る。言葉に詰まる。言葉が出てこない。そこまでわかって、俺の緊張は少し緩んだ。

「うん」

 古い映画だった。出ている俳優も。映像のクオリティも。内容は雪山の中にあるダムが舞台の話。ダムの作業員である主人公は当時同僚であった親友と遭難者の救出へ向かう。途中、事故が発生し親友を死なせてしまう。悲しみの渦中にいた主人公達だが、同時にテロリストによるダムジャックに巻き込まれてしまう。かろうじて難を逃れた主人公だったが、親友が死亡した事故の原因がテロリスト達だった事を知り、仲間と住民を守るため単身、テロリストに闘いを挑む。というものだった。正直言おう。滅茶苦茶に面白かった。主人公が仲間を守りたい、しかしテロリストと言えど人間。殺すことに躊躇してしまう。殺さなければ自分が、仲間が死の危険に晒されている。多くの葛藤と想いを背負う主人公。熱い。とても。
 映画が終わって、エンドロールをぼんやりと眺めながら気付く。集中しすぎてしまった。これでは一人で見ているのと変わらないではないか。

 不意に、右肩の感触に気が付いた。暖かい体温。エンドロールが消えエンディング曲が終わり静寂となった自室に聞こえてくる微かな息の音。いつの間にか電気も消え、窓から月の明かりが自室を照らす。それは肩に寄りかかりながら静かに寝息を立てていた彼女を照らした。少し赤く染まった頬。綺麗な白い肌。長い睫毛。さらさらの艶のある髪。まるでファンタジー世界の住人のように幻想的に見えた。言い過ぎかもしれないが。

「さく――」

 そこまで言いかけて身体を揺り起こそうと左手を伸ばした時。事故だったと思う。寝ていたからわからないと後から聞いた。それは真実かはどうかわからない。本当に寝ぼけていたのかもしれない。彼女は俺の手を取り、俺の指を口に含み離した。体温が急激に上昇し、心臓の鼓動が早くなった。酔っているせいかもしれない。目の前の光景が現実かそうでないのかの区別もわからなくなるほどに。
 それから俺はその状態で、数時間ただじっと待った。目を瞑り時間の流れに身を任せ、じっとしていた。

 その時が始まりだったと思う。桜井由美を女性だと再認識し、自分が意識している事を再認識し、同じ空間を共にしている喜びを再認識し、彼女に触れたいと思う感情が芽生えたのは。
 それほどに魅了され、簡単に俺は恋に落ちた。
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