151 / 161
第40話 SKYFALL⑪
しおりを挟む「あー面白かった!」
ふたりが映画館を出たときには、すでに日が暮れかかっていた。
「そうね。とくにラストで主人公が組織のボスを倒すところなんてカッコよかったわよね」
路地からふたたび街路に戻ると、人が増えてきており、屋台や露店から威勢のいい呼び込みで活気に溢れていた。
ちょうど書き入れ時なのだろう。喧騒のなか、ふたりは帰路へとつく。
「ねぇ先生」
「ん、なに?」
「あのさ、おれの家に来ない?」
「え、いいけど……なんで?」
アルが気恥ずかしそうにする。
「おじさんに先生のこと、紹介したいんだ」
†††
ババと呼ばれるアルの父親代わりの男の家はスークから離れたメディナにあった。
くすんだ茶色の石壁の家まで来ると、木造の扉を叩いてから入る。
「ただいま! ババ」とアルがアラビア語で帰宅を告げる。
しばらくしてから奥のほうから腹の突き出た、恰幅の良い男性がのそりとやってきた。
「帰ったかアル。ん、その女性は誰だ?」
濃紺のジュラバに身を包んだ褐色の肌をした男性が金髪に修道服に身を包んだ訪問者を見ながら問う。
「ぼくの先生だよ。勉強を教えてもらってるんだ」
「勉強? お前、勉強を教えてもらってるのか?」
「うん!」
父親代わりの男は二度まばたきしてから、ふたたび異国からの訪問者を見る。
「これはどうも、うちのアルがお世話になっているようで……ムスタファです」
「フランチェスカです。勝手にアルの家庭教師をやらせていただいてます。英語、お上手ですね」とムスタファと握手を交わす。
「ラバトの大学で学んでてね。もっとも二年で辞めましたが……アル、お前は部屋にいなさい」
アルが「わかった!」と部屋へ駆けるのを見送ってから、ムスタファがフランチェスカへ向きなおる。
「さ、こちらへどうぞ。お茶でも入れますよ」
通されたのは応接間にあたる部屋だった。
「いますぐお茶を入れますので、ごゆっくり」とムスタファが部屋を出ると、ひとりになったフランチェスカは部屋を見回す。
中央にテーブル、それを挟んでソファーが置かれている。
壁のほうを見ると、アルとは別の子供が写っている写真が額に収められていた。
その隣にも同じような写真が並ぶが、いずれも子供たちは年齢も性別もばらばらだ。
「その写真が気になりますか?」
声がしたので振り向くとティーポットとグラスを盆に載せたムスタファが。
「彼らはみな孤児なんです。私が親代わりになって育ててきました。もう巣立っていきましたがね」
「孤児院なんですか?」
「私が勝手にやっているだけです」
そう言うと盆をテーブルに載せ、ポットから茶をグラスへと注いで、「どうぞ」とフランチェスカへと渡す。
「ありがとうございます」
「ときに、なぜシスターがここモロッコへ来られたのですか? ただの布教活動とは思えませんが……」
「実は」
これまでの経緯をかいつまんで話す。
「なるほど……フランス語の代理教師としてやってきた、と」
「あの、アルから聞いたのですが……」
「どんなことでしょう?」
「彼が言うには、あなたが仕事をくれるおかげで学校に行って勉強しなくてもいいと言ってましたが」
「アルがそんなことを?」
見習いシスターがこくりと頷く。
「お恥ずかしい話ですが、私の仕事が忙しいもので、あの子に勉強を教える時間がないものでして……」
おまけに、と付け加える。
「私の稼ぎなどたかが知れてまして、あの子を学校に通わせることなど、とても……」
ああ、とフランチェスカが納得する。
「余計な詮索でした」と非礼を詫び、ムスタファが「いやいや」と手を振った。
「ここに数日滞在されたならお分かりでしょうが、モロッコは貧富の差が激しく、学校に通えずに勉強が満足に出来ないのも珍しいことではないんです」
そこでムスタファがミントティーのグラスを口に付ける。そしてふぅっとひと息つく。
「あの子には勉強より、生きる術を学ぶことが大事なんです」
「でも……」
「ミスフランチェスカ、この世はすべてきれい事で済むわけじゃないんですよ。あなたはシスターだが、他人のプライバシーに口を挟む義務はないはず」
カツンとグラスを置く。
「余計な希望は抱かせないでください」
どうかお引き取りくださいと会話を一方的に打ち切られる。
「私は」
そう言ってフランチェスカがすっくと立ち上がる。
「私はべつに憐れみで、勉強を教えたわけじゃありません。ただ……」
すうっと息を吸ってさらに続ける。
「人はみな、平等に学ぶべき機会があるはずですわ」
ムスタファがふるふると首を振る。
「詭弁ですな。御用が済んだらどうぞお帰りを」
「あなたがなんと言おうと、私はここにいる間は彼に勉強を教えます!」
見習いシスターがぷいっとそっぽを向いて部屋を出る。
するとそばにアルが立っていた。
「先生、ケンカしたの?」
英語がわからないアルはそう尋ねる。
「なんでもないわ、大丈夫よ。それより……」
屈んでアルと同じ目線になるようにすると、こっそりと耳打ちを。
「いつも通り、あたしのとこに来てね。もうすぐしたら海に連れてってあげる。オーケー?」
こくりと頷いたので「よし」と立ち上がる。
「じゃ、またね」
「うん、またね……」
アルが手を振ってフランチェスカを見送り、ぱたりと扉が閉まると手を下ろす。
「アル!」
後ろから険のある声が。くるりと振り向くと、険しい表情のムスタファがいた。
「なぜこのことを黙ってた?」
「ごめんなさい……おじさんを驚かせたくて」
「もう彼女のところには行くな」
「でも……」
頬に平手が飛ぶ。
「口答えするな! 誰のおかげで飯が食えていると思ってるんだ?」
「ごめんなさい……」と叩かれた頬を押さえる。
「アル」
ムスタファが屈んで少年の両肩に手を置く。
「すべてはお前のためにやっていることなんだよ。お前がひもじい思いをしないようにね」
わかるな? と手に力をこめると、アルがこくこくと頷く。
「よし。良い子だ。さぁ部屋に戻りなさい」
アルが部屋のほうへ歩くのを見送ると、電話が鳴った。
ムスタファは踵を返して、応接間の隣の書斎に入った。
ジリリリとなる卓上電話から受話器を取って耳に当てる。
「はいムスタファです。はい、ええ……こちらは順調です。商品は健康そのものです。はい、分かりました……では近いうちに……」
商談がまとまり、受話器を戻すとムスタファはにぃっと口を歪める。
その笑みは醜悪そのものであった。
†††
「ただいま……」
「おかえり……ってあんた、ひどく疲れたような顔してるわよ」
リヤドに戻ったフランチェスカをファティマおばさんがそう声をかける。
「うん……今日はいろいろあってね……ただいま、マリク」
番犬ならぬ番猫のマリクを抱きかかえる。
「そう……あんまり根をつめないほうがいいわよ」
「ん、そうする」
適当に返事して階段を上り、部屋のドアを開けてマリクを下ろすと、すぐさまベッドに倒れ込む。
疲れた……今日はホントいろいろあった日だったわ。
ごろりと仰向けになって額に手をやる。
しばし天井を眺めたのち、フランチェスカは起きあがってシャワーを浴びるべく、バスルームへと向かった。
一時間後、部屋のドアからノックの音。フランチェスカが「どうぞ」と許可するとファティマおばさんが入ってきた。
おばさんは入るなり、目を丸くした。
シャワーを浴び終えて、ベッドの上にいるフランチェスカは下着のみのあられもない姿だ。
「まっ! なんてはしたない!」
「いいじゃない別に。お客はあたしだけなんだし。ねー? マリク♡」
ごろりと仰向けになってマリクを抱き上げる。白猫がにゃーと鳴く。
「マリクもそうだと言ってるわ」
「あんたがあたしの娘だったら、そのお尻をひっぱたいてるところよ」
ファティマおばさんが近寄ってマリクをベッドから下ろす。
「いったいどうしたのよ? あんたらしくないわ」
「ん、今日ね……」
今日の出来事をかいつまんで話す。
「大見得きっといてなんだけど、あたしのしてることって、あの子のタメになってんのかなって……」
ぼすんとファティマおばさんが腰かけたので、ベッドが揺れた。
「難しいことはわからないけど、あんた、仮にも先生でしょ? 先生なら自分の行いに胸を張りなさい。しゃんと背筋を伸ばして」
「うん……」
見習いシスターが首を曲げるとこきりと鳴った。
「肩こってるようね。明日、良いところに連れてってあげましょうか?」
「いいところ?」
「それは明日になってからのお楽しみよ。それよりご飯出来てるから、さっさと服着ておりてらっしゃい!」
そう言うと、ぴしゃんと見習いシスターの形の良いお尻を叩く。
「きゃいっ!」
0
あなたにおすすめの小説
紙の上の空
中谷ととこ
ライト文芸
小学六年生の夏、父が突然、兄を連れてきた。
容姿に恵まれて才色兼備、誰もが憧れてしまう女性でありながら、裏表のない竹を割ったような性格の八重嶋碧(31)は、幼い頃からどこにいても注目され、男女問わず人気がある。
欲しいものは何でも手に入りそうな彼女だが、本当に欲しいものは自分のものにはならない。欲しいすら言えない。長い長い片想いは成就する見込みはなく半分腐りかけているのだが、なかなか捨てることができずにいた。
血の繋がりはない、兄の八重嶋公亮(33)は、未婚だがとっくに独立し家を出ている。
公亮の親友で、碧とは幼い頃からの顔見知りでもある、斎木丈太郎(33)は、碧の会社の近くのフレンチ店で料理人をしている。お互いに好き勝手言える気心の知れた仲だが、こちらはこちらで本心は隠したまま碧の動向を見守っていた。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
シスルの花束を
碧月 晶
BL
年下俺様モデル×年上訳あり青年
~人物紹介~
○氷室 三門(ひむろ みかど)
・攻め(主人公)
・23歳、身長178cm
・モデル
・俺様な性格、短気
・訳あって、雨月の所に転がり込んだ
○寒河江 雨月(さがえ うげつ)
・受け
・26歳、身長170cm
・常に無表情で、人形のように顔が整っている
・童顔
※作中に英会話が出てきますが、翻訳アプリで訳したため正しいとは限りません。
※濡れ場があるシーンはタイトルに*マークが付きます。
※基本、三門視点で進みます。
※表紙絵は作者が生成AIで試しに作ってみたものです。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~
馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」
入社した会社の社長に
息子と結婚するように言われて
「ま、なぶくん……」
指示された家で出迎えてくれたのは
ずっとずっと好きだった初恋相手だった。
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
ちょっぴり照れ屋な新人保険師
鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno-
×
俺様なイケメン副社長
遊佐 学 -Manabu Yusa-
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
「これからよろくね、ちとせ」
ずっと人生を諦めてたちとせにとって
これは好きな人と幸せになれる
大大大チャンス到来!
「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」
この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。
「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」
自分の立場しか考えてなくて
いつだってそこに愛はないんだと
覚悟して臨んだ結婚生活
「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」
「あいつと仲良くするのはやめろ」
「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」
好きじゃないって言うくせに
いつだって、強引で、惑わせてくる。
「かわいい、ちとせ」
溺れる日はすぐそこかもしれない
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
俺様なイケメン副社長と
そんな彼がずっとすきなウブな女の子
愛が本物になる日は……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる