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第三部 王国動乱 編

第十話 異端審問

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 何人か、牢獄から連れ出されてから戻って来ない奴がいた。

 デイランは眼を開け、向かいの牢《ろう》を見る。
 からっぽの牢を。

 大まかな時間は、食事で何となく察した。
 一日二回。
 肉汁にクズ野菜のスープと、一欠《ひとかけ》のパン。

 足音が聞こえた。
 デイランは静かに目をやる。
 兵士が二人、デイランの牢の前で立っていた。
 鍵を開けられ、扉が軋《きし》みながら開く。

「出ろ」

 デイランが身体を立ち上がり、扉を出ると、兵士が前後を挟み、歩かされた。

 久しぶりの外だ。
 昼間だろう。
 直射日光でもないのに、眼を刺すような明るさに思わず眼を細める。
 だが、少しでも立ち止まれば、小突かれる。
 かすかに涙目になったまま、歩かされる。
 手枷《てかせ》と足枷《あひかせ》がジャラジャラと音を立てた。

「どこに行くんだ?」

 後ろにいる兵が言う。
「法廷だ。貴様の罪が赤裸々になる」

「俺は無実だ」

「みんなそう言う。
だが、法廷では神《アルス》によって真実を明らかにされる。
嘘の闇は、真実の輝きの前では無力だ」

 いかにもな、ご託《たく》だ。

 身体に不自由はない。
 牢屋の中でも腕立て伏せや、逆立ちなど身体を動かし、筋肉が萎《な》えぬよう努《つと》めてきた。

 それでもやはり、あの狭い空間では限界があったらしく、身体の重たさを感じてしまう。

 と、向こうからやってきた二人組の兵士と擦れ違う。
 二人の会話が何とはなしに耳に入る。

 ――アリエミールの王がわざわざ来たんだとよ。
 ――何の用だ?
 ――どうやら救いたい罪人がいるらしい。
 ――女か?
 ――かもなぁ。ギャハハ!

(は?)

 兵士たちの声に、はっとして振り返る。

「おい、何をしている。止まるなっ」

 後ろから小突かれ、歩くよう強いられる。
 たちまち声は聞こえなくなってしまう。

 聞き間違い、ではない。

(ロミオが……?)

 何故。
 疑問が頭を過ぎる。

 そうこうするうちに、やがてある建物の中に入る。
 細い通路が真っ直ぐ延びている先に扉がある。
 そこを抜けると――。

 そこには小さな広場のような空間になっており、その周囲に百人近い人間達が揃っている。
 さすがのデイランもその光景に面食らってしまう。

 観客はざわめき、口々に叫ぶ。
「神《アルス》の敵めっ!」
「異端者を殺せ!」
「地獄に落ちろっ!」

 声だけではない。
 足で床を踏みならし、声を上げていた。

 さらに目の前には壇上があり、そこには白を基調とした服をまとい、髭《ひげ》を生やした老人が三人、座っていた。
 三人の内、真ん中の一人が、木槌《きづち》を叩く。

「みなさん、静粛にっ」

 すると、周りにいた人々は瞬く間に静まる。

 改めて真ん中の老人が言う。
 あれが裁判長なのだろう。

「被告人、名は」

「……デイラン」

「何故、お前がこの場に呼ばれたか、分かるか?」

「分からない。俺は何もしていないからな」

 すると再び周囲の人々が叫ぼうとするが、それは老人の手振りで静まった。
 まるで手の込んだ芝居にでも付き合わされているような錯覚に陥《おちい》ってしまう。

「お前は、かつて人間族が蛮族共と結んだ千年協約に背き、連中と交わった……。
そうだな」

「いいや」

 老人は口元を緩める。そこには嘲《あざけ》りがある。
「なるほど。認めぬ、というのだな」

「認めないんじゃない。
無実だと言っているんだ」

「……ではこれより、有罪証人、無罪証人とが現れる。
両者の証言を聞き、当法廷は判断することになる」

  デイランは思わず失笑してしまう。
 まさかこの世界でも司法と対決することになるとは思わなかった。

「デイランよ。お前は非常に運が良い。
本当であれば無罪証人など出てこぬはずだが……お前を助けようという者がいる。
証人、入りなさい」

 すると、広場右手の扉が開き、無罪証人が姿を見せた。

「ロミオ……!?」

 ロミオはデイランをちらりと一瞥し、涼やかに微笑み、裁判官を仰ぐ。

「証人名は?」

「ロミオ・ド・アリエミール」

 裁判長が言う。
「国王陛下が証人に立たれるとは、長い裁判の歴史においても初めてのことです。
さあ、どうぞ。被告人の無罪証言を」

 小さく咳払いをし、ロミオは言う。
「彼は、我がアリエミール王家の忠良なる臣……。
彼をロザバンに接しているナフォールに向かわせたのは、そこの治安がひどく悪化していたからなのです。
ロザバンはエルフ、ドワーフの地……。
向こうが進出してきたのを止めるのも、彼の大事な責務なのです。
おそらくそれを見間違えたのだと推測します」

「なるほど。では千年協約を破った訳ではない、と?」

「無論です。
それに、千年協約違反と申しますが、あれは王国とエルフ・ドワーフが結んだもの。
個人に適応される例は聞いたことがございません。
なにゆえ、結ばれて数百年……このように千年協約違反として彼を摘発するのか。
それを問いたいと思っている次第です」

 裁判官は答える。
「千年協約はそもそも人間族と蛮族との諍《いさか》いを止める為のもの。
両者が争わぬ方は、決して交わらぬこと……。
それゆえ、たとえ条約上は王国とエルフ・ドワーフとのものであったとしても、それは人間族全て、エルフ・ドワーフの全てに適応されると解釈することが正しいのです」

「彼の即時、釈放を、予《よ》は求めます。
彼は先の帝国との戦いにおいての勝利の立役者。
彼を失えば、我が国土は帝国に蹂躙《じゅうりん》され得《う》るのですっ!」

 ロミオの声が響く。

「陛下。ここは聖界なのですよ。
俗世の闘争の名分を持ち込まないで頂きたい」

 ロミオは虚を突かれたようだった。
「俗世?
この地が帝国に犯されれば、教団自体危うくなるやもしれないのですぞ!?」

 裁判官は子どもでも諭すように言う。
「陛下。
重ねて言いますが、ここは俗事を語る場ではございませぬ。
ここでは関係無いことなのです」

「裁判長!」

「陛下。あなたは証人だというのに、彼を無罪にし得る証言を一切口にしていない。
蛮族共と彼が交わっていない証拠を持って来て頂きたい。
それが証明されなければ、無実とする訳にはまいりません」

 ロミオは目を見開く。
「無実を証明?
やっていないことをどう証明せよと言うのですかっ!」

 ロミオは食い下がろうとするが、すでに裁判官は違う方を見ていた。
 すでに王に興味などないと言わんばかりな露骨な態度だった。

「では、続いて有罪証言人を呼びましょう。
信仰篤《あつ》い彼女が、このたび、勇気を持って告発をしてくれたのです」

 すると、左手から十代と思しき少女が現れる。
 彼女は、他の観客の多くがそうしているのと同様、白い長衣に身を包んでいる。
 その服の胸元には赤い星。
 彼女を温かい拍手が包む。

(とんだ茶番だ)

 裁判官はそれまでの態度を一変させ、微笑んだ。
 まるで孫にでも語りかけるような優しさで言う。
「お嬢さん。
さあ、名を。皆に聞こえるように」

 少女はか細い声で呟く。
「は、はい……。
マリエンヌと申します……」

「マリエンヌ。
今日はよく勇気を出してくれた。
さあ、君の証言を聞かせて欲しい。君は何を見たんだい?」

 マリエンヌは、デイランをちらりと見る。
 デイランが見返すと、マリエンヌははっとして顔を伏せる。

 木槌が叩かれる。
「被告人!
証言者への威嚇《いかく》は己の罪を重くするぞっ!」

 デイランは不愉快さに眉間《みけん》にシワを寄せる。
「ただ見ていただけだ」

「さあ、マリエンヌ。続けて」

「……あの人が、エルフとドワーフと共に語らっているのを見ました。
とても親しげでした」

 人々の方から、深い溜息が聞かれた。

 裁判官が芝居がかった動きで前のめりになる。
「それで?
その内容を聞いたのですか」

「は、はい。
あの人は、あの穢《けが》らわしい連中と共に……お、王国を滅ぼそうと企《くわだ》てて……」

 今度は傍聴席から悲鳴が上がった。

 裁判官は、身震いする。
「何と恐ろしい!
何とおぞましいっ!」

「私は恐ろしくて……
恐ろしくて……」
 自分の身体を抱きしめ、震えたマリエンヌはその場に倒れる。

 傍にいた兵士たちが彼女を慌てて担《かつ》ぎ起こす。
 どうやら気を失ったらしい。

 デイランは言う。
「今度は何が出るんだ。
火でも噴くのか?」

 裁判官は烈火の如く、木槌をふるう。
「口を慎め! この蛮族と交わる悪魔めっ!」

 続けざまに裁判官は言う。
「判決を言い渡す。
――有罪。
被告人、デイランに死刑を言い渡す!
刑の執行は明日、早朝!
広場にて執《と》り行うっ!
アルスと守護聖人の加護があらんことを!」

 瞬間。
 ワアアアアアアアアアアッ!
 裁判女全体が揺れるほどの歓声が上がった。
 観客達が立ち上がり、万雷《ばんらい》の拍手を響かせていたのだ。

 ロミオは叫ぶ。
「こんなものは茶番だ!
裁判長!
予《よ》は即刻、デイランの釈放を求める!
アリエミール王国の国王としてっ!
履行《りこう》されない時には予にも考えがあるっ!」

 しかし裁判官はそれを一蹴する。
「私の主人は唯一、神《アルス》のみ!
俗世の王になど従わぬ。
以上、閉廷っ!」

 木槌の音と共に、デイランの両脇を兵士が固め、無理矢理に法廷より出そうとしていた。

「デイラン殿! すぐにお助けいたしますっ!
お待ち下さいっ!」
 ロミオの叫びが響き渡った。

「ロミオ!
心配するなっ! 俺は大丈夫だっ!
お前は王都へ戻れっ!!」
 デイランは力の限り、叫ぶ。

 黙れと、兵士に殴りつけられたが、構わず言った。

                   ※※※※※

 ロミオは踵《きびす》を返して、法廷を出た。

「マリオット!」
 側近の名を呼ぶ。

 やるべきことはある。
 本当はこんなやり方はしたくはなかった。
 しかしやらなければならない。
 デイランを失う訳にはいかない。

 やるべきこと、それは近衛兵によるデイランの身柄の強奪だ。
 同時に、王都へ援軍を要請し、この街を囲む。
 圧力を加えて、うなずかせる。
 乱暴は百も承知。
 しかしやらなければならない。

 だが、現れたのは側近ではない。
 星騎士たちだった。
「何だ、お前達。呼んでは……」

 槍が突きつけられた。

「何の真似だ。予を、アリエミール国王と知っての所業かっ!」

 と、指揮官と思しき人間が現れる。
「ロミオ・ド・アリエミール。あなたを国家反逆罪として拘束する。
アリエミール王国を、蛮族共の手に落とそうとした、デイランとの共同謀議で。
アリエミール王国の宮宰、ルードヴィッヒ・ド・アリエミールからの要請も届いている」

「なっ……!?」
 ロミオは頭が真っ白になってしまう。
 何を言っているのか全く分からない。

 しかし突きつけられた書状に書かれた名前は、間違いなく、叔父のものだった。

 指揮官は言う。
「手荒な真似はしたくはない。どうか協力して頂きたい」

 ロミオを前後左右を武装した兵が囲う。

 手荒な真似がどうのなどと関係ない。
 ロミオには従う術しか残されていなかった。
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