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学園都市編

95話 学園に到着したものの

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「早い」
 縮まるどころか少しずつ開いていく少年との距離に、激しく呼吸を乱しているアヤネが声を漏らす。

「ゴブリンを相手しながら走っているのに何で、そんなに早いのよ」
 肩で息をするアヤネの視線の先では、ゴブリンの相手をしながら全力疾走を行うヒビキの姿があった。
 パタパタと慌ただしい足音を抑える事無く、全力で洞窟内を駆け抜けていたヒビキが剣を横一線に振るうことにより勢いよく体を一回転させる。
 横一列に並んだゴブリンを薙ぎ払い、砂へ返すと足を止める事無く更に走るスピードを上げた。

「スピードを上げるのか」
 アヤネと同じように呼吸を乱しながらヒビキの後を追っていた会長が声を漏らす。

「これ以上スピードを上げられると見失ってしまいますね」
 どうしましょうと言葉を漏らした副会長が小さなため息を吐き出した。
 チラッと背後に視線を向けたヒビキの視界にアヤネや会長や副会長の姿が入り込む。
 追われている事に気づいたヒビキが剣を鞘に納めると肩にかけている鞄の中を探る。
 白を基調とした狐面を手に取ったヒビキに対して疑問を抱いた会長と副会長が互いに顔を見合わせる。
 容姿を隠すようにして深々と被っていた狐耳付きのフードを取り外すと、手触りの良さそうなクリーム色の髪の毛が姿を現した。
 狐面を顔に添えると紐を手に取り、後頭部に腕を回す。
 簡単には外れないように強く紐を結び、狐面を顔に固定したヒビキが姿勢を低くする。

「顔が見えねぇ」
 狐面で顔を覆い隠してしまったヒビキがフードに手をかけると深々と被りなおしてしまう。
 息も絶え絶えになりながら、ぽつりと声を漏らした会長は顔を見たかったなと本音を口にする。

「えぇ」
 副会長が会長の言葉に同意するようにして頷いた。

 ヒビキの後を追いかけて洞窟内を走り回っている間に少しずつ出入り口に近づいていたようで、気づけば周囲のゴブリンのレベルは低くなっていた。
 集団で襲い掛かってくるゴブリンのレベルは10レベル前後。
 きっと黒を基調とした制服を身に着けているSクラスの生徒は難なく倒す事の出来るレベルだろう。
 別に倒して進む必要は無いなと考えて、迫りくるゴブリンから逃れるために強く地面を蹴りつけたヒビキが空中に飛び上がる。
 岩壁に足をかけると後方宙返りを行って瞬く間にゴブリンの頭上を通過したヒビキが着地すると共に全速力で走り出す。

「いやいやいやいや、可笑しいだろ。魔法を使っても無いのに岩壁に足をかけて宙返り何て出来るものなのか?」
 唖然とする会長が前方を指さしながら副会長に向かって問いかける。

 しかし、副会長も会長と全く同じ事を考えているわけであって
「普通は出来ないでしょうね。本当に何者なんでしょうね」
 肩で息をする副会長が苦笑する。

「息が上がってるぞ。体力の限界か?」
 乱れた呼吸を繰り返す副会長の体調は良くは無いようで、顔色は青白い。

 冷や汗を流す副会長に気づいた会長が声をかけるけれども
「どうでしょうね」
 あやふやな返事をした副会長は首を縦に振る事はしない。
 体力の限界ではあるものの、立ち止まっていたら周囲を屯するブリン達に襲われる。
 副会長は背負っている剣に手をかけると、迫りくるゴブリンと対峙するために勢いよく引き抜いた。

 小走りをするゴブリンが棍棒を振り上げた瞬間を見計ら突て剣を右から左へ振った副会長が続けて頭の上で剣を回転させる事により頭上目がけて降り注いだゴブリンを切り付ける。
 一歩足を引く事により、目と鼻の先で振り下ろされた棍棒を避けると目の前に迫っていたゴブリンを蹴りつける。

「おい、戦い方が荒っぽくないか?」
 右手に剣を握りしめて大きく体を回転させた会長が周囲に集まりつつあったゴブリンを一気に薙ぎ払う。
 剣を弾かれた事により手ぶらになってしまった副会長がゴブリンの胸倉をつかみ頭突きを決める。
 砂となって消えるゴブリンを横目に、膝を折る事により剣を手にした副会長が走り出す。

「そうですか?」
 右足を軸にして体を回転させた副会長がゴブリンを一斉に薙ぎ払うと会長の問いかけに対して首をかしげてみせた。

「もしも、本日2年生に編入してくる生徒が目の前の少年だったら良いのになと思ってしまいますね。逃すには惜しい逸材ではありますけれども追いつけそうにありませんね」
 学園を出る前に理事長室に呼び出されて、理事長から本日編入してくる生徒の学校案内を頼まれていた。
 もしも、目の前を走る少年が編入生であったなら強いモンスターと対峙する事になった時に大きな戦力になるだろう。
 逃すのが惜しい。そう考える副会長が考えを漏らす。

「あぁ」
 息も絶え絶えになっているのは会長も同じ。
 狐の面を取り付けた途端に走るスピードが著しく上がったヒビキの姿を視界に入れて同意する。
 既に息も絶え絶えの状態に陥っている自分達とは違って、フードを深々とかぶり直す余裕を見せる少年は一体どこから来たのか。
 フードが取り外された事により、その種族が人間である事は分かった。
 しかし、種族以外は謎に包まれている少年を見失うと今後街ですれ違う事があっても服装が違えば、きっと少年だと気づく事は出来ないだろう。

「彼が人間であること以外、何も情報を得ることが出来なかったですね」
 肩で呼吸を繰り返す副会長が苦笑する。
 何とか少年に追いつこうと試みる会長達だけれども、体力が限界である。

 洞窟から抜け出す事により、視界が開けて目映い光が街を照らす。
 洞窟内にヒビキが足を踏み入れた時は真夜中だったけれども、洞窟内を突き進んでいる間に夜は明けていた。
 強く地を蹴りつける事により、体を宙に浮かせたヒビキが近くの木の枝に足をかける。
 枝の反動をかりて更に高く飛び上がったヒビキが後方宙返りを行うと瞬く間に建物のベランダの柵へ足をかける。
 連続で後方宙返りを行う事により、方向転換を行うと屋根の上に着地。
 足を止める事無く走り出したヒビキが屋根や電柱を伝って一直線に空中を移動し始めると、あんぐりと口を開いたまま目を疑うような光景を眺めていた会長が力尽きる。
 膝を折り、その場に頽れると地べたに横たわってしまった。

「もう駄目だ。体中が痛い。骨が軋む」
 ゴロンと寝返りをうって仰向けに横たわった会長にアヤネが続く。
 地面に膝を付き、その場に腰を下ろす。
 大きなため息を吐き出したアヤネが乱れた呼吸を整える。

「追いつく事は諦めましょう。体力の限界です」
 膝をつき地面に倒れこんだアヤネと会長に続くようにして地面に腰を下ろした副会長が近くの木の幹に背中をあずける。

 目蓋を伏せると、ゆっくりと副会長の体が横たわり意識を飛ばしてしまった所で生徒会役員の親衛隊に所属している生徒達が彼らの元にたどり着いた。
 過激と言われているアヤネの親衛隊もアヤネの元へたどり着く。
 先頭に立っている小柄な少年、自らアヤネの元へ歩み寄る。

「回復を行います」
 地面に両膝をつき、アヤネの体力を回復するために自らの魔力を解放する。

「まさか、魔力切れですか?」
 巨体を持つがっちりとした体形の男子生徒が副会長の目の前で膝をつくと、横たわったまま身動きを取らない副会長の首筋に手を添えて脈を確認する。
 唯一、親衛隊の中で自ら進んで隊員になったわけではない男子生徒は、副会長の粗っぽい性格を目撃してしまったがために強引に副会長に脅されるような形で隊員に所属する事になった。
 男子生徒の見た目は怖いけれども中身は素直で真面目。
 とても面倒見の良い男前な性格をしているため、副会長の無理な頼みごとを聞き入れて親衛隊隊長を任された不運な男子生徒である。
 魔力切れですかと問いかけてみるものの、意識を失っている副会長からの返事はない。

「怪我は無いようです。魔力と体力を全て使いきってしまっているようですね」
 不安そうに眉尻を下げて副会長の周囲を取り囲んだ生徒達の視線は、隊長を務めるがたいの良い生徒に向けられている。
 生徒達を安心させるために、副会長に怪我は無く体力や魔力の回復に集中するために意識を手放した事を説明した隊長が副会長の額に人差し指を押し付けると横たわったまま、ぴくりとも動かない体を透明な膜で包みこむ。
 風属性の魔法を操る生徒が指先を空へ向ける事により副会長の体が持ち上がった。

 生徒会役員やアヤネの親衛隊が彼らの元へたどりついた頃。
 空高く飛び上がっていたヒビキは屋根を蹴り空中で前方宙返りを行うと両手を掲げて学校を囲むようにして設置されている門の上に足をつく。
 すぐに門を蹴りつける事により、体を浮かしたヒビキは勢いを押し殺す事に失敗。
 空中で体を半回転、姿勢を崩すと視界が大きく一回転する。

「あ……」
 目の前に迫った窓は閉められており鍵がかかっている。
 このまま窓に衝突すれば、反動で弾き返されて重力に従って急降下するだろう。
 高く飛び上がってしまった体は激しく地面に打ち付けられる事になる。

 咄嗟に背負っている剣を手に取り勢いよく振るったヒビキが窓ガラスを叩き割るとパリンとガラスの砕ける音が続き、ヒビキの体が窓枠をすり抜けて室内に飛び込んだ。
 ガラスの破片を纏ったヒビキが床に打ち付けられる事により破片は皮膚を破り肉に突き刺さる。
 一部始終を目撃していた男性が目を見開き唖然とする。

「ここは、4階なんだけど……」
 まさか窓ガラスを割って強引に侵入者が室内に入り込むなんて思ってもいなかった理事長が、あんぐりと口を開き茫然としたままソファーから腰を上げる。
 視線をヒビキに向けたまま前進したため、机の角に思い切り膝を打ち付けた理事長が盛大に足を躓かせて床に倒れこむ。
 顔面を床に打ち付ける直前で、何とか腕を顔の下へ滑り込ませて衝撃を弱めた理事長が腰を上げる。
 全身血だらけのまま横たわっているヒビキの体に手を添える。

「大丈夫ですか?」
 ヒビキに声をかけると、血だらけになっている体に手を添えた。
 理事長が回復魔法を唱えることにより、ヒビキの体が黄金色に光輝く。
 皮膚を切り裂いていたガラスの破片が抜けて、傷口がみるみる内にふさがっていく。
 ヒビキの傷が完治すると、すぐに腕を上げて割れた窓ガラスへ指先を向けた理事長が回復呪文を唱え出す。窓の修復を始めた。

「ごめんなさい」
 寝返りを打つことにより仰向けに横たわったヒビキが、謝罪すると理事長が小刻みに肩をふるわせる。

「大丈夫そうですね。ごめんなさいとは、窓ガラスを割ってしまったことですか?」
 理事長の問いかけに対して小さく頷いたヒビキが眉尻を下げる。

「気にする必要はありませんよ。修復をすることが出来ましたし。えっと、今日から我が学園に編入予定のヒビキ君ですよね? 間違っていたら、すみません」
 仰向けに横たわったまま体を起こそうとはしないヒビキに気にしないでほしいと考えを口にした理事長が、少年の身元を確認するために声をかけた。
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