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学園都市編

104話 鬼灯とヒビキは仲がいい?

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 話題を変えるために口にした言葉は、顔を俯かせて呆然と足元を眺めているヒビキには届かなかったのだろうかと、疑問を抱いた鬼灯が首を傾げて問いかける。

「一時間も待てば新たな茄子やニラが出現すると思うけど、空腹って言ってたよな」
 ヒビキが一時間待つというのであれば一度、寮に戻って一時間後に出直せばいい。
 しかし、食堂以外にも夕食を手にいれることの出来る場所がある。

「パンケーキでも良いのならパンケーキ売り場へ案内をするけど?」
 問いかけてみるもののヒビキの反応は薄い。
 口元に手を添えたまま瞬きをする事無く呆然と佇んでいる。
 自分の食べたい食材が無くなっていた事に対してショックを受けているのか。
 
「何を考えているのか分からないんだよな」
 魔界でヒビキと再会をして話すようになってから、その容姿や、年齢や、性格を知った。
 少しはヒビキがどのような人物なのか知ったつもりでいたはずなのに、目の前に佇んでいるヒビキの考えは表情や行動からは読み取れない。
 ヒビキが視線を俯かせる前に、食堂二階席で戯れている会長とアヤネの姿を捉えていたようにも思えたのだけれども気のせいだったか。
 周囲に佇んでいた生徒達の視線が生徒会役員に向けられた事に対して安堵しているようにも思える。
 
 そっと足音を立てることなくヒビキの目の前に移動した鬼灯が、ヒビキの顔を覗き込むと見事に視線が交わった。
 強引に視線を合わせたとしてもヒビキは反応を示さない可能性があるけれども、もしも反応がなければ肩を叩いてみるか。
 何て事を考えていた鬼灯の目の前で、一歩足を引き後退しようとしていたヒビキが足を絡ませる。

 全く予想していなかった光景が目の前に広がる事になると鬼灯は、あんぐりと口を開く。
 手を伸ばせば届く距離にありながら、咄嗟にヒビキの手を取らなかったのは混乱していたため。手を伸ばす発想すら浮かばなかった。

 あひゃひゃひゃひゃと奇妙な笑い声をあげたのは一体、誰なのか。
 大きくのけ反り抵抗する事も出来ないまま、盛大に床に倒れこんだヒビキが視線だけを動かして奇妙な笑い声を上げている生徒を見つけ出す。
 オレンジの髪色をした活発そうな男子生徒だった。

「指をささない」
 男子生徒の頭をぺしっと叩いたのは彼の友人か。
 ストレートの黒髪が印象的な生徒である。
 身に着けている制服から判断をすると多分、性別は男。
 いってぇと叩かれた頭を両手で押さえ込み屈む生徒の反応から推測すると、どうやら友人は加減をする事無く思い切り男子生徒の頭を叩いたらしい。
 喧嘩にならなければいいけれどと考えるヒビキの心配をよそに、男子生徒達は互いに顔を合わせて苦笑する。

「笑っちまってごめんな」
 両手を顔の前で合わせて深々と頭を下げた男子生徒に謝られてしまった。

「悪い。まさか倒れこむとは思わなくてな」
 男子生徒と友人のやり取りを呆然と眺めていたヒビキに向かって深々と頭を下げる鬼灯は、全く予想していなかった結果に対して反省しているのかと思っていれば
「それも背中から盛大に」
 その表情には何とも奇妙な笑みが浮かんでいる。
 ぽつりと言葉を続けた鬼灯の表情は、にやにやと締まりがない。

 会話をする時に何故か少しずつ近づいてくるユタカや魔王とは違って、鬼灯は会話をする時には常に一定の距離を保っていた。
 そのため、鬼灯が唐突に人の顔を覗き込むような行動に出るとは考えもしていなかったヒビキが苦笑する。

 鬼灯の予想外の行動に対して驚きはしたものの、足を引き距離を取ろうとするだけの冷静さはあった。
 頭を打つことはなかったけれども打ち付けた背中がヒリヒリと痛む。

 足を引こうとして転んだのは自分の責任であり、崩れた姿勢を立て直すことが出来なかったのも自分自身。
 決して鬼灯のせいで転んだわけでは無いのだけれども、にやにやと締まりのない表情を見ると横腹に肘を打ち付けたくなる。

「思い切り気の抜いた顔をして突っ立っていたから視線を合わせようと思っただけで恥をかかせるつもりは無かったんだ」
 何気なく毒を吐いた鬼灯が深々と頭を下げる。
 仰向けに横たわったまま立ち上がろうとはしないヒビキの表情には、大勢の前で恥をかいたにも拘わらず笑みが浮かんでいる。
 大切な妹や仲間を失った鬼灯を気にかけたつもりが、かえって鬼灯に気を遣わせてしまった。
 鬼灯に視線を向けて眉尻を下げたヒビキが小刻みに肩を揺らす。
 妖精王の術によって鬼灯の身長はヒビキよりも低く変化しているけれども、中身は大人びたままである。
 決して弱音を吐く事なく、相手に気を遣わせないようにと考える鬼灯は自らの表情を曇らせる事なく陽気に振る舞って見せる。
 
「ねぇ、鬼灯君とヒビキ君は随分と仲が良いと思わない?」
 食堂二階席では、ヒビキと鬼灯のやり取りを眺めていたアヤネが興奮したように声を上げる。
 二階席の手すりに、しっかりと手を添えて何度も飛び跳ねていた。

「確かに随分と仲が良いように思えますね。やはり、鬼灯君とヒビキ君は元々から知り合いだったのかもしれませんね」
 はしゃぐアヤネに同意する副会長の表情から、笑みが取り外されている事にアヤネは気付いているのだろうか。

 アヤネの背後に佇んでいる会長の表情は険しいものだった。
 副会長やアヤネの背後に佇んでいる会長にはヒビキの姿は見えていない。
 二人の隣に並んで共に一階の様子を眺めてみたい気持ちはあるものの、一歩足を踏み出す事が出来ずにいる。
 もしも覗き込んでヒビキと視線が交わってしまったら、きっと悲鳴も上がらない。
 何て行動を起こす前から先の事を予想して怯んでしまっている会長は足を踏み出す所か一歩、二歩と足を引く。
 すぐ背後にある椅子に足を引っかけて、力無く椅子の上に腰を下ろすけれどもヒビキに集中している副会長やアヤネは会長が力なく椅子に腰かけた事に気づかない。
 頭を抱え込み、小さなため息を吐き出す会長の姿があった。

 会長が力なく椅子に腰かけた頃、ヒビキは体を転がして床に両手をつき四つん這いになる。
 姿勢を正して小さなため息を吐き出した。 

「麻婆茄子を食べたかったけど、茄子とニラが無いのなら諦めるか」
 一時間待てば茄子が出現するらしいけれども、今は一人で食堂へ来ているわけではない。
 鬼灯まで一時間付き合わせる事を考えたヒビキが、あっさりと麻婆茄子を諦める事を決める。

 無意識のうちに乱れた髪を手櫛で整えようとするヒビキは、つい先ほどまで生徒達が土足で歩き回っていた床に倒れこんでいた事を忘れているのだろうか。
 床に両手を付く事によって体を起こしたヒビキの手は土埃や砂利によって汚れている。
 ヒビキの指先が髪に触れる直前になって、茫然とヒビキを眺めていた生徒の一人が懐から小さな杖を取り出した。

 事前に魔法を発動する事をヒビキに伝えるわけでも無く、ぽつりと小さな声で呪文を唱えた生徒は杖の先端をヒビキに向ける。杖の先端から放たれた紫色の光がヒビキの体を包み込む。
 紫色の光を放つ魔法は一体、何の属性を持つのか色からは判断することが出来ない。
 突然の魔法の発動に驚いて、瞬きを繰り返すヒビキが髪に触れようとしていた手を外して、ゆっくりと周囲を見渡した。

 すぐに杖を懐にしまった生徒の行動により、ヒビキは魔法をかけた生徒の姿を見つける事が出来ずに戸惑っている。
 紫色の光はヒビキの体を軽々と持ちあげる。
 僅かにヒビキの足が床から離れると、周囲が瞬く間に騒がしくなる。

 紫色の光は回復魔法のようで乱れていたヒビキの髪の毛が一瞬にして整った。
 制服のしわがとれるてヒビキの身なりが綺麗になると、ヒビキの姿を眺めていた生徒達から歓声が上がる。

「背中の痛みが消えている」
 倒れたときに打ち付けた背中のズキズキとした痛みがいつの間にか消えていた。唖然とするヒビキが周囲を見渡してみるけれど、やはり魔法を発動した生徒の姿を見つけだす事は出来ない。
「ありがとう」
 何処にいるかも分からない相手に向かって深々と頭を下げて礼を言う。

「見事に真逆を向いているわね」
 魔法を発動した生徒が小刻みに肩を震わせた。
 見えるのはヒビキの尻や背中や後頭部。
 魔法を発動した生徒に対して、見事に尻を向けていることに気づくことなく頭を下げ続けているヒビキの姿を面白いと感じたようで、友人と互いに顔を見合わせる。
 
「ついつい構いたくなってしまいますね」
 小刻みに肩を揺らして笑う生徒の口から、ぽつりと本音が漏れ出るけれども、周囲は賑わっていて騒がしいためヒビキの耳まで届かない。

「そうね。汚れた手で髪を整えようとするんですもの。おっちょこちょいなのかしらね。放っておくことは出来なかったわね」
 友人が同意するようにして、魔法を発動した生徒に向かって頷いた。 

 
 ヒビキが深々と下げていた頭を上げたところで、鬼灯が疑問に思っていたことを問いかける。

「麻婆茄子って、どんな料理なんだ? 美味うまいのか?」
 今までに食べるどころか見たことすらありませんとヒビキにとっては衝撃的な事実を突きつける。
「食卓に出てこなかった?」

 あんぐりと口を開いたヒビキが首をかしげて問いかける。
 自分の好きな料理を、鬼灯が知らないと言う事実を受け入れることが出来なかったようで唖然とする。

「茄子と挽き肉を使った料理だよ」
 鬼灯の問いかけを冗談だと考えたヒビキが改めて問いかける。
「俺はニラを入れたものが好きなんだけど見たことも無いのか。驚いたな」
 苦笑したまま佇んでいる鬼灯の反応から、本気で見たことも食べたことも無いと言っているのだろうと判断をしたヒビキが苦笑する。

「分かった。俺が頼んだときに鬼灯にも分けてあげる。鬼灯も麻婆茄子が好きになるといいな」
 良い案を思い付いたと考えを口にしたヒビキが満面の笑みを浮かべるものだから、周囲で二人の会話を耳にしていた生徒達がざわめき立つ。

「俺まで麻婆茄子を好物になってしまったら食堂へ来るたびに譲り合いになるな」
 ヒビキか鬼灯のどちらかが頭上に浮かぶ茄子を手に入れると、次に茄子が現れるのは1時間後。
 鬼灯に説明を受けたばかりだと言うのに食堂内のシステムを、すっかりと忘れていたヒビキの表情が曇る。

「俺は毎日の食事が麻婆茄子でいいほど好きだから、譲り合いになるのは困るな」
 生徒達の視線の先には小刻みに肩を震わせて笑う鬼灯の姿と、困ったように眉を寄せるヒビキの姿があった。 


 和やかな雰囲気につつまれる食堂内で、鬼灯が小刻みに肩を揺らして笑うから疑問を抱いたヒビキが首を傾ける。
 
「俺はヒビキに気を取られていたから、一つの事に囚われていると頭上に浮かぶ茄子と韮が消えたことに気づかないほど視野は狭くなるんだなと思ったんだ。ヒビキは足元を見ていたから頭上にある茄子と韮が消えたことに気づく事が出来なかった。足元ばかり見ていると周囲で小さな変化が起こっていたとしても気付けないものなんだなと思ってな」
 じれったいほど、ゆっくりとした口調だった。

 確かに鬼灯の言う通りだと小刻みに肩を揺らして笑うヒビキを、二階食堂の手すりに手を添えて佇み呆然と一階食堂を眺めているアヤネが見つめている。

「鬼灯の言うとおりだな。頭上にあったというのに茄子とニラを他の生徒が手にしている事にすら全く気付けなかった。足元を見ていては、もしも近くで自分にとってチャンスになるような良い変化が起こったとしても気づく事すら出来ないのか」
 鬼灯言う通り、すぐ頭の上で起こっていた変化にすら気づく事が出来なかった事を認めたヒビキが苦笑する。
 友人と共に会話をしていた生徒達が一斉に口を閉じたため、食堂内はシーンと静まり返っていた。

 ヒビキから視線を逸らして周囲を見渡した鬼灯が生徒達の視線を集めている事に気づいて苦笑する。
 一度は生徒達の視線が外れたと思ったんだけど、気がつけば再び生徒達の視線を集めている。
 食堂の二階席から覗きこむようにして自分達に視線を向けているアヤネと副会長の姿もあった。
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