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学園都市編

105話 妖精王の思惑

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 ヒビキや鬼灯が生徒達の視線を集めている頃。
 国王に仕える直属の騎士。銀騎士団の集まる謁見の間は和やかな雰囲気に包まれていた。
 特攻隊、騎馬隊、調査隊。
 全ての部隊に所属する騎士達が、ある一点をまじまじと見つめている。

「立派な木を持ち運んだもんじゃのぉ」
 腰に両手を添えて大きく仰け反っているのは、白髪と立派な髭が印象的な老人である。
 ふぉっふぉっふぉっと豪快な笑い声をあげる老人は、謁見の間に持ち運ばれて突き立てられた巨大な木を感心したように眺めている。

「謁見の間の中央に巨大な木を突き立てるとは、魔王様も潔い事をする」
 腰まである金色の髪が小刻みに揺れ動く。
 肩を震わせて笑う女性騎士が同意するようにして頷いた。

「木を建物の中に持ち運ぶなんて発想すら浮かばないよね」
 調査隊副隊長を務める女性が苦笑する。

「俺達からしてみれば、客人を迎え入れる部屋に木を突き立てることは突拍子もない行動と思えるが、魔族からすると常識的な行動なのかもしれないな」
 がたいの良い男性が小刻みに肩を揺らす。

「確かに人それぞれ考え方は違うのだから、種族が違えば常識でさえも違ってくるのかもしれない」
 特攻隊隊長を務める金髪の女性が言葉を続けると、小刻みに肩を揺らしている先輩達と向き合うような形で佇んでいた青年が眉尻を下げる。

「床を幹の大きさに切り取って木を突き立てたのですね。魔王が修復を手伝ってくれると約束をしてくれましたが、修復が大変な事に変わりないです。皆さん、笑い事ではないと思うのですが」
 調査隊に所属する青年は木の周りを、ぐるりと一周すると小さなため息を吐き出した。

 謁見の間の中央に突き立てられた木の側を離れて右へ右へ足を進めると、やがて壁に行く手を阻まれる。
 壁に一定間隔をあけて備え付けられている窓から外を覗くと、嬉しそうに両手を広げて幼子を追いかけている魔王の姿があった。
 魔王から逃れるために全速力で敷地内を駆け抜けているのは妖精王の術により、4つの頃の姿に戻されてしまった現国王である。

 眩い光を放つ水色の魔法はユタカの移動速度を著しくあげる働きを持つ。
 左足で踏み込み強く地面を蹴りつける事により、一気に移動速度を上げたユタカの表情は真剣そのものだった。
 おいかけっこをするユタカと魔王を眺めている妖精王は小刻みに肩を揺らす。
 ユタカが魔王に追いかけ回される原因をつくった張本人であるはずなのに、まるで他人事のように表情に笑みを浮かべて見物を決め込んでいた。

「魔王は随分と楽しそうですね。全速力で追いかける何て子供相手に容赦がないとは思いますが」
 口元に手を添えて上品に笑う妖精王が隣に佇んでいる孫のアイリスに声をかける。

「国王が移動速度を著しく上げる術を発動しているため魔王は全力疾走を行わなければ彼を捕らえることは出来ないでしょう。魔王の全速力は仕方がない事だと思います」
 淡々とした口調だった。
 真剣な面持ちを浮かべるアイリスの視線は真っ直ぐ国王や魔王に向けられている。
 祖父である妖精王の服の裾を、しっかりと握りしめて身を寄せるアイリスに気付き歩み寄るのは、ヒビキの兄タツウミである。
 
 タツウミとアイリスの出会いは最悪なものだった。
 父の遺体が幻術魔法によって作り出された事に気づかなかったタツウミは、父を殺されたと思いこみ敵討ちのために初対面でありながら父を手にかけたアイリスに向かって手にしていた剣を投げつけた。
 投げつけた剣はアイリスに届く事は無かったものの、恐ろしい形相をしていたタツウミに対して恐怖心を抱いたアイリスの表情が曇る。
 タツウミがアイリスの隣で足を止めると、たまらず後退りをしたアイリスが妖精王の服の裾を鷲掴みにする。

「わっ」
 大人しく国王と魔王の追いかけっこを眺めていた妖精王の体を両手で押したアイリスの行動により、警戒心を解いていた妖精王が声を上げる。

「ヒビキ君のお兄様ですよ。逃げなくても大丈夫ですよ」
 珍しくアイリスに甘えられている事は嬉しいけれども、ヒビキの兄であるタツウミに対して警戒心を抱いているアイリスの態度に疑問を抱いた妖精王が口を開く。

「タツウミ君ごめんなさい。アイリスは人見知りが激しいものですから」
 元々アイリスに対して勘違いをしていたとは言え喧嘩を売ったのはタツウミの方であり、妖精王が気を遣ってくれている事に気づいたタツウミが苦笑する。

「謝らなければならないのは私の方です。私達の味方だったというのに、剣の先端を向けてしまいました。剣を投げつけてしまって本当にごめんなさい」
 アイリスを酷く怯えさせてしまった事を深々と頭を下げて謝罪する。
 数秒間ではあったけれども、タツウミを見上げたアイリスが眉尻を下げると小さく頷いた。

「貴方が勘違いしたと言うことは、それだけ幻術魔法がリアルに見えていたのでしょう。仕方のないことです」
 落ち着いた口調ではあったものの、眉尻を下げて今にも泣き出しそうな表情を浮かべているアイリスは、祖父である妖精王に身を寄せたまま弱々しい声で考えを口にした。
 アイリスの視線はタツウミから外れて妖精王の足元に向けられている。

「先程から魔王と国王の差が一行に縮まりませんね」
 タツウミを前にして緊張感に苛まれているアイリスの気持ちに少しでも変化があるといいなと考えて、全く別の話題を上げて話しをする事により妖精王はアイリスの意識をタツウミから逸らそうと考えた。
 魔王と国王の追いかけっこが始まってから、既に3時間が経過している。
 3時間も敷地内を走り回っているにも拘わらず、未だに魔王は国王を捕らえることが出来ていない。

 小刻みに肩を揺らしながら笑う妖精王は飽きもせずに、3時間ものあいだ笑顔でユタカと魔王の追いかけっこを眺めていた。

「国王の筋力は体が小さくなってしまった事により衰えてしまいましたが、失われた筋力は魔力により強化する事が出来ていると言うことですよね。記憶も残したままですし、どうやら私が施した術は無事に成功したようですね」
 全速力で敷地内を駆け抜けるユタカに視線を向けたまま考えを漏らした妖精王は、すぐ隣に国王の息子であるタツウミが佇んでいることを忘れてしまったのか。
 何だか衝撃的な事実を耳にした気がすると考えたタツウミの視線が妖精王に向かう。

「強引ではありましたが、人間である国王が囮になってくれれば妖精の森で好き放題暴れまわっている主様をおびき出す事が出来るかもしれませんね」
 妖精王の言葉に同意するようにしてアイリスが頷いた。

「人間の子供を好む主様は我々、妖精の前には姿を現してはくれませんからね。正直ヒビキ君が幼子に戻っている間に主様が姿を現してくれればいいなと思っていたのですが、上手くいきませんでしたし、今回は国王が幼子でいる間に無事に姿を現してくれると良いのですが」
 元から妖精王の狙いは国王であるユタカを幼子の姿に戻して妖精の森まで連れて行く事だった。
 国王を幼子の姿にしてしまって囮として動いてもらう。
 当人に許可を得る事が出きれば良かったけれど、一国の王を幼子にして囮としてつかう事を銀騎士や家族が許すはずも無い。

 一体どういうことなのか。
 妖精王とアイリスの会話を理解することの出来なかったタツウミが首をかしげて問いかける。

「どういうことですか?」
 表情に浮かべていた笑みが取り外されて、眉間にしわを寄せたタツウミの表情が険しいものへ変化する。
 全く聞かされていなかった事実を耳にしたタツウミが戸惑いを隠せずにいると、変化したタツウミの雰囲気に恐れを抱いたアイリスが妖精王の背後に体を移動させて身を隠す。
 妖精王の身に纏っている服にしわがつくほど強く握りしめたアイリスが息を呑む。

「ごめんなさい。おじいさまは少し強引な性格をしているものですから、せめて国王や国王の身内の方に説明をしなければならなかったのに強引に事を進めてしまったものですから、混乱させてしまいましたね」
 淡々とした口調だった。
 しかし、妖精王の背後に隠れて小刻みに肩を揺らすアイリスは眉間にしわを寄せたタツウミに対して怯えている様子。

「うん、どういうことか説明してもらえる?」
 表情に笑みを浮かべては見るものの、妖精王の背後に隠れてしまったアイリスは祖父の背中を押す。
 孫に背中を押されて一歩足を踏み出して前進をした妖精王が苦笑した。

「実は妖精の森には人間の子供が大好きな主様と呼ばれている化け物が住んでいるのです。神出鬼没な主様は獲物を見つけたときにしか姿を見せないので、ターゲットとなるのは人の子。私達に被害がないため野放しにしておきました。しかし、最近では妖精界へ金目当てで珍しい食料や装飾品を求めて足を踏み入れる人間が増えてきて少人数ではありますが、主様に目をつけられて被害にあった幼子もおります。被害にあった子供達は肉片や骨となって見つかりました。これ以上、被害者が増えないように主様を退治しようと思っていたのですが、主様は幼い人間の子供の前にしか現れません。国王に主様の退治を手伝ってもらいたいと考えているのです。囮となってもらうことになるのですが国王は我々が必ず守りますので、国王を妖精界へつれていくことを許してもらえませんか?」
 アイリスに服をわしづかみにされている妖精王は身動きのとれない状況である。
 
「囮に使うのだから本人の許可は必要だと思うよ」
 身動きを取ることの出来ない妖精王の顔を、指差したタツウミが空いた片手を横腹に添える。
 首をかしげて問いかける。

「ほぉ、随分と面白いことを企んでいるようだな」
 人間である国王とは違って、魔族である魔王の耳には離れた場所にいる妖精王とタツウミの会話が入り込んでいた。
 面白そうなことを企んでいる妖精王に思わず本心が漏れる。

「面白いこと?」
 魔王の独り言を耳にした国王が、ぽかーんとした表情を浮かべて首を傾ける。
 国王に向かって両手を伸ばす魔王の指先が国王の服を掠める。
 しかし、タイミングよく国王が足を躓かせて盛大に転んだため、予想外の出来事を目の前にして危うく転がった国王の体を踏み潰しそうになった魔王が地面を蹴りつけて国王の体の上を飛び越える。

「痛い! 膝を打ったって痛がっている場合じゃない。捕まったら服を脱がされる!」
 服を脱がされるという恐怖心からか、それとも疲労からかガクガクと足を震わせる国王は顔面蒼白である。
 魔王が身を翻して国王の元へ向かって足を進めたため、急いで体を起こした国王が走り出す。

「魔王は着替えを手伝おうとしていただけのようにも思えたけど」
 タツウミが口を開いたものの、魔王から逃れることに必死になっている国王の耳には届いていない。

「どうやら聞こえていないようだね。えっと、貴方から聞いた今の話ってヒビキに相談してもいい?」
 魔王と国王を交互に見るタツウミの表情には笑みが浮かんでいるものの、声は普段よりも低い。
 国王を囮に使おうとしていることを怒っているのだろうと考えた妖精王が苦笑する。

「ヒビキ君は黒幕であるシエル先生がいる学園に編入をしました。今は黒幕であるシエル先生を倒すことで頭がいっぱいなのでは無いでしょうか。余計な心配をかける必要もないと思うのですが」
 相談することは別に構わないですがと、言葉を続ける妖精王の考えを耳にしたタツウミが凍りついた表情をする。

「確かに妖精王の言う通りだよね。ただでさえ危険な場所に足を踏み入れて不安な思いをしているヒビキに、今以上に不安を与える必要もないよね。でも、私だけで抱え込むには大きすぎる妖精界の問題ですし巻き込まれるのは父であるユタカなので困ったな」
 眉間にしわを寄せて考え込んでしまったタツウミの視線が国王に向くけれども、国王は魔王から逃れるのに必死。タツウミの視線に気づく様子はない。
 小さなため息を吐き出したタツウミが四つ折りになっていた手紙を開くと鞄の中にしまっていた筆を取り出した。
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