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学園都市編

115話 リンスールからのプレゼント?

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 目の前に広がる巨大な扉は高価な装飾品が施されている。
 きっと、両手でドアノブを握りしめて扉を開かなければならないほど扉は重く、開くときにはギギギギギと奇妙な音を立てるだろう。
 そんなイメージをアヤネに与えた巨大な扉を目の前にして
「少し待っていてくれ」
 会長が淡々とした口調で呟いた。

 金色に輝くドアノブはダミーである。
 ダミーを避けて扉の右下に設置された小さな凹みに指先を添えると、ガチャッと音を立てて鍵が解除される仕組みになっている。
 理事長室に足を踏み入れるためには、まずはドアノブのダミーを避けて、その場にしゃがみ込み鍵を解除しなければならない。
 少し待っていてくれと確かに会長は口にしたはずなのに、目の前の巨大な扉に視線が釘付けとなっていたアヤネは会長の言葉を右から左へ見事に聞き流していた。

 会長がドアノブとは全く別の方向を見つめている事にも気づかずにダミーであるドアノブを、しっかりと握りしめてしまう。
 重たそうな扉だと勝手に想像していたため片手では開ける事は出来ないだろうと判断をしてしまい両手で、しっかりと握りしめてしまった。

 共にアヤネの指先を激痛が襲う。
 ドアノブに雷属性の魔法が施されているのではないのかと思える程の強いしびれに襲われて、たまらずに絹を裂くような叫び声を上げたアヤネの体が大きく仰け反った。
 そのまま倒れてしまえば、床に後頭部を打ち付ける事になるだろう。
 
 ドアノブのダミーを解除しようと、その場に膝をつき扉の右下に向かって手を伸ばしている最中の会長が悲鳴を聞きアヤネの異変に気が付いた。
 大きく仰け反ったアヤネの腰に手を添えて、咄嗟に倒れ掛かかった体を抱え込む。

「おい」
 アヤネがドアノブに触れていた時、会長は視線を足元に向けていた。
 そのため、アヤネの身に何が起こったのか状況を理解する事が出来ずにいた会長が、アヤネの頬に手の平を何度も打ち付ける。
 目蓋を閉じてはいるけれど、両手を強く握りしめているため意識はあるのだろう。
 呼びかけに対して反応することが出来ずにいる程の痛みに襲われているって所か。
 真っ赤になってしまっているアヤネの両手の平を見て、何となくアヤネの身に何が起こったのか予想した会長が小さなため息を吐き出した。

「少し待っていてくれと言ったが、聞いていなかったのか」
 状況を察して苦笑する。
「うん。聞き流してた」
 力なくアヤネが頷いた。
 やはり、目蓋を閉じているものの意識はあるようで時間が経ったため落ち着きを取り戻した様子。

「大丈夫か?」
 会長の問いかけに対してアヤネは弱々しく素直な気持ちを口にする。

「大丈夫じゃない」
 はっきりと答える。
 随分か細い声ではあるけれども、大丈夫ではないと言い切ったアヤネが理事長室の扉を開く前に力尽きてしまう。
 僅かに目蓋を開いたアヤネの目には、うっすらと涙がたまっている。

 激しい痛みに襲われて、生理的な涙が込み上げたって所か。
 ぐっと唇を噛みしめる事により、何とか涙が流れ出るのを堪えてはいるけれど、再び目蓋を閉じてしまうと涙は頬を伝う事になるだろう。
 そうなる前に袖を持ちあげて目に溜まった涙をぬぐい取った。
 負けず嫌いというか、人に弱みを見せたくはない性格である事は知っていたけど、涙を流す事すら堪えてしまうとは思わなかった。

 何て呑気にアヤネの性格を判断している場合では無かった。
 父が張り巡らせていた結界が強引な解け方をしたため父が無事か、それともモンスターに襲われているのかを確認するために理事長室へ来たわけで足止めを食らっている場合ではない。

「悪いな。俺は父の元へ向かうから、アヤネは少しの間ここで待っていてくれ」
 中の状況を早く確認しなければならない状況の中で、アヤネばかりに構っている事も出来ずに、ぐったりとするアヤネに声をかける。

「えぇ。早くお父さんの元に向かってあげてよ。今回は私の不注意が招いた事。ごめんね。足止めをしてしまって」
 アヤネが会長の背中を押した。
 ヒリヒリと痛む手の平を会長の背中に打ち付けてしまったものだからアヤネの顔が瞬く間に強ばった。

「いっ」
 手の平に激痛が走ったのだろう。
 表情を曇らせたアヤネが思わず声を上げる。

「早く行ってあげて」
 拭ったはずの涙が再び目に溜まり出すと無理矢理、表情に笑みを作って浮かべて見せたアヤネが苦笑いをする。
 小さく頷いて床に膝をつきダミーを解除する会長の表情は険しい。
 口には出していないものの、室内にいるはずの父の事が気になって仕方がないのだろう。
 
 ダミーを解除するために動かしている指先が僅かに震えている。
 しかし、表情には不安な気持ちを表さずにいる会長がダミーを解除する事に成功したようだ。

 扉がガチャッと音を立てる。
 ホッと安堵したのも束の間。
 解除した扉に会長が手を振れる前に勢いよく開いた扉は、会長の目と鼻の先を勢い良く通過して壁に打ち付けられる。
 続けて黒い……あれは一体何だろう。

「え?」
 思わず声を漏らした会長に襲い掛かったのは黄金色の回復魔法を発動中の黒い触手である。
 黄金色に輝く回復魔法を発動する触手もあれば、魔力を人に分け与える事の出来る青色に光輝く触手もある。

 青色の触手が手当をしているのはソファーの上にうつ伏せに横たわりピクリとも反応を示さない理事長である。
 会長とアヤネには黄金色に輝く触手が伸びる。
 風を切る様な音を立てて、黄金色の光を纏う黒色の触手が会長の頬すれすれを通過した。
 室内を覆いつくすような、おびただしい量である。

 ソファーに力なく横たわり顔を伏せたままピクリとも身動きを取らない理事長の意識はあるのか無いのか。
 うつ伏せに横たわったままの状態では判断する事が出来ない。
 見た感じ意識は無いようだけど。
 黒い触手は回復魔法を扱うモンスターの為、倒さなくても回復魔法を使いきれば自然と消滅するように作られていた。
 
 生徒会役員である副会長はヒビキや鬼灯を引き連れて、学園敷地内の見回りを行っていた。
 250レベルのトロールを倒したとは言え油断は出来ない状況である。
 もしかしたら、負傷者が出ているかもしれない。
 新たなモンスターが出現している可能性もある中で校舎の回りを一周していた副会長やヒビキは理事長室を見上げて足を止める事になる。

「初めて見るモンスターだ」
 250レベルのトロールを倒したことにより気を抜いていた。まさか、副会長の言う通り新たなモンスターが出現しているとは夢にも思っていなかった。
 校舎の4階に位置する理事長室の窓から体の半分を室内に入れるモンスターは初めて見る姿形である。
 初めて目にするモンスターである事を素直に口にするヒビキは開いた口が塞がらない。
 
「校内には触手だらけのモンスターも出没するのか? 以前にも触手だらけのモンスターが出現した前例があるのか?」
 学園には幼稚園の頃から通っていたという副会長に話を聞くために声をかけてみる。
 もしも、過去に触手だらけのモンスターが現れた前例があるのなら参考までに副会長に意見を聞いておきたい。

「ゴブリンとスケルトンが多いな。稀にオークが現れるけど、オークはレベルが高い。誰も手を出そうとはしないな。後はグールか。グールに関しては出現が確認でき次第学園は強力な結界によって守られる。まぁ、要するに俺も理事長室の窓に張り付いているモンスターは初めて見るって事なんだけどさ」
 長年学園に通っているだけのことはある。
 すらすらと出現するモンスターを答えた副会長が、ある一点を見つめて渋い顔をする。
 初めて見るモンスターの姿に不安を募らせている様子を見せる。 

 校舎4階。理事長室の窓にへばりつくモンスターは丸くて大きな巨体を持つ。
 毛むくじゃらの丸い胴体。小さな足はしっかりと窓枠に固定されている。
 巨体が窓を覆ってしまっているため、室内の状況を確認する事は出来ない。

 しかし、室内から漏れ出る光は黄金色。
 回復魔法を操るモンスターである事に気づいたヒビキが、別に急を要するような状況ではないだろうと判断をする。

「トロールを出現させるにあたってリンスールがよこしたって所か……でも何故、理事長室に?」
 何の考えも無しに、素直に思った事を口に出してしまったヒビキに透かさず副会長が突っ込みを入れる。

「それを俺に聞かれてもな。そもそも、そのリンスールと言うのは人の名前か? それともモンスターを操る術を持つボスモンスターの事を言っているのか?」
 時折ヒビキが口にしていたリンスールと言う名前の持ち主の事が気になっていた。
 聞き間違えでなければ、リンスールと言うのはモンスターを自由自在に操る術を持つ人物である。

「どっちなんだろう。人ではないしモンスターに近いのかな。妖精界を統べる王様って言えば分かるかな」 
 全く予想していなかった返事があったため副会長が息を呑む。
 ピシッと音を立てて、その場が凍り付いたような気がした。
 その場というか凍り付いたのは副会長であって、ヒビキの言葉を耳にして放心状態に陥っている。
 真顔で唇を半開きにしたまま固まってしまった副会長の顔の前に手を突き出して、左右に高速で動かしたヒビキが首を傾げる。

「うん。無反応」
 ピクリとも身動きを取らなくなってしまった副会長の様子を見て素直に思った事を口にする。

「妖精王ってあれか? 800年前に一度、人間界を滅ぼしかけたと言う?」
 頭の中をまとめるのに一体どれだけの時間がかかったのだろうか。
 ヒビキが大きな欠伸を繰り返して眠たそうにする。
 触手だらけのモンスターを視界に入れてから30分は経過しただろうか。

 ふと口を開いた副会長は過去にリンスールが人間界を滅ぼしかけた事が書き記されている文献を読んだことがあるのだろう。
 副会長の問いかけに対してヒビキは小さく頷いた。

「うん。でも、今は人間に対して興味を抱いているようで友好的だよ」
 即答したヒビキの表情に笑みが浮かぶ。

「どうやって、そのような人物と知り合いになったのか聞いても言いか?」
 そうそう知り合える人物ではない。
 きっと一生かかっても会う所か姿を見る事も叶わない相手だろう。
 そんな相手と、どうやって知り合ったのか。
 副会長の問いかけに対してヒビキは過去の出来事を思い起こす。

「一人で狩りをしていたら、自分も一人だから一緒に狩りをしようとパーティに誘ってきてくれたんだよ」 
 リンスールとの出会いは偶然だった。
 ドワーフの塔での出来事の一部を口にする。

「本に描かれている通りの毛むくじゃらの大男なのか、それとも醜い化け物の姿をしているのか姿形は、どっちなんだ?」
 副会長は妖精王に対して興味深々である。
 過去に読んだ本の表紙を思い浮かべて、その姿を問いかけてみる。

「種族はエルフ。長い緑色の髪の毛が印象的な美青年って所かな」
 ヒビキからは全く予想外の返事があった。

「人型なのか? まさか、妖精王と出会った事があり、その姿形を知る者から話を聞く事が出来るとは思ってもいなかった」
 副会長の問いかけに対してヒビキが笑顔で頷いた。

「へぇ……人生って何処でどう転がるのか分からないもんなんだな」
 ぽつりと考えを漏らした副会長の言葉通り、人生は何処でどう動くのか分からない。

「うん。本当に、その通りだと思う」
 ユキヒラの裏切りが無ければ、今でもボスモンスター討伐隊として仲間と共に狩りを行っていただろう。
 鬼灯は大切な妹サヤを失う事も無かったし、ボスモンスターを倒し続ける事によりモンスター討伐隊は銀騎士団と同じくらい有名な部隊に成長していたかもしれない。
 もしも銀騎士団と同じように有名な部隊になったら、きっと入団希望者も増えただろう。
 ボスモンスター討伐隊でも調査隊や特攻隊や騎馬隊、それぞれの部隊が出来ていたかもしれない。
 
 ユキヒラが仲間を裏切り、その黒幕が学園都市にあるエスカレーター式の学園にいるとの情報を得て学園への編入が決まった。ボスモンスター討伐隊として狩りを行っていた時には学園生活を送る事になるとは全く思っていなかった。
 まして、妹と同じ学校に通う事になるなんて夢にも思っていなかった。
 学園に通うことがなければ、副会長と出会うことも無かったか。

 副会長に視線を向けたまま考え事をしていたヒビキの体は激しい衝撃を感じると同時に宙に浮かぶ
 副会長との会話に気を取られていたため、理事長室の窓にへばりついていたモンスターが窓枠を蹴る事によって降下を始めた事に気付けなかった。

 青色に光る触手に手足を拘束され、体ごと軽々と持ちあげられてしまったヒビキは、なす術もなく目蓋を閉じる。
 腹部に巻き付いた触手が青い光に包みこまれると、少しずつではあるけれども魔力が回復を始めた。
 
「もしも、攻撃的なモンスターだったら今頃、俺達は食われていたかもしれない」
 今回はリンスールがよこしたモンスターだったため良かったものの攻撃的なモンスターであれば今頃、大怪我を負っていただろう。
 もしかしたら命を奪われていたかもしれない。
 大きく体を震わせた副会長が考えを口にする前に恐怖心に苛まれて口ごもってしまう。
 モンスターによって身体を拘束されてしまっているヒビキはというと、腹を抱えて笑っていた。

「ちょっと待って、本当にくすぐったいんだけど!」
 身を捩ることにより黒い触手から逃れようとする。
 しかし、そう簡単には触手は拘束を解いてはくれなくて、あまりのくすぐったさに耐えきれずにぺシぺシと手の平を打ち付ける。
 
 ヒビキが笑い転げている頃。
 触手の去った理事長室内では、力無く地べたに腰を下ろす会長の姿があった。
 乱れてしまった制服を正すこともなく、目蓋を閉じる会長はモンスターによって回復魔法を受けたはずなのに、ぐったりとする。
 
「しんどい……」
 大きなため息を吐き出すと共に、ぽつりと素直な気持ちを漏らす。
 確かに触手のモンスターは傷の治療を完璧にこなしてくれた。
 しかし、散々くすぐられたため体力が激しく消耗した。
 立ち上がるどころか、身なりを整える気力もない。

「傷は完治したけど散々、体力を奪われたわね」
 仰向けに横たわったまま、ぐったりとするアヤネが会長に同意した。
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