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学園都市編

114話 何故そうなるのか

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「あぁ、もう駄目だ。終わった……」
 夜空に浮かぶ月に視線は釘付けである。
 虹色がかった結界の向こう側に230レベルのトロールが武器を構えて佇んでいる。

 例え鬼灯の術の力を借りて地面に着地する事が出来たとしても、結界を隔てた向こう側にいるトロールがいつ襲いかかってくるかも分からない状況の中で先は見えない。
 絶望感に苛まれた副会長が、たまらず弱音をはく。

「強敵だ、おいも?」
 副会長の独り言を耳にして、首を傾げたヒビキが問いかけた。

 何をどう聞き取ればそうなるのか。

「…………」
 ヒビキの問いかけを耳にして、呆れが絶望感を上回っる。
 開いた口が塞がらない。
 唇を半開きにしたまま、ゆっくりとヒビキに視線を向けた副会長が無言のまま小さなため息を吐き出した。

「こんな緊迫した状況の中で、おいもって……」
 呆れた様子で口を開く。
 
「うん。聞き間違えたかなと思ったんだけど、状況が状況だから気でもくるってしまったのかなと思ったんだよ」
 満面の笑みを浮かべている。ヒビキに悪気はないのだろう。
「んなわけ無いだろ」
 副会長が淡々とした口調で呟いた。

 別に怒っているわけではない。
 正直ヒビキの予想外の言葉に驚いて、トロールに対する恐怖心が半減した。
 感謝しなければならないなと心の中で思っていた副会長の表情に笑みが浮かぶ。

「気が狂っている訳じゃないのなら良かった」
 随分とゆったりした口調だった。
 地面が間近に迫り来る。
 状況的に焦る気持ちもあるだろう。
 しかし、表情や口調を変えること無くヒビキは落ち着いた態度を見せる。

「そろそろ着地する姿勢に入らないといけないね」
 淡々とした口調で言葉を続けたヒビキは副会長の恐怖心を煽らないようにと心がける。

「そうだな」
 ヒビキの視線を目で追うことで、すぐ側に迫っている地面に気づいた副会長の表情が見事に強ばった。

「鬼灯の術で落下スピードは落ちている。落ち着いて着地をすれば大丈夫」
 副会長の表情が強ばった事に気づいたヒビキが慌てて声をかける。

「分かっている。大丈夫だ」
 落ち着きを取り戻したのだろう。
 真剣な眼差しを浮かべる副会長が淡々とした口調で呟いた。
 両手を掲げて着地の姿勢をとる。

 姿勢を正したヒビキが空中で体を捻る事によりトロールと正面向き合った。
 地面に着地する。
 続けて副会長が空中で体を半回転。
 鬼灯が発動した術の力を借りて地面に着地。
 無事に着地することが出来たため安堵する。
 最後に鬼灯がストンと音を立てて地面に着地する。

 結界を隔てた向こう側。
 庭の中央で斧を振り回してたトロールが体を、ぐるりと一回転させる。
 どうやら斧を使って一芸を披露するつもりでいるらしい。
 体を一回転させたことにより斧の勢いが増す。
 もう一回転。
 さらに斧の勢いが増すと、大きく腕を振りかぶったトロールが結界へ目掛けて斧を投げつけた。

 続けて強く地を蹴りつけて走り出したトロールが斧の後を追う。

「知識があるのか」
 ただ斧を投げつけるわけではなく、体を回転させることにより斧に勢いをつけた。
 トロールの行動を目の当たりにして副会長が考えを漏らす。
 もしも、考える力があるのであれば、倒すのに苦戦する事になるだろう。
 
 既に結界が解けていく場面を想像しているのだろうか。

 ニヤニヤと奇妙な笑みを浮かべた所を見ると、やはりトロールには考える力があるようで
「まずいな」
 険しい表情を浮かべた鬼灯が迫りくるトロールに向かって杖を構える。

「結界が解かれてしまったらトロールを校舎から遠ざけないといけないね」
 剣の先端をトロールに向けて構えをとったヒビキが真剣な眼差しを向ける。

「あぁ。狙いは俺達のようだし、結界が解かれたと同時に全速力で庭を駆け抜けなければならないな」
 鬼灯がヒビキにの意見に同意した。

「高レベルのモンスター相手に戦い慣れしているのか? 置き去りにされないように、必死について行かなければならないな」
 呆然とヒビキと鬼灯を眺めている副会長の頭の中は意外と冷静で、結界が解かれた後の行動を考えている。
 剣を手に取る事も忘れて全速力で庭を駆け抜けることだけを考えていた。
 みるみるうちに目の前まで迫った斧が、音を立てて結界に打ち付けられた。
 
 ぐにゃりと大きく歪んだ結界は、魔力を注ぎ込むことにより何とか形を保つことに成功する。
 しかし、次の一撃を受けると破壊されてしまうかもしれない。

 斧が弾かれてしまった事を確認したトロールが結界に拳を打ち付けるため、腕を大きく振りかぶる。
 トロールの視線は目の前に迫ったヒビキ達に釘付けである。
 走る勢いをそのままに左足で踏ん張り、右足を勢いよく前に出したトロールが拳を突き出した。
 凄まじい勢いである。
 シュッと風を切る音と共に、グサッと鈍い音がする。

 そう、グサッと。

「グサッ?」
 全く予想もしていなかった効果音を耳にして、自分の耳を疑ったヒビキが首をかしげて問いかける。

「あぁ。グサッと見事にやらかしたな」
 あんぐりと口を開きトロールを見上げていた鬼灯が、ぽつりと呟いた。


 鬼灯のすぐ隣に佇んで、目蓋を擦ってから状況を確認して首をかしげた副会長は我が目を疑っている。

「見るからに強そうですが、以外とドジですね」
 副会長の口調が猫を被った状態に戻っているのを見て、ヒビキが周囲を確認する。
 どうやら生徒達が異変に気づき始めたらしい。
 大きく開かれた窓から生徒達だけではなくて教師陣も顔を覗かせている。
 生徒達の視線が自分達に向けられていることに気づいて副会長は一度、取り外した猫を被ったってところか。

 結界に弾かれた斧が目の前に迫っていた事に何故、気づけなかったのか。
 きっと、結界に拳を打ち付けることしか頭になかったのだろう。
 額に斧が突き刺さり、きょとんとした表情を浮かべているトロールの振り下ろした腕は結界を捕らえる事無く盛大に空振りをする。
 目の当たりにしてしまった光景から、いち早く視線を背けたのは鬼灯だった。

「これは見なかったフリをするべきじゃないか?」
 鬼灯が考えを口にする。

「見なかったフリですか? これだけ大きく歪んでしまっているので結界は時期に解けますよ。見なかったフリなんて、そんな悠長なことしていられないでしょう?」
 副会長が呆れた様子で鬼灯に声をかけると、鬼灯の隣に佇んでいたヒビキが口を開く。

「だって、あれはどうみても致命傷……」
 トロールを指差して、ぽつりと呟いた。

「斧を額に突き刺しただけでなくて、盛大に拳を空振りさせてるんだ。やはり、ここは見なかったふりをするべきだと思うけど」
 鬼灯が尚も言葉を続ける。

「うん。踏み出すタイミングが早かったんだよ。自分の腕の長さを見誤っていたんだね……」
 ヒビキが鬼灯の意見に同意する。
 巨大なトロールを目の前にしているはずなのに、呑気に話し込んでいる鬼灯とヒビキを横目に見ていた副会長が小さなため息を吐き出した。
 突きだしていた腕を引っ込めて、顔を俯かせたトロールがいたたまれなくなったようで身を翻す。
 顔を両手で覆い隠すと同時に、巨体が砂となって消えていく。

「恥ずかしかったんだな」
 砂となって消えてしまったトロールを呆然と眺めていた鬼灯が呟いた。

 
 理事長室。
 ソファーに深く腰掛けて結界を張り巡らせていた理事長が、膝に肘を乗せて前のめりとなって頬杖をつく。
 正面を向いていた視線は、少しずつ足元へ落ちる。
 ぐったりと疲れた様子の理事長が口を開く。
「あぁ、もう限界です」
 素直な気持ちが言葉となって現れた。

 大きく歪んでしまった結界を修復するためには、大量の魔力が必要になる。
 しかし、詮索魔法に殆どの魔力を使ってしまっている理事長には、結界を修復できるだけの魔力が残されてはいない。

 汗だくとなっている理事長が力尽きたように、ごろんとソファーに横たわる。
 額に腕を乗せて大きなため息を吐き出した。

 トロールを倒したことによる報酬金が自動的に理事長のカードの中に吸収し貯蓄される。
 しかし、レベルが170以上ある理事長はレベルアップをせず。
 レベルアップをしなければ、魔力は回復しない。
 自然回復するにも数週間。いや、理事長のレベルだと数ヶ月が必要になるか。

 モンスターから学園を守るようにして張り巡らされていた結界が消えていく。
 理事長が故意に結界を解いた場合は天井から地上へかけてゆっくりと結界が解けていく。
 しかし、砕けるようにして消えていった結界は、理事長の魔力切れ又は意識が失われた事を示しているため生徒達はざわめき立つ。

「俺は理事長室へ向かう。アヤネは?」
 窓を開き庭を眺めていた会長が父の身を案じて理事長室へ向かう事を決める。

「私もついて行くわよ」
 既に走り始めている会長の後を追って、アヤネが全速力で走り出した。

 会長とアヤネが理事長室へ向け足を進め始めた頃。
 全速力で走り出したヒビキや鬼灯に続き、副会長が一足遅れて学園から遠ざかるようにして駆け出した。
 トロールを倒して終わりではなかった。
 何の前触れもなく現れた複数の魔法陣から続々とドワーフが登場した。
 ドワーフのレベルは30前後。
 
「業火」
 鬼灯が杖を掲げて業火魔法を唱えると、学園を業火の炎で包みこむ。
 炎で行く手を阻んでしまったため、結果的にドワーフは学園に乗り込む手段を失った。
 そのため、身を翻して鬼灯やヒビキや副会長の後を追いかける。
 
 ドワーフの数は50。
 集団の中にリーダー的な存在のドワーフがいるのだろう。
 一体何処で指示を出しているのか早急に見つけ出す必要がある。
 周囲を見渡していたヒビキの視線の先に現れたのは、黄金色に輝く杖を手にして何やら陽気な歌を口ずさんでいるドワーフだった。
 テンションが上がりすぎて、自分が先頭に出ていることに気づいていないのだろう。
 スキップをするドワーフが黄金色に輝く杖を掲げると、小走りをするドワーフ達が一斉に杖を掲げて呪文を唱え始める。
 やはり、目の前に迫り来るドワーフがリーダー的存在なのだろう。
 足元に黒い魔法陣が出現すると同時に黒色のつるが姿を現した。
 
「拘束魔法だよ。魔法陣の上から逃れて!」
 以前ドワーフの塔で戦ったドワーフが好んで使っていた魔法である。いち早く反応を示したヒビキが、つるが出現する前に地を蹴り空中へ飛び上がる。

「鬼灯!」
 先頭を走る鬼灯にドワーフ達を操るリーダー的な存在がいることをを知らせるため、ヒビキが大声で名前を呼ぶ。

「あぁ、分かった」
 ヒビキの指差した方向。黄金色に輝く杖を手にしたドワーフを視界に入れた鬼灯が頷いた。

 リーダーを務めるドワーフに向かって杖を構えた鬼灯が、呪文を唱えようとしていた矢先の出来事だった。

 鬼灯の視線の先で、前に出すぎていることに気づいていないのだろう。
 ドワーフが敵であるはずのヒビキと肩を並べて走りだしたため、鬼灯がクスッと鼻で笑う。
 ヒビキが手を伸ばせば届く距離である。
 当然すぐ隣を走るドワーフをヒビキが放っておくはずもなく
「前に出すぎ」
 ドワーフに一声かけると同時に、逃げる隙を与えることも無く黄金色に輝く杖に手をかけた。
 空いている手をドワーフの腹部に回して、取り上げた黄金色の杖の先端を、その首筋に突き付ける。

「はい。みんな動かないでね。動くと杖の先端が首に突き刺さってしまうかもしれないよ」
 リーダーを務めるドワーフを人質にとる事に成功した。

 表情は無表情である。
 動かないでと言う指示に従っているのだろう。
 ヒビキの腕の中で目を真ん丸に見開いたままピクリとも身動きをとれずにいるドワーフは、恐怖心から小刻みに体を震わせている。

「駄目じゃん。集団をまとめ上げている君が先頭に出ちゃ」
 ヒビキが声をかける。
 動かないでと言ったヒビキの言葉を忠実に守っているのだろう。
 見事に身動きを止めているドワーフが冷や汗を流す。
 
「あ、うん。もう、動いてもいいよ」
 いくら待っても返事がない。
 小刻みに体を震わせているドワーフの反応に、思わずクスッと笑ってしまったヒビキが動いてもいいよと声をかける。
 クワッと声を上げて、首を縦に振り頷いたドワーフがパタパタと手足を動かす。
 パニック状態である。
 キョロキョロと周囲を見渡して、現在の状況から逃れられないと判断をしたドワーフが、瞬く間に砂となって消えてしまった。
 共に金色に輝く2階への通行許可証が出現する。
 カランと音を立てて足元に落下した通行許可証を見つめていたヒビキが苦笑する。

「やはり、リンスールの仕業だよな」
 通行許可証を手に取ったヒビキの脳裏にリンスールの姿が過る。
 呆然と通行許可証を見つめていたヒビキは、今後もしかしたら使い道があるかもしれないと考えて制服の内ポケットの中にしまいこんだ。
 要するにドワーフとトロールを学園に送り込んだのはリンスールだったわけで、自滅したトロールを思い起こしたヒビキが苦笑する。
 リーダーであるドワーフが砂となって消えてしまったため、ヒビキを囲むようにして周囲に散らばっていたドワーフをが、リーダーの後を追うようにして砂となって消えていく。

 緊迫した空気は、ドワーフが消滅したことにより和やかなものへ変化する。
 生徒達が胸を撫で下ろしている姿を、ちらほらと見る事が出来る。
 ヒビキが鬼灯や副会長と合流をした頃。
 理事長室に向かっていた会長とアヤネは、思わぬ光景を目の当たりにすることになる。
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