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第二十章
餓鬼とアルハット-04
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本当に彼女は、こんな簡単な事を理解できないのかと豪鬼を卑下するかのように、笑いかけた。
だが豪鬼にとって――彼女の放った言葉は、明らかに骨董無形な話過ぎるのだ。
「……バカな、あり得ない」
「何故、あり得ないと?」
「だって、そうだろう? オレ達災いは、人間から虚力を収集する事で生き永らえる。そりゃ、人類を滅ぼす事がオレ達の終着点だって言うんなら、まだ分かるけど……人類を滅ぼした先、そこで人類に代わって世界を統べようとしたって、オレ達は虚力を得る方法すら無く、ただ困窮で喘ぐだけだ」
「何の為にわたくしが、意思を芽生えさせて百幾何の時を、虚力の放出も無く、大っぴらに人類と戦う事も無く、虚力を蓄え続けて来たと思っているのかしら」
今、愚母の中には、人類を滅ぼすには十分すぎる程の虚力が蓄えられている。
彼女が司る災厄の形を、豪鬼は知らない。だがどんな形の災厄にせよ、彼女が今持つ虚力を放出し、災厄を振りまけば、どういう形であれ人類は滅亡する。
――問題は、絶滅した後、残された災い達がどう生きていく事かが重要だ。
「わたくしが虚力を放出し、死ぬ事は避けたい」
「……アンタが蓄えてる虚力を今後、災いが生きていく為の補給路にする。それが、アンタの目的なんだな?」
「ええ。豪鬼、貴方はわたくしが持つ固有能力、その全貌を知っているでしょう?」
「……【浸蝕と捕食】」
愚母の固有能力は二つ存在する。
一つは浸蝕。コレは人間の細胞に愚母の高純度な虚力を侵食させることにより、内部から細胞を壊死させていく能力である。
発動条件は彼女が顕現させた布上の刃を用いて敵を切り裂く事によって傷口から浸蝕させる。どんな些細な傷でも、細胞一つに浸蝕さえ出来れば、そこから隣接する細胞へと次々に浸蝕を進めていく。
原則この能力によって浸蝕された人間は身を引き裂かれるような苦痛と共に数時間と持たずにショック死するが、以前イルメールへと浸蝕を引き起こした際には、彼女の圧倒的なメンタルが細胞活性を引き起こし、死を免れていた。
そして二つ目の能力が【捕食】――つまり物質を取り込んで彼女の子宮内に吸収するという能力であるのだが、更にここから能力は様相を変化させる。
捕食した対象を【保管】するか【消化】するか【再生】か、さらには【作り替える】かを、愚母が選択できるのだ。
五災刃達が虚力による攻撃を受け、負傷した場合にも再生できるようにするのは、この【捕食】後に【再生】を施しているからであり、暗鬼のように完全なる消滅を果たさない限りは幾らでも再生が可能である。
そして、愚母の計画においては【捕食】後の【消化】こそが重要である。
「わたくしの【消化】は、生命を虚力へと変換できる。それこそ、草木や動物、人間でさえも取り込んでしまえば、質量分を虚力へと変換できる能力ですわ。――皇族を殺し、人類を次々に取り込んで虚力へと変換さえしてしまえば、数千年は生存が可能よ」
更に言ってしまえば、人間より収集できる虚力量は少ないが、草木からも虚力を補給できるという事は、星の生態系さえ正常であれば、人間がいなくとも愚母は生存が可能である。
そして愚母が生存を果たすという事は、虚力を分け与えられる災いもまた、生存を果たせるという事である。
人間のように何十億という数は生存できないまでも、数百数千程度の災いが生を謳歌するには十分な虚力量は確保できる、という事だ。
「……餓鬼が災いとしていい傾向っていうのは、何なんだ……? あんな状態、災いが統治する世界を作ったとしても、まともに生きていける精神状態じゃない……!」
「そんな事、決まっているじゃない。――わたくしを除く貴方達五災刃には、虚力放出によって人類へと災厄を振りまき、レアルタ皇国が滅んだ後に混乱した世界を、より混沌へ導いて貰わなければならないのだもの。下手に正気でいられて、いざという時に、恐怖で災厄を振りまく事が出来ないなど、避けたいでしょう?」
思いの外、豪鬼は驚かなかった。
そもそも彼ら災いは本来、収集した虚力を放出して人類に災厄を振りまく存在であると自覚しているからだろうが――それでも、驚きはしなかっただけで、気分が良いモノではない。
「……アンタは、オレ達を……全員殺すつもりだった、っていう事か……?」
「殺す? 人聞きの悪い事を言わないで頂戴、豪鬼。貴方達は役割を果たすのです。そうする事によって同胞がより良い世界に生きる為の礎になれる――それは、とてもとても素敵な事では無くて?」
最初から知っていたつもりだったが――やはり愚母は、まともな考え方を有していない。
否、災いとしては正常なのかもしれない。
――災いとしての役割を果たそうとせず、ただ一つの生命としての生存を望む豪鬼の方が、よほど災いらしからぬという事は、彼も自覚している。
だがそれにしたって、彼女は餓鬼や豪鬼、斬鬼という存在に対して、強い仲間意識さえ持ち得ていなかった事には、少しショックを覚えざる得なかった。
「……マリルリンデやガルラと……共闘する理由は?」
マリルリンデとガルラの目的は、人類滅亡ではない。現在は人類の八割を淘汰し、残る二割の人類が進化を果たし、今後の世界をより良くする事だと、既に彼らは明言している。
以前のマリルリンデは違った。人類の滅亡を目的としていて、その時の彼と共闘する事は矛盾しないが、今のマリルリンデは目的を変えてしまっている。
「簡単な事です。皇族はわたくし達が当初予想していたよりも強力でした。そしてイレギュラーであるクアンタちゃん、リンナちゃんの力も明らかになった。これでは五災刃だけで人類の完全淘汰など夢物語――ならば、残り二割に出来るまで彼らの力を借り、その時点で彼らを始末すればいいだけでしょう?」
そしておそらく、ガルラもマリルリンデも、愚母の理想とする世界には気付いている。
マリルリンデは進化を果たそうとする者を好む。故に『人類を淘汰し災いがこの星における支配者となる』という【進化】を果たそうとする彼女の事を咎めはしないだろう。
ガルラは――どうだろうか。
豪鬼は、先日ガルラがアメリアに散々言い負かされていた事を聞いていた。故に彼が【人類選別】を目的にしていない可能性も考える事が出来る。
そしてマリルリンデもガルラと同様に、もしかしたら、人類選別や人類滅亡等は考えていない可能性もあり得る。
何にせよ、彼らは愚母の野望を知った上で――それでも彼女に力を貸す。
「……アンタの、理想とする世界ってのは……アンタが【女王】となって、この世界を統治する事なのか……?」
「そんな、邪心の塊みたいに言われると、わたくしもあまり気分が良くないわ。――わたくしはただ、この世界における唯一の母となりたいだけよ」
――災い達の生を望み、その為に必要な世界を作り上げる。
なるほど確かに、それは子の存在を慈しむ母のようではある。
だがその為に豪鬼や斬鬼、餓鬼と言った仲間が、犠牲になる事を良しとする。
そんな彼女を、認めるわけにはいかない。
「……オレは、死にたくないよ。災厄をまき散らすなんて目的の為に、死にたくない。気が重い所じゃない。そんな気にならない……っ!」
彼らしらかぬ声の荒げ方を聞き、それでも愚母は笑みを浮かべた。
彼ならばそう言うのだろうと、理解していたのだ。
「やはり、貴方はわたくしの望む世界には不必要な存在ですわね。……全くどうして、わたくし達名有りには感情があるのかしら」
「感情があって、良かったと思うよ……オレは、そんな下らない野望なんかの為に、死にたくなかったからな……!」
「ならば豪鬼――貴方は一度わたくしの子宮に還りましょう」
ゾワリとした感覚と共に。
豪鬼は背後へと飛び退き、愚母との距離を取る。
そうした判断は的確で、彼が先ほどまでいた空間に、布状の布が無数に振るわれていた。
「逃げないで豪鬼。貴方は母の子宮に還るだけ。ただそれだけの事なのに、怯える必要なんか無いわ」
「ふざけんな……! 取り込んだら、オレを作り替えるつもりだろう……!」
愚母の固有能力は取り込んだモノに幾つかの処理を施す事が可能だ。
その中でも彼ら災いにとって重要な処置が【再生】と【作り替え】であり、再生は元々有していた自我や能力をそのままに修復されるだけだが、作り替えは『災いを構成する虚力自体を作り替える事によって、外観も性格も能力も、全く別の名有りへと変化させる』事である。
「ええ。だって貴方の無駄に考える性格は、これからの戦いには不利益なのだもの。母として、ちゃんと処置を施さないと、ね?」
愚母の背後に幾多もの布が、なびく様に揺れる様子を見据える。
避ける事などは容易い。問題は現在彼らのいる場所が、狭い地下室内であるという事だ。
(このままじゃ、餓鬼も斬鬼も、オレも……愚母に殺される……!)
どうにかしてこの状況を打開できる方法が無いか――それを模索しようとした瞬間。
地下室の扉を開けて入ってきた、二人の刀を携える者が、愚母へと同時に斬りかかった。
その内の一人――ガルラが自身の遺作を抜き放ち、愚母へと斬りかかろうとした瞬間、彼女の振るう布が伸び、腕を切り裂いた。
通常の人間であれば、切り裂かれた部分から浸蝕した愚母の虚力によって、人を死に至らしめる程の激痛が走っている事だろう。
だがガルラは何ともなさそうに着地しつつ、愚母の腹部を蹴りつけると、もう一人に合図を送る。
「愚母殿――御免!」
もう一人は、斬鬼である。その白いコートを脱ぎ捨てて愚母の視界を覆った後、コート事彼女へ向けて刃を振るった。
――彼の能力である【模倣】により、コピーされた刀は、かつてリンナが打ったキソ。
それはサーニスが使っていた打刀であり――リンナの虚力も含めてコピーされたものであるからして、災いである愚母にも有効だ。
「な――!」
驚く愚母の声を聴きつつ、ガルラへと向けて襲い掛かる漆黒の布を、斬鬼がコピーしたキソで切り落とす。
「おい斬鬼! 豪鬼を連れて逃げろッ!」
「感謝する、がるら殿!」
「ま、待て斬鬼! 餓鬼が――」
全てを豪鬼が言い終わる前に、斬鬼はガルラへキソを手渡し、豪鬼の身体を抱えながら地下室へ向けて駆け出していく。
そんな彼らの背中を、愚母は狙えなかった。
斬鬼から虚力を含んだ一撃を貰い、ダメージを負っている事もそうだが、今まさにキソを構えてこちらを警戒するガルラの姿があるからでもある。
「ガルラ様。やはり貴方はわたくし達とは袂を分かつおつもりで?」
「そんな気はねェさ。ただ、豪鬼の在り方は、オレもマリルリンデも好みでな。……それに、ただの好みだけでアイツを助けたわけでもねェ」
だが豪鬼にとって――彼女の放った言葉は、明らかに骨董無形な話過ぎるのだ。
「……バカな、あり得ない」
「何故、あり得ないと?」
「だって、そうだろう? オレ達災いは、人間から虚力を収集する事で生き永らえる。そりゃ、人類を滅ぼす事がオレ達の終着点だって言うんなら、まだ分かるけど……人類を滅ぼした先、そこで人類に代わって世界を統べようとしたって、オレ達は虚力を得る方法すら無く、ただ困窮で喘ぐだけだ」
「何の為にわたくしが、意思を芽生えさせて百幾何の時を、虚力の放出も無く、大っぴらに人類と戦う事も無く、虚力を蓄え続けて来たと思っているのかしら」
今、愚母の中には、人類を滅ぼすには十分すぎる程の虚力が蓄えられている。
彼女が司る災厄の形を、豪鬼は知らない。だがどんな形の災厄にせよ、彼女が今持つ虚力を放出し、災厄を振りまけば、どういう形であれ人類は滅亡する。
――問題は、絶滅した後、残された災い達がどう生きていく事かが重要だ。
「わたくしが虚力を放出し、死ぬ事は避けたい」
「……アンタが蓄えてる虚力を今後、災いが生きていく為の補給路にする。それが、アンタの目的なんだな?」
「ええ。豪鬼、貴方はわたくしが持つ固有能力、その全貌を知っているでしょう?」
「……【浸蝕と捕食】」
愚母の固有能力は二つ存在する。
一つは浸蝕。コレは人間の細胞に愚母の高純度な虚力を侵食させることにより、内部から細胞を壊死させていく能力である。
発動条件は彼女が顕現させた布上の刃を用いて敵を切り裂く事によって傷口から浸蝕させる。どんな些細な傷でも、細胞一つに浸蝕さえ出来れば、そこから隣接する細胞へと次々に浸蝕を進めていく。
原則この能力によって浸蝕された人間は身を引き裂かれるような苦痛と共に数時間と持たずにショック死するが、以前イルメールへと浸蝕を引き起こした際には、彼女の圧倒的なメンタルが細胞活性を引き起こし、死を免れていた。
そして二つ目の能力が【捕食】――つまり物質を取り込んで彼女の子宮内に吸収するという能力であるのだが、更にここから能力は様相を変化させる。
捕食した対象を【保管】するか【消化】するか【再生】か、さらには【作り替える】かを、愚母が選択できるのだ。
五災刃達が虚力による攻撃を受け、負傷した場合にも再生できるようにするのは、この【捕食】後に【再生】を施しているからであり、暗鬼のように完全なる消滅を果たさない限りは幾らでも再生が可能である。
そして、愚母の計画においては【捕食】後の【消化】こそが重要である。
「わたくしの【消化】は、生命を虚力へと変換できる。それこそ、草木や動物、人間でさえも取り込んでしまえば、質量分を虚力へと変換できる能力ですわ。――皇族を殺し、人類を次々に取り込んで虚力へと変換さえしてしまえば、数千年は生存が可能よ」
更に言ってしまえば、人間より収集できる虚力量は少ないが、草木からも虚力を補給できるという事は、星の生態系さえ正常であれば、人間がいなくとも愚母は生存が可能である。
そして愚母が生存を果たすという事は、虚力を分け与えられる災いもまた、生存を果たせるという事である。
人間のように何十億という数は生存できないまでも、数百数千程度の災いが生を謳歌するには十分な虚力量は確保できる、という事だ。
「……餓鬼が災いとしていい傾向っていうのは、何なんだ……? あんな状態、災いが統治する世界を作ったとしても、まともに生きていける精神状態じゃない……!」
「そんな事、決まっているじゃない。――わたくしを除く貴方達五災刃には、虚力放出によって人類へと災厄を振りまき、レアルタ皇国が滅んだ後に混乱した世界を、より混沌へ導いて貰わなければならないのだもの。下手に正気でいられて、いざという時に、恐怖で災厄を振りまく事が出来ないなど、避けたいでしょう?」
思いの外、豪鬼は驚かなかった。
そもそも彼ら災いは本来、収集した虚力を放出して人類に災厄を振りまく存在であると自覚しているからだろうが――それでも、驚きはしなかっただけで、気分が良いモノではない。
「……アンタは、オレ達を……全員殺すつもりだった、っていう事か……?」
「殺す? 人聞きの悪い事を言わないで頂戴、豪鬼。貴方達は役割を果たすのです。そうする事によって同胞がより良い世界に生きる為の礎になれる――それは、とてもとても素敵な事では無くて?」
最初から知っていたつもりだったが――やはり愚母は、まともな考え方を有していない。
否、災いとしては正常なのかもしれない。
――災いとしての役割を果たそうとせず、ただ一つの生命としての生存を望む豪鬼の方が、よほど災いらしからぬという事は、彼も自覚している。
だがそれにしたって、彼女は餓鬼や豪鬼、斬鬼という存在に対して、強い仲間意識さえ持ち得ていなかった事には、少しショックを覚えざる得なかった。
「……マリルリンデやガルラと……共闘する理由は?」
マリルリンデとガルラの目的は、人類滅亡ではない。現在は人類の八割を淘汰し、残る二割の人類が進化を果たし、今後の世界をより良くする事だと、既に彼らは明言している。
以前のマリルリンデは違った。人類の滅亡を目的としていて、その時の彼と共闘する事は矛盾しないが、今のマリルリンデは目的を変えてしまっている。
「簡単な事です。皇族はわたくし達が当初予想していたよりも強力でした。そしてイレギュラーであるクアンタちゃん、リンナちゃんの力も明らかになった。これでは五災刃だけで人類の完全淘汰など夢物語――ならば、残り二割に出来るまで彼らの力を借り、その時点で彼らを始末すればいいだけでしょう?」
そしておそらく、ガルラもマリルリンデも、愚母の理想とする世界には気付いている。
マリルリンデは進化を果たそうとする者を好む。故に『人類を淘汰し災いがこの星における支配者となる』という【進化】を果たそうとする彼女の事を咎めはしないだろう。
ガルラは――どうだろうか。
豪鬼は、先日ガルラがアメリアに散々言い負かされていた事を聞いていた。故に彼が【人類選別】を目的にしていない可能性も考える事が出来る。
そしてマリルリンデもガルラと同様に、もしかしたら、人類選別や人類滅亡等は考えていない可能性もあり得る。
何にせよ、彼らは愚母の野望を知った上で――それでも彼女に力を貸す。
「……アンタの、理想とする世界ってのは……アンタが【女王】となって、この世界を統治する事なのか……?」
「そんな、邪心の塊みたいに言われると、わたくしもあまり気分が良くないわ。――わたくしはただ、この世界における唯一の母となりたいだけよ」
――災い達の生を望み、その為に必要な世界を作り上げる。
なるほど確かに、それは子の存在を慈しむ母のようではある。
だがその為に豪鬼や斬鬼、餓鬼と言った仲間が、犠牲になる事を良しとする。
そんな彼女を、認めるわけにはいかない。
「……オレは、死にたくないよ。災厄をまき散らすなんて目的の為に、死にたくない。気が重い所じゃない。そんな気にならない……っ!」
彼らしらかぬ声の荒げ方を聞き、それでも愚母は笑みを浮かべた。
彼ならばそう言うのだろうと、理解していたのだ。
「やはり、貴方はわたくしの望む世界には不必要な存在ですわね。……全くどうして、わたくし達名有りには感情があるのかしら」
「感情があって、良かったと思うよ……オレは、そんな下らない野望なんかの為に、死にたくなかったからな……!」
「ならば豪鬼――貴方は一度わたくしの子宮に還りましょう」
ゾワリとした感覚と共に。
豪鬼は背後へと飛び退き、愚母との距離を取る。
そうした判断は的確で、彼が先ほどまでいた空間に、布状の布が無数に振るわれていた。
「逃げないで豪鬼。貴方は母の子宮に還るだけ。ただそれだけの事なのに、怯える必要なんか無いわ」
「ふざけんな……! 取り込んだら、オレを作り替えるつもりだろう……!」
愚母の固有能力は取り込んだモノに幾つかの処理を施す事が可能だ。
その中でも彼ら災いにとって重要な処置が【再生】と【作り替え】であり、再生は元々有していた自我や能力をそのままに修復されるだけだが、作り替えは『災いを構成する虚力自体を作り替える事によって、外観も性格も能力も、全く別の名有りへと変化させる』事である。
「ええ。だって貴方の無駄に考える性格は、これからの戦いには不利益なのだもの。母として、ちゃんと処置を施さないと、ね?」
愚母の背後に幾多もの布が、なびく様に揺れる様子を見据える。
避ける事などは容易い。問題は現在彼らのいる場所が、狭い地下室内であるという事だ。
(このままじゃ、餓鬼も斬鬼も、オレも……愚母に殺される……!)
どうにかしてこの状況を打開できる方法が無いか――それを模索しようとした瞬間。
地下室の扉を開けて入ってきた、二人の刀を携える者が、愚母へと同時に斬りかかった。
その内の一人――ガルラが自身の遺作を抜き放ち、愚母へと斬りかかろうとした瞬間、彼女の振るう布が伸び、腕を切り裂いた。
通常の人間であれば、切り裂かれた部分から浸蝕した愚母の虚力によって、人を死に至らしめる程の激痛が走っている事だろう。
だがガルラは何ともなさそうに着地しつつ、愚母の腹部を蹴りつけると、もう一人に合図を送る。
「愚母殿――御免!」
もう一人は、斬鬼である。その白いコートを脱ぎ捨てて愚母の視界を覆った後、コート事彼女へ向けて刃を振るった。
――彼の能力である【模倣】により、コピーされた刀は、かつてリンナが打ったキソ。
それはサーニスが使っていた打刀であり――リンナの虚力も含めてコピーされたものであるからして、災いである愚母にも有効だ。
「な――!」
驚く愚母の声を聴きつつ、ガルラへと向けて襲い掛かる漆黒の布を、斬鬼がコピーしたキソで切り落とす。
「おい斬鬼! 豪鬼を連れて逃げろッ!」
「感謝する、がるら殿!」
「ま、待て斬鬼! 餓鬼が――」
全てを豪鬼が言い終わる前に、斬鬼はガルラへキソを手渡し、豪鬼の身体を抱えながら地下室へ向けて駆け出していく。
そんな彼らの背中を、愚母は狙えなかった。
斬鬼から虚力を含んだ一撃を貰い、ダメージを負っている事もそうだが、今まさにキソを構えてこちらを警戒するガルラの姿があるからでもある。
「ガルラ様。やはり貴方はわたくし達とは袂を分かつおつもりで?」
「そんな気はねェさ。ただ、豪鬼の在り方は、オレもマリルリンデも好みでな。……それに、ただの好みだけでアイツを助けたわけでもねェ」
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