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赤子転生7

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 討伐隊の気配も消え、集会所の中には土間の中央、囲炉裏で燃える薪がはぜる音しか聞こえなくなった。
 パチパチと言う微かな音と、傍らで寝入っている赤ん坊達の寝息に誘われ、私も眠くなってきた。
 うとうとしてきて瞼を開けていられなくなってきたその時、

「ううっ‼」

 ダシュトが苦しそうに呻き声を上げた。
 驚いて目を開けると、火の側に居たトールが藁ベッドへと近づいて来るのが見えた。

「ダシュト、陣痛が始まったようです」

「でも……もう痛みが無くなったけど……」

「初めは陣痛の間隔が大きいのです。先は長いですから、今のうちに軽く食べたほうがいいでしょう。今、食べることが出来そうですか?」

「……はい」

 丸い腹を無意識にか撫でているダシュトに、トールは二児を出産した男の貫禄を滲ませる微笑みを浮かべて見せた。

「私は三の村一番の医療師です。安心しなさい」

 トールは自信満々そうに火の側に戻っていったが、現代日本人の私には到底安心できそうにない。
 医療が発達していた現代日本ですらも出産時に亡くなってしまう女性は決してゼロではなかったのだ。空気が美味しいことくらいしか美点が思いつかない今の環境で、ダシュトがちゃんと母子……父子共に無事出産を終えられるのか不安でたまらない。
 そわそわハラハラしながらダシュトを見守っていると、トールが両手に何かを持って戻ってきた。
 
「これなら口に入れられるでしょう?」

 木で出来たぐい飲みみたいな器に真っ白い液体が満たされている。それを右手に、左手には鈴カステラみたいなものを三つ持って帰ってきたトールは、にこにこしながらダシュトにそれらを差し出した。

「ありがとうございます」

 不安そうだったダシュトの表情が和らいだ。好物なのかもしれない。
 受け取ったものを嬉しそうに食べ始めたダシュトをじっと見ていると、視線に気づいた妊父と目が合った。

「……」
「……」

 しばし見つめ合う。

「トールさん、あの、この子……お腹が空いているようです」

 私はただ、出産という人生の一大事を迎えようとしている若人を温かい目で見守っているつもりだったのだが、食べ物を狙っていると誤解されてしまったらしい。
 心外だ。

「ティカ、お前は食いしん坊だな」

 笑い含みにそう言ったトールは、再び火の側に行って何やらガチャガチャ音を立ててから藁ベッドへと戻ってきた。今度は醤油さしにノズルをつけたような形状のものを手に持っている。

「ほら、しっかり飲んではやく大きくなるんだぞ。でないとタウカにずっと束縛されることになるぞ」

 揶揄うように語りかけてきながら、トールは私を抱き上げて醤油さしのノズルを口元に近づけてきた。
 私としてはご飯を強請ったつもりはなく、お腹も別に空いていなかったのだが、くれるというのなら有難く貰っておくことにする。ノズルに吸い付くと、口の中に入ってきたのは温められたセレブ飲み物だった。
 美味しいそれをほぼ一気飲みした私を再び藁ベッドに戻したトールは、醤油さしと空になった木製ぐい飲みを手に、集会所の奥へと歩いて行ってしまった。
 やがて食器を洗う音が聞こえてきて、それも止んで、再び火がはぜる音と子供の寝息が空間を満たす。
 やる事も出来る事も何もないので、私は再び眠気を感じてうとうとし始め、意識が途切れた。


 次に私の意識が覚醒した時には、ダシュトは今にも出産しそうなほど陣痛に呻いていた。

「痛い! 痛いいいい!」

「まだいきむな! 俺が今だというまで力を入れるな!」

「無理だあああっ! 痛いっ痛いっ死ぬううううっ!」

 目が覚めたら修羅場が始まっていて、とっても驚いた。

「……だあぁ」

 不意に左手からバブバブ音が聞こえたので体全体で振り返ってみると、赤ん坊仲間の一人が目を覚ましていた。ダシュトの悲痛な声で起きてしまったのかもしれない。
 今は泣いたら駄目だよ、と言う意味のことを「ぶう」と一つの音で表現した私は、仲間が泣きださないように手を伸ばして小さなその手を握りしめた。

「あぶ」

 おそらく気持ちが通じたのだろう。赤ん坊は空気を読んで泣かないでくれた。しかし私に握られていた手をぶんぶん振り回して解くと、何を思ったのかこっちにパンチを繰り出してきた。
 小さくぷくぷくした拳は藁をぶっただけで、当たらなかったし痛くなかったので別にいいのだが、脈絡のない攻撃にビビッてしまった。
 赤ん坊はこういう意表をつくような行動するから苦手だ。
 拳が自分に当たったら嫌なので、左側を背にするように体の向きを変える。

「……」
「……」

 右側で寝ていた赤ん坊と目が合ってしまった。
 キューピーさんみたいに産毛のような髪の毛が逆立っている。肌も白いし目も真っ青だったので本当にキューピー人形のようだ。
 泣かないでね、そして暴力をふるわないでください、という意味でキューピーさんの手の横に自分の拳を添わせると、

「あだ」

 不戦の誓いとばかりにキューピーさんは私の拳を握りしめてくれた。
 残るもう一人の赤ん坊とも是非不戦協定を結びたいと行方を捜す。

「今だ! いきめ!」

「うあああああああああっ!」

 唐突に咆哮を上げたダシュトに、私は全身を揺らして驚愕した。出産しようとしているのだから大声を出すだろうことは予想をしていたものの、「今から叫びます」とも「行くぞ!」とも言われなかったのでびっくりしてしまったのだ。

「ふうううう」

 背中を向けていた左側からびっくりさせられたことに不満を持ったらしい暴力的傾向のある赤ん坊が唸り声を上げた。
 子供を取り上げようとしているトールの手を、泣き喚く赤ん坊によって塞ぐわけにはいかない。
 キューピーさんを見てみると、驚いて目を丸くしているものの泣き出しそうな素振りはない。
 私は拳を開いてキューピーさんと手を繋ぐと、体を左側に倒し、唸っている赤ん坊を振り向いた。

「うぶっ! うぶうっ!」

 口を尖らせて号泣一歩手前な様子で顔をくしゃくしゃにしているその赤ん坊の手を、私は再び握りしめた。

「うぶ」

「ぶー」

 やはり赤ん坊の体ではあやす言葉も1音になってしまう。無力な自分にがっかりしていたが、暴君赤ん坊は自分の拳に重なるふくふくした小さな紅葉に興味を惹かれたようで、きょとんとした顔になって不満を忘れてくれた。
 良かった、何とか赤ん坊を泣かせないで済んだ、と安心した私を嘲笑うように、

「おぎゃああああっ!」

 盛大な泣き声が集会所の中に響き渡った。

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