虚飾城物語

ココナツ信玄

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第八章

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「む……私は……一体どうしていたのだ?」

 昏倒していた艦長が、蹋頓にむくりと上半身を起こした。

「なっ?」

 驚いて、黒い弾丸の雨が向かった島と艦長を交互に見るリディア。しかし驚いたのは彼女だけではなかった。

「どういうことだ!」

「何故? 願いはまだ叶えられていないわ! それなのに……何故!」

 ギュンターとマイラだ。
 二人共顔を赤くし、虚空に向かって怒鳴っている。
 その間にも兵士達は、一人二人、三人と、次々と立ち上がりだしていた。

「ディーマ神よ! 説明されよ!」

「はいはーい」

 ふざけた声音で答え、ディーマは道化の姿でマストの上に現れた。

「ごめんよ。誠に申し訳なくも、相手は私と不可侵を約している神の加護を受けている。だーかーらー駄目だった」

 ちっとも悪びれない古代神に、ギュンターは歯噛みし、歯の間から搾り出すような口調で言った。

「ならば……私達をここから逃がせ!」

 首を仰け反らせて叫んだギュンターに、ディーマはケタケタと腹を抱えて笑う。

「何てこと! 命を掛けて願うことがそれ? 逃げた途端に死んでしまうのにーっ!」

 言われ、ギュンターは険悪な表情で睨む。最早あの人の良さそうな微笑みは浮かんではいなかった。
 ギュンターは暫し口を閉ざして視線を彷徨わせ、そして何かに気付いて再び首を仰け反らせ、マストの上を仰ぎ見た。

「ディーマ神よ! 願いは私をここから逃がすこと。そして代価は……」

 ギュンターは左腕に縋り付いていたマイラの首に剣を押し付け、訝しげな顔で想い人を窺い見たマイラが真意を汲み取る前に、素早く剣の刃を引いた。
 勢い良く鮮血が噴き出し、マイラが甲板に転がる前に、ギュンターは真っ赤に染まった。

「代価はこれだ! 文句はあるまい!」

 飛び散るマイラの血を避けようと、ギュンター達を囲んでいた兵士達の全てが、まるで蜘蛛の子を散らすように逃げた。
 血を浴び、たった一人になっても、ギュンターは勝ち誇った笑みを浮かべている。
 だが、

「駄目―全然駄目。願いを言う本人でない者の命を代償にするなら、きちんと書面にしていただかないと。お客様、残念ながら無駄でした。無駄殺しでした!」

 ケタケタと笑うディーマ神の言葉に、ギュンターは凍りつく。
 とりあえず現在の敵が誰なのかを知り、兵士達は抜刀した剣先をギュンターに向けた。
 じりじりとギュンターを囲む剣の輪が小さくなっていく。

「もう止めろギュンター! これ以上無駄な足掻きをするな! お前は更に王妃殺しの罪を犯した。逃れられると思うなよ!」

 まだ血溜りを広げているマイラの体を見ないように、リディアはギュンターに近付いた。
 大罪を犯した母とは言え、胸が痛かった。

(もう……終わりにするんだ。終わりにしなくてはいけないんだ!)

 海から風が吹き、鉄の匂いをリディアの鼻に届けた。その生臭い匂いに顔を顰め、一瞬リディアがギュンターから目を離した瞬間、ギュンターが船尾に向かって駆け出した。

「待てっ! ギュンター!」

 さして広くも無い甲板を走り抜け、船尾の近くまで来てギュンターは足を止めた。
 そして追ってきたリディアや兵士達を振り返る。

「終わりではない、まだ終わりなどではない!」

「一体何を……?」

「ギュンター候、潔くなされよ!」

 自信ありげに再び微笑みを浮かべたギュンターに怯んで足を止めたリディアの代わりに、ダンが剣を構えて前に進み出た。

「ふん、見習い騎士風情が私に物を言うか? お前もトルトファリアの一部なら、本当に国の益となることを考えたらどうだ!」

「無意味な戦を国益と? 馬鹿げている!」

「馬鹿だと? 何も知らぬくせに! いいか、あの島国には魔法を自由に使える魔人族がいるのだ! その力をトルトファリアが手に入れた時こそ、真の黄金時代が始まるのだ!」

 大きく目を見開き唾を飛ばして言うギュンターに、ダンは眉をひそめた。
 
「候、いかな私が物知らずでも、魔人族が神話上の民族であることぐらい知っています。つまらない言い訳などせず、大人しく裁きを受けてください!」

「神話などではない! 魔人族は本当に」

「覚悟!」

 言葉を遮ってダンが斬りかかる。

「甘いっ!」

 しかし一喝と共にダンは跳ね飛ばされた。
 ダンの手から剣がこぼれ、それを目で追っていたリディアの耳に、衣擦れの音が聞こえた。振り返ると、ギュンターが船尾に備え付けられていた大砲の覆いを取った所だった。
 その大砲は不可思議な姿をしていた。
 砲身は、中央の太い物に寄り添うように細い物が二つ。合わせて三つあり、細い砲身にはそれぞれ、戦いには不必要と思われる大きな赤い石と蒼い石の飾りが付いていた。
 ギュンターは血にまみれた右手を大砲の着火点に伸ばす。しかしそこには導火線は見られない。ただ丸々とした透明の石がはめ込まれているだけだ。

「お前達はいつもそうだ……」

 ばたばたと甲板を蹴って駆けつけてくる大勢の兵士達を見、ダンの傍に寄ったリディアを見、ギュンターは憤懣やるせないといった表情を浮かべた。

「私がいくら訴えても、自らの安寧にかまけて麦の税を見直すことすらしない! そのくせ本当に国のためにと考え、意見する私を嘲笑う。国のためにと魔人族の存在を語る私を、神話に魅せられた愚か者と蔑むのだ!」

 透明の石に手を置き、ギュンターは何を思ったか、再びいつもの人の良い笑顔になった。

「しかしもういい……魔人族は確かにいるのだから。今こそ貴殿らのお目に掛けよう! その目で見れば、私が正しかったのだと分かるだろう!」

 石は赤と青の光を交互に放ちながら振動し始めた。

「これは魔道学を学ぶものに作らせたもの。さしずめ……シーア・シリスの矢とでも呼びましょうか? 魔法とは違えど、威力は先程のお粗末な大砲とは違う」

 光の明滅は見る間に速くなっていき、遂に二つは混じり合って、禍々しいほどに美しい紫色の光になる。

「砲弾に炎と雷を纏わせるのです。小さな島国など焼き尽くしてしまうでしょう!」

 げらげらと笑い出したギュンターの姿に、リディアは立ち上がった。
 手にはダンの剣を握りしめている。

「ギュンター!」

 何も考えず、リディアは走り出した。
 これ以上ないほどに滑稽なお芝居をみているかのように笑いながら、ギュンターは右手に構えた剣を突き出してきた。それでもリディアは止まらず、真っ直ぐに剣を構えたままギュンターの懐に飛び込んだ。
 女の剣だと侮ったのか、砲身を庇ったのか。
 ギュンターは避けもせずにいる。
 二人の体がぶつかり、ギュンターの剣はリディアの剣を絡め取って叩き落し、薄い左肩を貫いた。

「リディア様!」

 ダンの悲鳴に、痛みに意識を飛ばしそうだったリディアは我に返る。
 歯を食いしばってギュンターの体にしがみついた。

「ダン!」

 ギュンターの剣はリディアの肩を貫いたままだ。
 のぞみを託して自分が連れてきた騎士の名を呼べば、主の意図を察しすぐさまダンは剣を拾い上げた。

「クソっ! 無能な女王ごときが! はなせ!」

 剣を持っていない方の手で艷やかな黒髪を掴まれ、ブチブチと嫌な音を立てて毟られる。目から日が出るほど痛い。こんな暴力を一度も受けたことがなかったリディアは、竦んでしまいそうになる己を叱咤してただただギュンターにしがみつく。

「ダン! 頼む!」

「はなせ! はなせぇえっ!」

 ギュンターはリディアの体を引き剥がそうとしていたが、左横の頬から突き出されたダンの剣によって右耳まで貫かれて白目を剥いた。

「うがあっ?!」

 困惑したような声を上げて仰向けに甲板に倒れ込んだギュンターに、ダンは地上を走る獲物を上空から狙う猛禽のように素早く飛びかかると、ブレることなくギュンターの心臓に刃を突き立てた。
 剣を受けた衝撃で四肢をビクつかせたギュンターの体が動かなくなったのを確認し、リディアはその場に膝をついた。
 
「うう……」

 歯を喰いしばり、ギュンターの剣が刺さったままの肩の痛みに息を止める。
 髪もむしられボロボロで、もがく男の手に掴みかかられていた服も脇が破けてしまっている。
 酷い有様だ。
 しかしリディアの顔は痛みに歪んではいるものの、確かに喜色めいたものが浮かんでいた。

(良かった……最悪の事態は免れた。私は間に合ったのだ)

 痛みと義務を果たした安心感からリディアの意識が遠くなりかけた時、船を揺るがす轟音がその耳を劈いた。
 高温の炎と雷を纏ったそれが、蒼い炎の尾を引いて放たれたのだ。

(そんな!)

 発射の衝撃で甲板を跳ねたギュンターの体を振り返るが、彼は確かに死んでいた。見開いた目で虚空を見つめている。

(そんな……私は止められなかったのか?)

 呆然と砲弾が行く様を見ていると、バーディスルの湾岸から橙色の細い光がこちらに向かって来るのが見えた。
 あれが何か、理解することも理解しようとすることも出来ず、肩を貫く剣を抜く事も出来ないままでいたリディアの目の前に、コツンと音を立てて黒い石が一つ、落ちてきた。

「女王陛下、さあどうする? 貴方の命、たった一つだけでこの戦争を終わらせることができるんだよ? さあ、どうする?」

(私は……私は!)

 にやにやと自分を見下ろす道化の思い通りになるのは嫌だ。
 しかし、

(何もしないで居ることなど出来ない!)

 ルークが炎と雷に巻かれて死ぬなど、耐えられなかった。
 リディアは石に縋りつき、それを掲げた。

「ディーマよ、契約だ!」

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