どうやら俺は悪役令嬢の背後霊らしい

遠雷

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2.何者なのかわからない

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 少女が部屋を出ると、身体は彼女に吸い寄せられるように勝手に移動していた。

 廊下を進む進度に合わせて、浮いているように移動して視界が変わっていく。身体の感覚こそないが、周りを見回す事は出来ているので、首は動かせるらしい。両手も、目の前にかざすことができた。

 ただし、物や壁には触れられない。すり抜けてしまうのだ。
 その現象こそがいよいよもって自分は幽霊であるという実感に繋がり、何とも複雑な気分になる。

 死因や原因を考えるのは早々に諦めた。何せ、の事をひとつも思い出せない。
 廊下ですれ違う使用人達が少女に一礼するが、やはり少女以外が見えている様子は無い。

 家令らしき壮年の男性も、馬車の御者も、落ち着いて粛々と仕事をこなしている。


 ずっと少女の後ろに立っていたので、馬車に乗ったら車体の壁に体がめり込むんじゃなかろうかと心配したのだが、どういうわけだか、彼女が座席に座ると、ちょうど向かい合うように自分も座席に座っていた。
 座っている、という感覚はやはり無いものの、間違いなく座っている。けれども走り出した馬車の揺れを感じる事は無い。どうにも不思議だ。

 先ほどは鏡越しに見た少女を、今度は真正面から見ている。
 彼女にも自分の姿は見えていないらしい。女性をじろじろと眺めるのは不躾かと少し躊躇いはしたが、他にどうする術も無いので、開き直って正面に座る彼女を観察することにした。

 背筋を伸ばしてちょこんと座る彼女はやはり、とても美しいと思った。整った顔立ちというのだろう、幼くはあるが将来間違いなく美人になる、つるりとした白い肌に形のよい鼻筋、赤い澄んだ宝石をはめ込んだような双眸。艶やかな黒髪は後ろでまとめられている。濃いグレーと黒を基調にしたシンプルなドレスから延びる腕はすらりと白く、肘まで覆う黒いレースの手袋をしている。

 ──歳の割に随分と暗い色合いの服装だよな。まるで喪服だ……

 ふいに窓の外に顔を向けた彼女につられるように視線の先を追いかけ、納得した。

 ──ああ、喪服みたい、じゃなくてその通り、か。

 白い石碑の並ぶ小高い丘は遠目からでも墓所とわかる。黒い服に身を包んだ人々が集まっていた。今日は誰かの葬式か何かなのだろう。

 その様子と服装で思い当って今度は己の身体をまじまじと観察する。誰にも見えない幽霊とはいえ、場違いな恰好であの中に混ざるのは礼を欠くんじゃないか、そんな気分になって今更ながら己の服装が気になったのだ。
 見える範囲で確認出来るのは黒いスラックスに白いシャツ。ありきたりで、安物では無さそうだが特徴は何も無い。シャツも黒かグレーであったら及第点なのだが、どうにも出来ない。華美でないだけマシかと自問する。

 そもそも、誰にも見えない。多分。要は気分の問題だ。


 ──葬式……葬式か。まさか俺の、じゃあ無いよな多分……。

 まさに今日、幽霊として覚醒したばかりなのだ。こうもタイミングが重なって葬式とくれば、関わりを考えてしまう。思い出せないだけで、実は彼女の親族か何かだったのだろうか。

 その疑惑は会場についてすぐに解決した。先ほど垣間見た彼女の悲哀の理由も。経緯があるにせよ、自分のかと思ってしまった事を恥じた。

 ──母親、か。そうか……。

 集まっている大人達の言葉を拾うだけで自ずと理解出来た。長く病床にあった貴婦人が儚くなった事。最期は家族に囲まれて静かに眠りについた事。

「娘さんはまだ小さいのに、お気の毒で…」

 聞こえてくる憐憫の声が示す少女、セレストは馬車を降りてから少し歩くと、白い花束を受け取り、真新しい墓標に凛とした眼差しを据えて立っていた。泣き出す素振りは見せない。その年頃で、母親の死にこうも毅然と立っていられるものなのか。

 違和感を感じて観察してみれば、花束を持つ指が微かに震えていた。時折唇を噛んでぎゅっと空いた手を握り締めている。湧き上がるものを押しとどめて堪えているように見えた。

「……セレスト」

 ふいに後ろから声がかかり、10代半ばと思しき少年がこちらに向かって歩いてきた。

「……ブラッド兄さま、父さまは?」
「今日は両陛下が参列くださっているから、向こうに居るよ。父上ときたらみっともない事に陛下の前で泣いちゃって、王妃陛下が慰めてくださってる。お前は大丈夫か?」

 兄と呼ばれた少年も、声色はどこか弱弱しく、目じりが赤く腫れあがっている。

「わたくしは気高き母さまの娘ですもの。さいごのお見送りをする姿は、つよくあらねばなりません」

 毅然とした言葉とは裏腹に、声は時々掠れ、震えている。
 兄はくしゃりと泣き出しそうに顔を歪めて彼女の頭をそっと撫でた。



 葬儀が終わると、セレストは来た時と同じように一人で馬車に乗り込んだ。父と兄は来賓と共に故人を悼む酒席に向かうのだと言っていた。この状況で末娘を一人帰すのかと疑問も沸いたが、走り出した馬車の中で彼らがそうした理由を察した。

 彼女は膝の上でドレスを握り締めている。小さな握りこぶしの上に、ぼたりぼたりと水滴が零れ落ちた。
 葬儀の間中ずっと背筋を伸ばして凛と立ち、気丈に振舞っていた彼女は、もしかしたら、人前では泣けないのかもしれない。誰も居ないはずの馬車の中で漸く気が緩んだのか。目の前に見知らぬ男の幽霊が座っているなんて思いもしないだろう。もしもそうなら、彼女の意を汲むなら、見てはいけない気がして視線を彷徨わせるがどうにも落ち着かない。

 時折零れる幼い嗚咽に、また胸が軋むような錯覚を覚える。

 ──強い子だ。でも強すぎて心配になるな……。

 何故、自分はここに居るのだろう。何故、今まさに目の前に座っているのが、彼女の母親の魂でないのだろう。
 己が何者なのかわからない。当然涙を拭ってやる事も出来ないし、どうやら自分の意志で離れる事も出来ないようだ。

 ──君が、誰にも見せなかった涙をこうして盗み見てしまう事を許してほしい。

 懺悔すると、姿勢を正して真正面から彼女と向き合う。わかっているのに見ないふりをして胸の痛みを誤魔化すくらいなら、それがどれほど傲慢であれ、ありのままを覚えておこうと、そう思った。
 彼女の双眸から零れる涙が、このまっさらな記憶の一番初めに焼き付けばいいと願った。
 
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