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14.お前ばっかりずるくない?
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さらに一か月ほど経つ頃には、黒い毛玉犬はすっかり中型犬くらいの大きさまで成長していた。
セレストの隣をついて歩く様はどこからどう見ても飼い犬か番犬である。本人に見えていないのが不思議なくらいだ。
──く……何故だ、また妙な敗北感を感じる……。
得意げな顔をしてセレストの横を歩く犬の表情に、いつぞや魔王みたいな王子の青い火の玉に感じたような、忸怩たる思いを抱えていた。
それでも、あの奇妙な特訓の成果で行動範囲が広がったので、目に見える変化は何も毛玉犬だけではない。
相変わらず何かにこちらから干渉する事は出来ないが、動ける範囲が増したお陰で情報量だけは増えた。といっても、この邸の使用人達は、公爵家に仕えているという矜持が高く生真面目な者が多く、余計なお喋りに花を咲かせる事は滅多にないので、噂の類はそうそう耳に入ることは無かった。
──そう、公爵だと知った時は驚いたな……。
ずっと自発的に動いて話を聞けない身で居たものだから、それを知ったのはつい最近の事だった。高位貴族であろうことも、名家であることも予測は出来ていたが、いざ実際に知ると、自身の置かれた状況の気まずさも相まって、畏れ戦いてしまった。
以前にも増して行動の紳士ぶりに気合が入ったのは言うまでもない。
セレストがあの王子に相対しても全くぶれなかったのも納得が行った。
──……でも最近、どうもマグダネル公が悩んでるみたいなんだよな……あの王子のことで……。
はっきりとした事はわからないが、深夜にくだびれた様子のランドルフが家令と話し込む内容を聞いてしまった。
どうやら、王宮でセレストを婚約者に推す動きがあるようだ。
第三者どころではない不審な幽霊が耳にしていい内容ではなかっただろう。迂闊に聞いてしまってから随分と後悔した。そのうえ、あの王子に対して己が持つ第一印象はお世辞にも良いものではない。何せ魔王もどきだ。
焦燥に加えて、胸のうちにもやもやとした苦いものが降り積もっていく気がした。
◇◇◇
「お嬢様、エリザベス様がお見えになりました」
「マーサ、ありがとう。お茶の準備をおねがいします」
侍女が呼びに来ると、セレストは読んでいた本を置き、わずかに頬を緩めて応えた。
セレストとエリザベスはあのお茶会以来、兄が居なくとも互いの家を訪ねるくらい仲を深めている。
ベッカー家は侯爵だが、マグダネル家に劣らぬ歴史を持つ名家らしい。しかし歴代当主が過度な権力を忌避して陞爵をのらりくらりとかわしているのだとか。家風なのか、マグダネル家に比べると少しだけお喋り好きなベッカー家の使用人から盗み聞きした情報である。
客間ではエリザベスの、令嬢にしては賑やかな声が響いていた。
普段は、良く言えば落ち着いて静謐な、悪く言えば些か静かすぎて少しだけ重苦しいこの邸に、エリザベスが訪れると陽が差し込むように空気が明るくなる。
相変わらずきらきらと美しい蝶の群れに囲まれて歓談する少女達は愛らしい。
「─……それでね、セレスト、もうすぐ貴女のお誕生日でしょう。そのお祝いも兼ねて良ければ是非、我が家の別荘にご招待したいのだけれど、いかがかしら?」
「よいのですか……?」
エリザベスの提案にセレストの頬がぱあっと喜色に染まる。どうやらかなり嬉しいようだ。
服喪の1年間は邸の中で祝い事を行わないのが古くからの習わしらしく、つい先日侍女と料理人が寂し気に話しているのを耳にしたばかりだ。
そんな侍女マーサは家令と並び立ち、廊下でエリザベスに付き添いで来ているベッカー家の使用人に謝辞を伝えていた。
慣習を重んじつつも親しい知己が外に招いて祝うのが定石のようで、エリザベスがその役を買って出たようだ。
仲を深める少女たちを廊下から見守っていると、しばらくして裏玄関のあたりが騒がしくなった。
「窓を、客間の窓をすぐにお閉めください!」
この邸の侍女にしては珍しく慌てている。その後ろを青い顔をしたお抱えの庭師の一人が駆けてくる。
「申し訳ない。うちの者が蜂の巣の処理を誤ったようで──」
庭師が言い切らないうちに客間から悲鳴が聞こえた。
その声に慌てて客間を振り返れば、大きな蜂が数匹部屋に入り込んでセレスト達と対峙していた。
──刺激しなければ刺さない……はず? いや気が立ってる時はどうなんだ。
一瞬でセレストの前まで戻るが、この身体では壁にもなれやしない。
すぐに侍女たちの居る廊下の方に逃げてくれたらいいのだが、廊下と部屋の奥に居るセレスト達の間を、威嚇するように軌道を描いて飛ぶ大きな蜂に、侍女たちもセレスト達も足がすくんでいる。
何か出来ないかと焦っていると、突然目の前を黒い塊が飛び跳ねた。
──……え?
かと思えば、パチッと何かがはじけたような乾いた音と共に、小さな稲妻が走る。次の瞬間には飛んでいた蜂がぽとりとぽとりと床に落ちていく。
「……なんだ、今の? いや、それよりお嬢様がたを」
庭師の男が呆然としながら部屋の中に駆け寄ってくる。手には蓋のついたちりとりのようなものを持ち、床に落ちた蜂を拾い集めた。
目の前で起きた事に、セレストもエリザベスも、侍女たちも呆気に取られていた。
足元を見れば黒い毛玉犬が尻尾を振っている。パリッ、とその身体に小さな稲妻を纏って。
──今の、お前がやったの……?
当然答えなど返ってこないが、毛玉犬は尻尾を振りながら機嫌よくくるくると周囲を駆けると、セレストの横にちょこんと座った。どこか誇らしげに見える。
──ええ……お前ばっかり、ずるくない??
毛玉犬がおかしな力を使った事よりも、彼がそこに干渉出来た事に対する嫉妬の方が随分と大きく心を支配してしまう。それでもひとまずはセレストもエリザベスも無事だ。安堵とも合わさって、深い溜息をついた。
セレストの隣をついて歩く様はどこからどう見ても飼い犬か番犬である。本人に見えていないのが不思議なくらいだ。
──く……何故だ、また妙な敗北感を感じる……。
得意げな顔をしてセレストの横を歩く犬の表情に、いつぞや魔王みたいな王子の青い火の玉に感じたような、忸怩たる思いを抱えていた。
それでも、あの奇妙な特訓の成果で行動範囲が広がったので、目に見える変化は何も毛玉犬だけではない。
相変わらず何かにこちらから干渉する事は出来ないが、動ける範囲が増したお陰で情報量だけは増えた。といっても、この邸の使用人達は、公爵家に仕えているという矜持が高く生真面目な者が多く、余計なお喋りに花を咲かせる事は滅多にないので、噂の類はそうそう耳に入ることは無かった。
──そう、公爵だと知った時は驚いたな……。
ずっと自発的に動いて話を聞けない身で居たものだから、それを知ったのはつい最近の事だった。高位貴族であろうことも、名家であることも予測は出来ていたが、いざ実際に知ると、自身の置かれた状況の気まずさも相まって、畏れ戦いてしまった。
以前にも増して行動の紳士ぶりに気合が入ったのは言うまでもない。
セレストがあの王子に相対しても全くぶれなかったのも納得が行った。
──……でも最近、どうもマグダネル公が悩んでるみたいなんだよな……あの王子のことで……。
はっきりとした事はわからないが、深夜にくだびれた様子のランドルフが家令と話し込む内容を聞いてしまった。
どうやら、王宮でセレストを婚約者に推す動きがあるようだ。
第三者どころではない不審な幽霊が耳にしていい内容ではなかっただろう。迂闊に聞いてしまってから随分と後悔した。そのうえ、あの王子に対して己が持つ第一印象はお世辞にも良いものではない。何せ魔王もどきだ。
焦燥に加えて、胸のうちにもやもやとした苦いものが降り積もっていく気がした。
◇◇◇
「お嬢様、エリザベス様がお見えになりました」
「マーサ、ありがとう。お茶の準備をおねがいします」
侍女が呼びに来ると、セレストは読んでいた本を置き、わずかに頬を緩めて応えた。
セレストとエリザベスはあのお茶会以来、兄が居なくとも互いの家を訪ねるくらい仲を深めている。
ベッカー家は侯爵だが、マグダネル家に劣らぬ歴史を持つ名家らしい。しかし歴代当主が過度な権力を忌避して陞爵をのらりくらりとかわしているのだとか。家風なのか、マグダネル家に比べると少しだけお喋り好きなベッカー家の使用人から盗み聞きした情報である。
客間ではエリザベスの、令嬢にしては賑やかな声が響いていた。
普段は、良く言えば落ち着いて静謐な、悪く言えば些か静かすぎて少しだけ重苦しいこの邸に、エリザベスが訪れると陽が差し込むように空気が明るくなる。
相変わらずきらきらと美しい蝶の群れに囲まれて歓談する少女達は愛らしい。
「─……それでね、セレスト、もうすぐ貴女のお誕生日でしょう。そのお祝いも兼ねて良ければ是非、我が家の別荘にご招待したいのだけれど、いかがかしら?」
「よいのですか……?」
エリザベスの提案にセレストの頬がぱあっと喜色に染まる。どうやらかなり嬉しいようだ。
服喪の1年間は邸の中で祝い事を行わないのが古くからの習わしらしく、つい先日侍女と料理人が寂し気に話しているのを耳にしたばかりだ。
そんな侍女マーサは家令と並び立ち、廊下でエリザベスに付き添いで来ているベッカー家の使用人に謝辞を伝えていた。
慣習を重んじつつも親しい知己が外に招いて祝うのが定石のようで、エリザベスがその役を買って出たようだ。
仲を深める少女たちを廊下から見守っていると、しばらくして裏玄関のあたりが騒がしくなった。
「窓を、客間の窓をすぐにお閉めください!」
この邸の侍女にしては珍しく慌てている。その後ろを青い顔をしたお抱えの庭師の一人が駆けてくる。
「申し訳ない。うちの者が蜂の巣の処理を誤ったようで──」
庭師が言い切らないうちに客間から悲鳴が聞こえた。
その声に慌てて客間を振り返れば、大きな蜂が数匹部屋に入り込んでセレスト達と対峙していた。
──刺激しなければ刺さない……はず? いや気が立ってる時はどうなんだ。
一瞬でセレストの前まで戻るが、この身体では壁にもなれやしない。
すぐに侍女たちの居る廊下の方に逃げてくれたらいいのだが、廊下と部屋の奥に居るセレスト達の間を、威嚇するように軌道を描いて飛ぶ大きな蜂に、侍女たちもセレスト達も足がすくんでいる。
何か出来ないかと焦っていると、突然目の前を黒い塊が飛び跳ねた。
──……え?
かと思えば、パチッと何かがはじけたような乾いた音と共に、小さな稲妻が走る。次の瞬間には飛んでいた蜂がぽとりとぽとりと床に落ちていく。
「……なんだ、今の? いや、それよりお嬢様がたを」
庭師の男が呆然としながら部屋の中に駆け寄ってくる。手には蓋のついたちりとりのようなものを持ち、床に落ちた蜂を拾い集めた。
目の前で起きた事に、セレストもエリザベスも、侍女たちも呆気に取られていた。
足元を見れば黒い毛玉犬が尻尾を振っている。パリッ、とその身体に小さな稲妻を纏って。
──今の、お前がやったの……?
当然答えなど返ってこないが、毛玉犬は尻尾を振りながら機嫌よくくるくると周囲を駆けると、セレストの横にちょこんと座った。どこか誇らしげに見える。
──ええ……お前ばっかり、ずるくない??
毛玉犬がおかしな力を使った事よりも、彼がそこに干渉出来た事に対する嫉妬の方が随分と大きく心を支配してしまう。それでもひとまずはセレストもエリザベスも無事だ。安堵とも合わさって、深い溜息をついた。
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