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3章 サマク商国
60.サマク商国
しおりを挟むそれは体感したことがない速度だった。
悲鳴をあげようにも風圧で声が出せず、口を開けようものなら熱気と砂で口内は大きな損傷を受けそうだ。
呼吸ができずに肺に自動的に致死量の酸素が放り込まれては出ていく。
竜巻に呑み込まれたらきっとこういう風になるのだろう。
実際には何も考えることができず、ただ渡された紐を自分の命と思って握りしめるだけだった。
粗末な丸太舟のソリなど生易しいものではない。
人を殺すことができる音速の乗り物だ。
後に街におろされたたてのりは珍しく饒舌に語った。
「…見ろ、門や!人もおるぞ!いやネコか!」
速度に慣れたのか、命を失ったのかわからないもののなんとなく速度が緩やかになってきたと感じ始めたとき、タスクがそう叫んだ。
セバスチャンはそれを受けて肩を元の形に仕舞うと一気に速度を落とした。
「カハッ…ハッ…ハ…」
「ぜえ…ぜえ…」
反動で前に飛ばされそうになる一行をタスクとセバスが前後から支える。
走行中に飛ばされないようにとの配慮で前にされていた莉音は久しぶりの自我で行う呼吸が上手くいかず咽せた。
後ろから等加が咄嗟に防御膜を張って保護してのこの有様である。
呼吸や熱気だけでなく、莉音と等加が飛ばされないようにと自身の体で支えていたアルアスルとたてのりは舟の上で倒れた。
「た、た、タス…ゲホッ、ゲホッ!タスク…こ…これはいくら、なんでも…し…死ぬ…ぞ…!」
「でも日が高いうちに街まで来られた!最初からこうしとけばよかったんや」
自分で生み出した速い乗り物に乗り慣れているタスクは平気そうに笑う。
セバスチャンは油が底をつきかけているようで緩慢な動作になっていた。
「ここがサマク商国…」
街を囲んで佇む大きな壁は端が見えず圧巻だ。
砂嵐から街を守っている防波堤のようなものだが、美しい装飾やペイントが施されていて随分と派手である。
少し向こうに見える巨大な門には大荷物の商人猫たちが列をなして荷物の確認をされているようだった。
「ちょ…っと、待て…うっ……」
門に向かうふわふわの猫を奇声をあげて追いかける等加やすっかり観光気分で目を輝かせる莉音とタスクを、最後尾でまだ丸太舟からも降りられていないたてのりが引き止める。
乗り物酔いが酷いたてのりの背中をアルアスルが憐れみの目で摩った。
「やあ、あんちゃん人売りか?珍しいもんばっか連れてんなぁ!儲かってんにゃろ」
誰も見向きもしない気分の悪いたてのりに仕方なく付きっきりになったアルアスルに通りすがりの猫人が声をかけてくる。
「見ぃへん顔やな。どこの店のもんや?」
二足歩行をしてはいるが、アルアスルのように皮膚や髪を持つヒューマン型ではない。
やけにきちんと着飾ったふわふわの猫である。
店を持たないアルアスルはどう誤魔化したものかと口籠るが、そこに服を着た二足歩行の猫に興奮した等加が飛んで戻ってきた。
「ネコチャン!カワイイ!」
「まーえらい別嬪さん!俺ぁフトンや。そこのホテル経営してんだが、そっちの商品は具合い悪そうやな。泊まって行かんか?安うしとくで」
「フトン…?カワイイ…」
商品扱いされたたてのりは馴れ馴れしい猫人を睨みつける。
「いくらや?…ほお…」
アルアスルはたてのりと猫人の間に入って視線を遮ると、ふたりで金額の相談を始めた。
「ええやんか!乗った!ほなフトン、3部屋で頼むわ。えーっと…ミツアミで頼む」
「なんや、人売りやないんか?髪結いかよ。ええモデル連れてんなぁ…ほな待ってるで~!」
フトンと名乗った二足歩行の猫は颯爽と門に向かって去っていった。
セバスチャンは丸太舟を捨ててたてのりを抱え上げる。
門の列はかなり長い。早く行かないと灼熱の中余計な体力を持って行かれそうだ。
ワクワクが表情に現れすぎているタスクと莉音、前後の猫たちにちょっかいをかけそうな等加にたてのりを抱き上げたセバスチャンとアルアスルが続いて並ぶ。
アルアスルは首に巻いている橙色のスカーフを広げると頭から首までを綺麗に覆って顔がなるべく見えないようにした。
「どうしたんやアルちゃん?」
「…名前で呼ぶな、莉音。サマクでは本名で呼ぶのはかなり目立つねん。家族でしか呼びあわん…普段は一発で何の仕事についてるかわかるような源氏名で呼び合うのが普通なんや」
アルアスルは声を顰めて言うと、周囲に聞こえないように一行を小さく集める。
「ええか、サマクはみんなが商人や。全員が店を持っとる。やから、その源氏名がない猫は不審者なんや…アルアスルの名前は盗賊として広まってしもてるから、バレたら即お縄や。俺をアルと呼んだらあかんぞ。ミツアミにしろ。俺は髪結いのミツアミ」
「ミツアミ」
「そうや。頼むぞ」
アルアスルが何度も注意事項を繰り返し、最も不安な莉音にミツアミを繰り返し言わせているうちに門はどんどんと近づいてくる。
門の左右には見上げて首が痛くなるほど大きな、魚を抱えた猫の置物が対になって飾られていた。
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