小さな恋のトライアングル

葉月 まい

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温かく広がる世界

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翌日。
朝食を食べると真美は部屋の掃除や洗濯を手伝い、明日から営業出来るようにあちこちを綺麗に整えた。

「ありがとね、真美ちゃん」
「いいえ。お二人で切り盛りするのは大変ですね。またお休みの時にはお手伝いに来ますね」
「まあ、嬉しいわ。いつでも待ってるから」

見送ってくれる両親に手を振って、5人は東京に戻った。

「じゃあね、岳くん。またね」
「うん。またな、いつき」

駅のロータリーで樹は明るく岳に手を振る。
岳も普段と変わらない様子で樹を見送った。

そこから5分ほどで都のマンションに着く。

「潤、真美ちゃん。色々本当にありがとね。これ、樹からお車代って預かったの」

そう言って都は潤に封筒を差し出す。

「え、いいよ。もらえない。もともと俺の車で行く予定だったんだから」
「いいから、受け取って。でないと私がパクッたことになるじゃない。それに真美ちゃんにもお礼がしたいって言ってたから。二人で何か美味しいものでも食べて来たら?」
「そうだな。じゃあ、ありがたく受け取らせてもらうよ」
「うん」

潤が受け取ると、都は真美に向き合った。

「真美ちゃん、今回もとってもお世話になりました。ありがとう」
「いいえ、私なんて何も。ご実家に泊まらせていただいて、とても楽しかったです。ご両親にもよろしくお伝えください」
「ええ。すぐに、また遊びにおいでーってうるさく誘われると思うわ。許してやってね」
「とんでもない。私の方こそまた行かせていただきたいですから」

真美がそう言うと、都は潤を小突きながら囁いた。

「はー、いいお嫁さんが来てくれたもんだわ。潤、一生分の親孝行だわね。明日しっかり真美ちゃんのご両親に頭下げて来るのよ?」
「分かってる」

潤が真剣に頷くと、都もエールを込めて頷き返した。

「じゃあね、がっくん。とっても楽しかった。また遊ぼうね」

最後に真美が岳の前にしゃがみ込む。

「うん!おれもまみとあそべてたのしかった。いっぱいしゃしんとったし」
「そうだね。また今度見せてね」
「わかった」

岳と都に見送られて、潤と真美は車でマンションに戻った。



「ただいまー」

玄関で靴を脱ぐと、真美は潤をソファへと促す。

「運転お疲れ様でした。今コーヒーを淹れますね」
「ありがとう」

洗濯機を回しながらコーヒーを飲んでいると、ふと潤が思い出したように顔を上げた。

「そう言えば、樹さんが親父達に用意してくれてた手土産、なんかすごくなかった?」
「思いました!桐の箱に入ってましたよね?色鮮やかで芸術品みたいな和菓子。あんなの、見たことありません。味もとっても美味しかったし」
「だよな。どうしよう、俺。真美の実家への手土産、普通のお店で買っちゃったけど……」
「全然問題ないですよ。私だって潤さんのご実家に、普通の手土産持って行っちゃいましたから」
「いやいや、充分だよ」

そして潤は、チラリと不安そうに真美に目をやる。

「真美の実家、望月ホールディングスとかじゃないよな?」

ゴホッと真美はコーヒーにむせた。

「ご冗談を!だいたい、望月ホールディングスなんて聞いたことないですよ?」
「それなら良かった。いやー、姉貴の話が忘れられなくてさ。だけど俺、真美のご両親がどんなにセレブでも、絶対に真美を諦めたりしないから」
「ありがとうございます。と言いたいところですけど、全くの杞憂ですので。うちは至って普通の家庭です。潤さんの話も電話でしましたけど、良かったわねーって喜んでました。逆に私が潤さんのご両親に認めていただけるかを心配してました。大丈夫でしょうか?私」

は?と潤は聞き返す。

「大丈夫って、何が?」
「ですから、潤さんとの結婚。反対されないでしょうか?」
「何をとぼけたことを。前のめりなうちの両親、見ただろ?あれでどうやって反対するなんて思うんだ?」
「でも私、きちんとご挨拶出来なくて。結婚のお許しをいただいた訳ではないですし」

不安そうにうつむく真美に、潤は正面から向き直る。

「真美、そのことなんだけど」
「はい、なんでしょう?」
「実は俺が両親に言ってあったんだ。岳のいる前で俺と真美の結婚の話はしないでくれって」

え?と真美は驚く。

「ごめん、これは俺のわがままなんだ。改めて真美にお願いする。岳に俺の口からきちんと伝えるまで、結婚は待って欲しい」
「がっくんに……?」
「ああ。これから岳は、樹さんのことで情緒不安定になるかもしれない。そこに真美が結婚することになったら、変化についていけなくなると思う。少しずつ、岳の様子を見ながら進めていきたい。ごめんな、ちゃんと真美に伝えもせずにいて」
「ううん、私も同じ気持ちです。何よりもがっくんの心を大切にしたい。結婚するのは、いつだって構いません。潤さんと一緒に暮らせるだけで幸せだから」
「真美……。ありがとう。明日、ご両親にもきちんとお願いするから」

はい、と真美は笑顔で頷いた。



次の日。

潤は朝から念入りに身支度を整え、何度も深呼吸して気持ちを落ち着かせていた。

「こんな潤さん、初めて見ます。いつもどんなクライアントにも、落ち着いて対応してるのに」
「いやー、これ以上緊張する場面なんて、人生で2つとないよ」
「そうですか?普通に雑談しに行くだけなのに」
「そんな訳ないだろ!真美、娘を持つ父親の気持ちを考えてみろ。手塩にかけて育てた可愛い可愛い娘を、どこの馬の骨とも分からん男に取られるんだぞ?もう俺、お前に真美はやれるかー!って、殴られるのを覚悟して行く」

あはは!と真美は声を上げて笑い出した。

「やだ!潤さんったら、テレビの見過ぎ。しかも昭和のホームドラマ。ちゃぶ台バーン!って?」
「そう。お茶がバシャーッてこぼれて、真美が『お父さん、やめて!』って俺をかばってくれるんだ」
「あはは!潤さん、その小芝居やりたいの?お父さんにやってって頼んであげようか?」
「いい、遠慮する」

真顔でブルブル首を振る潤に笑いながら、真美は明るく「じゃあ、そろそろ行きましょうか!」と言った。



「ただいまー」

車で埼玉の真美の実家に着くと、まずは桁違いに大きなお屋敷ではないことに潤はホッとする。

だが閑静な住宅街にある大きな洋風の一軒家は真新しく綺麗で、真美が何不自由なく大切に育てられたであろうことがうかがえた。

門扉を入り、アプローチを進んで玄関を開けた真美に続いて、潤も後ろに控える。

「あら、真美。おかえりなさい」
「ただいま、お母さん。お父さんは?」
「いるわよ。もう朝からソワソワしちゃって、何度もスーツを着替えてるの。笑っちゃう」
「ふふっ、お父さんも緊張してるんだ。じゃあ、あれかな?ちゃぶ台返しとか、やりたいのかな?」
「ああ、娘はやれるかー!ってやつ?ちょっと憧れてるかもね」

聞こえてきた真美と母親の会話に、ギクリと潤は身を縮こめた。

「潤さん、入ってください」

真美が振り返って声をかけ、潤は頷いて玄関に足を踏み入れる。

「失礼いたします。初めまして、五十嵐 潤と申します。本日はお時間を頂戴しまして、誠にありがとうございます」
「あらやだ!なんてかっこいいの。初めまして、真美の母です。素敵な方ねー、真美。ちょっと、お父さー……、わっ!びっくりした」

母親が振り返って2階に声をかけようとすると、廊下の角から顔を半分出して、こちらの様子をうかがっている父の姿があった。

「そんなところで何やってるのよ?怖いからちゃんとこっちに来て」

母に手招きされて父はじわじわと近づく。

「初めまして、真美の父の望月 修一です」
「初めまして、五十嵐 潤と申します。本日は折り入ってご挨拶に参りました。どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ。さあ、上がってください」
「はい、失礼いたします」

和室に入ると、潤は座布団の横で正座し、手土産を差し出した。

「ご丁寧にありがとうございます。まあ、美味しそうなケーキ!早速いただいてもいいかしら?」
「はい、もちろんです」

立ち上がって紅茶を淹れに行く母に、手伝おうと真美も立ち上がると、いいから、と母に止められた。

確かに父と潤をいきなり二人にするのは気まずそうで、真美は再び潤の隣に腰を下ろす。

「潤さん、掘りごたつですから、足を崩してくださいね。お父さんも」
「ああ、そうだな。五十嵐さんも、どうぞ楽にしてください」
「はい、ありがとうございます」

3人で座り直すと、えーっと、と父が切り出した。

「五十嵐さんは、その若さで既に課長でいらっしゃるとか。素晴らしいですね」
「いえ。比較的新しい事業部なので、私が特別若い訳ではありません。小さな部署ですし、課長とは名ばかりの未熟者です」

するとティーポットとカップを運んできた母が会話に加わる。

「時代が違うわね、お父さん。こんなにイケメンで若い方が課長さんだなんて」
「母さん、イケメンは関係ないだろう?」
「あるわよー。毎日一緒に働くなら、イケメンのもとで働きたいわ。ねえ、真美。あなたも毎日イケメンの五十嵐さんと一緒に働いてるうちに、好きになったんでしょう?」

真美が、いや、あの、と否定しようとすると、潤が先に口を開いた。

「いいえ、私の方から真美さんを好きになりました。もちろん会社での真美さんの仕事ぶりも信頼しておりましたが、私が本当に真美さんに惹かれたのは仕事の場ではありません」
「あら、じゃあ一体真美のどこに?これと言って取り柄もない子ですけど」
「私は訳あって、海外に出向中の姉の息子を預かることになったのです。まだまだ手がかかる4歳の甥に、叔父としてどう接しようかと悩んでいた私を、真美さんが助けてくれました。真美さんは純粋で優しく、子どもの心に寄り添える温かい人です。甥も私も、どんなに真美さんに救われたか分かりません。そして今も、真美さんは私の家族を大切にしてくれています。私は真美さんに心から感謝し、一生をかけて真美さんを幸せにしたいと思っております」

まあ……と母は目を潤ませる。

「そう、真美のそんなところを見てくださっていたのね。この子は、子どもの頃から引っ込み思案で、なかなか思うようにお友達とも遊べない子でした。親としてはそれが心配で……。きっと男性とおつき合いするのにも消極的でしょうから、結婚も難しいかなと思っていました。それがいきなり、結婚したい人がいるから会って欲しいって言われて、もうびっくり!ねえ、お父さん。しかもこんなに素敵な方と。ああ、本当に良かったわね、真美」
「お母さん……」
「真美。あなたは親戚が集まる場でも、大人との会話より、従兄弟の小さな子ども達を集めて面倒見てるでしょう?誰もその姿に気づかない。大人達がお酒を飲んで盛り上がっている横で、あなたは子ども達が退屈しないように、楽しくお話している。なんて言うのか、真美は道端に咲くタンポポみたいな子だなって思ってたの。母親から見ればいいところはたくさんあるけれど、果たしてあなたの良さに気づいてくれる人なんているかしら?って。だけど、五十嵐さんは真美をちゃんと見てくださっていたのね。お母さん、それが何より嬉しいの」

照れくさそうに目に浮かんだ涙を拭う母に、父も頷く。

「そうだな。真美は控えめで大人しく、真面目な子だ。親としてはそれでいいが、時代の流れには乗れないだろう。今どきの女の子はみんな、バラのように華やかだ。タンポポに目を留める人はなかなかいない。真美は好きな人が出来ても自分から打ち明けたりはしないだろうから、寂しい思いをするんじゃないかって気をもんでいた。それが五十嵐さんのような素晴らしい人に慕われるなんて。親にしか分からない真美の良さを気づいてもらえたなんて。父さんも、それが何より嬉しいよ」
「お父さん……」

真美の目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。

「五十嵐さん、私達は心からあなたに感謝いたします。どうか娘のそばにいてやってください。よろしくお願いいたします」

両親は揃って頭を下げる。

「そんな、こちらこそ。お二人の大切な真美さんを、私が必ず幸せにいたします。真美さんの温かく優しい心を守り、いつも笑顔でいてくれるよう、どんな時もそばにいます。どうか、私を真美さんと結婚させてください。よろしくお願いいたします」

潤は正座をし直し、両手をついて深々と頭を下げた。
真美もその横で頭を下げる。

皆で頭を下げ続け、沈黙が広がる中、やがて母がふふっと笑った。

「これ、誰かが『はい、カットー!』って止めてくれないのかしらね?」
「ははは!そうだな。やめ時が分からん」

両親のセリフに、真美も潤と顔を見合わせた。

「確かに。あ!すっかり紅茶も冷めちゃった。私、淹れ直してくる」
「いいよ、真美。それもなんだかいい思い出だから」

潤がそう言うと、両親も顔を見合わせて笑った。

「そうね。何十年か経ったら思い出して笑いましょ。あの時、すっかりぬるくなった紅茶とケーキを食べたわよねーって」
「ああ、いい思い出だ」

そして4人は、ぬるい紅茶とふにゃっとしたケーキを食べながら、美味しい!と笑い合った。



改めて結婚の時期と引っ越しについて話し、そういうことならと、両親も快く事情を受け入れてくれた。

和やかに食事を囲んでから、二人は実家をあとにする。

「潤さん、結局寸劇出来ませんでしたね」

帰りの車の中で真美がそう言うと、潤はふっと頬を緩めた。

「いいよ。だってちゃぶ台じゃなかったし、実際にバシャーってお茶をこぼしたら、拭くのが大変だから。でもお父さんはやってみたかったのかな?お前に娘はやれるかー!ってやつ」
「ふふふ、どうかな?ちょっと憧れてるんじゃないかって、お母さんは言ってたけど」
「それなら今度、お酒飲んだ時にでもお父さんとやってみるよ」
「あはは!楽しそう。私、ビデオ撮るね。お母さんと一緒に」
「うん。お母さんに、『はい、カットー!』って言ってもらわないとな」

真美はお腹を抱えて笑い出す。

「もう想像するだけで笑えちゃう。絶対やってね、潤さん」
「ああ。だけど今日は本当に良かった」
「え?何が?」
「俺、最初はこれでもかってくらい緊張してたけど、お父さんとお母さんの言葉に感動したよ。お二人から真美の話を聞けて良かった。素晴らしい日になったよ」
「潤さん……」

真美はまたしても涙が込み上げてきた。

「真美、家族が増えるっていいな。真美と結婚すると、温かい世界が広がっていくような気がする」
「私もです。潤さんと結婚すれば、がっくんやお姉さん、樹さん、それにお父さんとお母さんとも家族になれる。毎年お正月に楽しく集まれるんだって思ったら、とっても嬉しくて。幸せへの扉が開けたような気がします。なんだか大げさかな?」
「そんなことない。俺もそう思うよ」

信号が赤に変わり、潤はブレーキを踏んで真美を見つめる。

タンポポのような可愛い真美の笑顔に目を細めると、そっと肩を抱き寄せて優しくキスをした。
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