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すっぴんの再会
翌朝、朝食を食べながらどこに買い物に行こうかと考えていた菜乃花は、突然鳴り出したスマートフォンに驚いて慌てて表示を見る。
「えっ!どうして…」
あれだけ忘れようと心に決めた春樹からの着信だった。
(連絡先、消去しておけば良かったな。あ、私が消去したところで、先輩からはかかってきちゃうか)
ぶつぶつと考えてから、とにかく出てみることにした。
「もしもし」
「あ、菜乃花?朝からごめん。昨日はありがとな」
「いえ、こちらこそ。素敵な結婚式にお招きいただきありがとうございました」
「ありがとう。ところで菜乃花、化粧ポーチ失くしてない?」
「は?」
思わぬ言葉に、菜乃花は拍子抜けする。
「ポーチ、ですか?」
「うん。実はさっき、昨日菜乃花達と同じテーブルだった俺の同級生から電話があってさ。引き出物の紙袋の中に、Nってイニシャルのポーチが入ってたって。写真撮って送ってもらったら、なんか菜乃花が持ってそうな感じのポーチなんだ。薄いオレンジ色で、花の刺繍が入ってる…」
「あ!それ私のです」
そう言って、急いで記憶をたぐる。
(確か披露宴の途中で化粧室に行って、戻って来てからバッグにポーチを入れようとしたらキャンドルサービスが始まったから、取り敢えず引き出物の紙袋に入れたんだっけ)
それから…えっと?と考え込み、あ!と声を上げる。
「私、自分の紙袋を間違えてお隣の男性に渡してしまったかも!」
「ああ、そうみたいだな。途中で退席した時、追いかけて渡してくれたってそいつが言ってる」
「ごめんなさい!間違えて渡すなんて、私ったら失礼なことを…」
「ははは!菜乃花のおっちょこちょいは今も健在だな」
恥ずかしくて顔が赤くなる。
「本当にすみません。私、その方のご自宅まで取りに伺います」
「いや、そいつが今から届けに行くってさ。菜乃花、今日休み?だったら菜乃花の最寄駅のロータリーに11時に待ち合わせでいいか?」
「いえ!あの、そんな。私のミスですから、私が伺います」
「でも化粧ポーチがないってことは、すっぴんで電車に乗って取りに行くことになる。女の子にそんなことさせちゃいけないって有希が言うんだ。だから気にするな」
(ゆきさん?あ、奥様か)
昨日の幸せそうな新婦の姿を思い出す。
(綺麗な上にそんな気遣いもしてくださるなんて。本当に素敵な人だなあ)
ぼんやり考えていると、「じゃあ、そういうことで」と電話を切られそうになる。
「あ!あの、春樹先輩。私、すっぴんでも全然構わないので、私がその方の所へ…」
そこまで言った時、ふいに電話口の向こうからアナウンスの声が聞こえてきた。
『日本ウイング航空 841便にてシンガポールにご出発のお客様は…』
ん?と菜乃花は首をひねってから、すぐに状況を把握した。
「すみません!先輩、これから新婚旅行に行かれるんですね?」
「そうなんだ。今空港で、あんまり時間がなくて」
「分かりました!では11時にその方と待ち合わせでお願いします」
「了解、伝えておくよ。じゃあな」
「はい、ありがとうございました。先輩、素敵な新婚旅行を」
「おう!ありがとな」
電話を切り、菜乃花はふうと小さく息をつく。
「びっくりしたなあ」
そして改めてバッグの中と引き出物が入っていた紙袋を確認する。
やはりどこにも化粧ポーチはなかった。
昨日、あの男性が引き出物を持たずに出て行ったのに気づいた時、慌てて自分の紙袋を掴んでしまったのだろう。
(私ったら…。ありがた迷惑とはこのことね)
とにかく約束の時間を守り、お会いしてきちんと謝罪しようと、菜乃花は急いで支度を始めた。
とはいえ、もちろん化粧は出来ず…。
アイボリーのニットに赤いスカートを合わせると、肩下まである髪を軽く巻いた。
ロングブーツを履き、コートを羽織ってから玄関の姿見を覗き込む。
「あはは、すっぴんの顔だけ浮いてる」
この顔なら、スウェットの上下にボサボサの髪型、サンダルを履いた方がトータルコーディネートとしてはいいだろう。
だが、わざわざポーチを届けに来てくれる男性にそんな姿でお礼を言う訳にはいかない。
菜乃花は仕方なく自分を納得させて玄関を出た。
最寄り駅へは、歩いて10分で着く。
到着して時計を確認すると、10時45分だった。
ロータリーを見渡してみても、それらしい人はいない。
(まだ早いもんね)
菜乃花は人の邪魔にならない所に立って、のんびり待つことにした。
(えーっと、どんな人だったっけ?)
思い出そうとしても、顔が思い浮かばない。
(うーん。スーツを着てたような…って、当たり前か)
仮にも披露宴の間ずっと隣に座っていた人だし、あとを追いかけて短いながらも会話した相手なのに…と、自分に苦笑いする。
(背は高かったような気がするのよね。声をかけた時、やたら見上げて話したもの)
それ以外は思い出せない。
我ながら酷い記憶力だと呆れた時、ロータリーにすーっと滑るように1台の車が入って来た。
菜乃花のすぐ前に止まると、運転席から男性が降り立つ。
Vネックの紺のニットにオフホワイトのパンツを履きこなした男性は、運転席のドアを閉めると真っ直ぐに菜乃花に近づいて来た。
「えっと、君が鈴原さん?」
「あ、はい!そうです」
ぼんやり男性を眺めていた菜乃花は、この方か!と慌てて頭を下げる。
「あの、昨日は大変失礼いたしました。今日はわざわざ届けに来てくださってありがとうございます。お忙しい中、本当に申し訳ありません」
「いや、大丈夫。でも良かった、すぐに分かって」
え?と菜乃花は首を傾げる。
「ほら、女の子はすっぴんだと別人になるって言うからさ。どれくらい変わってるんだろうって、ずっと考えながら来たんだ。でもすぐ分かったよ、昨日の子だって」
「あ、そうでしたか。すみません、化粧のしがいがない顔で…」
「ははは!あ、いや、ごめん。そんなことないよ。君、真面目な顔して面白いこと言うね。おっと、肝心なものを忘れるところだった」
そう言って男性は助手席のドアを開けると、菜乃花のポーチを取り出した。
「はい、これ。君のもので間違いないかな?」
「あ、はい。間違いありません。お手数をおかけして、本当に申し訳ありませんでした。あの、今日は時間がなくて手ぶらで来てしまいまして。後日、改めてお礼をさせてください」
「まさか、そんな。気にしなくていいよ」
「でも、私がお伺いしなくてはいけない立場なのに、わざわざ来てくださって…」
「本当に気にしないで」
「でしたら、せめてご住所だけでも。お礼の品を送らせていただきます」
「いいってば。でもそんなに言うなら、昼食つき合ってもらえる?」
「は?昼食、ですか?」
「そう。お腹空いたから、この辺りで何か食べようと思ってたんだ。どこか良い場所知らない?」
はあ、と気の抜けた返事をしながら、菜乃花は考える。
「えっと、有名なお店ではないのですが、地元では人気のあるトラットリアがあります」
「へえ、いいね。車で行ける?」
「はい。駐車場もありますし、ここから5分くらいで着きます」
「よし、そこにしよう。乗って」
「え?ええ?!」
「ほら、早く」
ドアを開けて促され、菜乃花は仕方なく助手席に乗り込む。
「じゃあナビよろしく」
「あ、はい」
菜乃花の道案内で、無事にお目当ての店に到着した。
「おお、なかなか雰囲気がいいね。オシャレというよりはちょっと無骨な感じで」
「ええ。夜は照明も控えめで、また違った雰囲気になりますよ」
「そうなんだ。じゃあ次回は夜に来よう。ランチメニューは何がオススメ?」
「ここのリゾットは特に美味しいです。半分に切った大きなチーズにリゾットを入れて、目の前で仕上げてくれるんです」
「へえ!じゃあそれにしよう。あとは、サラダとピザと…」
何品かオーダーしてスタッフが立ち去ると、菜乃花はおずおずと顔を上げる。
「あの…。少し失礼して化粧室に行ってもよろしいでしょうか?」
「ん?ああ!そうだったね。もちろん、どうぞ」
「すみません。変わり映えはしませんが、一応身だしなみとして…」
「あはは!そんなことないから。どうぞごゆっくり」
「はい、失礼します」
菜乃花は化粧ポーチを手に立ち上がった。
「うわっ、薄い!」
鏡に映る自分の顔に思わず突っ込む。
綺麗な内装の化粧室で、服装だけはきっちりした分、余計にすっぴんの顔が浮いて見えた。
菜乃花は自分に苦笑いしてから、早速メイクを始める。
普段からナチュラルメイクで、外出先でメイク直しもしない為ポーチは持ち歩かないのだが、さすがに昨日は違った。
それにしても、メイク前とメイク後のビフォーアフターの顔を男性に見せるというのは、今更ながらかなり恥ずかしい。
ササッと普段通りの軽いメイクにしてから、菜乃花は化粧室を出た。
◇
菜乃花が席を外している間に、颯真はスタッフを呼んでクレジットカードを渡す。
「先にお会計を」
「かしこまりした」
既にドルチェまでオーダーしており、おそらく追加で注文はしないだろう。
レシートとクレジットカードを財布にしまったところで、菜乃花が戻って来た。
「お待たせしました」
うつむいて気恥ずかしそうにしながら席に着く。
確かに先程より目元がくっきりと美しく整っているが、すっぴんでも充分綺麗だったなと改めて思う。
逆に、すべすべした肌の潤いが隠れてしまってもったいない。
そんなことを考えていると、料理が運ばれてきた。
菜乃花が手際良くサラダを取り皿に分けて、颯真に差し出す。
「どうぞ」
「ありがとう」
食べながら、ふと思い出して颯真が尋ねた。
「そう言えば君の下の名前、『なおこ』でも『なおみ』でもないんだって?」
え?と菜乃花は突然の話題に首を傾げる。
「ポーチにNのイニシャルが入ってたから、春樹に聞いたんだ。『なおこさん』か『なおみさん』は列席者の中にいるか?って。そしたら春樹、笑ってた。『な』で始まるけど違うって。だからずっと考えてたんだ。他にどんな名前があるかなって。な、な、な…。あ!奈々さんとか?」
菜乃花はクスッと笑って首を振る。
「違います」
「えっ!まだ他にあるの?なんだろう…」
颯真はフォークを置いて真剣に考え込む。
「な、な、な…。あー、ごめん。降参」
ふふっと笑ってから菜乃花は口を開いた。
「私、鈴原 菜乃花と申します」
「なのか?!はあー、それは全く思い浮かばなかった。そうか、なるほど。『なのか』なのか」
「あはは!ダジャレお上手ですね」
「いや、ごめん。そんなつもりは…」
「あの、失礼ですけど、私もあなたのお名前をうかがっても?」
「あ!そうだったな、すまん。俺は宮瀬 颯真だ」
「みやせ そうまさん…。み、み、み…。ごめんなさい、私も降参です。ダジャレが思いつかなくて」
「ははは!そんな、ダジャレのお返しなんていいよ」
楽しそうに笑って、颯真は並べられた料理に次々と手を伸ばす。
「本当に美味しいね。ここの料理」
「ええ。土日はいつも混んでるんですけど、今日は月曜日なので空いてますね」
「そうか、ラッキーだったな。君のお仕事も土日休みじゃないの?」
「はい。固定休ではなくてシフト制です。宮瀬さんも?」
「ああ。でも土日も仕事だと、デートの約束とか難しいでしょ?休みがなかなか合わなくて」
「いえ。彼氏もいないので、逆にこんなふうに平日の空いてるランチを楽しめて私は気に入ってます。宮瀬さんは、やっぱり土日休みの方がいいですか?」
「いや、俺もシフト制の方が合ってる」
「彼女さんもシフト制なんですか?」
「いないよ、彼女。だから休日は一人で気ままに過ごしてる」
へえ、と菜乃花は改めて颯真を見つめる。
昨日は春樹にばかり気を取られていたが、こうして向き合ってみると、なかなかのイケメンだった。
(背も高いし、きっとかなりモテるんじゃないかな?)
それでも彼女がいないということは…。
「やっぱりシフト制だと彼女を作りにくいですか?」
「ん?いや、そういう訳ではないよ。単純に今俺が誰かとつき合う余裕がないだけ」
「それは、お仕事が忙しくて?」
「うん。まあ、そうかな。色々勉強中の身だしね。きっと彼女が出来てもこれっぽっちも構ってやれなくて、すぐに捨てられるよ」
そう言って明るく笑う颯真に、そんな、と首を振りつつ菜乃花は考える。
(勉強中って、どんなお仕事なんだろう。確か春樹先輩と同い年だから、今28歳のはずよね?)
気になるが、知り会ったばかりの相手に踏み込んだ質問も出来ない。
(そう言えば、披露宴の最中もお仕事の呼び出しがあったみたいだし。お忙しそうだな)
ふと気になって聞いてみる。
「あの、今日はお仕事お休みなんですか?お時間大丈夫でしょうか?」
「ああ。今日は夜勤なんだ。だからまだ平気」
「えっ!夜勤ですか?!大変。それなのに私の為にお時間取らせてしまって…。おうちで身体を休ませたかったですよね?本当にすみません」
「いや、いい気分転換になったよ。それに夜勤と言っても、正しくは宿直だから仮眠出来るんだ。だから大丈夫」
「本当に申し訳ありません」
菜乃花は、ここの支払いだけでなく、後日きちんとお礼をさせてもらおうと心の中で考えていた。
「ご馳走様でした。とても美味しかったです」
出口に案内してくれるスタッフに声をかけると、にこやかに「またどうぞお越しくださいませ」とドアを開けて見送られた。
菜乃花もにっこり笑ってからドアを出る。
と、外に出た途端ハッと我に返った。
「た、大変!無銭飲食しちゃった!」
慌てて戻ろうとすると、颯真が笑いながら止める。
「大丈夫だよ」
「でも、あのスタッフの方きっと忘れてて…」
「あはは!そんなことないから」
「え?それじゃあ…」
「払ってあるから、大丈夫だよ」
「ええ?!いつの間に?」
菜乃花の問いには答えず、颯真は車のロックを解除する。
「うちまで送るよ。あ、自宅の場所を知られたくないかな?」
「いえ、そんなことは」
「じゃあ、またナビしてね」
そう言って助手席のドアを開けて菜乃花を促す。
菜乃花は取り敢えず乗り込んだ。
「あの、宮瀬さん。私の分もお支払い済ませてくださったのでしょうか?すみません、すぐに払いますから」
運転席に颯真が座るやいなや、菜乃花は財布を取り出して言う。
「いらないよ。せっかくの美味しい料理の余韻が半減する。気持ち良くおごらせてくれ」
「ですが、そもそも私がポーチの件でご迷惑をおかけしたのに…」
「本当にいいってば。それよりナビは?まだ始まらない?」
「あ、えっと。左に出てしばらく真っ直ぐ進んでください」
「了解」
10分足らずで菜乃花のマンションに着く。
菜乃花は、ドアを開けてくれた颯真に向き合い改めて頭を下げた。
「宮瀬さん。今日は色々とありがとうございました」
「こちらこそ。ランチにつき合ってくれてありがとう。楽しかったよ」
「私の方こそ、ご迷惑おかけしたのにご馳走になってしまって。本当にありがとうございました」
「じゃあ、また」
「はい。お仕事お気をつけて行ってきてください」
「ありがとう」
菜乃花は颯真の車が見えなくなるまで見送った。
「えっ!どうして…」
あれだけ忘れようと心に決めた春樹からの着信だった。
(連絡先、消去しておけば良かったな。あ、私が消去したところで、先輩からはかかってきちゃうか)
ぶつぶつと考えてから、とにかく出てみることにした。
「もしもし」
「あ、菜乃花?朝からごめん。昨日はありがとな」
「いえ、こちらこそ。素敵な結婚式にお招きいただきありがとうございました」
「ありがとう。ところで菜乃花、化粧ポーチ失くしてない?」
「は?」
思わぬ言葉に、菜乃花は拍子抜けする。
「ポーチ、ですか?」
「うん。実はさっき、昨日菜乃花達と同じテーブルだった俺の同級生から電話があってさ。引き出物の紙袋の中に、Nってイニシャルのポーチが入ってたって。写真撮って送ってもらったら、なんか菜乃花が持ってそうな感じのポーチなんだ。薄いオレンジ色で、花の刺繍が入ってる…」
「あ!それ私のです」
そう言って、急いで記憶をたぐる。
(確か披露宴の途中で化粧室に行って、戻って来てからバッグにポーチを入れようとしたらキャンドルサービスが始まったから、取り敢えず引き出物の紙袋に入れたんだっけ)
それから…えっと?と考え込み、あ!と声を上げる。
「私、自分の紙袋を間違えてお隣の男性に渡してしまったかも!」
「ああ、そうみたいだな。途中で退席した時、追いかけて渡してくれたってそいつが言ってる」
「ごめんなさい!間違えて渡すなんて、私ったら失礼なことを…」
「ははは!菜乃花のおっちょこちょいは今も健在だな」
恥ずかしくて顔が赤くなる。
「本当にすみません。私、その方のご自宅まで取りに伺います」
「いや、そいつが今から届けに行くってさ。菜乃花、今日休み?だったら菜乃花の最寄駅のロータリーに11時に待ち合わせでいいか?」
「いえ!あの、そんな。私のミスですから、私が伺います」
「でも化粧ポーチがないってことは、すっぴんで電車に乗って取りに行くことになる。女の子にそんなことさせちゃいけないって有希が言うんだ。だから気にするな」
(ゆきさん?あ、奥様か)
昨日の幸せそうな新婦の姿を思い出す。
(綺麗な上にそんな気遣いもしてくださるなんて。本当に素敵な人だなあ)
ぼんやり考えていると、「じゃあ、そういうことで」と電話を切られそうになる。
「あ!あの、春樹先輩。私、すっぴんでも全然構わないので、私がその方の所へ…」
そこまで言った時、ふいに電話口の向こうからアナウンスの声が聞こえてきた。
『日本ウイング航空 841便にてシンガポールにご出発のお客様は…』
ん?と菜乃花は首をひねってから、すぐに状況を把握した。
「すみません!先輩、これから新婚旅行に行かれるんですね?」
「そうなんだ。今空港で、あんまり時間がなくて」
「分かりました!では11時にその方と待ち合わせでお願いします」
「了解、伝えておくよ。じゃあな」
「はい、ありがとうございました。先輩、素敵な新婚旅行を」
「おう!ありがとな」
電話を切り、菜乃花はふうと小さく息をつく。
「びっくりしたなあ」
そして改めてバッグの中と引き出物が入っていた紙袋を確認する。
やはりどこにも化粧ポーチはなかった。
昨日、あの男性が引き出物を持たずに出て行ったのに気づいた時、慌てて自分の紙袋を掴んでしまったのだろう。
(私ったら…。ありがた迷惑とはこのことね)
とにかく約束の時間を守り、お会いしてきちんと謝罪しようと、菜乃花は急いで支度を始めた。
とはいえ、もちろん化粧は出来ず…。
アイボリーのニットに赤いスカートを合わせると、肩下まである髪を軽く巻いた。
ロングブーツを履き、コートを羽織ってから玄関の姿見を覗き込む。
「あはは、すっぴんの顔だけ浮いてる」
この顔なら、スウェットの上下にボサボサの髪型、サンダルを履いた方がトータルコーディネートとしてはいいだろう。
だが、わざわざポーチを届けに来てくれる男性にそんな姿でお礼を言う訳にはいかない。
菜乃花は仕方なく自分を納得させて玄関を出た。
最寄り駅へは、歩いて10分で着く。
到着して時計を確認すると、10時45分だった。
ロータリーを見渡してみても、それらしい人はいない。
(まだ早いもんね)
菜乃花は人の邪魔にならない所に立って、のんびり待つことにした。
(えーっと、どんな人だったっけ?)
思い出そうとしても、顔が思い浮かばない。
(うーん。スーツを着てたような…って、当たり前か)
仮にも披露宴の間ずっと隣に座っていた人だし、あとを追いかけて短いながらも会話した相手なのに…と、自分に苦笑いする。
(背は高かったような気がするのよね。声をかけた時、やたら見上げて話したもの)
それ以外は思い出せない。
我ながら酷い記憶力だと呆れた時、ロータリーにすーっと滑るように1台の車が入って来た。
菜乃花のすぐ前に止まると、運転席から男性が降り立つ。
Vネックの紺のニットにオフホワイトのパンツを履きこなした男性は、運転席のドアを閉めると真っ直ぐに菜乃花に近づいて来た。
「えっと、君が鈴原さん?」
「あ、はい!そうです」
ぼんやり男性を眺めていた菜乃花は、この方か!と慌てて頭を下げる。
「あの、昨日は大変失礼いたしました。今日はわざわざ届けに来てくださってありがとうございます。お忙しい中、本当に申し訳ありません」
「いや、大丈夫。でも良かった、すぐに分かって」
え?と菜乃花は首を傾げる。
「ほら、女の子はすっぴんだと別人になるって言うからさ。どれくらい変わってるんだろうって、ずっと考えながら来たんだ。でもすぐ分かったよ、昨日の子だって」
「あ、そうでしたか。すみません、化粧のしがいがない顔で…」
「ははは!あ、いや、ごめん。そんなことないよ。君、真面目な顔して面白いこと言うね。おっと、肝心なものを忘れるところだった」
そう言って男性は助手席のドアを開けると、菜乃花のポーチを取り出した。
「はい、これ。君のもので間違いないかな?」
「あ、はい。間違いありません。お手数をおかけして、本当に申し訳ありませんでした。あの、今日は時間がなくて手ぶらで来てしまいまして。後日、改めてお礼をさせてください」
「まさか、そんな。気にしなくていいよ」
「でも、私がお伺いしなくてはいけない立場なのに、わざわざ来てくださって…」
「本当に気にしないで」
「でしたら、せめてご住所だけでも。お礼の品を送らせていただきます」
「いいってば。でもそんなに言うなら、昼食つき合ってもらえる?」
「は?昼食、ですか?」
「そう。お腹空いたから、この辺りで何か食べようと思ってたんだ。どこか良い場所知らない?」
はあ、と気の抜けた返事をしながら、菜乃花は考える。
「えっと、有名なお店ではないのですが、地元では人気のあるトラットリアがあります」
「へえ、いいね。車で行ける?」
「はい。駐車場もありますし、ここから5分くらいで着きます」
「よし、そこにしよう。乗って」
「え?ええ?!」
「ほら、早く」
ドアを開けて促され、菜乃花は仕方なく助手席に乗り込む。
「じゃあナビよろしく」
「あ、はい」
菜乃花の道案内で、無事にお目当ての店に到着した。
「おお、なかなか雰囲気がいいね。オシャレというよりはちょっと無骨な感じで」
「ええ。夜は照明も控えめで、また違った雰囲気になりますよ」
「そうなんだ。じゃあ次回は夜に来よう。ランチメニューは何がオススメ?」
「ここのリゾットは特に美味しいです。半分に切った大きなチーズにリゾットを入れて、目の前で仕上げてくれるんです」
「へえ!じゃあそれにしよう。あとは、サラダとピザと…」
何品かオーダーしてスタッフが立ち去ると、菜乃花はおずおずと顔を上げる。
「あの…。少し失礼して化粧室に行ってもよろしいでしょうか?」
「ん?ああ!そうだったね。もちろん、どうぞ」
「すみません。変わり映えはしませんが、一応身だしなみとして…」
「あはは!そんなことないから。どうぞごゆっくり」
「はい、失礼します」
菜乃花は化粧ポーチを手に立ち上がった。
「うわっ、薄い!」
鏡に映る自分の顔に思わず突っ込む。
綺麗な内装の化粧室で、服装だけはきっちりした分、余計にすっぴんの顔が浮いて見えた。
菜乃花は自分に苦笑いしてから、早速メイクを始める。
普段からナチュラルメイクで、外出先でメイク直しもしない為ポーチは持ち歩かないのだが、さすがに昨日は違った。
それにしても、メイク前とメイク後のビフォーアフターの顔を男性に見せるというのは、今更ながらかなり恥ずかしい。
ササッと普段通りの軽いメイクにしてから、菜乃花は化粧室を出た。
◇
菜乃花が席を外している間に、颯真はスタッフを呼んでクレジットカードを渡す。
「先にお会計を」
「かしこまりした」
既にドルチェまでオーダーしており、おそらく追加で注文はしないだろう。
レシートとクレジットカードを財布にしまったところで、菜乃花が戻って来た。
「お待たせしました」
うつむいて気恥ずかしそうにしながら席に着く。
確かに先程より目元がくっきりと美しく整っているが、すっぴんでも充分綺麗だったなと改めて思う。
逆に、すべすべした肌の潤いが隠れてしまってもったいない。
そんなことを考えていると、料理が運ばれてきた。
菜乃花が手際良くサラダを取り皿に分けて、颯真に差し出す。
「どうぞ」
「ありがとう」
食べながら、ふと思い出して颯真が尋ねた。
「そう言えば君の下の名前、『なおこ』でも『なおみ』でもないんだって?」
え?と菜乃花は突然の話題に首を傾げる。
「ポーチにNのイニシャルが入ってたから、春樹に聞いたんだ。『なおこさん』か『なおみさん』は列席者の中にいるか?って。そしたら春樹、笑ってた。『な』で始まるけど違うって。だからずっと考えてたんだ。他にどんな名前があるかなって。な、な、な…。あ!奈々さんとか?」
菜乃花はクスッと笑って首を振る。
「違います」
「えっ!まだ他にあるの?なんだろう…」
颯真はフォークを置いて真剣に考え込む。
「な、な、な…。あー、ごめん。降参」
ふふっと笑ってから菜乃花は口を開いた。
「私、鈴原 菜乃花と申します」
「なのか?!はあー、それは全く思い浮かばなかった。そうか、なるほど。『なのか』なのか」
「あはは!ダジャレお上手ですね」
「いや、ごめん。そんなつもりは…」
「あの、失礼ですけど、私もあなたのお名前をうかがっても?」
「あ!そうだったな、すまん。俺は宮瀬 颯真だ」
「みやせ そうまさん…。み、み、み…。ごめんなさい、私も降参です。ダジャレが思いつかなくて」
「ははは!そんな、ダジャレのお返しなんていいよ」
楽しそうに笑って、颯真は並べられた料理に次々と手を伸ばす。
「本当に美味しいね。ここの料理」
「ええ。土日はいつも混んでるんですけど、今日は月曜日なので空いてますね」
「そうか、ラッキーだったな。君のお仕事も土日休みじゃないの?」
「はい。固定休ではなくてシフト制です。宮瀬さんも?」
「ああ。でも土日も仕事だと、デートの約束とか難しいでしょ?休みがなかなか合わなくて」
「いえ。彼氏もいないので、逆にこんなふうに平日の空いてるランチを楽しめて私は気に入ってます。宮瀬さんは、やっぱり土日休みの方がいいですか?」
「いや、俺もシフト制の方が合ってる」
「彼女さんもシフト制なんですか?」
「いないよ、彼女。だから休日は一人で気ままに過ごしてる」
へえ、と菜乃花は改めて颯真を見つめる。
昨日は春樹にばかり気を取られていたが、こうして向き合ってみると、なかなかのイケメンだった。
(背も高いし、きっとかなりモテるんじゃないかな?)
それでも彼女がいないということは…。
「やっぱりシフト制だと彼女を作りにくいですか?」
「ん?いや、そういう訳ではないよ。単純に今俺が誰かとつき合う余裕がないだけ」
「それは、お仕事が忙しくて?」
「うん。まあ、そうかな。色々勉強中の身だしね。きっと彼女が出来てもこれっぽっちも構ってやれなくて、すぐに捨てられるよ」
そう言って明るく笑う颯真に、そんな、と首を振りつつ菜乃花は考える。
(勉強中って、どんなお仕事なんだろう。確か春樹先輩と同い年だから、今28歳のはずよね?)
気になるが、知り会ったばかりの相手に踏み込んだ質問も出来ない。
(そう言えば、披露宴の最中もお仕事の呼び出しがあったみたいだし。お忙しそうだな)
ふと気になって聞いてみる。
「あの、今日はお仕事お休みなんですか?お時間大丈夫でしょうか?」
「ああ。今日は夜勤なんだ。だからまだ平気」
「えっ!夜勤ですか?!大変。それなのに私の為にお時間取らせてしまって…。おうちで身体を休ませたかったですよね?本当にすみません」
「いや、いい気分転換になったよ。それに夜勤と言っても、正しくは宿直だから仮眠出来るんだ。だから大丈夫」
「本当に申し訳ありません」
菜乃花は、ここの支払いだけでなく、後日きちんとお礼をさせてもらおうと心の中で考えていた。
「ご馳走様でした。とても美味しかったです」
出口に案内してくれるスタッフに声をかけると、にこやかに「またどうぞお越しくださいませ」とドアを開けて見送られた。
菜乃花もにっこり笑ってからドアを出る。
と、外に出た途端ハッと我に返った。
「た、大変!無銭飲食しちゃった!」
慌てて戻ろうとすると、颯真が笑いながら止める。
「大丈夫だよ」
「でも、あのスタッフの方きっと忘れてて…」
「あはは!そんなことないから」
「え?それじゃあ…」
「払ってあるから、大丈夫だよ」
「ええ?!いつの間に?」
菜乃花の問いには答えず、颯真は車のロックを解除する。
「うちまで送るよ。あ、自宅の場所を知られたくないかな?」
「いえ、そんなことは」
「じゃあ、またナビしてね」
そう言って助手席のドアを開けて菜乃花を促す。
菜乃花は取り敢えず乗り込んだ。
「あの、宮瀬さん。私の分もお支払い済ませてくださったのでしょうか?すみません、すぐに払いますから」
運転席に颯真が座るやいなや、菜乃花は財布を取り出して言う。
「いらないよ。せっかくの美味しい料理の余韻が半減する。気持ち良くおごらせてくれ」
「ですが、そもそも私がポーチの件でご迷惑をおかけしたのに…」
「本当にいいってば。それよりナビは?まだ始まらない?」
「あ、えっと。左に出てしばらく真っ直ぐ進んでください」
「了解」
10分足らずで菜乃花のマンションに着く。
菜乃花は、ドアを開けてくれた颯真に向き合い改めて頭を下げた。
「宮瀬さん。今日は色々とありがとうございました」
「こちらこそ。ランチにつき合ってくれてありがとう。楽しかったよ」
「私の方こそ、ご迷惑おかけしたのにご馳走になってしまって。本当にありがとうございました」
「じゃあ、また」
「はい。お仕事お気をつけて行ってきてください」
「ありがとう」
菜乃花は颯真の車が見えなくなるまで見送った。
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