恋とキスは背伸びして

葉月 まい

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プレゼンテーション

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ルミエール ホテルとの顔合わせの日がやって来た。
事実上のプレゼンテーションの日だ。

美怜はミュージアムのロッカールームで着替えると、いつもより念入りに服装をチェックしてからエントランスに向かった。

手元の資料を見ながら頭の中でシミュレーションをしていると、自動ドアが開いて成瀬と卓が姿を現す。

「おはようございます。今日はよろしくお願いいたします」
「おはよう。こちらこそよろしく」

美怜が明るく挨拶すると、成瀬も穏やかな顔で返してくれる。

卓とも、がんばろうな!と互いに気合いを入れた。

時間になり、ガラスの向こうから先方の社員らしい四人が歩いてくるのが見えて、美怜達は横一列に並んで姿勢を正す。

「いらっしゃいませ」

三人で深くお辞儀をすると、「これはこれは、成瀬さん」と年輩の男性の嬉しそうな声がした。

「お久しぶりです、倉本さん。すっかりご無沙汰しており、申し訳ありません。本日はご足労いただきまして、誠にありがとうございます」

二人は久しぶりの再会を喜び、固く握手する。

「こちらこそ、お時間を作っていただいてありがとう。成瀬さん、ますます精悍になられましたね。いやー、頼もしい。その若さで本部長に就任されたのも頷けます」

そう言うと倉本は、成瀬の隣にいる卓と美怜にも握手を求めた。

「初めまして。ホテル ルミエールで副総支配人をしている倉本です。成瀬さんには、数年前に大変お世話になりましてね。今回も是非御社のお力をお借りしたいとお願いに上がった次第です。どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。株式会社メゾンテール、営業部関東法人営業課の富樫と申します」
「同じく広報部コーポレートミュージアムチーム所属の結城と申します。いつも弊社のベッドをご愛顧いただきありがとうございます。本日もどうぞよろしくお願いいたします」

倉本と、後ろに控えている若い男性二人と女性一人とも名刺を交換した。

「早速ではございますが、これより弊社のミュージアムをご案内させていただければと存じます。よろしいでしょうか?」
「ええ、お願いします。こちらに来るのを楽しみにしていたんですよ」

美怜はにこやかに四人を館内へと案内する。

「まずはこちらの年表をご覧ください。弊社は、ルミエール ホテル様より数十年早く創業いたしました。明治政府が富国強兵、殖産興業の為に西洋文化を取り入れた文明開化がきっかけでございます。当時、横浜や神戸といった開港場にはレンガ造りの洋風建築が建てられ、ガス灯が並ぶようになりました。『富岡製糸場』や『鹿鳴館』なども、代表的な洋風建築として今なお有名です。弊社の創業者は、西洋化していく建物や人々の生活を目の当たりにし、西洋の家具や小物を輸入しようと会社を興しました。ルミエール ホテル様も、そういった西洋化の流れと深い結びつきがあるのですよね?」

すると倉本が頷いて口を開く。

「ええ、そうです。最初に日本に西洋式のホテルが建てられたのは十七世紀頃と言われています。鎖国中に唯一滞在を許可されたオランダ人を対象としていました。明治に入るとホテルの数は一気に増え、外国のお客様を対象に発展していきます。ですが大正十二年に、華やかなホテル街は、がれきの街と化してしまいました」
「大正十二年九月一日の関東大震災、ですね?」
「そうです。被災地には外国のお客様の為にテントホテルと呼ばれる仮設ホテルが建てられましたが、およそホテルと呼ぶにふさわしいものではありませんでした」
「その後復興の象徴として、人々の期待を受けて建てられたのが、ルミエール ホテルの前身であるホテル ニューゲートだったのですね」
「その通りです。よくご存知で」
「ルミエール ホテルの本館一階にヒストリーの展示コーナーがありますよね?そこにある創業当時の街並みのイラストが、弊社の年表のこのイラストととてもよく似ています。それからこの古い写真も」

美怜が差し示した箇所に皆は顔を寄せる。

「本当ですね。そっくりです」

若い女性社員がそう言うと、男性社員も頷いた。

「お互いに同じ背景のもと創業して、当時の創業者の想いを現代の我々が受け継いでいるのですね。なんだか同じ仲間のような気がして感慨深いです」

倉本も大きく頷いてみせる。

「そうだな。業種は違えど同じ時代を生き抜き、日本の発展に大きく貢献してきた会社同士だ。きっと創業当時も、互いを同志だと認識していたのかもしれないな」

歴史の重み、当時の人々の気持ちに想いを馳せて、しんみりとした雰囲気の中、皆は静かに年表を眺めていた。

***

「それでは続いて、上層階の倉庫にご案内いたします。弊社の製品を一挙にご紹介し、ルミエール ホテル様に最適なご提案をさせていただければと思います」

ミュージアムを一通り案内すると、美怜はにこやかに微笑んで皆をエレベーターで倉庫へと連れて行く。

「おお、こんなにたくさん!すごいですね」

ずらりと並ぶ家具やインテリア雑貨に、倉本達は圧倒されたように辺りを見回した。

「弊社の最大の強みは、製品の企画はもちろん、原材料の仕入れから、生産、販売、発送までを、全て自社で行っていることです。中間の流通も自社でまかなっておりますので、よりスピーディーに製品をお届けできます。コストの圧縮にも繋がりますので、高い利益率を保ちながら低価格を実現しております。常に新しい仕組みやブランディングを計り、新たな需要を捉え、お客様のニーズを把握して顧客満足度の向上にも努めております」

そこまで言うと、美怜は手にしたタブレットを使って、画像を紹介していく。

「今回、ルミエール ホテルのアネックス館の空間を画像に取り入れ、全体の雰囲気やレイアウト、壁や床、照明や家具のイメージプランをいくつかシミュレーションしてみました。まず、アネックス館をいくつかのコンセプトに分け、テーマに合った内装をセレクトしました。こちらは小さなお子様連れの方を対象にしたファミリールームでございます。角が丸く安全なテーブルやチェスト、ソファもロータイプのもの、そしてお部屋の中央には、靴を脱いで遊べるカーペットエリアを設けました。更にベッドにも大きな特徴がございます」

美怜はタブレットを操作して、ベッドの詳しい仕様を説明する。

「こちらのベッドはジョイントシリーズと申しまして、二台並べたベッドのマットレス同士を完全にジョイントさせることができます。ただ並べるだけでは寝ている間にベッドの間に隙間ができてしまい、お子様が落下する恐れもあって大変危険です。このジョイントシリーズは、強力なマジックテープと連結ベルトで隙間なく簡単に広い一つのベッドに様変わりさせられます」

へえ、と倉本達は熱心に美怜の手元を覗き込む。

「ジョイント部分はマットレスの表と裏の両面についていますので、マットレスの向きを変えるローテーションを行うこともできます。組み合わせも、シングルを二台であったり、シングルとダブル、ダブルを二台など、人数に合わせて選べます。マットレスパッドやシーツもサイズごとにご用意しております。更にジョイント仕様は隣で寝ている方が寝返りを打っても、その振動が単体のマットレスの場合と比較して伝わりにくいというメリットもございます。もちろん、アフターフォローも万全です。真夜中に発注を受けても、二十四時間体制のこの倉庫から、すぐに自社の配達サービスでホテルまでお届けに上がります」

美怜がそれとなく様子をうかがうと、倉本達は言葉もなく頷いて感心している。

「ファミリールームに関してはおおむね以上です。他にも、カップルの方向けに窓際にカウンターを設けたり、キ…、キングサイズベッドをご用意したお部屋などもよろしいかと」

妙なところで噛んでしまい、思わず美怜はうつむいて顔を赤くする。

だがすぐに真顔に戻って顔を上げた。

「それでは実際に倉庫内の家具をご覧いただきながら、詳しいイメージをお伝えできればと思います。どうぞお進みください」

先方が目を留めた家具についての補足説明をしながら、じっくりと時間をかけて、美怜は倉庫を案内した。

「いやー、もうインスピレーションが湧き上がってきますよ。わくわくしますね」
「本当に。あれもこれもって、良いイメージがどんどん膨らみます」

若い社員達が目を輝かせながら話すと、倉本も満足そうに頷く。

「我々が会議室で頭を悩ませていたこれまでの日々はなんだったのか。最初からここにお邪魔すれば良かったです」
「ありがとうございます。お役に立ちますでしょうか?」
「もちろんです。もうおんぶに抱っこってくらい、頼りにさせていただきます」

え、これって…。

(もしや、契約をいただけるってこと?)

美怜がちらりと成瀬を見ると、一歩前に踏み出した成瀬が口を開いた。

「倉本さん、本日はお時間を頂戴し誠にありがとうございました。この後も少しお時間いただけますでしょうか?長時間おつき合いくださったので、お食事にご招待したいのですが」
「おお、ありがとうございます。実はお腹がいい具合に空いてきましてね。是非ともよろしくお願いします」
「かしこまりました。それでは早速ご案内いたします」

成瀬が先導して歩き始めると、卓はすぐさまスマートフォンを取り出し、アプリでタクシーを手配する。

倉庫を逆戻りしてエレベーターで一階に下りると、館長が倉本達に挨拶してノベルティや菓子折りを手渡した。

エントランスを出ると、タイミング良く二台のタクシーが滑るように横づけされる。

一台には成瀬と倉本が、もう一台に卓と若手のホテル社員三人が乗り、美怜は館長と並んで見送りに出た。

すると倉本が、「あれ?結城さんは来てくれないの?」と声をかけてきた。

「え?あ、はい。わたくしはミュージアムのご案内担当ですので」
「でもあんなに詳しく説明してくれたし、まだまだ聞きたいことがあるんだ」
「左様でございますか。でしたら富樫から詳しくご説明差し上げるように申し伝えておきますので」

戸惑いながらそう言うが、倉本は構わず手招きする。

「こっちのタクシーまだ乗れるから。どうぞ」
「あ、はい」

ちらりと視線を上げると、成瀬も頷いた。

「それではご一緒に失礼させていただきます」
「うん、どうぞ」

助手席には既に成瀬が座っていた為、美怜は恐縮しつつ倉本の隣に腰を下ろした。

成瀬が行き先を告げて、タクシーが走り出す。

緊張気味の美怜は、ふと自分の服装を見下ろして焦った。

「あの、すみません。わたくし、ミュージアムの制服のままで来てしまいまして」
「いいじゃないですか。とてもお似合いで美しいですよ。って、あんまり褒めるとセクハラになるかな?でもお世辞ではなく本当にそう思いますよ。企業の顔として、明るく信頼できるイメージです」
「ありがとうございます。そのような嬉しいお言葉をいただいたのは初めてです」
「そうなの?我々ホテルマンも、常に自分がホテルのイメージを背負っているという意識で日々制服を着ていますが、あなたの凛とした佇まいも、まさにメゾンテールを背負っているという気概を感じました。お若いのに素晴らしい社員さんをお持ちですね、成瀬さん」

助手席の成瀬は、倉本を振り返って頭を下げる。

「もったいないお言葉、ありがとうございます」
「社員教育はどうやっているの?うちも参考にさせてもらいたいよ」
「いやー、それに関しては私は全く…。自分が良き先輩でいられているかどうかも、自信がないです」
「成瀬さんでもそんなふうに思うことがあるんですね。結城さんから見て、成瀬さんはどうなの?」

話を振られて、美怜は居住まいを正す。

「弊社の諸先輩方は、とても良い方ばかりです。直属の上司や先輩も優しく、成瀬さんも、あ、いえ。本部長の成瀬も…」
「ははは!そんな律儀に訂正しなくていいですよ。あなたにとっては大切な上司でしょう?」
「はい。皆さん尊敬できる方ばかりで、とても恵まれた環境で働かせていただいています」
「あなたがそう思うなら、成瀬さん達の社員教育は素晴らしいと言わざるを得ない。成瀬さん自身が若手の良き手本でいること、憧れてもらえる存在であることが、御社の若手育成の要なのでしょうね」

いえ、そんな、と謙遜する成瀬より、美怜が倉本に大きく頷いて見せた。

「はい、その点は間違いありません。本部長や課長や先輩方は、いつもわたくしの目指すべき姿であり続けてくださいます。皆さんを信頼し、背中を追いかけ、いつかわたくしも、少しでも会社や皆さんに恩返しができればと思っております」
「ほう、素敵な心意気ですね。でもあなたは既に充分、この会社や成瀬さんの力になっていると思いますよ」
「いえ、まさかそんな。あの、倉本さん。つい調子に乗ってぺらぺらとわたくし事をお話してしまい、申し訳ありません」

また失礼なことをしてしまったと、美怜はうつむいて意気消沈する。

「とんでもない。心温まるお話を聞かせてもらいましたよ。良い後輩をお持ちですね、成瀬さん」
「ありがとうございます」

そう言って倉本に頭を下げたあと、成瀬は美怜を見てほんの少し微笑んでみせる。

その優しい表情に、美怜はホッとして胸をなで下ろした。

***

オフィス街の高層ビルにある高級中華料理店の個室で、美怜達は倉本達と大きな円卓を囲んで楽しく食事をした。

客室のレイアウトや、どんな家具を入れるか、どんなテーマやコンセプトで部屋をコーディネートするか。

会社の隔たりもなく、皆でアイデアを出しながら美味しい料理を味わう。

男性陣が和やかに話をするかたわら、先方の若い女性社員が美怜に話しかけてきた。

「結城さんのおっしゃる通り、私もカップル向けのお部屋には、洗面所にスツールとチェストを置きたいな。彼とのお泊りならメイクも座って念入りにしたいし、こそこそ着替えを手に歩き回りたくないもの。ポトッと下着を落っことしたりしたら嫌だし。ねえ?結城さん」
「そそそ、そうですよね」

美怜は手にしたレンゲを落としそうになりながら焦って取り繕う。

「あとはどんなお部屋がいいかなあ。彼とのロマンチックな夜を過ごせるお部屋。結城さんが今まで泊まった所で、良かったお部屋はありますか?」
「えっと、わたくしはなにぶん経験不足でして申し訳ありません。次回までには勉強しておきます」
「あら、そんな勉強だなんて。デートで行った場所で良い所があったり、何かいいアイデアが浮かんだら教えてくださいね」
「は、はい!ご期待に沿えるよう、できる限りの努力をして臨みたいと思います」
「ふふ、結城さんって真面目で面白い」

そんな美怜達をよそに、倉本や成瀬達も話が弾み、暗黙の了解のように契約を結ぶ流れになった。

卓が詳しく契約内容を記載した資料を渡し、先方と確認していく。

また、客室やロビーだけでなくレストランの内装も含めて手がけることになり、卓が万一の為に用意しておいた資料も渡すことになった。

「それでは、今後とも長いおつき合いをよろしくお願いいたします」
「こちらこそ。本日は誠にありがとうございました」

すっかり打ち解けた雰囲気で、それぞれ握手をしてお開きとなった。

***

「もう大成功じゃないですか?ねえ、成瀬さん」

三人でタクシーに乗り、ミュージアムに向かう車内で、助手席の卓が後ろの成瀬を振り返る。

「そうだな。思った以上に反応も良かったし、無事に契約も取れたし。なんか上手くいき過ぎて怖いくらいだな」
「えー?成瀬さんでもそんなふうに思うんですか?これくらい俺様にとっては当たり前よ、とか思ってらっしゃるかと」
「そんな恥ずかしいセリフ言う訳あるか!なんだよ、俺様って」
「ぴったりじゃないですか?俺様キャラ。それにしても美怜。お前、ちょいちょいおかしなことしてたな」

急に話題が変わり、美怜は、はっ?と上ずった声で聞き返す。

「なあに?おかしなことって」
「まずはあれだよ。キキ、キングサイズベッド」

すると隣の成瀬が、ぶっと吹き出した。

「ちょ、卓!なによそれ?」

成瀬の様子をうかがいながら、美怜は慌てて卓を咎める。

「だってあからさまに赤くなって照れてただろ?キングベッドなんて普通に言えばいいのに、意識してますってバレバレ。聞いてるこっちが恥ずかしかったわ」

美怜は耳まで真っ赤になる。

「誰も意識なんてしてません!たまたまちょっと噛んじゃっただけでしょ?」
「それならあれは?ロマンチックなデートについて聞かれて、なにぶん経験不足でして申し訳ありません!って」
「き、聞いてたの?」
「うん。あんな面白い会話、聞き逃すもんか。それにお前、ご期待に沿えるようできる限りの努力をします!って。一体何をどう努力するんだよ?デートは努力と根性でできるもんじゃないぞ?」

必死に笑いをこらえていた成瀬が、限界だとばかりに笑い出した。

「ははは!そんな面白いこと話してたんだ。俺も聞きたかったな」
「とんでもない!本部長のお耳に入れるような内容ではございません」

美怜はそう言って卓を睨む。

卓はしれっとそっぽを向きながら、「それにしても無事に契約取れて良かったなー」と呟いていた。
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