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ご令嬢
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ホテルの駐車場に着くと、卓はバックでスムーズに駐車させた。
「富樫、なかなか上手いな、運転」
成瀬が感心したように言いながら車から降りる。
「いえ、この車が走りやすくて。楽しかったです」
「そうか、ありがとう。帰りは俺が運転するから、富樫は心置きなくアルコールを飲んでくれ」
そう言って助手席に回り、ドアを開けて美怜に手を差し伸べる。
「足元気をつけて」
「はい。ありがとうございます」
成瀬の手を借りて車から降りると、美怜は卓にジャケットを返す。
「運転ありがとう。はい、ジャケット」
「ああ、サンキュ」
久しぶりに笑いかけてくれる美怜に、卓の心はいつの間にか軽くなっていた。
***
「えーっと、会場はアネックス館の五階。ガーデンテラスに面したバンケットホールだ」
成瀬が招待状を確認して、三人はエレベーターホールへ向かう。
ロビーを横切る時、ローズチェアに座って写真を撮っているカップルが目についた。
「可愛いね!この椅子。バラの椅子だよ?素敵!」
そんな彼女の声が聞こえてきて、美怜は嬉しさに笑みがこぼれる。
五階へ上がると、バンケットホールは既に多くのゲストで賑わっていた。
皆、飲み物を片手に談笑している。
広い会場は内装もゴージャスで、美怜は感激して辺りを見回した。
すると倉本が近づいて来て笑顔で握手を求める。
「これはこれは!ようこそお越しくださいました。成瀬さん、富樫さん、結城さんも」
「倉本さん、本日はお招きありがとうございます」
「こちらこそ、お越しいただきありがとうございます。新しい客室も大変好評で、予約も連日満室。総支配人もメゾンテール様には大変感謝していると申しておりました」
「大変光栄に存じます。後ほど総支配人にもご挨拶させていただければと」
「ええ、ぜひ。今夜は堅苦しくない立食パーティーです。どうぞたくさん召し上がってください」
「はい、ありがとうございます」
開始時間まではまだ十五分程あり、三人はドリンクを片手に改めて会場内の様子に目をやった。
着飾ったご婦人達やフォーマルな装いの男性達は、ほとんどが四十代もしくは五十代くらいだろうか。
自分達よりかなり年上に見える。
「本部長、今夜はホテル業界の方が多く招かれているのですか?」
美怜の問いに、成瀬はゲストの顔ぶれを確かめながら軽く首を振る。
「いや、どちらかというとマスコミかな。雑誌の出版社やインターネットの情報発信サイト、あとはラジオやテレビ局も。リニューアルした客室のお披露目が目的のパーティーだろうからね。あ、旅行会社もいるな」
「よくお分かりですね。お知り合いですか?」
「まあ、仕事の繋がりでね」
そのうちに成瀬に気づいた数人が、「お久しぶりです、成瀬さん」と声をかけに来た。
「海外から戻っていらっしゃったんですね」
「ご無沙汰しております。はい、去年の夏に帰国しまして、今は本社に勤務しております」
「そうだったんですね。また改めてご連絡させてください。お仕事のお話をさせていただければと思います」
「かしこまりました。今後ともよろしくお願いいたします」
その後も次々と成瀬のもとへゲストがやって来た。
だんだん美怜と卓は成瀬から遠ざかる。
「すごいね、本部長。大人の世界って感じ。やっぱり私達とは身分も世代も違うね」
「ああ、そうだな。あんなに年輩の役員クラスの人達と面識があるなんて。成瀬さんが営業マンとしてどれだけ成績が良かったのかが分かるよ」
「そうよね。今お話ししてる女性も、とっても綺麗で知的な雰囲気。やっぱり本部長のいらっしゃる世界って、大人の世界よね。私なんて、この会場にいるのも恥ずかしくなってきちゃう」
しょんぼりと肩を落とす美怜を、卓はそっと横目でうかがう。
今夜の美怜は別人のように大人っぽく美しい。
美容室から出て来た美怜をひと目見た時、時間が止まったかのように驚いて息を呑んだ。
いつもは可愛いなと思っていた美怜を、初めて近寄りがたいくらい美しいと思った。
今も、隣に並んでいる美怜は、ひとたび目を向けてしまうと逸らせなくなってしまう程、魅力的で輝いている。
(マズイな。今夜は俺、できるだけ美怜と離れていよう)
そう思い、なるべく卓は美怜を視界に入れないように気をつけていた。
***
時間になり、司会者がパーティーの開始を告げる。
人々は会話をやめてステージに注目した。
司会者に紹介されてルミエール ホテルの総支配人が登壇し、簡単に挨拶したあと乾杯となった。
その後、リニューアルした客室を紹介する映像がスクリーンに流れ、最後にメゾンテールが紹介される。
「今回のリニューアルは、全て株式会社メゾンテール様にお願いいたしました。素晴らしいアイデアとセンスの良さに、我々も大いに感謝しております。メゾンテールの皆様に大きな拍手をお願いいたします」
照明が当てられ、会場の中央にいた成瀬は、卓や美怜と一緒に深々とお辞儀をする。
その後は食事と歓談の時間になり、成瀬は多くのゲストに取り囲まれ、話しかけられていた。
隣に立つ美怜にも男性ゲストが笑顔で話しかけ、握手を求める。
その様子を卓は複雑な思いで見つめていた。
(こうして見ると、美怜は成瀬さんとお似合いだ。美怜はああ言ってたけど、隣に並んだって少しも見劣りしない。大人の美男美女だ)
自分だけが取り残されたような気持ちになり、卓はそれとなく距離を置きながら徐々にその場を離れ、ゲストが思い思いに食事を楽しむ中、一人ガーデンテラスに出た。
***
会場の熱気と賑やかさが嘘のように、静かなガーデンテラスに爽やかな春の夜風が吹き抜ける。
酔い醒ましにちょうどいいと、卓は花を眺めながらゆっくりとガーデンを散歩することにした。
するとふいに、言い合うような声がどこからともなく聞こえてくる。
「やめて、離して!あなたとはおつき合いする気はありません。何度言えば分かるの?」
「それで君のお父上が納得するならね。俺達はいずれ結婚すると両家は期待してるんだ」
どうやら女性が男にしつこく言い寄られて困っているらしい。
「いい加減にしないと、大声を出して人を呼ぶわよ」
「どうぞ。ここで叫んだって誰にも聞こえやしないよ」
「聞こえてるけど?」
みっともない男の態度に、どうにも見過ごせなくなった卓は、そう言いながら二人に歩み寄る。
「誰だよ?お前」
眉間にしわを寄せた男が、不機嫌そうに卓を振り返った。
「あ、あなたは…」
小さく呟いた女性が男の手を振り払って、タタッと卓に駆け寄る。
「私、この方とおつき合いしているの。だからあなたとは結婚しないわ」
ええ?!と男が声を上げるが、卓も同じく、ええ?と小声で発していた。
「なんだよ、その見え透いた下手な芝居は。名前も知らない会ったばかりの男とつき合ってるなんて、誰が信じるんだ?」
「芝居じゃないわ。信じないのはあなたの勝手だけど」
「じゃあ誰なんだよ、そいつ」
「この方は、メゾンテールにお勤めなの」
どうして知っているのかと、卓は女性の横顔を見た。
「名前は?お互いなんて呼んでるんだ?」
男はまだ疑いの目で問い詰めてくる。
自分より少し年下に見えるその女性は、勝ち気な瞳で相手を見据えて口を開いた。
「名前でなんて呼ばないわ。ね?ダーリン」
ダーリン?!と、これまた男と声がかぶってしまう。
「もう行きましょ。時間の無駄だわ」
そう言うと女性は卓の腕を取り、男に背を向ける。
小さな声で「ごめんなさい」とささやかれ、卓は思わず芝居を合わせた。
「そうだな。邪魔者は放っておいて、あっちに行こうか、ハニー」
ははは!とわざとらしく笑いながらギクシャクと歩き、ガーデンの小道を逸れて男の死角まで来ると、女性はパッと卓から離れて頭を下げた。
「大変失礼いたしました。ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
「いや、そんな。気にしないで。しつこい男がいたもんだね」
「はい。父親同士が仕事関係の知り合いで、子どもの頃から顔を合わせることが多かったんです。それがいつの間にか、勝手に許嫁みたいに扱われて。私は全くその気はないのですが、父の手前、あまり事を荒らげることもできなくて辟易していました。助けていただき、ありがとうございました」
セミロングの髪をハーフアップにした、ピンクの清楚なドレス姿の女性は、もう一度深々とお辞儀をする。
「お役に立てて良かった。あの人まだ会場にいると思うから、気をつけてね」
「はい。本当にありがとうございました」
女性は卓ににっこりと笑いかけてから、ひらりとスカートを翻して会場の方へと去って行った。
***
「卓!こんなところにいたの?」
しばらくすると美怜の声がして、卓は振り返る。
綺麗な花が咲き乱れるガーデンを軽やかに駆け抜けて来る美怜は、やはり何度見ても美しい。
思わず目を細めると、美怜は卓のすぐ前までやって来て微笑んだ。
「あのね、ルミエールの総支配人の方が、私達にご挨拶したいって。なんでも娘さんが総支配人にそう言ったみたいよ」
「総支配人の娘さん?」
「そう。さっき私達、総支配人にマイクで簡単に紹介されたじゃない?それで娘さんが、直接挨拶したいって」
「ふうん。なんだろな?」
「分かんないけど、とにかく行こう」
「ああ」
二人で会場に戻ると、先程ステージ上にいた総支配人が、成瀬と和やかに話をしている。
「おお、お揃いですかな?」
総支配人が美怜と卓に笑顔を向けた。
「はい。弊社の営業部の富樫と広報部の結城です」
成瀬に紹介されて、卓と美怜は総支配人に名刺を差し出し挨拶した。
「アネックス館のリニューアルでは大変お世話になりました。ルミエール ホテル総支配人の高畑と、娘の友香です」
「初めまして、高畑 友香と申します」
総支配人の後ろに控えていた女性が、一歩前に出てお辞儀をする。
「初めまして、富樫と申します」
同じように頭を下げた卓は、顔を上げた途端驚いて目を丸くした。
「君、さっきの?」
「ふふ、はい。先程はありがとうございました。メゾンテールの富樫さん」
すると総支配人が、ん?と首をひねる。
「友香、富樫さんと知り合いだったのか?」
「先程、困っていたところを助けてくださったのです。とてもお優しい方ですわ、お父様」
「へえ、友香が男性に対してそんなことを言うなんて珍しい。富樫さん、今後とも娘をよろしくお願いします」
はっ?!は、はい!と、卓は直立不動になる。
それでは、また、と総支配人が別のゲストのところへ行き、友香もにこやかにお辞儀をしてから父のあとを追った。
***
「卓ったら、いつの間にご令嬢とお知り合いになったの?」
去って行く友香を目で追ってから、美怜が卓に詰め寄る。
「ほんとだよ、富樫。まさか彼女にナンパされたのか?」
成瀬にも真顔で聞かれ、卓は「違いますよ!」と慌てて否定した。
「でもあのご令嬢、富樫のことニコニコしながら見てたぞ?」
「そうですよね。しかも総支配人から、娘をよろしくお願いします、なんて。卓、ひょっとしてお見合いしたの?」
「するかよ!」
卓がきっぱりそう言っても、成瀬と美怜はまだ納得いかないとばかりに考え込む。
「すごいな、富樫。こんな短時間であんなご令嬢に言い寄られるなんて」
「本当ですよね。卓ってモテるんだね。確かに今日の卓は、フォーマルなスーツが似合ってるし髪型も整ってて、いつもと違ってかっこいいもんね」
「美怜…。いつもと違って、は余計だ」
「あ、ごめんごめん。あはは!」
やれやれと卓はため息をついた。
見た目は大人っぽくても、中身はやっぱり美怜のままだ、と思いながら。
「富樫、なかなか上手いな、運転」
成瀬が感心したように言いながら車から降りる。
「いえ、この車が走りやすくて。楽しかったです」
「そうか、ありがとう。帰りは俺が運転するから、富樫は心置きなくアルコールを飲んでくれ」
そう言って助手席に回り、ドアを開けて美怜に手を差し伸べる。
「足元気をつけて」
「はい。ありがとうございます」
成瀬の手を借りて車から降りると、美怜は卓にジャケットを返す。
「運転ありがとう。はい、ジャケット」
「ああ、サンキュ」
久しぶりに笑いかけてくれる美怜に、卓の心はいつの間にか軽くなっていた。
***
「えーっと、会場はアネックス館の五階。ガーデンテラスに面したバンケットホールだ」
成瀬が招待状を確認して、三人はエレベーターホールへ向かう。
ロビーを横切る時、ローズチェアに座って写真を撮っているカップルが目についた。
「可愛いね!この椅子。バラの椅子だよ?素敵!」
そんな彼女の声が聞こえてきて、美怜は嬉しさに笑みがこぼれる。
五階へ上がると、バンケットホールは既に多くのゲストで賑わっていた。
皆、飲み物を片手に談笑している。
広い会場は内装もゴージャスで、美怜は感激して辺りを見回した。
すると倉本が近づいて来て笑顔で握手を求める。
「これはこれは!ようこそお越しくださいました。成瀬さん、富樫さん、結城さんも」
「倉本さん、本日はお招きありがとうございます」
「こちらこそ、お越しいただきありがとうございます。新しい客室も大変好評で、予約も連日満室。総支配人もメゾンテール様には大変感謝していると申しておりました」
「大変光栄に存じます。後ほど総支配人にもご挨拶させていただければと」
「ええ、ぜひ。今夜は堅苦しくない立食パーティーです。どうぞたくさん召し上がってください」
「はい、ありがとうございます」
開始時間まではまだ十五分程あり、三人はドリンクを片手に改めて会場内の様子に目をやった。
着飾ったご婦人達やフォーマルな装いの男性達は、ほとんどが四十代もしくは五十代くらいだろうか。
自分達よりかなり年上に見える。
「本部長、今夜はホテル業界の方が多く招かれているのですか?」
美怜の問いに、成瀬はゲストの顔ぶれを確かめながら軽く首を振る。
「いや、どちらかというとマスコミかな。雑誌の出版社やインターネットの情報発信サイト、あとはラジオやテレビ局も。リニューアルした客室のお披露目が目的のパーティーだろうからね。あ、旅行会社もいるな」
「よくお分かりですね。お知り合いですか?」
「まあ、仕事の繋がりでね」
そのうちに成瀬に気づいた数人が、「お久しぶりです、成瀬さん」と声をかけに来た。
「海外から戻っていらっしゃったんですね」
「ご無沙汰しております。はい、去年の夏に帰国しまして、今は本社に勤務しております」
「そうだったんですね。また改めてご連絡させてください。お仕事のお話をさせていただければと思います」
「かしこまりました。今後ともよろしくお願いいたします」
その後も次々と成瀬のもとへゲストがやって来た。
だんだん美怜と卓は成瀬から遠ざかる。
「すごいね、本部長。大人の世界って感じ。やっぱり私達とは身分も世代も違うね」
「ああ、そうだな。あんなに年輩の役員クラスの人達と面識があるなんて。成瀬さんが営業マンとしてどれだけ成績が良かったのかが分かるよ」
「そうよね。今お話ししてる女性も、とっても綺麗で知的な雰囲気。やっぱり本部長のいらっしゃる世界って、大人の世界よね。私なんて、この会場にいるのも恥ずかしくなってきちゃう」
しょんぼりと肩を落とす美怜を、卓はそっと横目でうかがう。
今夜の美怜は別人のように大人っぽく美しい。
美容室から出て来た美怜をひと目見た時、時間が止まったかのように驚いて息を呑んだ。
いつもは可愛いなと思っていた美怜を、初めて近寄りがたいくらい美しいと思った。
今も、隣に並んでいる美怜は、ひとたび目を向けてしまうと逸らせなくなってしまう程、魅力的で輝いている。
(マズイな。今夜は俺、できるだけ美怜と離れていよう)
そう思い、なるべく卓は美怜を視界に入れないように気をつけていた。
***
時間になり、司会者がパーティーの開始を告げる。
人々は会話をやめてステージに注目した。
司会者に紹介されてルミエール ホテルの総支配人が登壇し、簡単に挨拶したあと乾杯となった。
その後、リニューアルした客室を紹介する映像がスクリーンに流れ、最後にメゾンテールが紹介される。
「今回のリニューアルは、全て株式会社メゾンテール様にお願いいたしました。素晴らしいアイデアとセンスの良さに、我々も大いに感謝しております。メゾンテールの皆様に大きな拍手をお願いいたします」
照明が当てられ、会場の中央にいた成瀬は、卓や美怜と一緒に深々とお辞儀をする。
その後は食事と歓談の時間になり、成瀬は多くのゲストに取り囲まれ、話しかけられていた。
隣に立つ美怜にも男性ゲストが笑顔で話しかけ、握手を求める。
その様子を卓は複雑な思いで見つめていた。
(こうして見ると、美怜は成瀬さんとお似合いだ。美怜はああ言ってたけど、隣に並んだって少しも見劣りしない。大人の美男美女だ)
自分だけが取り残されたような気持ちになり、卓はそれとなく距離を置きながら徐々にその場を離れ、ゲストが思い思いに食事を楽しむ中、一人ガーデンテラスに出た。
***
会場の熱気と賑やかさが嘘のように、静かなガーデンテラスに爽やかな春の夜風が吹き抜ける。
酔い醒ましにちょうどいいと、卓は花を眺めながらゆっくりとガーデンを散歩することにした。
するとふいに、言い合うような声がどこからともなく聞こえてくる。
「やめて、離して!あなたとはおつき合いする気はありません。何度言えば分かるの?」
「それで君のお父上が納得するならね。俺達はいずれ結婚すると両家は期待してるんだ」
どうやら女性が男にしつこく言い寄られて困っているらしい。
「いい加減にしないと、大声を出して人を呼ぶわよ」
「どうぞ。ここで叫んだって誰にも聞こえやしないよ」
「聞こえてるけど?」
みっともない男の態度に、どうにも見過ごせなくなった卓は、そう言いながら二人に歩み寄る。
「誰だよ?お前」
眉間にしわを寄せた男が、不機嫌そうに卓を振り返った。
「あ、あなたは…」
小さく呟いた女性が男の手を振り払って、タタッと卓に駆け寄る。
「私、この方とおつき合いしているの。だからあなたとは結婚しないわ」
ええ?!と男が声を上げるが、卓も同じく、ええ?と小声で発していた。
「なんだよ、その見え透いた下手な芝居は。名前も知らない会ったばかりの男とつき合ってるなんて、誰が信じるんだ?」
「芝居じゃないわ。信じないのはあなたの勝手だけど」
「じゃあ誰なんだよ、そいつ」
「この方は、メゾンテールにお勤めなの」
どうして知っているのかと、卓は女性の横顔を見た。
「名前は?お互いなんて呼んでるんだ?」
男はまだ疑いの目で問い詰めてくる。
自分より少し年下に見えるその女性は、勝ち気な瞳で相手を見据えて口を開いた。
「名前でなんて呼ばないわ。ね?ダーリン」
ダーリン?!と、これまた男と声がかぶってしまう。
「もう行きましょ。時間の無駄だわ」
そう言うと女性は卓の腕を取り、男に背を向ける。
小さな声で「ごめんなさい」とささやかれ、卓は思わず芝居を合わせた。
「そうだな。邪魔者は放っておいて、あっちに行こうか、ハニー」
ははは!とわざとらしく笑いながらギクシャクと歩き、ガーデンの小道を逸れて男の死角まで来ると、女性はパッと卓から離れて頭を下げた。
「大変失礼いたしました。ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
「いや、そんな。気にしないで。しつこい男がいたもんだね」
「はい。父親同士が仕事関係の知り合いで、子どもの頃から顔を合わせることが多かったんです。それがいつの間にか、勝手に許嫁みたいに扱われて。私は全くその気はないのですが、父の手前、あまり事を荒らげることもできなくて辟易していました。助けていただき、ありがとうございました」
セミロングの髪をハーフアップにした、ピンクの清楚なドレス姿の女性は、もう一度深々とお辞儀をする。
「お役に立てて良かった。あの人まだ会場にいると思うから、気をつけてね」
「はい。本当にありがとうございました」
女性は卓ににっこりと笑いかけてから、ひらりとスカートを翻して会場の方へと去って行った。
***
「卓!こんなところにいたの?」
しばらくすると美怜の声がして、卓は振り返る。
綺麗な花が咲き乱れるガーデンを軽やかに駆け抜けて来る美怜は、やはり何度見ても美しい。
思わず目を細めると、美怜は卓のすぐ前までやって来て微笑んだ。
「あのね、ルミエールの総支配人の方が、私達にご挨拶したいって。なんでも娘さんが総支配人にそう言ったみたいよ」
「総支配人の娘さん?」
「そう。さっき私達、総支配人にマイクで簡単に紹介されたじゃない?それで娘さんが、直接挨拶したいって」
「ふうん。なんだろな?」
「分かんないけど、とにかく行こう」
「ああ」
二人で会場に戻ると、先程ステージ上にいた総支配人が、成瀬と和やかに話をしている。
「おお、お揃いですかな?」
総支配人が美怜と卓に笑顔を向けた。
「はい。弊社の営業部の富樫と広報部の結城です」
成瀬に紹介されて、卓と美怜は総支配人に名刺を差し出し挨拶した。
「アネックス館のリニューアルでは大変お世話になりました。ルミエール ホテル総支配人の高畑と、娘の友香です」
「初めまして、高畑 友香と申します」
総支配人の後ろに控えていた女性が、一歩前に出てお辞儀をする。
「初めまして、富樫と申します」
同じように頭を下げた卓は、顔を上げた途端驚いて目を丸くした。
「君、さっきの?」
「ふふ、はい。先程はありがとうございました。メゾンテールの富樫さん」
すると総支配人が、ん?と首をひねる。
「友香、富樫さんと知り合いだったのか?」
「先程、困っていたところを助けてくださったのです。とてもお優しい方ですわ、お父様」
「へえ、友香が男性に対してそんなことを言うなんて珍しい。富樫さん、今後とも娘をよろしくお願いします」
はっ?!は、はい!と、卓は直立不動になる。
それでは、また、と総支配人が別のゲストのところへ行き、友香もにこやかにお辞儀をしてから父のあとを追った。
***
「卓ったら、いつの間にご令嬢とお知り合いになったの?」
去って行く友香を目で追ってから、美怜が卓に詰め寄る。
「ほんとだよ、富樫。まさか彼女にナンパされたのか?」
成瀬にも真顔で聞かれ、卓は「違いますよ!」と慌てて否定した。
「でもあのご令嬢、富樫のことニコニコしながら見てたぞ?」
「そうですよね。しかも総支配人から、娘をよろしくお願いします、なんて。卓、ひょっとしてお見合いしたの?」
「するかよ!」
卓がきっぱりそう言っても、成瀬と美怜はまだ納得いかないとばかりに考え込む。
「すごいな、富樫。こんな短時間であんなご令嬢に言い寄られるなんて」
「本当ですよね。卓ってモテるんだね。確かに今日の卓は、フォーマルなスーツが似合ってるし髪型も整ってて、いつもと違ってかっこいいもんね」
「美怜…。いつもと違って、は余計だ」
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