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バーからの電話
ホテルの最上階にある総支配人室に、内線電話の呼び出し音が響く。
1回目のコールが鳴り終わるかどうかのタイミングで、素早く早瀬が受話器を上げた。
短く相づちを打ちながら、話を聞いている。
(こんな時間に何かあるとすれば、宿泊部か、あるいは…)
考えながら一生は、ちらりとデスクの上の時計を見る。
真夜中の24時を少し過ぎたところだった。
(バーの閉店間際のトラブルか…)
その時、少々お待ちくださいと言って、受話器を片手で覆いながら、早瀬が顔を上げた。
「どうした?どこからだ?」
パソコンのキーボードを打つ手を止めずに、一生が尋ねる。
「ナイトマネージャーからです。バーの閉店時間を過ぎても、酔いつぶれて動けないお客様がいらっしゃると」
「それがどうした?」
まるで、突き放したような冷たいセリフに聞こえるが、逆だった。
そんなことはホテルでは日常茶飯事。
うちのスタッフなら、なんなく対応出来るはずだと一生は思っていた。
「それが…若い女性のお客様なのですが、バーテンダーが申すには、オリオンツーリストの澤山 和樹様の婚約者の方ではないかと」
「なに?」
一生は、パソコンの画面から顔を上げて早瀬を見る。
「以前に一度だけ、澤山様と一緒に来店されたのを、バーテンダーが覚えていたようです。その時に澤山様が、その女性を婚約者だとおっしゃったそうです」
「分かった。すぐ行く」
一生は、掛けてあったジャケットを掴んで立ち上がると、腕を通しながらドアへと向かう。
「これからそちらにいらっしゃいます」
手短に電話の相手にそう言って受話器を置いた早瀬が、一生よりも先に出口にたどり着き、ドアを開けた。
*
バーの入口で待っていたナイトマネージャーに手を挙げて、一生は早瀬と中に入る。
ガランとした店内のカウンターに、一人突っ伏している女性がいた。
横顔を見ると、確かにあの女性に間違いなかった。
近づくと、そばにいたバーテンダーが一生に頭を下げる。
「ご苦労様。どんな様子だ?」
「はい。3時間ほど前にお一人で来店されました。その時にはすでに、少し酔っていらっしゃるようでした。なんでもいいからお任せで作って欲しいとのことでしたので、軽めのカクテルを1杯お作りしました。それを飲み終わってから、眠ってしまわれたようです。何度かお声かけしましたが、熟睡されています」
「分かった。ありがとう」
そう言うと一生は、ジャケットの内ポケットからマネークリップを取り出し、一万円札をバーテンダーに渡した。
「支払いはこれで。お釣りはチップとして取っておきなさい」
「え?!よろしいのですか?」
バーテンダーは目を丸くする。
「ああ。よく知らせてくれた。それに、たった一度でお客様のお顔を覚えているのも、たいしたものだ。ここはいいから、もう上がりなさい」
「ありがとうございます!」
深々とお辞儀をして、バーテンダーは奥に消えた。
(さてと、これからどうしたものか…)
一生は、とりあえず女性の耳元で声をかけてみる。
「お客様。お客様?閉店のお時間ですが…」
全く反応はない。
それはそうだろう。
バーテンダーやナイトマネージャーも、これまで散々起こそうと試みたはずだ。
カウンターの上の両腕に頭を載せて、ぐっすり眠っているその横顔を見ていると、頬に残るひと筋の跡に気づいた。
(泣いていたのか…)
いつの間にかそばを離れていた早瀬が、一生のもとに戻ってきた。
「早瀬、空いている部屋を用意してくれ」
「それがあいにく…本日は満室でして」
「なに?予備の部屋もか?」
「はい。なにせ土曜日で、しかもクリスマス・イブですから。ロイヤルスイートを含め、全館満室となっております」
(そうだった。クリスマス・イブ…)
夕方までは覚えていて、念入りにロビーも見回っていたのに、今は失念していた。
と、ふと早瀬に顔を向ける。
「お前、大丈夫なのか?」
「…は?何がでしょう」
思わぬ問いかけに、早瀬はキョトンとしている。
「いや、何でもない」
早瀬の方から、クリスマス・イブだから今日は早く帰りたい、などと言ってくるはずはない。
(自分が気を利かせるべきだった)
目の前の状況から、別のことを考え始めた一生に、早瀬がいつものように落ち着いた口調で言う。
「端末で調べてみたところ、本日、澤山 和樹様は、エグゼクティブスイートにお泊りのようです」
「え?!では、澤山様に内線電話でご連絡致しましょうか?」
近くにいたナイトマネージャーが、解決の糸口が見つかったとばかりに身を乗り出してくる。
「いや、それはだめだ」
ピシャリと一生は遮った。
なぜ…と言いたげな彼に向き直る。
「ホテルマンは、お客様のプライベートに踏み込んではならない。これは鉄則だ。恋人同士のご関係ならなおさら」
早瀬とナイトマネージャーは、姿勢を正して一生の言葉を聞いている。
「こちらのお客様は、婚約者の部屋を出てお一人でここにいらっしゃった。何か事情があるはずだ」
(しかも泣いていた。クリスマス・イブなのに…)
一生はカウンターから顔を戻し、早瀬に言った。
「総支配人室のプライベートルームに運ぶ」
一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに早瀬は頷いた。
*
総支配人室の奥には、2部屋のプライベートルームがある。
そのうちの片方は、主に一生が寝泊まりに使っていた。
もう片方の部屋のベッドに女性を寝かせると、一生は、カーテンを閉めたりエアコンを調節している早瀬に声をかける。
「お前はもう上がっていいぞ。遅くまで悪かった。明日は休みにしていい。って言っても日付けが変わってもう今日だけどな」
早瀬は、驚いたように振り返る。
「いえ、そんな訳には。クリスマスでホテルは忙しい日になりますし」
「構わん。俺一人で大丈夫だ。ただ、何かあったら連絡するから、その時は駆けつけてくれ」
そう言いつつ、何があっても早瀬に連絡するつもりはなかった。
「はい、かしこまりました。いつでもご連絡ください」
それでは失礼致します、とお辞儀をしてから立ち去ろうとする背中に、早瀬、ともう一度呼びかける。
「はい」
こちらに向き直る彼に、一生は笑いかけた。
「メリークリスマス。よい一日を」
一瞬驚いたあと、早瀬は若者らしい笑顔を見せた。
「メリークリスマス。総支配人もよい日を」
1回目のコールが鳴り終わるかどうかのタイミングで、素早く早瀬が受話器を上げた。
短く相づちを打ちながら、話を聞いている。
(こんな時間に何かあるとすれば、宿泊部か、あるいは…)
考えながら一生は、ちらりとデスクの上の時計を見る。
真夜中の24時を少し過ぎたところだった。
(バーの閉店間際のトラブルか…)
その時、少々お待ちくださいと言って、受話器を片手で覆いながら、早瀬が顔を上げた。
「どうした?どこからだ?」
パソコンのキーボードを打つ手を止めずに、一生が尋ねる。
「ナイトマネージャーからです。バーの閉店時間を過ぎても、酔いつぶれて動けないお客様がいらっしゃると」
「それがどうした?」
まるで、突き放したような冷たいセリフに聞こえるが、逆だった。
そんなことはホテルでは日常茶飯事。
うちのスタッフなら、なんなく対応出来るはずだと一生は思っていた。
「それが…若い女性のお客様なのですが、バーテンダーが申すには、オリオンツーリストの澤山 和樹様の婚約者の方ではないかと」
「なに?」
一生は、パソコンの画面から顔を上げて早瀬を見る。
「以前に一度だけ、澤山様と一緒に来店されたのを、バーテンダーが覚えていたようです。その時に澤山様が、その女性を婚約者だとおっしゃったそうです」
「分かった。すぐ行く」
一生は、掛けてあったジャケットを掴んで立ち上がると、腕を通しながらドアへと向かう。
「これからそちらにいらっしゃいます」
手短に電話の相手にそう言って受話器を置いた早瀬が、一生よりも先に出口にたどり着き、ドアを開けた。
*
バーの入口で待っていたナイトマネージャーに手を挙げて、一生は早瀬と中に入る。
ガランとした店内のカウンターに、一人突っ伏している女性がいた。
横顔を見ると、確かにあの女性に間違いなかった。
近づくと、そばにいたバーテンダーが一生に頭を下げる。
「ご苦労様。どんな様子だ?」
「はい。3時間ほど前にお一人で来店されました。その時にはすでに、少し酔っていらっしゃるようでした。なんでもいいからお任せで作って欲しいとのことでしたので、軽めのカクテルを1杯お作りしました。それを飲み終わってから、眠ってしまわれたようです。何度かお声かけしましたが、熟睡されています」
「分かった。ありがとう」
そう言うと一生は、ジャケットの内ポケットからマネークリップを取り出し、一万円札をバーテンダーに渡した。
「支払いはこれで。お釣りはチップとして取っておきなさい」
「え?!よろしいのですか?」
バーテンダーは目を丸くする。
「ああ。よく知らせてくれた。それに、たった一度でお客様のお顔を覚えているのも、たいしたものだ。ここはいいから、もう上がりなさい」
「ありがとうございます!」
深々とお辞儀をして、バーテンダーは奥に消えた。
(さてと、これからどうしたものか…)
一生は、とりあえず女性の耳元で声をかけてみる。
「お客様。お客様?閉店のお時間ですが…」
全く反応はない。
それはそうだろう。
バーテンダーやナイトマネージャーも、これまで散々起こそうと試みたはずだ。
カウンターの上の両腕に頭を載せて、ぐっすり眠っているその横顔を見ていると、頬に残るひと筋の跡に気づいた。
(泣いていたのか…)
いつの間にかそばを離れていた早瀬が、一生のもとに戻ってきた。
「早瀬、空いている部屋を用意してくれ」
「それがあいにく…本日は満室でして」
「なに?予備の部屋もか?」
「はい。なにせ土曜日で、しかもクリスマス・イブですから。ロイヤルスイートを含め、全館満室となっております」
(そうだった。クリスマス・イブ…)
夕方までは覚えていて、念入りにロビーも見回っていたのに、今は失念していた。
と、ふと早瀬に顔を向ける。
「お前、大丈夫なのか?」
「…は?何がでしょう」
思わぬ問いかけに、早瀬はキョトンとしている。
「いや、何でもない」
早瀬の方から、クリスマス・イブだから今日は早く帰りたい、などと言ってくるはずはない。
(自分が気を利かせるべきだった)
目の前の状況から、別のことを考え始めた一生に、早瀬がいつものように落ち着いた口調で言う。
「端末で調べてみたところ、本日、澤山 和樹様は、エグゼクティブスイートにお泊りのようです」
「え?!では、澤山様に内線電話でご連絡致しましょうか?」
近くにいたナイトマネージャーが、解決の糸口が見つかったとばかりに身を乗り出してくる。
「いや、それはだめだ」
ピシャリと一生は遮った。
なぜ…と言いたげな彼に向き直る。
「ホテルマンは、お客様のプライベートに踏み込んではならない。これは鉄則だ。恋人同士のご関係ならなおさら」
早瀬とナイトマネージャーは、姿勢を正して一生の言葉を聞いている。
「こちらのお客様は、婚約者の部屋を出てお一人でここにいらっしゃった。何か事情があるはずだ」
(しかも泣いていた。クリスマス・イブなのに…)
一生はカウンターから顔を戻し、早瀬に言った。
「総支配人室のプライベートルームに運ぶ」
一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに早瀬は頷いた。
*
総支配人室の奥には、2部屋のプライベートルームがある。
そのうちの片方は、主に一生が寝泊まりに使っていた。
もう片方の部屋のベッドに女性を寝かせると、一生は、カーテンを閉めたりエアコンを調節している早瀬に声をかける。
「お前はもう上がっていいぞ。遅くまで悪かった。明日は休みにしていい。って言っても日付けが変わってもう今日だけどな」
早瀬は、驚いたように振り返る。
「いえ、そんな訳には。クリスマスでホテルは忙しい日になりますし」
「構わん。俺一人で大丈夫だ。ただ、何かあったら連絡するから、その時は駆けつけてくれ」
そう言いつつ、何があっても早瀬に連絡するつもりはなかった。
「はい、かしこまりました。いつでもご連絡ください」
それでは失礼致します、とお辞儀をしてから立ち去ろうとする背中に、早瀬、ともう一度呼びかける。
「はい」
こちらに向き直る彼に、一生は笑いかけた。
「メリークリスマス。よい一日を」
一瞬驚いたあと、早瀬は若者らしい笑顔を見せた。
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