桜のティアラ〜はじまりの六日間〜

葉月 まい

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一月八日

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 それからはあっという間だった。

 飛行機取れたぞーと仁が知らせてくると、美桜は急いで荷造りを始めた。

 新春ショーが終わるのが一月七日。
 その翌日にはイギリスに出発だ。

 ばたばたと決まったこととはいえ、実際に準備していると、期待で胸がわくわくしてくる。

 (またあの四人で集まるんだ。絶対楽しいはず!)
 
 とはいえ仕事も大事な局面、旅行にばかり気を取られる訳にはいかない。

 クリスマスのショーはもう始まっているし、それが終わればすぐにカウントダウンと新春ショーのリハーサルが待っている。

 しかも大みそかは泊まり込みだ。

 長いスパンでやるショーより、短期間でめまぐるしく内容が変わるこの時期の方が、頭も体もフル回転で疲れる。

 なんとか集中力で乗り切ったものの、イギリス出発時はふらふらだった。

 飛行機の中では、食事来たよ!と絵梨に起こされて食べる以外、ずっと爆睡していた。
 
 夕暮れに到着したヒースロー空港には、アレンが手配してくれた車が待っていると聞いていたが、思えばそこからおかしかった。

 「え?ちょっと待って。車って…これ?」

 スーツケースを引きながら仁の後ろを歩いていた絵梨と美桜は、

 「お!いたいた。メイソン!こっちこっち」

 と、どうやら顔なじみらしい、体格の良い人物に手を振る仁の背後から顔を覗かせてびっくりした。

 メイソンと呼ばれたドライバーらしき男性は、まるでホテルのドアマンのように長いマントの正装姿だったのだが、それよりも驚いたのは、彼の横に停められた車が、長い長いリムジンだったからだ。

 「こ、これって、ハリウッド女優とかが乗るやつよね?」
 「そうだよね。なんかシャンパンとか飲みながら…ね」

 そろそろと近付いていくと、それまで仁と挨拶を交わしていたメイソンと呼ばれた男性が、美桜達の前にすっと立ち、丁寧にお辞儀をした。

 二人も慌ててお辞儀をする。

 「えりさま、みおさま。ようこそお越しくださいました。私はウォーリング家に仕えるメイソンです。どうぞよろしくお願いします」
 「あ、は、はい。こちらこそ、よろしくおねがいします」

 思いがけず流暢な日本語で話しかけられ、二人の方がカタコトになりそうだった。

 (それにちょっと待って。えりさま、みおさまって…、さま?ウォーリング家に仕える?ウォーリングってアレンの名字だけど、仕えるって?)

 頭の中にハテナが飛び交う美桜達をよそに、メイソンはおもむろにリムジンのドアを開けた。

 「どうぞ。お乗りください」
 「ええ?こ、これに乗るの?ハリウッド女優じゃないのに?」
 「美桜ちゃんも絵梨も、さっきからぶつぶつ何言ってんの?早く乗りなって」
 
 そう言いながら慣れた様子でリムジンに乗り込もうとする仁を、メイソンがすっと手を添えて制する。

 「ノー。いけません、じんさま。Ladies firstです」
 「オー、ソーリーソーリー」
 
 オーバーなジェスチャーでおどけてみせる仁に二人は笑って、ようやくおそるおそる乗り込んだ。

 「ひゃあすごい。ねえ上見て、絵梨ちゃん。シャンデリアだよ!」
 「ほんとだ!煌びやかー」
 「二人とも何飲む?ジンジャーエールでいい?」

 最後に乗り込んだ仁が、慣れた手つきで黒いクーラーボックス(いや、もはや冷蔵庫?)からドリンクのボトルを出し、グラスに注ぐ。

 「ちょっと仁くん、そんな勝手に…」

 慌てる美桜を見て、メイソンがにっこり笑う。

 「いえ、どうぞご自由に。私がサーブしなくてはいけないのですが、運転しますので」
 「うんうん。こっちはくつろがせてもらうので、運転よろしく」
 
 仁が気取ったポーズで足を組みながらそう言うと、
 「かしこまりました。それでは出発いたします」
 
 後部ドアをゆっくりと閉めてから運転席に回り、メイソンは滑り出すように車を走らせ始めた。

 「うわー、動いたよ。」
 「すごいね!セレブな気分」

 と、絵梨と盛り上がったのはそこまでだった。

 美桜はまた、いつの間にか深い眠りに落ち、ほら、着いたよ!とゆすり起こされるまで記憶がない。

 うーん…と、まだぼんやりとしか開かないまぶたをこすりながら、なんとか車を降り、目の前の建物を見上げる。

 その二秒後に、美桜は混乱したような声を上げた。

 「え?何これ。ここどこ?」
 
 アレンの家に着いたとばかり思っていたのだが、目の前にはライトアップされた、まるで五つ星の高級リゾートホテルのような豪華な建物が広がっている。

 「ねえ、仁。ここって何?」
 
 美桜と同じ疑問を持った絵梨がそう声をかけるも、
 「うわー、さぶっ。早く中に入ろうぜ」
 そう言って、エントランスの巨大なドアを開けて待っているメイソンの横を、仁は小走りに入っていった。

 「ちょっと待って、荷物は?」
 「私が運びます。さあどうぞお入りください」
 
 メイソンにそう促され、二人はおずおずと中に足を踏み入れた。

 暖かい、そう感じてほっとしたのもつかの間、中を見渡して、またもやその高級な雰囲気に戸惑う。

 「ようこそフォレストガーデンへ」

 ぽかんと辺りを眺めていた二人の横に、いつの間にか綺麗な女性が立っていて、にこやかにそう声をかけてきた。

 (フォレスト…、何?)
 
 まだ状況を呑み込めないまま、二人は女性の方に顔を向けた。

 濃紺の長いドレスの胸元には、ロゴのようなマークのブローチが光り、髪もきちんと後ろでまとめ上げている。

 (ホテルのメイドさんみたい)
 
 ぼんやり考えていると、女性が少し膝を曲げながらすっと体を落としてお辞儀し、二人に柔らかい笑顔を向けた。

 「絵梨様、美桜様、ようこそお越し下さいました。私はお二人のお世話をいたしますメアリーと申します。どうぞなんなりとお申し付け下さいませ」

 「え、ちょっとすごい。日本語ぺらぺら!」

 絵梨が思わずそう声に出す。

 (うんうん、メイソンも上手だけど、それよりもさらに流暢!もはや日本人みたい)

 美桜も心の中で同意する。
 
 それに二人の名前を言いながら、彼女はそれぞれの方に顔も向けていた。

 (きっとどっちが絵梨でどっちが私か、すでに知っているのね)

 そこまで考えてから、はっとして慌てて彼女に向き直り挨拶する。

 「えっと、初めまして。美桜です。どうぞよろしくお願いします」
 「あ、私は絵梨です。よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げる二人にメアリーももう一度頭を下げる。

 「さあ、ではお部屋にご案内しますね。どうぞこちらへ」

 そう言って歩き始めたメアリーに、二人も続く。

 深紅のバラのような鮮やかな色の絨毯はふかふかで、まるで長旅で疲れた足を労わってくれているようだ。

 正面の空間は丸く広がり、その左右にゆるいカーブを描いた階段がある。

 「足元お気をつけて」
 
 振り返ってそう言ってから、メアリーは左側の階段を上り始めた。

 ゴールドに輝く手すりにつかまりながら、美桜と絵梨はなんだか優雅な足取りになり、お互い顔を見合わせてふふっと照れ笑いした。

 絵画が飾られた長い廊下を進み、ようやく案内された部屋は、これまた二人の想像をはるかに超えた素晴らしさだった。

 キングサイズのベッドが二つ、その横にはダイニングテーブル、そして入口の横にはソファと可愛らしい丸テーブルもある。

 「うわー、広い!ゴージャス!なんて素敵なの」
 「ほ、ほんとにこのお部屋を使っていいの?」

 単純に喜んで、早速大きなベッドに飛び込む絵梨を横目に、美桜は半信半疑でメアリーを振り返る。

 「もちろんですわ。こちらのドアを開けると、クローゼットとドレッサーがあります。さらにその奥がバスルームです」

 次々とドアを開けながら説明するメアリーの後ろで、美桜はもう溜息しか出てこなかった。

 有名なホテルのスイートルームでも、ここまでのものはなかなかないだろうと思う。

 (いや、行ったことないから分からないけど)

 ちょっと自虐的に笑ってから、またすぐ真顔になってあちこち眺めた。

 豪華さだけでなく、部屋の内装や家具もとてもセンスが良い。

 「このソファ、とっても可愛い。壁紙の模様も綺麗だし。お部屋の中すべてが素敵で、お姫様が住んでそうね」

 美桜がそう言うと、まあ、とテーブルに紅茶を用意しながらメアリーが笑う。

 「気に入っていただけて良かったです。この内線電話でいつでも私に繋がります。何でも仰って下さいね」

 ではごゆっくり、とメアリーが出ていくと、美桜はソファに座ってふうと一息ついた。

 そして高級そうなティカップに淹れられた紅茶を一口飲む。

 「はあ、おいしい!なんだろう、日本の紅茶と違って全然渋みがないよ。ねえ絵梨ちゃんも…」

 そこまで言ってベッドに目をやった美桜は言葉を止めた。

 絵梨はベッドに飛び込んだ時そのままに、うつ伏せになって眠っている。

 ちょっとやそっとじゃ起きそうにない。

 (仕方ないか、私だって今までずっと寝てたもんね)

 美桜は絵梨を起こすのを諦めて、紅茶に添えられていたクッキーをつまむ。

 (これってあれだよね。イギリスの有名な赤いパッケージの、えーっと、あ!ショートブレッドだ)

 日本でも食べたことがあるのに、口に入れると思っていたよりずっとおいしい。

 (なんでだろう、日本で食べたものと違うのかな?)

 そう首をひねりながら紅茶をもう一度口に含んで気付いた。

 この紅茶にとても良く合うのだ。

 紅茶のおいしさが日本と違うのも、きっと茶葉と土地の水の相性が良いのだろう。

 (なるほどね。本場のものは、やはりそこで味わうのが一番って訳ね)

 一人で納得してティタイムを堪能してから、さてこれからどうしようかと考える。

 絵梨は当分起きそうにないし、このままゆっくり寝かせてやりたい。

 (そういえば仁くんってどこだろう?)

 ふと思い立ち、仁を探しがてら、美桜は部屋の外を探索してみることにした。

 そっと廊下に繋がるドアを開けて、まず左右をきょろきょろと見比べてみる。

 同じような廊下が続いているが、左側はさっきメアリーに案内されて通ってきた道だ。
 進めばエントランスに繋がっているだろう。

 (じゃあこっちね)

 美桜はドアを静かに閉め、廊下を右に進んでいった。

 しばらくしてから気付く。

 (あれ?なんだか空気が違ってくる?)

 どういう訳か、湿気やにおい、気温までが少しずつ変化しているような気がするのだ。

 (なんかこう、スパとかプールの入り口みたい。そんな訳ないか)
 
 軽くそう考えながら突き当たりを道なりに左へと向かった美桜は、突然現れた一面緑の世界に目を見開いた。

 まるで自分は、現実から離れてどこか違う世界に来たのかとさえ思う。

 天井も見えず、どこが端なのかも分からないほど樹木に埋め尽くされた空間に、ただただ圧倒されるばかりだった。

(仁くんはもう!いったいどこにいるのよ?)

ここまでくると、なんだか腹が立ってくる。

ここはいったいどこなのか?
どうしてここに泊まることになったのか?
アレンは?

時差ボケもあって、もはや頭は全く働かない。

とにかく仁を問い詰めるしか、答えを出す方法はないだろう。

勢いに任せてずんずん歩いていた美桜だが、時折他の宿泊客らしき人達とすれ違うようになり、フレンドリーに、ハイ!と声をかけられるのに応えて次第に笑顔になる。

皆ドレスアップしていて、とても楽しげだ。

(うーん、この服装はさすがに浮いちゃうな)

日本を発った時のカジュアルな格好のままの美桜は、足元のスニーカーとジーンズを見下ろした。

と、その時だった。

川の流れる音に混ざって、聞き覚えのある笑い声が耳に飛び込んできた。

「仁くん!」

小さな水路のような川を挟んだ向かい側、緑の葉の間に、仁の姿が見えた。

よく見るとそこはバーのようで、仁は横長のカウンターの端の席で、バーテンダーらしき男性と談笑している。

「仁くんってば!」

もう一度大きな声で呼ぶとようやく気付き、おう美桜ちゃんと呑気に手を挙げてくる。

「おうじゃないよ、もう!」

怒ったようにそう返す美桜に仁はちょっと首を傾げ、今まで話していた相手に一言告げてから、川にかかった小さな橋を渡ってきた。

「どしたの?そんなおっかない顔して」
「どしたのじゃないよ!説明して!いったい何がどうなってるの?」
「何がどうって、なんのこと?」

ここまで言ってもまだとぼけた様子の仁に、美桜の口調はさらに強くなる。

「だっておかしいでしょ?アレンのうちに行くはずなのに、なんでこんな高級リゾートみたいな所に来たの?そもそもここってどこ?」
「うーん、別におかしくないけどね。だってざっくり言うとここはアレンだし。あ、アレンはここには住んでないから、正確に言うと別宅かな?いや、それも違うか」
「は?もう何言ってんの?」
「まあまあ、そのうち分かるよ。あとでちゃんと説明するからさ。その前に美桜ちゃん、ちょっと着替えた方がいいよ」

そう言われ、美桜はもう一度自分の服装を見て恥ずかしくなる。

「そ、そうだよね。私もそう思ってたんだけど。でも、他の人みたいなドレッシーな服持って来てないよ」

見れば仁は、いつの間にかオシャレな黒のジャケットを着ている。
中のブルーのシャツもシルクのように艶やかだ。

「心配すんなって。案内するよ」

なぜか馴れ馴れしく美桜の肩に腕を回して、仁は小道をさらに奥へと進んでいく。
 
美桜はもはやそれに従うしかなかった。

 何組かのカップルとすれ違い、中には仁にハイ!ジン、と声をかける外国人もいて、よほどここに慣れているんだなあと、美桜は仁の横顔を見上げる。

 しばらく歩いた後、着いたぜ、と言って仁は、南国ムード溢れる何かのサロンのような所で足を止めた。

 「Hi! Lisaリサ. How are you doing?(ご機嫌いかが?)」

 片手を挙げながら、仁は受付らしき所にいた女性に親しげに声をかける。

 うつむいて何かの作業をしていたその女性は、仁に気付いてぱっと笑顔を浮かべた。

 「Wow, Jin ! It’s been a while.(お久しぶり)」
 「Really?  I see you every night in my dream.(そう?俺は毎晩夢で君に会ってるよ)」

 Oh!と女性は胸に手を当てながら、大げさに嬉しそうなリアクションをする。

 (仁くんってば…。世界中どこでもそのキャラなのね)

 眉間にしわを寄せながらこちらを見上げている美桜の視線に気付き、仁は軽く咳払いをしてから真顔を作る。

 「あー、うん。Lisa,  this is my friend Mio. She comes with me from Japan.
 (リサ、こちらは友人のミオ。一緒に日本から来たんだ)」

 「Wow! Great! Well, ハジメマシテ、リサデス」
 にこやかに手を差し出されて、美桜も応える。

 「初めまして、美桜です。Nice to meet you.」

 二人の握手を見守ってから、仁がリサに言う。

 「Can you please help her? She wants to change her clothes.(彼女を手伝ってくれる?着替えたいんだ)」

 Sure! (もちろん) と短く答えてからリサは美桜の右手を取り、コチラヘドウゾと歩き出す。 

 「じゃあねー美桜ちゃん。ごゆっくりー」

 いつもの口調で手を振る仁に見送られ、美桜はリサのエスコートで通路を奥へと進んだ。

 右側は普通の壁だが、左側は柔らかいカーテンで仕切られていて、二人が通り過ぎるとふわりと揺れる。

 アロマの心地よい香りが漂う中、やがて二人は広いスペースに出た。

 ドウゾ、と美桜をオフホワイトの丸い絨毯の上に案内すると、リサはそのまま壁際まで行き、大きなカーテンを一気に開いた。

 「うわっ、すごーい」

 思わず声を上げずにはいられない。

 そこには、色取り取りの綺麗なドレスがずらりと並んでいた。

 (高級ブティック?いや、もはやプリンセスの衣裳部屋?)

 そんなことを考える美桜のかたわら、リサは何やら真剣な面持ちでドレスを選んでいる。

 「You can choose any dresses you like, but…(どれでも好きなドレスを選んでもらっていいんだけど…)」

 呟くように言った後、リサは上品な淡いブルーのドレスを手に取った。

 「コレハドウデスカ?」

 手を高く挙げて美桜に見せてくれたそのドレスは、胸元にオーガンジーが綺麗に幾重か重なり、そこから流れるようなラインのスカート部分が広がっている。

 袖は手首までふんわりと緩く、よく見ると透けるような軽い素材が使われている。

 胸元のデザインのおかげで腰の位置が高く見え、袖口も絞ってあることで手足を長く見せてくれるだろう。

 「素敵なドレス!とっても綺麗」
 
 うっとり見惚れる美桜にリサは頷いた。

 「デハキガエマショウ」
 「え、いやちょっとまって。着替えるの?え、これに?」

 戸惑う美桜をよそに、
 「サイショニシャワー、デショ?」
 とリサが再び通路の奥に歩き出す。

 (え?シャワーって言った?あ、確かにシャワー浴びたいわ。飛行機乗って長旅だったし)
 妙なところは冷静に考える。

 やがて大きなステンドグラスがはめられた扉にたどり着き、リサはその横の更衣室らしき部屋へ美桜を案内する。

 「タオル、アンド、バスローブ、コレネ」

 棚の中からふわふわの清潔そうなタオルとバスローブを取り出し、ドレッサーの上に置くと、
 「Take your time!(ごゆっくり!)」
 にこやかに笑って、部屋を出て行った。

 センキューととりあえず笑顔で応えたものの、美桜はこの状況に戸惑いを隠せない。

 (なんだろう?着替える…。まさかあのドレスに?)
 
 とにかくここで固まっていても仕方がない。
 (シャワーを浴びてさっぱりしよう。うん)

 美桜は着ていた服を脱いで置いてあったカゴに入れると、タオルを手に部屋を出た。

 ステンドグラスのこの大きな扉がシャワールームに繋がっているとは到底思えないが、ここしか考えられない。

 美桜は意を決して扉の前に立った。

 よく見るとスライド式らしく、タッチすれば自動で開くものらしい。

 (なんだか重厚な感じの扉だけど、案外簡単に開くのね)

 軽くセンサー部分に触れ、扉が開くのを待ってから顔を上げた美桜は、目の前に広がる光景にまたしても固まった。



 「もうもう、ほんとに信じられない!」
 立ったまま美桜はガシガシと乱暴に頭を洗う。

 備え付けのシャンプーやリンス、ボディソープは、どれもとても良い香りで滑らかだ。

 (どこのメーカーのものだろ?買いたいな、これ)

 そう思って一瞬は冷静になっても、またすぐ投げやりな気分になり、シャワーで一気に洗い流した。

 キュッと蛇口をひねってお湯を止めてから、ふうと深呼吸する。

 (やっぱり見て見ぬふりは出来ない。確かめないと)

 神妙な面持ちで頷くと、髪をタオルでまとめてからシャワーブースを出る。
 とたんにドドドッとものすごい音が聞こえてきた。

 これこそが、さっき扉を開けた時に美桜を驚かせた正体不明のものなのだ。

 おそるおそるもう一度そちらに目を向ける。

 (滝、やっぱりあれって滝だよね?)

 湯気でかすむ視界の奥、正面にそびえ立っているのは、どこから見ても巨大な岩で、その頂点からものすごい勢いで水、いや正確に言うとお湯が流れ落ちている。

 そしてもちろん、この空間はそれだけとても広く天井も高いのだ。

 (スーパー銭湯とか、流れるプールとか?)

 思い浮かべるとしたらそんなイメージだが、それにしてもここまでのものは見たことがない。

 ここがどれだけ広いのかも、湯気でいまいち把握出来ない。

 美桜はゆっくりと滝に近づいてみることにした。

 他には誰も見当たらない。
 その事がさらに美桜を不安にさせる。

 滑らないように気を付けながらそろそろと歩いていくと、滝の手前は川のように水、もといお湯が流れていた。

 美桜はしゃがみ込み、まずは手を入れてみる。
 「わ、あったかい!」
 
 知らぬ間に体が冷えかかっていた美桜は嬉しくなり、先ほどまでの恐怖心を忘れて浸かってみることにした。

 「ほわー、あったまるー」

 ゆっくり体を沈ませていくと、体の芯からとろけていくような心地良さが広がった。

 「ふう。極楽極楽」

 さっきまであんなに混乱していたのに、もはやここが何なのか、どうでも良くなってきたのが笑える。

 美桜はなんだか楽しくなり、平泳ぎのようにスイスイとお湯をかき分けて進む。

 滝壺の辺りまで行くと、それ以上は近付けないように岩で囲われていた。

 淵に肘を付き、両手に顔を乗せてしばらく滝壺を眺めていた美桜は、もう少し向こうの方まで行ってみようとまたお湯をかき分け始めた。

 流れに上手く乗ると、時折ふわっと体が浮き、それが楽しくて美桜は子どものように、わーい!とはしゃいだ声を上げた。

 本当はもっと奥まで進んで全貌を明らかにしたかったけれど、はしゃいだおかげでのぼせてしまい、諦めて途中で上がることにした。

 「うー、頭がくらくらする」

 更衣室に戻ってタオルで体を拭きながら、美桜は、あんなにはしゃぐんじゃなかったと後悔する。

 バスローブを着てドレッサーの前に座り、近くに置いてあった冷たいミネラルウォーターを飲むと、ようやく頭がすっきりした。

 と、さっき脱いだ服を入れたはずのカゴが見当たらない。

 「あれ?どこいったんだろう。私の服」

 辺りを探していると、ドアの向こうからリサの声がした。

 「 Excuse me. ミオ、ダイジョウブデスカ?」
 「あ。はい、大丈夫。あの、私の服はどこ?」

 そう言いながらドアを開けると、リサは、
 「フクネ。クリーニングシテマス。デハコチラヘ」

 にっこり笑いながら再び美桜の手を取って歩き出す。

 美桜はもういちいち考えることをやめて、それに従うことにした。

 リサは、また別の新しい部屋へ美桜を招き入れる。

 大きなドレッサーがあるそこは広々としていて、壁にはさっきのブルーのドレスが掛けられていた。

 姿見が置かれた絨毯の真上には、天井からくるりと丸くカーテンレールが付いていて、カーテンの中で着替えられるようだ。

 リサは美桜をドレッサーの前のふかふかの椅子に座らせると、慣れた手つきで美桜の髪をドライヤーで手早く乾かす。

 それで終わりかと思いきや、続けてリサは、目を見張るスピードでくるくるといくつものカーラーを美桜の髪に巻いていく。

 (すごーい。プロのヘアメイクさんかしら?)

 美桜のその考えは正しかったようだ。
 リサはやがて大きなメイク道具を取り出し、これまたスピーディーに美桜にメイクを施していく。

 時折離れて、少し考えるように壁のドレスと美桜の顔を交互に眺めてから、またさっと手を動かし始める。

 その鮮やかな手つきを眺めているうちに、気付けばメイクもヘアセットも終わっていた。

 Finished!(終わり) のリサの声に顔を上げて、美桜は鏡の中の自分にびっくりした。

 別人のように綺麗にメイクされている。

 「えー!誰これ、すごい!こんなの初めて」

 まじまじと鏡を覗き込む美桜に満足そうに頷いてから、リサは美桜を絨毯の上に連れていく。

 小さな棚の前にしゃがんで何か考えているようだったリサは、やがて立ち上がり、取り出したものを美桜に渡した。

 「How about this…アー、サイズOK?トライシテミテ」
 そう言い残して、カーテンを閉める。

 渡されたものは、よく見ると新品の下着類だった。

 (えっとこっちはコルセット?かな)

 肩紐はなく、胸からお腹部分を覆うタイプで、小さなホックをいくつか背中で止める。

 (うおー、引き締まるー)

 昔、ヨーロッパの貴族婦人は、ウエストを細く見せるためにコルセットをぎゅうぎゅうに締め上げていたことを思い出す。

 (なんかのイラストで見たなあ。柱にしがみついて、メイドが紐をぎゅーって締めるのを耐えるのよね。うー、怖い怖い)

 そこまではいかなくとも、このコルセットも美桜のお腹をきゅっと締めて細く見せてくれる。

 鏡を見ながら体をひねったりしていると、カーテンの向こうからリサが大丈夫かと声をかけてきた。

 OKと答えてカーテンの中にリサを招き入れる。

 少し美桜を眺めてからホックの位置を付け変えたりして整えると、リサはいよいよ壁に掛かったドレスを下ろした。

 背中のファスナーを下げ、美桜が着やすいように中に空洞を作ってから片膝をつく。

 「サアドウゾ」

 美桜の右手を取ってドレスの真ん中に立たせると、リサは注意深くゆっくりとドレスを引き上げていった。

 やがてドレスが胸元までくると、美桜もそっと左右の袖に腕を通す。

 背中のファスナーのあと最後にホックを止めたリサが、鏡に映る美桜を見て溜息混じりに感嘆の声を上げた。

 「Wow! You are so beautiful!」

 美桜は照れ笑いを浮かべてお礼を言う。

 なぜ今自分はこんなに綺麗なドレスを着せてもらっているのか、考えても分からないけれど、とにかくなんだか嬉しかった。

 髪はハーフアップでまとめられ、肩に下ろした部分はふんわり広がり、毛先はくるっとカールしている。

 動くたびに揺れるのが楽しくて、美桜は意味もなく首を振ってみたりした。

 メイクも、決して派手ではないものの、目がぱっちり大きく見え、チークや口紅もしっかり色が乗っているのに顔から浮くこともなく馴染んでいる。

 (はあ…、こんな気分初めて!)

 リサが用意してくれた、少しヒールの高い靴に足を入れる頃には、さっきまで頭の中でいっぱいだった数々の疑問は、もう考えなくなっていた。

 (なんだか、素敵な事が始まったような気がする)

 美桜は心の片隅で、ぼんやりとそう思った。



 リサと一緒に受付まで戻ると、仁は別の女性となにやら楽しそうに話しているところだった。

 「Here comes your princess!(プリンセスのお出ましよ)」
 リサが声高にそう声をかける。

 (やだ、リサったら。なんてことを)

 恥ずかしさに美桜が思わず両手で頬を押さえていると、仁がふとこちらを見る。
 と、とたんにその顔からすっと笑顔が消えた。

 (え?仁くんどうかした?もしかして、ものすごく変なのかしら、私…)

 いつもの軽い口調で何か言われると思っていたのに、仁はじっとこちらを見たまま何も言わない。

 その沈黙に耐えられず、美桜はおそるおそる口を開いた。

 「あの、仁くん?どうかした?そんなに変?」
 「あ、いや、ごめん。そうじゃないよ。うん」

 仁は、はっとしたように慌てて首を振ると立ち上がった。

 「じゃあ部屋に戻ろうか」
 「あ、うん。そうだね」

 美桜は、こちらの様子を心配そうに窺っていたリサに向き直る。

 「リサ、色々とどうもありがとう。Thank you for everything.」
 「It’s my pleasure! Have a good one!(どういたしまして。素敵な夜を)」

 出口で見送ってくれるリサにもう一度手を振ってから、美桜と仁は歩き出した。

 肩を並べて小道を進みながら、美桜はそっと隣の仁を見上げる。

 (なんだろう?いつもの仁くんじゃないみたい)

 さっきまでのウキウキした気分もどこかへ行ってしまい、美桜はただ黙って仁と歩く。

 そのうちに、ずっと疑問だったことが頭の中に蘇ってきた。

 「そうだ、仁くん!」
 
 急に大きな声で呼ばれ、仁はびくっとしながら美桜を見る。

 「ど、どうしたの、急に。あーびっくりした」
 「ずっと聞かなきゃと思ってたの。だって私、何にも知らなくて。こんなこと。だからどうすればいいんだろうって…」
 「ちょちょ、ちょっと待って、美桜ちゃん。いったい何の話?」

 勢いづいてまくしたてる美桜に、たまらず仁はストップをかける。

 「だから、ここのこと!お部屋はとっても豪華だし、リサにもこんなにしてもらって。でも私、てっきりアレンの家に泊めてもらうとばかり思ってたから、その…、お金をたくさん用意してなくて」

 そう言って美桜がうつむくと、仁は急にいつもの明るい口調に戻って言った。

 「なーんだ、そんなこと気にしてたの?心配ご無用!ここは一切お金かからないよ」
 「え?どういうこと?」
 「だーかーら、宿泊料もブティックでドレス借りるのも、レストランで食事するのも、ぜ―んぶタダ!」
 「は?そんな訳ないでしょ?」

 いったい仁は何を言っているんだろう?

 話がかみ合っている気がしない美桜がさらに詰め寄る。

 「こんな高級なホテルで全部タダって…。さっぱり意味が分からないんだけど」
 「だってホントにタダなもんはタダなんだって。俺、今まで一回も払ったことないぜ。請求もされないし。他の客だってみんなそうだよ。って言っても一般客はいないけどね」

 (ダメだ、頭が痛くなってきそう)

 美桜はこめかみの辺りを指で押さえる。
 次に何を言えばいいのかも分からない。

 「んー、まあ普通のホテルだと思うから混乱するんだよ。ここはウォーリング家の、うーん、なんて言えばいいのかな。いわばおもてなしハウス?ってとこ」

 お・も・て・な・し、と、いつぞや流行ったフレーズを真似する仁に、美桜はもう体の力が抜けていく気さえする。

 「まあまあ、とにかくさ。お金のことは気にせず、楽しめばいいんだよ」
 「そういう訳にいかないよ!仁くんはそれでいいかもしれないけど、私はせめて少しでも払わないと気が…」

 しっ!と仁が急に人差し指を口に当てる。

 「声が大きいよ、美桜ちゃん」
 「あ、ごめん」

 いつの間にか、ホテルの廊下に戻っていた。

 (つい大きな声出しちゃった。部屋の中まで聞こえちゃったかな)

 そう心配していると、前方でがちゃりと誰かがドアを開ける音がした。

 (怒られるかな…)
 と身をすくめたが、そうではなかった。

 「あ!やっと帰ってきた」
 顔を出したのは絵梨だった。

 「美桜も仁も、今までどこに行って…」
 途中で言葉を止めて、絵梨はまじまじと美桜を見る。

 「えー!美桜?どうしたの、その格好。一瞬誰かと思っちゃった」
 「あ、うん。そうなんだ。着替えさせてもらって…」

 煮え切らない口調で美桜が言うと、絵梨は全く気にも留めず、
 「いいなー、美桜だけ。私も私もー」
 そう言って仁に詰め寄る。

 「はいはい。連れて行くよ。美桜ちゃん、すぐ先の右手にダイニングルームがあるからさ。そこで待ってて。もうすぐアレンが来ると思う」
 「うん。分かった」
 「あ、ドリンクとか、カウンターにあるから。適当に何か飲んでて」
 「はーい。行ってらっしゃーい」

 一応そう言って手を振ってみたものの、絵梨は一度も振り返ることなく、まだ美桜に声をかけている途中の仁の手を引いて、前のめりに歩いて行った。

 (あはは、仁くんたら引っ張られてる。気合い入ってるなあ、絵梨ちゃん)

 二人が角を曲がるのを見送ってから、美桜は仁に言われた通りダイニングルームに向かった。

 (ここかな?)

 自分達の部屋の斜め向いに、ドアを開け放っている部屋があった。

 中を覗いてみると、確かに大きなダイニングテーブルがある。

 美桜はゆっくり中に足を踏み入れた。

 あちこちでキャンドルの灯りが揺れている。
 他に照明はなく、ぐっと明るさを落としている。

 (なんだかムード満点ね、ロマンチック)

 入ってすぐの右側に、言われた通りカウンターがあった。

 コーヒーや紅茶のポットの他にも、数種類のジュース、フルーツやクッキーなどもある。
 盛り付けも綺麗でおいしそうだ。

 (ビュッフェの軽食コーナーみたいね)

 美桜はカップにコーヒーを注ぎ、ミルクを多めに入れた。

 少し迷ってから、クッキーをトングで取って、カップのソーサーに載せる。

 さてどこに座ろうかとダイニングテーブルを見たが、あまりの大きさにためらった。

 (おっきいなあ。十人は軽く座れるわね)

 椅子は片側に三脚ずつ、六人分しかなかったが、ゆったりと距離を取っているため、詰めればもっと座れるだろう。

 ここに一人で座るのは何だか寂しい気がして、美桜は部屋の奥にあるソファに座ることにした。

 (わあ、ふかふか!コーヒー置いてからで良かった)

 カップを手に持ったまま座っていたら、予想以上に沈み込むソファにコーヒーをこぼしてしまっていただろう。

 手を伸ばしてカップを取り、ゆっくりとミルク多めのコーヒーを飲む。
 体が温まり、思わず美桜はふうと息を吐きながらソファに背を預けた。

 (なんだか不思議だなあ、昨日までの日常が嘘みたい)

 なにもかもが違う世界に迷い込んだ気がする。

 時間の流れ方も違うかのように、ゆっくりとコーヒーを味わった。

 (それにしても、高い天井。カーテンも大きいし)

 クッキーも食べ終わり、ぼんやりと辺りを眺めていた美桜は、なんとなく立ち上がって窓際のカーテンに手をやった。

 (分厚いし重ーい。しっかりした布。きっと外の冷たい空気を遮断するためね)

 その証拠に、少し手を入れるとその内側は、ひんやりとした空気が溜まっていた。

 (あれ?ひょっとしてこれ、扉になっているのかな?)

 もう一枚掛けられているレースのカーテンを少しずらすと、ガラス窓が現れたが、よく見ると腰の位置にレバーがある。

 美桜は二重のカーテンを左右に少し開くと、レバーを両手でぐっと下げてみた。

 そのままゆっくりと前方に押してみる。ギーッときしむ音とともに、扉がゆっくりと開く。

 (あ、バルコニーになってるんだ)

 美桜はドレスの裾を少し持ち上げて、一歩外へ踏み出した。

 とたんに、驚くほど冷たい風が吹きつけて、思わず身をすくめる。

 (うわっ、寒い!)

 慌てて扉を閉めようとしたが、ふと視界に入ってきた景色に手を止める。

 (え、もしかして、星?)

 外は真っ暗で何も見えない、そう思ったのは最初だけで、よく見ると星が煌めいているのが分かる。

 しかも目が慣れるのに合わせてどんどん数が増えていく。

 (うそ、いったいどこまでが空なの?)

 上を見上げなくとも、真っ直ぐ前を向いていても無数の星が見える。

 それだけ視界を遮るものが何もないということだった。

 (あの真っ直ぐな横のラインは、ひょっとして、地平線?)

 それより下に星はない。ただ、そこを境に上を見渡せば、一面に数え切れないほどの星が燦然と輝いているのだ。

 「すごい…」

 美桜は、図鑑でしか見たことのない満天の星空が、こんなにも美しく今目の前に広がっていることに、ただただ言葉を失って立ち尽くしていた。



 「あれ?」

 いったいどれくらい経ったのだろう。

 誰かの声が聞こえてきて、ようやく美桜は我に返った。

 振り向くと、コツンとかかとの音を鳴らしながらバルコニーに足を踏み入れる人影があった。

 暗くて顔はよく見えない。

 けれど、
 「ひょっとして、美桜?」
 低めに響く艶やかなその声で、誰なのかはすぐに分かった。

 「あ、うん。久しぶり、アレン」

 すこしどぎまぎして美桜が答えると、アレンは明るい声で嬉しそうに言う。

 「久しぶり!いやー、びっくりしたよ。一瞬誰だか分からなかった。ずいぶん印象変わったね。すっかり大人のお姉さんって感じで」
 「あ、いやこれは、さっきブティックで…」

 そこまで言って美桜は、急に思い出したように口調を変えた。

 「そうだ!アレン。あの、私ね、てっきりアレンのおうちにお邪魔させてもらうんだと思ってたの。ほら、使ってないお部屋とか。日本でいうと和室とか?四畳半のお部屋を絵梨ちゃんと二人で使わせてもらうとか、そう思ってたのね。そしたらこんな高級なところで。メイソンやメアリーも良くしてくれるし、それにそう!このドレス!リサに着せてもらって、なのに仁くんはお金払わなくていいって言うし」

 「うん、もちろんそうだよ。だって美桜達は大事な友人なんだから」

 「いや、そんな訳にいかないよ。正規の料金は無理かもしれないけど、せめて少しでもお支払い…」

 そこまで言った時だった。

 「美桜」
 急に真顔になったアレンが低いトーンで遮る。

 ピリッと緊張感のある空気が流れて、美桜は身を固くした。

 「いい?俺は美桜達に、ここでの滞在を楽しんでもらいたいと思っている。絵梨や仁と一緒に良い時間を過ごして欲しい。ただそれだけだ」

 そう言って、うつむき加減の美桜の顔を覗き込む。

 「分かった?」

 美桜がこくりと頷くと、良かった!と元の明るさに戻り、ポンッと美桜の頭に手をやった。

 なんだかお兄ちゃんに諭された妹みたいな気分になる。

 「さ、中に入ろう。外は寒すぎるよ」

 そう言われて急に美桜も寒さを思い出し、アレンに続いて部屋に戻る。

 「そう言えば、絵梨と仁は?」

 後ろ手にバルコニーの扉を閉めながら、アレンが尋ねてきた。

 「あ、今ね、ブティックに行ってる。絵梨ちゃん、さっきまで寝ちゃってて、一緒に行けなかったの」

 そう説明しながら、ようやく明かりの中でアレンの姿を見た美桜は、まじまじと見つめ直す。

 黒のジャケットは後ろが長くなっていて、タイトなパンツやロングブーツと合わせた正統派な装いだった。

 スタイルが抜群に良い。

 「アレン、背伸びた?」
 「うーん、どうかな?少し伸びたかも」

 いや、少しどころではないだろう。

 高校の制服姿しか思い浮かばないアレンが、別人のように思えてくる。

 (なんだろう、久しぶりなのもあるけど、なんだか知らない人みたいでそわそわしちゃう)

 次に何を話そうか考えていると、廊下から賑やかな声が聞こえてきた。

 聞き覚えのあるその声はだんだん近付いてくる。

 「あ、絵梨ちゃん達戻ってきたみたい」

 案の定、やがてご機嫌な様子の絵梨が顔を覗かせた。

 「美桜、お待たせー。じゃーん!どう?」
 「うわー、素敵!絵梨ちゃん。大人っぽい」

 でしょう?と絵梨は、得意気にくるっと回ってみせた。

 ブラックのマーメイドラインのドレスが、絵梨の細いウエストを強調して、ぐっと大人の女性の雰囲気を醸し出している。

 「なんだかテンション上がるわよねー。あ、アレン!」
 
 ようやく気付いてくれたと言いたげに、苦笑いを浮かべながらアレンが声をかける。

 「絵梨、久しぶり。いやはや、すっかり大人の女性だね」
 「そうなのー。ここのブティック最高ね!まだまだたくさん素敵なドレスがあったわよ。それにお部屋も最高!いいの?こんな高級な ところに泊めてもらっても」

 あ、それは絵梨ちゃん、あの…、と慌てた様子の美桜をよそに、
 「もちろん。思う存分堪能して」
 とアレンが笑いかけると、
 「ありがとう!アレン大好き!」

 絵梨がアレンに抱き付く。

 おいおい、と美桜の隣で小さく呟いた仁が、よっ!とアレンに片手を挙げる。

 絵梨に体を持っていかれそうになりながら、アレンも軽く手を挙げた。

 (男同士ってあっさりなのね)

 美桜は、二人がなんだか格好良く思えた。

 仲良し四人組の時間は、そんな風に賑やかに、以前と変わらない雰囲気で再び動き始めたのだった。



 「えー、ゴホン。それでは、我らの再会と永遠の友情を祝して」
 「かんぱーい!」
 
 仁が音頭を取り皆で乾杯する、それは昔からのお決まりだった。

 「んー、おいしい!」
 「ほんと、気分いいねえ」

 変わったことと言えば、グラスの中がジュースではなくワインになったことだ。

 「いやー、俺らも大人になったねえ」
 「うん、こうやってみんなでお酒を飲めるなんてね」

 仁と絵梨の言葉に、美桜も頷く。

 「でも、四人でいると、あの頃と何も変わらない気もするね。すごく心地いい」
 
 アレンの言葉にも皆で同意する。

 さっきはあんなに広いと感じたダイニングテーブルには、今や数々の美味しそうな料理が所狭しと並べられている。

 運んできてくれるのは、少し年配の、これまたきちんとした身なりのグレッグという男性だ。

 ウォーリング家の執事をしていると、先程またもや流暢な日本語で挨拶してくれたのだった。

 「お料理、どれもこれも本当においしいね」
 「うん。もう私、一生分の贅沢を今味わってる気がする」
 「やだ、美桜ってば」
 
 本気で言ったのに、なぜか絵梨だけでなく仁やアレンにも笑われた。

 「美桜ちゃんてさ、時々天然だよね」
 「うん。面白い事言うよね、昔から」
 「ええ?そう?私いつだって真面目に話してるのに」
 「だから、そういうところが天然なの!」

 絵梨がダメ押しのように言うと、また皆で笑い出した。

 (ま、いいか)

 つられて美桜も笑い出す。
 何を話していても楽しくなる、それがこの四人だった。

 食後はソファに移動して、デザートをお供におしゃべりは続く。

 「へえ、アレンはもう大学卒業したんだね」

 そう言いながらエスプレッソを飲む絵梨は、なんだかとてもさまになっている。

 「うん、こっちの大学は単位さえ取ればいいんだ。日本みたいに、三月まで待たなくても卒業出来るよ」

 今は父親の仕事を一緒にしており、明日の早朝には自宅に戻らなければと言うアレンに、珍しく仁が真剣に聞く。

 「どう?家業は。最近は上手くいってるの?」

 アレンはソファにもたれると、ちょっと難しい顔をした。

 「うーん…、相変わらずかな。時間だけが過ぎていって、大して進まない。これといった成果も上げられないから、焦るよ」
 「まあな、お前の仕事って難しいもんな。貿易商みたいなこともするし、政治的な仕事もあるし。親父さんとお前の二人で全部やるっていうのも無理があるんじゃないか?」
 「確かにそれはあると思う。けど、だからと言って他の人に頼むのもどうなのかなって。それに、アイデア次第だと思うんだ。良いアイデアさえ浮かべば、あとは上手く進んでいくような気がする」

 うーん、そうかもなと仁は頭の後ろで両手を組んで天井を見上げる。

 「まあ、俺じゃあなんの助けにもならないだろうけど、何かあったらいつでも相談してくれ。話を聞くくらいなら出来るから」

 いつになく真面目な仁に、アレンは笑顔で答える。

 「いや、心強いよ。また相談させてくれ」

 二人は右手をグーにして、軽く突き合わせた。

 (アレン達、知らない間にぐっと大人になったみたい)

 男同士の固い友情や、真剣な仕事の話…

 「なんだか二人ともかっこいいね」
 美桜がそう言うと、
 「いやー、そうっすか?溢れちゃってます?俺らのかっこよさ」

 キザったらしく前髪をかき上げる仁に、
 「ダーメだこりゃ」
 と絵梨が両手を広げてお手上げのポーズをする。

 また四人は一斉に笑い出した。

 楽しい時間はあっという間に過ぎていった。

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