夕陽を映すあなたの瞳

葉月 まい

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夕陽に癒やされて

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 木曜日の午後。
 心は昴の自宅マンションに向かっていた。

 (えーっと、駅から徒歩3分のタワーマンション…って、あれのこと?!)

 改札を出て前を見ると、ドーンと大きなタワーがそびえ立っている。

 (え、オフィスビルかな?だって、まさかこんなに大きなタワーがマンションだなんて…)

 だが他にそれらしい建物も見当たらず、心はとにかくそのタワーのエントランスに入ってみた。

 ホテルのロビーのような空間を恐る恐る進むと、革張りのソファーで本を読んでいる昴がいた。

 「い、伊吹くん?」

 昴はふと顔を上げて心を見ると、本を閉じて立ち上がり、にこやかにこちらに向かって来る。

 「久住、わざわざ来てもらって悪いな。道、分かったか?迷わなかったか?」
 「あー、うん。道は迷わなかったけど、違う意味で迷った」
 「ん?どういうこと?」

 だって…と、心は声を潜める。

 「こんな所に本当に人が住んでるの?」
 「え、俺、住んでるけど?」
 「住めるの?オフィスのフロアがあるだけじゃないの?」
 「いや、普通の居住スペースだよ」
 「本当に?」

 まだ疑わしそうに辺りを見回す心に、昴は、とにかく部屋へ行こうとエレベーターに向かった。

 静かにエレベーターが上がる中、また心は真剣に昴に声をかける。

 「伊吹くん。私ね、修羅場とか揉め事とか苦手なの。だから伊吹くんの部屋には上がらない。パソコンだけ取って来て?どこかファミレスにでも行こう」

 すると昴は、眉間にシワを寄せたまま固まる。

 「ごめん、久住。復唱してもいい?久住は修羅場が苦手だ。だから俺がパソコンを取って来たらファミレスへ行く。これで合ってる?」
 「うん、合ってます」

 いよいよ訳が分からない、とばかりに、昴は視線を外して考え込む。

 (え、待てよ?また宇宙人の降臨か?じゃあ今回もやり直してみるか。でもどこから?)

 そうしている間にエレベーターが到着し、扉が開く。

 とにかく昴は、心を連れて部屋へ向かった。

 カードキーをタッチして玄関のドアを開けると、心を振り返る。

 (よし、じゃあ、さっきの話は聞かなかったことにしてみるか)

 「どうぞ、入って」

 にっこりと心を中へ促す。

 「伊吹くん。私は部屋には上がらないってば。修羅場とか、嫌なんだもん」
 「え、別に修羅場じゃないよ?普通のうちだけど…」
 「そんな呑気なこと言って…。私が部屋にいるところをもし彼女に見られたら、一気に修羅場になるよ?」

 あ、そういうことか!と、昴は手のひらを打った。

 「久住。俺、彼女いないから」
 「え、そうなの?なーんだ。それならそうと早く言ってよ」

 はいー?と昴は眉を寄せる。

 「だって伊吹くん、26歳でしょ?彼女いるだろうなって思うじゃない。あ、そう言う私も26で、彼氏いないけど。でも伊吹くんはバリバリの商社マンだし、モテるでしょ?このこのー、色男!」

 そう言うと心は、脱力している昴を尻目に、お邪魔しまーすと靴を脱いだ。

 「うわー、広い!明るい!」

 窓から射し込む陽の光に目を細めながら、心は興奮して窓から外を見る。

 「凄い景色ねー。あ、海が見える!何階なの?ここ」

 昴が25階と答えると、心は目を丸くする。

 「そんなに高いんだ!酸素とか薄くないの?」
 「いや、多分大丈夫」

 真顔で答える自分に、昴は苦笑いする。

 (なんか俺、久住の独特さにだんだん麻痺してきたな)

 『心ワールド』に慣れ、もはや多少のことでは動じない。

 「久住、コーヒー飲むか?アイスティーもあるけど」
 「あ、じゃあアイスティーお願いします!」

 オッケーと昴はグラスに注ぎ、ダイニングテーブルに置く。

 だが、心は窓に張り付いたままだ。

 「久住、高い所平気なのか?」
 「うん。え、伊吹くんは?まさか苦手なんてことは…」

 心が振り返ると、昴は苦虫を噛み潰したような顔で頷く。

 「えー?!じゃあ、なんでここに住んでるの?」
 「いや、だってさ。LAに1年赴任してて急に帰国が決まった時、間取り図と内装の写真だけ見てここに決めたんだよ。いざ入居しようとして、あれ?2階だっけ5階だっけ?ってよくよく見たら、まさかの25階で…」

 はいー?!と心はうわずった声で驚く。

 「そんな人いるー?えー、信じられない」
 「いやー、俺もびっくりした」
 「伊吹くん、完璧な優等生ってイメージだったのに。なんかガッカリ…」

 あからさまにため息をつくと、昴も心に抗議する。

 「それを言うなら久住だって。俺、高校生の時、久住っておとなしくて真面目で、控えめな女の子だなって思ってたのに」
 「あー、よく言われる。私、黙ってるとおとなしく見えるらしいのよね。で、話してみたら、えー?!そんなこと言う子だったんだー!って驚かれる。普通なのに…ねえ?」

 いや、それは同意出来ないな…と、昴はこっそり首を振る。

 「あと、ジーンズ履いてるのも驚かれたりする。スカートとワンピースしか着ないイメージだったーとか」
 「え、違うのか?」
 「ぜーんぜん。いつもジーンズとスニーカーだよ。ほら、今日だってそうだし」
 「いや、だから俺もさっき、珍しいなって思った。この間レストランに下見に行った時は、違っただろ?いつもああいう感じかと」

 心は笑って手を振る。

 「違う違う!この間の方が珍しいの。ほら、ホテルのレストランだったからね。私がスカート履くなんて1年で2回くらいかな?伊吹くん、だいぶレアな私に出くわしたわね」

 はあ…と、昴は気の抜けた返事をした。

 しばらくそんな会話をしてから、二人はようやく作業に取りかかった。

 心が愛理からもらった写真や動画、昴が慎也からもらったものも、全てパソコンに取り込む。

 編集ソフトにそれらを移すと、自動で編集されたものがすぐに出来上がった。

 「うわー、凄い!もう出来たの?」
 「ああ。これを手直ししてもいいし、1から自分で作ることも出来るよ」
 「えー、これで充分じゃない?1回再生してみて」
 「分かった」

 昴がカチカチとマウスを操作すると、音楽と共に、まるでドラマのワンシーンを切り取った総集編のように、次々と写真や動画が流れてくる。

 「ひゃー、素敵ねー。青春の1ページって感じ。あんなに古い校舎が、なんか美化されてるね」
 「ははっ、確かに。掃除道具すら尊いな」
 「うん、尊い!」

 あははと二人で笑いながら、動画を見つめる。

 「懐かしいなあ、文化祭。慎也くん!めちゃくちゃ弾けてる!」
 「相変わらずだな。慎也って、今もこのままって感じ」
 「うわー、修学旅行!楽しかったなー」
 「俺ら、夜中に騒いで先生にめっちゃ怒られたよ」
 「えー、そうだったの?知らなかった」

 やがて卒業式の写真が映し出される。
  
 「ううっ、涙が出てきちゃう」
 「ああ、思い出すな」

 まるで本を閉じるように、最後の1枚がゆっくりと消えていき、心は思わずため息をついた。

 「素敵…。こうしてみると高校時代って、宝物みたいな瞬間ばかりだったんだね」
 「そうだな。あんな貴重な時間、この先の人生であるんだろうかって思う」
 「本当に。大事な思い出だね」
 「ああ」

 二人はなんとなく見つめ合い、微笑んだ。

*****

 昴がパソコンで、動画の中にテロップを入れている間、心はぼんやりと窓の外を見ていた。

 時刻は夕暮れ。
 部屋の中にも、オレンジ色の光が射し込んでくる。

 (綺麗だな…。心の中までポカポカと温かくなる)

 心は、自分の気持ちを解放するように、ただじっと海に沈み始めた太陽を見つめる。

 「…久住?」

 ふいに声をかけられ、心は我に返った。

 「大丈夫か?」

 昴の心配そうな顔に、え?と心が首をかしげたその時、スッと心の目から涙がこぼれ落ちた。

 (…私、泣いてる?どうして…)

 慌てて指先で頬を拭う。

 「久住…、何か、その、辛いこととか、あったのか?」

 昴が控えめに声をかけてきた。

 「ううん、そんなことない。なんだろう?夕陽が目に染みたのかな」

 そう言って、ふふっと笑ったが、昴はまだ心配そうに心を見つめている。

 もう一度窓の外に目をやると、心はゆっくりと口を開いた。

 「おととい、仕事でね。凄く…落ち込むことがあったの」

 ポツリと呟くように話し始めた心の言葉を、昴は黙って聞いている。

 「でも、落ち込んだままではいられない。ちゃんと気持ちを入れ替えなきゃって、昨日がんばってきたの。明日からも、しっかりがんばる。そうやって、頭の中ではやるべきことを理解してる。だけど…、気持ちはついていけなかったんだね」

 再び心の目から、ポタポタと涙がこぼれ落ちた。

 「この景色、この夕陽、凄く癒やされる。私をそのまま包み込んでくれているみたい」

 そっか、と小さく呟いて、昴はいつまでも心を見守っていた。

*****

 「おおー、いいね!さらに感動的!」

 仕上がった動画を観て、心はパチパチと拍手する。

 「みんなも喜んでくれるかなー。楽しみだね!」

 にっこり笑う心に、そうだな、と昴も微笑む。

 心は、夕陽が完全に沈むと同時に吹っ切れたような笑顔をみせ、二人はもう一度作業に戻っていた。

 「これでひとまず完成かな?」
 「うん、ありがとう!伊吹くん」
 「こちらこそ。あ、今コーヒー淹れるよ」

 キッチンに立つ昴に、心が声をかける。

 「ねえ、担任だった河合先生って、誰か連絡先知ってるかなあ?せっかくだし、先生も同窓会にお誘いしない?」
 「ああ、確かにそうだな。うん、誘おう。河合先生って確かサッカー部の顧問だったよな?」

 コーヒーをテーブルに置きながら、昴が思い出したように言う。

 「そっか!そうだったね。じゃあサッカー部だった子に聞けば…」

 そして二人は同時に同じ人物を思い浮かべた。

 「慎也だな」
 「うん、慎也くんだね」

 ふふっと笑う心に、じゃあ早速聞いてみるかと昴がスマートフォンを手にする。

 すると、ふいに着信のメロディが鳴った。

 「うわっ、びっくりした。誰からだろ…」

 表示を見た昴は、ちょっとごめんと心に断り部屋を出て行く。

 「Hello? Oh ! hi…good, and you?」

 ドアの向こうからかすかに聞こえてくる昴の声に、英語なんだ、と感心しながら心はコーヒーを飲む。

 「What?! well…how many days?…OK. I got it. …yes, see ya」

 小さくため息が聞こえたあと、昴が戻ってきた。

 「お仕事の電話?大丈夫?」

 心が聞くと、ああ、うん、と煮え切らない返事をする。

 「久住、悪い。急に明日からサンフランシスコに出張に行くことになったんだ」
 「そうなんだ!明日って、急だね」
 「うん、まあ、いつものことだけどね。それで、10日間ほどかかりそうなんだけど…。大丈夫かな?」
 「大丈夫って?もしかして同窓会のこと?」
 「ああ」

 心配そうな昴に、心は明るく笑って言う。

 「大丈夫だって!ぜんっぜん気にしないで。それに動画も作ってくれたし、あとはもうやることないよ」
 「そうだけど…。帰ってくるのは同窓会の直前になるかもしれないし」
 「だから気にしないでって!大事なお仕事なんでしょ?そっちに集中してね」
 「ああ、悪いな。何かあったらいつでも連絡してくれ。すぐには返信出来なくても、必ず返すから」
 「うん、分かった。ねえ、それより…」

 視線を外して、心が首をかしげる。

 「ん?なに?」
 「うん、いつもそんなに急に言われるの?明日から10日間、とか」
 「まあ、いつもではないけど、時々ね」
 「ふうん、大変だね。荷造りだって急いでしなきゃいけないし、ゴミ出しとか、考えるとなんか色々大変そう…」

 ははっと昴は笑う。

 「確かにね。ゴミは、このマンションいつでも出せるからいいんだけど、困るのは冷蔵庫の中身」

 あー、そうだね!と心は頷く。

 「肉は冷凍出来るけど、牛乳や卵はね。結局いつもダメにしちゃう」

 なるほど、と少し考えてから、心は昴に、冷蔵庫の中、見てもいい?と聞いた。

*****

 「うわー。なんかいい匂いだな」
 「そう?ふふふ」

 フライ返しで焼き色を確かめながら、心は隣から覗き込んでくる昴に笑いかける。

 消費期限切れになる牛乳や卵、食パンを使い切ろうと、心はフレンチトーストを作っていた。

 バターをたっぷり使うと、良い香りが立ち込める。
 きつね色に焼き上げると、皿に盛り付けた。

 「はい!出来た。良かったら明日の朝食べてね」
 「ありがとう!うまそうだなー。楽しみ」
 「あと、他にも少し食材残ってたけど、今日の晩ごはんに何か作ってもいい?」
 「え、いいの?」
 「うん。大したものは出来ないけど」
 「いや、助かるよ!廃棄するのはいつも気が引けてたから」

 心は昴ににっこり笑うと、もう一度冷蔵庫を開けた。

*****

 「はい。ささみとちくわの親子丼と豚肉の生姜焼き。それから茶碗蒸しとお味噌汁」

 テーブルに並べると、昴はええー?!と驚く。

 「あんなスカスカの冷蔵庫で、こんなに作ったのか?」
 「うん。親子丼は、玉ねぎがなかったから代わりにちくわを入れて。やたらとささみがたくさんあったから、茶碗蒸しもささみで。あとかまぼこも」
 「すげー。俺、いつも肉は、焼肉のタレで焼くしか出来なくて。こんなにちゃんとした料理になるんだな」
 「ちゃんとしてはないけどね。なんちゃって料理」
 「いやー、凄いよ。ねえ、もう食べてもいい?」

 おあずけされた子どものように聞いてくる昴に、心は笑いながら頷く。

 「どうぞ」
 「いただきます!」

 パクパクと勢い良く食べ始めた昴は、うまい!と目を輝かせる。

 (ふふふ、ほんとに子どもみたい)

 心が思わず頬を緩めると、久住も早く食べなよと、昴に言われる。

 「はーい、いただきます」
 「この親子丼、うまいな!俺、玉ねぎよりこっちの方がいい」
 「ささみがあっさりしてるから、ちくわの風味がいいよね」
 「うん。玉ねぎ気にしなくていいし」
 「さては伊吹くん、玉ねぎ嫌いだね?」
 「あ、バレた?」
 「あはは!バレバレだよ」

 誰かと一緒に食べるご飯っていいな、と心は、嬉しそうな昴を見て思った。

*****

 「なあ、久住」

 食後のお茶を飲んでいると、ふと昴が思いついたように声をかけてきた。

 「ん?なあに?」
 「うん。あのさ、ちょっと頼みたいことがあって」
 「どんなこと?」
 「あの、俺が留守の間、もし暇な時間があれば、ここに来てくれないかな?」

 え?と、心は首をかしげる。

 「いいけど…。何しに?」
 「えっと、ロビーのポストに郵便物が溜まってたら部屋に持って来て欲しいのと、あと部屋の窓を開けて少し換気してくれたら…。俺のいない間、1回だけでも来てくれると助かるんだけど」
 「うん、分かった。でも、私が勝手に入っても平気なの?何か盗まれないか心配じゃない?」
 「久住がそんなことする訳ないだろ?それに、泥棒はそんなこと聞いてこない」

 それもそうか、と心は笑う。

 「じゃあ、これ。玄関のカードキー。これでエレベーターホールの入り口や、下のポストも開くから」
 「うん。確かにお預かりします」

 操作の仕方を教わりがてら、心は昴と一緒にマンションを出た。

 駅まで送ってくれた昴に、心は向き直って礼を言う。

 「今日は色々ありがとう!お邪魔しました」
 「こちらこそ、美味しい料理をありがとう。それと、留守番頼んでごめんな。無理だったら気にしないで」
 「うん、分かった。じゃあ、明日に備えて今日は早く休んでね。気をつけて行ってらっしゃい」
 「ありがとう!」

 二人は笑顔で別れた。

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