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夕陽に癒やされて
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木曜日の午後。
心は昴の自宅マンションに向かっていた。
(えーっと、駅から徒歩3分のタワーマンション…って、あれのこと?!)
改札を出て前を見ると、ドーンと大きなタワーがそびえ立っている。
(え、オフィスビルかな?だって、まさかこんなに大きなタワーがマンションだなんて…)
だが他にそれらしい建物も見当たらず、心はとにかくそのタワーのエントランスに入ってみた。
ホテルのロビーのような空間を恐る恐る進むと、革張りのソファーで本を読んでいる昴がいた。
「い、伊吹くん?」
昴はふと顔を上げて心を見ると、本を閉じて立ち上がり、にこやかにこちらに向かって来る。
「久住、わざわざ来てもらって悪いな。道、分かったか?迷わなかったか?」
「あー、うん。道は迷わなかったけど、違う意味で迷った」
「ん?どういうこと?」
だって…と、心は声を潜める。
「こんな所に本当に人が住んでるの?」
「え、俺、住んでるけど?」
「住めるの?オフィスのフロアがあるだけじゃないの?」
「いや、普通の居住スペースだよ」
「本当に?」
まだ疑わしそうに辺りを見回す心に、昴は、とにかく部屋へ行こうとエレベーターに向かった。
静かにエレベーターが上がる中、また心は真剣に昴に声をかける。
「伊吹くん。私ね、修羅場とか揉め事とか苦手なの。だから伊吹くんの部屋には上がらない。パソコンだけ取って来て?どこかファミレスにでも行こう」
すると昴は、眉間にシワを寄せたまま固まる。
「ごめん、久住。復唱してもいい?久住は修羅場が苦手だ。だから俺がパソコンを取って来たらファミレスへ行く。これで合ってる?」
「うん、合ってます」
いよいよ訳が分からない、とばかりに、昴は視線を外して考え込む。
(え、待てよ?また宇宙人の降臨か?じゃあ今回もやり直してみるか。でもどこから?)
そうしている間にエレベーターが到着し、扉が開く。
とにかく昴は、心を連れて部屋へ向かった。
カードキーをタッチして玄関のドアを開けると、心を振り返る。
(よし、じゃあ、さっきの話は聞かなかったことにしてみるか)
「どうぞ、入って」
にっこりと心を中へ促す。
「伊吹くん。私は部屋には上がらないってば。修羅場とか、嫌なんだもん」
「え、別に修羅場じゃないよ?普通のうちだけど…」
「そんな呑気なこと言って…。私が部屋にいるところをもし彼女に見られたら、一気に修羅場になるよ?」
あ、そういうことか!と、昴は手のひらを打った。
「久住。俺、彼女いないから」
「え、そうなの?なーんだ。それならそうと早く言ってよ」
はいー?と昴は眉を寄せる。
「だって伊吹くん、26歳でしょ?彼女いるだろうなって思うじゃない。あ、そう言う私も26で、彼氏いないけど。でも伊吹くんはバリバリの商社マンだし、モテるでしょ?このこのー、色男!」
そう言うと心は、脱力している昴を尻目に、お邪魔しまーすと靴を脱いだ。
「うわー、広い!明るい!」
窓から射し込む陽の光に目を細めながら、心は興奮して窓から外を見る。
「凄い景色ねー。あ、海が見える!何階なの?ここ」
昴が25階と答えると、心は目を丸くする。
「そんなに高いんだ!酸素とか薄くないの?」
「いや、多分大丈夫」
真顔で答える自分に、昴は苦笑いする。
(なんか俺、久住の独特さにだんだん麻痺してきたな)
『心ワールド』に慣れ、もはや多少のことでは動じない。
「久住、コーヒー飲むか?アイスティーもあるけど」
「あ、じゃあアイスティーお願いします!」
オッケーと昴はグラスに注ぎ、ダイニングテーブルに置く。
だが、心は窓に張り付いたままだ。
「久住、高い所平気なのか?」
「うん。え、伊吹くんは?まさか苦手なんてことは…」
心が振り返ると、昴は苦虫を噛み潰したような顔で頷く。
「えー?!じゃあ、なんでここに住んでるの?」
「いや、だってさ。LAに1年赴任してて急に帰国が決まった時、間取り図と内装の写真だけ見てここに決めたんだよ。いざ入居しようとして、あれ?2階だっけ5階だっけ?ってよくよく見たら、まさかの25階で…」
はいー?!と心はうわずった声で驚く。
「そんな人いるー?えー、信じられない」
「いやー、俺もびっくりした」
「伊吹くん、完璧な優等生ってイメージだったのに。なんかガッカリ…」
あからさまにため息をつくと、昴も心に抗議する。
「それを言うなら久住だって。俺、高校生の時、久住っておとなしくて真面目で、控えめな女の子だなって思ってたのに」
「あー、よく言われる。私、黙ってるとおとなしく見えるらしいのよね。で、話してみたら、えー?!そんなこと言う子だったんだー!って驚かれる。普通なのに…ねえ?」
いや、それは同意出来ないな…と、昴はこっそり首を振る。
「あと、ジーンズ履いてるのも驚かれたりする。スカートとワンピースしか着ないイメージだったーとか」
「え、違うのか?」
「ぜーんぜん。いつもジーンズとスニーカーだよ。ほら、今日だってそうだし」
「いや、だから俺もさっき、珍しいなって思った。この間レストランに下見に行った時は、違っただろ?いつもああいう感じかと」
心は笑って手を振る。
「違う違う!この間の方が珍しいの。ほら、ホテルのレストランだったからね。私がスカート履くなんて1年で2回くらいかな?伊吹くん、だいぶレアな私に出くわしたわね」
はあ…と、昴は気の抜けた返事をした。
しばらくそんな会話をしてから、二人はようやく作業に取りかかった。
心が愛理からもらった写真や動画、昴が慎也からもらったものも、全てパソコンに取り込む。
編集ソフトにそれらを移すと、自動で編集されたものがすぐに出来上がった。
「うわー、凄い!もう出来たの?」
「ああ。これを手直ししてもいいし、1から自分で作ることも出来るよ」
「えー、これで充分じゃない?1回再生してみて」
「分かった」
昴がカチカチとマウスを操作すると、音楽と共に、まるでドラマのワンシーンを切り取った総集編のように、次々と写真や動画が流れてくる。
「ひゃー、素敵ねー。青春の1ページって感じ。あんなに古い校舎が、なんか美化されてるね」
「ははっ、確かに。掃除道具すら尊いな」
「うん、尊い!」
あははと二人で笑いながら、動画を見つめる。
「懐かしいなあ、文化祭。慎也くん!めちゃくちゃ弾けてる!」
「相変わらずだな。慎也って、今もこのままって感じ」
「うわー、修学旅行!楽しかったなー」
「俺ら、夜中に騒いで先生にめっちゃ怒られたよ」
「えー、そうだったの?知らなかった」
やがて卒業式の写真が映し出される。
「ううっ、涙が出てきちゃう」
「ああ、思い出すな」
まるで本を閉じるように、最後の1枚がゆっくりと消えていき、心は思わずため息をついた。
「素敵…。こうしてみると高校時代って、宝物みたいな瞬間ばかりだったんだね」
「そうだな。あんな貴重な時間、この先の人生であるんだろうかって思う」
「本当に。大事な思い出だね」
「ああ」
二人はなんとなく見つめ合い、微笑んだ。
*****
昴がパソコンで、動画の中にテロップを入れている間、心はぼんやりと窓の外を見ていた。
時刻は夕暮れ。
部屋の中にも、オレンジ色の光が射し込んでくる。
(綺麗だな…。心の中までポカポカと温かくなる)
心は、自分の気持ちを解放するように、ただじっと海に沈み始めた太陽を見つめる。
「…久住?」
ふいに声をかけられ、心は我に返った。
「大丈夫か?」
昴の心配そうな顔に、え?と心が首をかしげたその時、スッと心の目から涙がこぼれ落ちた。
(…私、泣いてる?どうして…)
慌てて指先で頬を拭う。
「久住…、何か、その、辛いこととか、あったのか?」
昴が控えめに声をかけてきた。
「ううん、そんなことない。なんだろう?夕陽が目に染みたのかな」
そう言って、ふふっと笑ったが、昴はまだ心配そうに心を見つめている。
もう一度窓の外に目をやると、心はゆっくりと口を開いた。
「おととい、仕事でね。凄く…落ち込むことがあったの」
ポツリと呟くように話し始めた心の言葉を、昴は黙って聞いている。
「でも、落ち込んだままではいられない。ちゃんと気持ちを入れ替えなきゃって、昨日がんばってきたの。明日からも、しっかりがんばる。そうやって、頭の中ではやるべきことを理解してる。だけど…、気持ちはついていけなかったんだね」
再び心の目から、ポタポタと涙がこぼれ落ちた。
「この景色、この夕陽、凄く癒やされる。私をそのまま包み込んでくれているみたい」
そっか、と小さく呟いて、昴はいつまでも心を見守っていた。
*****
「おおー、いいね!さらに感動的!」
仕上がった動画を観て、心はパチパチと拍手する。
「みんなも喜んでくれるかなー。楽しみだね!」
にっこり笑う心に、そうだな、と昴も微笑む。
心は、夕陽が完全に沈むと同時に吹っ切れたような笑顔をみせ、二人はもう一度作業に戻っていた。
「これでひとまず完成かな?」
「うん、ありがとう!伊吹くん」
「こちらこそ。あ、今コーヒー淹れるよ」
キッチンに立つ昴に、心が声をかける。
「ねえ、担任だった河合先生って、誰か連絡先知ってるかなあ?せっかくだし、先生も同窓会にお誘いしない?」
「ああ、確かにそうだな。うん、誘おう。河合先生って確かサッカー部の顧問だったよな?」
コーヒーをテーブルに置きながら、昴が思い出したように言う。
「そっか!そうだったね。じゃあサッカー部だった子に聞けば…」
そして二人は同時に同じ人物を思い浮かべた。
「慎也だな」
「うん、慎也くんだね」
ふふっと笑う心に、じゃあ早速聞いてみるかと昴がスマートフォンを手にする。
すると、ふいに着信のメロディが鳴った。
「うわっ、びっくりした。誰からだろ…」
表示を見た昴は、ちょっとごめんと心に断り部屋を出て行く。
「Hello? Oh ! hi…good, and you?」
ドアの向こうからかすかに聞こえてくる昴の声に、英語なんだ、と感心しながら心はコーヒーを飲む。
「What?! well…how many days?…OK. I got it. …yes, see ya」
小さくため息が聞こえたあと、昴が戻ってきた。
「お仕事の電話?大丈夫?」
心が聞くと、ああ、うん、と煮え切らない返事をする。
「久住、悪い。急に明日からサンフランシスコに出張に行くことになったんだ」
「そうなんだ!明日って、急だね」
「うん、まあ、いつものことだけどね。それで、10日間ほどかかりそうなんだけど…。大丈夫かな?」
「大丈夫って?もしかして同窓会のこと?」
「ああ」
心配そうな昴に、心は明るく笑って言う。
「大丈夫だって!ぜんっぜん気にしないで。それに動画も作ってくれたし、あとはもうやることないよ」
「そうだけど…。帰ってくるのは同窓会の直前になるかもしれないし」
「だから気にしないでって!大事なお仕事なんでしょ?そっちに集中してね」
「ああ、悪いな。何かあったらいつでも連絡してくれ。すぐには返信出来なくても、必ず返すから」
「うん、分かった。ねえ、それより…」
視線を外して、心が首をかしげる。
「ん?なに?」
「うん、いつもそんなに急に言われるの?明日から10日間、とか」
「まあ、いつもではないけど、時々ね」
「ふうん、大変だね。荷造りだって急いでしなきゃいけないし、ゴミ出しとか、考えるとなんか色々大変そう…」
ははっと昴は笑う。
「確かにね。ゴミは、このマンションいつでも出せるからいいんだけど、困るのは冷蔵庫の中身」
あー、そうだね!と心は頷く。
「肉は冷凍出来るけど、牛乳や卵はね。結局いつもダメにしちゃう」
なるほど、と少し考えてから、心は昴に、冷蔵庫の中、見てもいい?と聞いた。
*****
「うわー。なんかいい匂いだな」
「そう?ふふふ」
フライ返しで焼き色を確かめながら、心は隣から覗き込んでくる昴に笑いかける。
消費期限切れになる牛乳や卵、食パンを使い切ろうと、心はフレンチトーストを作っていた。
バターをたっぷり使うと、良い香りが立ち込める。
きつね色に焼き上げると、皿に盛り付けた。
「はい!出来た。良かったら明日の朝食べてね」
「ありがとう!うまそうだなー。楽しみ」
「あと、他にも少し食材残ってたけど、今日の晩ごはんに何か作ってもいい?」
「え、いいの?」
「うん。大したものは出来ないけど」
「いや、助かるよ!廃棄するのはいつも気が引けてたから」
心は昴ににっこり笑うと、もう一度冷蔵庫を開けた。
*****
「はい。ささみとちくわの親子丼と豚肉の生姜焼き。それから茶碗蒸しとお味噌汁」
テーブルに並べると、昴はええー?!と驚く。
「あんなスカスカの冷蔵庫で、こんなに作ったのか?」
「うん。親子丼は、玉ねぎがなかったから代わりにちくわを入れて。やたらとささみがたくさんあったから、茶碗蒸しもささみで。あとかまぼこも」
「すげー。俺、いつも肉は、焼肉のタレで焼くしか出来なくて。こんなにちゃんとした料理になるんだな」
「ちゃんとしてはないけどね。なんちゃって料理」
「いやー、凄いよ。ねえ、もう食べてもいい?」
おあずけされた子どものように聞いてくる昴に、心は笑いながら頷く。
「どうぞ」
「いただきます!」
パクパクと勢い良く食べ始めた昴は、うまい!と目を輝かせる。
(ふふふ、ほんとに子どもみたい)
心が思わず頬を緩めると、久住も早く食べなよと、昴に言われる。
「はーい、いただきます」
「この親子丼、うまいな!俺、玉ねぎよりこっちの方がいい」
「ささみがあっさりしてるから、ちくわの風味がいいよね」
「うん。玉ねぎ気にしなくていいし」
「さては伊吹くん、玉ねぎ嫌いだね?」
「あ、バレた?」
「あはは!バレバレだよ」
誰かと一緒に食べるご飯っていいな、と心は、嬉しそうな昴を見て思った。
*****
「なあ、久住」
食後のお茶を飲んでいると、ふと昴が思いついたように声をかけてきた。
「ん?なあに?」
「うん。あのさ、ちょっと頼みたいことがあって」
「どんなこと?」
「あの、俺が留守の間、もし暇な時間があれば、ここに来てくれないかな?」
え?と、心は首をかしげる。
「いいけど…。何しに?」
「えっと、ロビーのポストに郵便物が溜まってたら部屋に持って来て欲しいのと、あと部屋の窓を開けて少し換気してくれたら…。俺のいない間、1回だけでも来てくれると助かるんだけど」
「うん、分かった。でも、私が勝手に入っても平気なの?何か盗まれないか心配じゃない?」
「久住がそんなことする訳ないだろ?それに、泥棒はそんなこと聞いてこない」
それもそうか、と心は笑う。
「じゃあ、これ。玄関のカードキー。これでエレベーターホールの入り口や、下のポストも開くから」
「うん。確かにお預かりします」
操作の仕方を教わりがてら、心は昴と一緒にマンションを出た。
駅まで送ってくれた昴に、心は向き直って礼を言う。
「今日は色々ありがとう!お邪魔しました」
「こちらこそ、美味しい料理をありがとう。それと、留守番頼んでごめんな。無理だったら気にしないで」
「うん、分かった。じゃあ、明日に備えて今日は早く休んでね。気をつけて行ってらっしゃい」
「ありがとう!」
二人は笑顔で別れた。
心は昴の自宅マンションに向かっていた。
(えーっと、駅から徒歩3分のタワーマンション…って、あれのこと?!)
改札を出て前を見ると、ドーンと大きなタワーがそびえ立っている。
(え、オフィスビルかな?だって、まさかこんなに大きなタワーがマンションだなんて…)
だが他にそれらしい建物も見当たらず、心はとにかくそのタワーのエントランスに入ってみた。
ホテルのロビーのような空間を恐る恐る進むと、革張りのソファーで本を読んでいる昴がいた。
「い、伊吹くん?」
昴はふと顔を上げて心を見ると、本を閉じて立ち上がり、にこやかにこちらに向かって来る。
「久住、わざわざ来てもらって悪いな。道、分かったか?迷わなかったか?」
「あー、うん。道は迷わなかったけど、違う意味で迷った」
「ん?どういうこと?」
だって…と、心は声を潜める。
「こんな所に本当に人が住んでるの?」
「え、俺、住んでるけど?」
「住めるの?オフィスのフロアがあるだけじゃないの?」
「いや、普通の居住スペースだよ」
「本当に?」
まだ疑わしそうに辺りを見回す心に、昴は、とにかく部屋へ行こうとエレベーターに向かった。
静かにエレベーターが上がる中、また心は真剣に昴に声をかける。
「伊吹くん。私ね、修羅場とか揉め事とか苦手なの。だから伊吹くんの部屋には上がらない。パソコンだけ取って来て?どこかファミレスにでも行こう」
すると昴は、眉間にシワを寄せたまま固まる。
「ごめん、久住。復唱してもいい?久住は修羅場が苦手だ。だから俺がパソコンを取って来たらファミレスへ行く。これで合ってる?」
「うん、合ってます」
いよいよ訳が分からない、とばかりに、昴は視線を外して考え込む。
(え、待てよ?また宇宙人の降臨か?じゃあ今回もやり直してみるか。でもどこから?)
そうしている間にエレベーターが到着し、扉が開く。
とにかく昴は、心を連れて部屋へ向かった。
カードキーをタッチして玄関のドアを開けると、心を振り返る。
(よし、じゃあ、さっきの話は聞かなかったことにしてみるか)
「どうぞ、入って」
にっこりと心を中へ促す。
「伊吹くん。私は部屋には上がらないってば。修羅場とか、嫌なんだもん」
「え、別に修羅場じゃないよ?普通のうちだけど…」
「そんな呑気なこと言って…。私が部屋にいるところをもし彼女に見られたら、一気に修羅場になるよ?」
あ、そういうことか!と、昴は手のひらを打った。
「久住。俺、彼女いないから」
「え、そうなの?なーんだ。それならそうと早く言ってよ」
はいー?と昴は眉を寄せる。
「だって伊吹くん、26歳でしょ?彼女いるだろうなって思うじゃない。あ、そう言う私も26で、彼氏いないけど。でも伊吹くんはバリバリの商社マンだし、モテるでしょ?このこのー、色男!」
そう言うと心は、脱力している昴を尻目に、お邪魔しまーすと靴を脱いだ。
「うわー、広い!明るい!」
窓から射し込む陽の光に目を細めながら、心は興奮して窓から外を見る。
「凄い景色ねー。あ、海が見える!何階なの?ここ」
昴が25階と答えると、心は目を丸くする。
「そんなに高いんだ!酸素とか薄くないの?」
「いや、多分大丈夫」
真顔で答える自分に、昴は苦笑いする。
(なんか俺、久住の独特さにだんだん麻痺してきたな)
『心ワールド』に慣れ、もはや多少のことでは動じない。
「久住、コーヒー飲むか?アイスティーもあるけど」
「あ、じゃあアイスティーお願いします!」
オッケーと昴はグラスに注ぎ、ダイニングテーブルに置く。
だが、心は窓に張り付いたままだ。
「久住、高い所平気なのか?」
「うん。え、伊吹くんは?まさか苦手なんてことは…」
心が振り返ると、昴は苦虫を噛み潰したような顔で頷く。
「えー?!じゃあ、なんでここに住んでるの?」
「いや、だってさ。LAに1年赴任してて急に帰国が決まった時、間取り図と内装の写真だけ見てここに決めたんだよ。いざ入居しようとして、あれ?2階だっけ5階だっけ?ってよくよく見たら、まさかの25階で…」
はいー?!と心はうわずった声で驚く。
「そんな人いるー?えー、信じられない」
「いやー、俺もびっくりした」
「伊吹くん、完璧な優等生ってイメージだったのに。なんかガッカリ…」
あからさまにため息をつくと、昴も心に抗議する。
「それを言うなら久住だって。俺、高校生の時、久住っておとなしくて真面目で、控えめな女の子だなって思ってたのに」
「あー、よく言われる。私、黙ってるとおとなしく見えるらしいのよね。で、話してみたら、えー?!そんなこと言う子だったんだー!って驚かれる。普通なのに…ねえ?」
いや、それは同意出来ないな…と、昴はこっそり首を振る。
「あと、ジーンズ履いてるのも驚かれたりする。スカートとワンピースしか着ないイメージだったーとか」
「え、違うのか?」
「ぜーんぜん。いつもジーンズとスニーカーだよ。ほら、今日だってそうだし」
「いや、だから俺もさっき、珍しいなって思った。この間レストランに下見に行った時は、違っただろ?いつもああいう感じかと」
心は笑って手を振る。
「違う違う!この間の方が珍しいの。ほら、ホテルのレストランだったからね。私がスカート履くなんて1年で2回くらいかな?伊吹くん、だいぶレアな私に出くわしたわね」
はあ…と、昴は気の抜けた返事をした。
しばらくそんな会話をしてから、二人はようやく作業に取りかかった。
心が愛理からもらった写真や動画、昴が慎也からもらったものも、全てパソコンに取り込む。
編集ソフトにそれらを移すと、自動で編集されたものがすぐに出来上がった。
「うわー、凄い!もう出来たの?」
「ああ。これを手直ししてもいいし、1から自分で作ることも出来るよ」
「えー、これで充分じゃない?1回再生してみて」
「分かった」
昴がカチカチとマウスを操作すると、音楽と共に、まるでドラマのワンシーンを切り取った総集編のように、次々と写真や動画が流れてくる。
「ひゃー、素敵ねー。青春の1ページって感じ。あんなに古い校舎が、なんか美化されてるね」
「ははっ、確かに。掃除道具すら尊いな」
「うん、尊い!」
あははと二人で笑いながら、動画を見つめる。
「懐かしいなあ、文化祭。慎也くん!めちゃくちゃ弾けてる!」
「相変わらずだな。慎也って、今もこのままって感じ」
「うわー、修学旅行!楽しかったなー」
「俺ら、夜中に騒いで先生にめっちゃ怒られたよ」
「えー、そうだったの?知らなかった」
やがて卒業式の写真が映し出される。
「ううっ、涙が出てきちゃう」
「ああ、思い出すな」
まるで本を閉じるように、最後の1枚がゆっくりと消えていき、心は思わずため息をついた。
「素敵…。こうしてみると高校時代って、宝物みたいな瞬間ばかりだったんだね」
「そうだな。あんな貴重な時間、この先の人生であるんだろうかって思う」
「本当に。大事な思い出だね」
「ああ」
二人はなんとなく見つめ合い、微笑んだ。
*****
昴がパソコンで、動画の中にテロップを入れている間、心はぼんやりと窓の外を見ていた。
時刻は夕暮れ。
部屋の中にも、オレンジ色の光が射し込んでくる。
(綺麗だな…。心の中までポカポカと温かくなる)
心は、自分の気持ちを解放するように、ただじっと海に沈み始めた太陽を見つめる。
「…久住?」
ふいに声をかけられ、心は我に返った。
「大丈夫か?」
昴の心配そうな顔に、え?と心が首をかしげたその時、スッと心の目から涙がこぼれ落ちた。
(…私、泣いてる?どうして…)
慌てて指先で頬を拭う。
「久住…、何か、その、辛いこととか、あったのか?」
昴が控えめに声をかけてきた。
「ううん、そんなことない。なんだろう?夕陽が目に染みたのかな」
そう言って、ふふっと笑ったが、昴はまだ心配そうに心を見つめている。
もう一度窓の外に目をやると、心はゆっくりと口を開いた。
「おととい、仕事でね。凄く…落ち込むことがあったの」
ポツリと呟くように話し始めた心の言葉を、昴は黙って聞いている。
「でも、落ち込んだままではいられない。ちゃんと気持ちを入れ替えなきゃって、昨日がんばってきたの。明日からも、しっかりがんばる。そうやって、頭の中ではやるべきことを理解してる。だけど…、気持ちはついていけなかったんだね」
再び心の目から、ポタポタと涙がこぼれ落ちた。
「この景色、この夕陽、凄く癒やされる。私をそのまま包み込んでくれているみたい」
そっか、と小さく呟いて、昴はいつまでも心を見守っていた。
*****
「おおー、いいね!さらに感動的!」
仕上がった動画を観て、心はパチパチと拍手する。
「みんなも喜んでくれるかなー。楽しみだね!」
にっこり笑う心に、そうだな、と昴も微笑む。
心は、夕陽が完全に沈むと同時に吹っ切れたような笑顔をみせ、二人はもう一度作業に戻っていた。
「これでひとまず完成かな?」
「うん、ありがとう!伊吹くん」
「こちらこそ。あ、今コーヒー淹れるよ」
キッチンに立つ昴に、心が声をかける。
「ねえ、担任だった河合先生って、誰か連絡先知ってるかなあ?せっかくだし、先生も同窓会にお誘いしない?」
「ああ、確かにそうだな。うん、誘おう。河合先生って確かサッカー部の顧問だったよな?」
コーヒーをテーブルに置きながら、昴が思い出したように言う。
「そっか!そうだったね。じゃあサッカー部だった子に聞けば…」
そして二人は同時に同じ人物を思い浮かべた。
「慎也だな」
「うん、慎也くんだね」
ふふっと笑う心に、じゃあ早速聞いてみるかと昴がスマートフォンを手にする。
すると、ふいに着信のメロディが鳴った。
「うわっ、びっくりした。誰からだろ…」
表示を見た昴は、ちょっとごめんと心に断り部屋を出て行く。
「Hello? Oh ! hi…good, and you?」
ドアの向こうからかすかに聞こえてくる昴の声に、英語なんだ、と感心しながら心はコーヒーを飲む。
「What?! well…how many days?…OK. I got it. …yes, see ya」
小さくため息が聞こえたあと、昴が戻ってきた。
「お仕事の電話?大丈夫?」
心が聞くと、ああ、うん、と煮え切らない返事をする。
「久住、悪い。急に明日からサンフランシスコに出張に行くことになったんだ」
「そうなんだ!明日って、急だね」
「うん、まあ、いつものことだけどね。それで、10日間ほどかかりそうなんだけど…。大丈夫かな?」
「大丈夫って?もしかして同窓会のこと?」
「ああ」
心配そうな昴に、心は明るく笑って言う。
「大丈夫だって!ぜんっぜん気にしないで。それに動画も作ってくれたし、あとはもうやることないよ」
「そうだけど…。帰ってくるのは同窓会の直前になるかもしれないし」
「だから気にしないでって!大事なお仕事なんでしょ?そっちに集中してね」
「ああ、悪いな。何かあったらいつでも連絡してくれ。すぐには返信出来なくても、必ず返すから」
「うん、分かった。ねえ、それより…」
視線を外して、心が首をかしげる。
「ん?なに?」
「うん、いつもそんなに急に言われるの?明日から10日間、とか」
「まあ、いつもではないけど、時々ね」
「ふうん、大変だね。荷造りだって急いでしなきゃいけないし、ゴミ出しとか、考えるとなんか色々大変そう…」
ははっと昴は笑う。
「確かにね。ゴミは、このマンションいつでも出せるからいいんだけど、困るのは冷蔵庫の中身」
あー、そうだね!と心は頷く。
「肉は冷凍出来るけど、牛乳や卵はね。結局いつもダメにしちゃう」
なるほど、と少し考えてから、心は昴に、冷蔵庫の中、見てもいい?と聞いた。
*****
「うわー。なんかいい匂いだな」
「そう?ふふふ」
フライ返しで焼き色を確かめながら、心は隣から覗き込んでくる昴に笑いかける。
消費期限切れになる牛乳や卵、食パンを使い切ろうと、心はフレンチトーストを作っていた。
バターをたっぷり使うと、良い香りが立ち込める。
きつね色に焼き上げると、皿に盛り付けた。
「はい!出来た。良かったら明日の朝食べてね」
「ありがとう!うまそうだなー。楽しみ」
「あと、他にも少し食材残ってたけど、今日の晩ごはんに何か作ってもいい?」
「え、いいの?」
「うん。大したものは出来ないけど」
「いや、助かるよ!廃棄するのはいつも気が引けてたから」
心は昴ににっこり笑うと、もう一度冷蔵庫を開けた。
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「はい。ささみとちくわの親子丼と豚肉の生姜焼き。それから茶碗蒸しとお味噌汁」
テーブルに並べると、昴はええー?!と驚く。
「あんなスカスカの冷蔵庫で、こんなに作ったのか?」
「うん。親子丼は、玉ねぎがなかったから代わりにちくわを入れて。やたらとささみがたくさんあったから、茶碗蒸しもささみで。あとかまぼこも」
「すげー。俺、いつも肉は、焼肉のタレで焼くしか出来なくて。こんなにちゃんとした料理になるんだな」
「ちゃんとしてはないけどね。なんちゃって料理」
「いやー、凄いよ。ねえ、もう食べてもいい?」
おあずけされた子どものように聞いてくる昴に、心は笑いながら頷く。
「どうぞ」
「いただきます!」
パクパクと勢い良く食べ始めた昴は、うまい!と目を輝かせる。
(ふふふ、ほんとに子どもみたい)
心が思わず頬を緩めると、久住も早く食べなよと、昴に言われる。
「はーい、いただきます」
「この親子丼、うまいな!俺、玉ねぎよりこっちの方がいい」
「ささみがあっさりしてるから、ちくわの風味がいいよね」
「うん。玉ねぎ気にしなくていいし」
「さては伊吹くん、玉ねぎ嫌いだね?」
「あ、バレた?」
「あはは!バレバレだよ」
誰かと一緒に食べるご飯っていいな、と心は、嬉しそうな昴を見て思った。
*****
「なあ、久住」
食後のお茶を飲んでいると、ふと昴が思いついたように声をかけてきた。
「ん?なあに?」
「うん。あのさ、ちょっと頼みたいことがあって」
「どんなこと?」
「あの、俺が留守の間、もし暇な時間があれば、ここに来てくれないかな?」
え?と、心は首をかしげる。
「いいけど…。何しに?」
「えっと、ロビーのポストに郵便物が溜まってたら部屋に持って来て欲しいのと、あと部屋の窓を開けて少し換気してくれたら…。俺のいない間、1回だけでも来てくれると助かるんだけど」
「うん、分かった。でも、私が勝手に入っても平気なの?何か盗まれないか心配じゃない?」
「久住がそんなことする訳ないだろ?それに、泥棒はそんなこと聞いてこない」
それもそうか、と心は笑う。
「じゃあ、これ。玄関のカードキー。これでエレベーターホールの入り口や、下のポストも開くから」
「うん。確かにお預かりします」
操作の仕方を教わりがてら、心は昴と一緒にマンションを出た。
駅まで送ってくれた昴に、心は向き直って礼を言う。
「今日は色々ありがとう!お邪魔しました」
「こちらこそ、美味しい料理をありがとう。それと、留守番頼んでごめんな。無理だったら気にしないで」
「うん、分かった。じゃあ、明日に備えて今日は早く休んでね。気をつけて行ってらっしゃい」
「ありがとう!」
二人は笑顔で別れた。
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『恋い焦がれて』の4年後のお話(短編)です。
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