この手に愛と真実を〜クールな検事の一途な想い〜

葉月 まい

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プロポーズ

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「深月さん、今夜食事でも一緒にどうかな?」

出社して今日の予定を伝えたところで、鮎川社長にそう切り出され、凛香は驚く。

「私と社長が、でしょうか?」
「そう。君には黒岩副社長のことで、散々苦労をかけてしまった。せめてものお詫びとして」
「いえ、そんな。どうぞお気遣いなく」

そう言ってタブレットを手に退室しようと、凛香は社長にお辞儀をする。

「では失礼いたします」
「ちょっと待って。うーん、困ったな。本当に君はガードが固い。それなら、事件について詳しく教えてほしい。今後の会社のことも相談したいし。それならいい?」
「そうですね。確かに会社の今後の方針は早めに固めないと。説明責任もありますから」
「ああ。じゃあ、今夜定時になったらここに来てくれる? 一緒に退社しよう」
「かしこまりました。それでは」

凛香は今度こそ社長室をあとにした。



(黒岩副社長が逮捕されてから、二週間以上経ったのか。なんだか信じられない。変な夢でも見ていた気分)

秘書室へと向かいながら、凛香はこれまでのことを思い返す。
矢島に尾行され、礼央と知り合い、あっという間に事件に巻き込まれた。
日常生活とはかけ離れた、緊迫した時間。
恐怖と不安に苛まれ、それでもふとした時に、礼央に守られている安心感を感じた。

(ちゃんとご飯食べてるかな、朝比奈さんも矢島さんも。睡眠は取れてる? 少しゆっくりできてるといいんだけど)

自分はすっかり日常を取り戻したが、あの二人はまだ取り調べで忙しいかもしれない。
そう思うと、食事を差し入れたいと思ってしまう。

(でももう接点はないんだし。お二人と会うことも、二度とないのかな)

あの二人にとっては事件は毎日のこと。
次から次へとこなさなければいけないだろう。
ほんの少し関わっただけの自分のことなんて、きっとすぐに忘れてしまうはずだ。
それならこちらから連絡するわけにはいかない。
公私混同だと、きっと迷惑がられるだろう。

(よし。気持ちを切り替えて私も仕事がんばろう!)

心の片隅に芽生えた寂しさに気づかぬフリをして、凜香は秘書室のオフィスに戻った。



「明日からお盆休みだね」

仕事をしながら、ふと向かいの席の先輩が声をかけてきた。

「凜香ちゃん、社長のご予定ってどうなってるの? お盆期間は社長もずっとオフ?」
「一応オフにはなっているんですけど、時々出社されると思います。年末年始もいつもそうですから」
「そっか。凜香ちゃんは? 社長に合わせて出社するの?」
「来なくていいと言われています。実際、社長がいつ出社されるかもわからないですし。でも私も時々出社しようかと。メールチェックやスケジュール変更もあるでしょうから」
「そう。ご実家のお母さんはもう大丈夫?」

凜香は、途端に背筋を伸ばして恐縮する。

「はい、もうすっかり元気です。その節はご迷惑おかけしました」
「ううん、気にしないで。凜香ちゃんも、お盆の間はご実家でゆっくりしてね」
「ありがとうございます」

罪悪感に駆られるが、ここはありがたく厚意を受け取ることにした。

集中して仕事をこなし、定時になると挨拶して席を立つ。
社長室に行くと、ちょうど社長も帰り支度をしているところだった。

「お待たせ。それじゃあ行こうか」
「はい」

二人でエレベーターで一階に下り、ハイヤーでレストランに向かった。



「なんだか外国の豪邸みたいですね」

車から降りると、大きな洋風の建物を見上げて凜香が呟く。

「会員制のゲストハウスなんだ。個室でゆっくり食事ができる。さあ、行こう」
「はい」

さり気なく差し出された手を借りて階段を上がると、重厚な扉の前で黒いスーツの男性スタッフがうやうやしくお辞儀をした。

「鮎川様、いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
「こんばんは。急な予約だったのにありがとう」
「いえ、とんでもない。早速ご案内いたします。どうぞ」

開かれた扉から中に足を踏み入れると、まるで大富豪の住まいのようなゴージャスな空間が広がっていた。
天井には煌めくシャンデリア。
正面には豪華な生花と大きな壺。
その後ろに、緩いカーブを描く階段があった。
スタッフに先導されながら、凜香は社長に手を引かれて階段を上がる。

「社長。中世ヨーロッパの伯爵の館みたいですね」
「ははっ、おもしろいこと言うね。ひょっとして深月さん、前世は伯爵令嬢で、記憶があるとか?」
「まさか! 多分私、前世は人間じゃなかったと思うんですよね」
「ええ!? じゃあ、なんだったの?」
「おそらく、すずめです」
「すずめ? どうして?」
「電線のすずめを見ていると、親近感が湧くんですよ。それにふと、空を飛びたい衝動に駆られるし」

すると前を歩いていた男性スタッフが、限界だとばかりに肩を震わせながら振り返った。

「申し訳ありません。どうにも我慢できなくて……」
「え? どうかしましたか?」

キョトンとする凜香に、社長もやれやれと笑い出す。

「深月さんがまじめに語るすずめの前世がツボにはまったみたいだよ」
「ええ? どうしてですか?」
「その返しがまたおもしろいんだよ」
「……はあ」

階段を上がり切った男性スタッフは必死で表情を引き締めると、小さく咳払いをしてからドアを開けた。

「こちらです。どうぞ」
「わあ、すてき! 舞踏会でも開けそう」

宮殿の広間のような内装に、凜香は目を輝かせる。

「深月さん、やっぱり前世は伯爵令嬢ってことにしておこうよ」
「違うと思いますけど」
「いいから。一旦すずめは忘れよう。その方がディナーを楽しめるから」
「そうですね。では社長は、えっと、伯爵より上の階級ってなんですか?」
「俺は男爵かな」
「え、絶対うそです。男爵はおいもですもん。そうですよね?」

話を振られて、スタッフはまた笑いをこらえる。

「鮎川様は、おそらく公爵でいらっしゃるかと」

そう言ってスタッフは、優雅に身を屈めた。

「あ、そうですよ。公爵です、社長」
「残念。好きなのにな、男爵いも」

スタッフは「これ以上はご勘弁を」と言って、部屋を出ていった。



「とっても美味しいですね」

ワインレッドのクロスが掛けられたテーブルに、フレンチのフルコースが次々と運ばれてくる。
凛香はうっとりとステーキの美味しさに目を細めた。

「そんなに美味しそうに食べてくれると、私も嬉しいよ」

シャンパンを飲みながら、社長は笑みを浮かべる。

「深月さん、実はね。先日私の自宅に、朝比奈検事と矢島刑事が来てくれたんだ」

えっ、と凛香は手を止めた。

「お二人が、社長のご自宅に?」
「ああ、事件の詳細を教えてくれた。そこで初めて私は、君が自分の身をかえりみず、危険を侵してまで捜査に協力してくれたことを知ったんだ。本当に申し訳なかった」

頭を下げられ、凛香は慌てる。

「そんな、お顔を上げてください、社長」
「いや、私は自分の不甲斐なさが情けなくてね。仮にも社長でありながら、私は警護されるだけでなにもできなかった。それなのに、まだ若い女の子の君が、果敢に立ち向かって会社を救ってくれた。私はこの先もずっと君に感謝し続けるよ。ありがとう、深月さん」
「社長……」
「君は私が本部長の頃から秘書として支えてくれた。社長となってからも、誰よりも近くでいつも私を助けてくれた。しかも、こんなにも大きな会社のピンチでさえ、救ってくれたんだ。これからは私に君を守らせてほしい。二度と怖い思いはさせない。必ず君を幸せにする。だから深月さん、私と結婚してほしい」

凛香は、なにが起こったのかと呆然とした。
なにかの冗談ですかと、しばし考え込む。
だが社長は真っすぐ凛香を見つめて、再びはっきりと告げた。

「結婚してください、深月さん」
「え、あの、社長? まさか、本気で?」
「もちろん。私は四十三歳で君には不釣り合いだと思う。だけどそれを理由に諦める気にはなれない。君を手放したくないんだ。みっともないと言われようが、なりふり構わずお願いする。どうか、私と結婚してほしい」
「そんな、だって、大企業の社長と私では身分の違いが……」
「そんなものあるわけがない。それに私は、社長といっても成り上がりなのは君も知ってるだろう?」
「いえ、そんな」
「急なことで驚いたかもしれない。だけど私は自覚していなかっただけで、ずっと君が好きだったと今になって気づいた。好きになってはいけないと、自分の気持ちから目を背けていただけなんだ。深月さん、君が心から好きだ。返事は今すぐでなくていいから、どうか私との結婚を考えてみてくれないか?」

凛香はしばし逡巡してから、おずおずと視線を上げる。

「はい、考えてみます」
「よかった。ありがとう」

社長は心底ホッとしたように肩の力を抜いた。

(こんな表情の社長、初めて)

誠実に向き合って、返事を考えようと凛香は思った。



「社長、今夜はごちそうさまでした」

ハイヤーでマンションまで送ってもらうと、凛香は車を降りて社長と向かい合う。

「こちらこそ、楽しい時間をありがとう。ゆっくり休んで」
「はい。社長も」

すると最後に社長は顔を寄せて、そっと凛香の耳元でささやいた。

「いい返事を待ってる。おやすみ」
「……はい、おやすみなさい」

口元に笑みを浮かべて頷き、社長は車に乗り込む。
凛香はその場に佇んで見送った。
車が角を曲がって見えなくなると、ふう、とため息をつく。

(どうしよう、ほんとに急な話でびっくりしたなあ)

これまで社長と自分の間には、そんな空気は一切なかったし、社長を恋愛対象として見たこともなかった。

(それは社長も同じで、私をそんなふうに思ったこともなかったのよね? でも事件がきっかけで、気持ちに変化があったのかな。なんてお返事すればいいんだろう)

今はなにも考えられない。
明日からお盆休みに入り、しばらく社長と顔を合わせることもない。

(ゆっくり考えさせてもらおう)

そう思い、ようやくマンションのエントランスに向かった時だった。
キュキュッとタイヤの音がして、背後に車が止まる。

「社長? なにか忘れもの……」

そう言って振り向いた瞬間、グッと口元をハンカチで覆われた。
ツンと鼻をさす匂いとグラッと歪む視界に、思わず固く目を閉じる。
そのまま凛香の意識はフッと途切れた。
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