本当の愛を知るまでは

葉月 まい

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恋愛の割合は?

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6月に入っても梅雨入りせず、暑い日が続いた。

「あっつーい。花純ー、仕事終わったら上のバーに行かない?」

オフィスで千鶴に声をかけられて、花純は顔を上げる。

「上のバーって、このビルの50階の?」
「そう。私、一度行ってみたんだけど、なかなかいいとこよ。軽食も美味しくて。どう?」
「そうね。うん、行ってみたい」
「やった! そしたらさ、滝沢くんも誘わない? 今日シフト入ってたら」
「え、滝沢くん? どうだろう、嫌がるんじゃないかな」
「んー、ダメもとで聞いてみる」

そう言うと千鶴はスマートフォンを手に席を立った。

「ちょっとブレイク行ってきまーす!」

オフィスを軽やかに出て行った千鶴に、原がやれやれとため息をつく。

「千鶴のやつ、マジであんな若い子狙ってるのか?」
「さあ。でも別にいいんじゃない?」
「そうだけどさ。千鶴って今までかなり年上の相手とつき合ってたから、なんかちょっと心配。若い子相手に本気になって、傷つくようなことにならなきゃいいけど」
「滝沢くんは相手を傷つけるようなこと、しないと思うよ。今どきの若者だけど、いい子だもん」
「へ? なに、花純も狙ってんの?」
「まさか! 私が恋愛に消極的なの、原くんも知ってるでしょ?」

作った資料をトントンと揃えながら花純が聞くと、原は頭の後ろで両手を組んだ。

「まあな。でも俺たち28だぞ? 花純もそろそろ親から、結婚しろって言われるんじゃないか?」
「そしたら結婚相手は探そうと思ってる」
「は? なに、どういうこと?」
「恋愛は乗り気じゃないけど、結婚はしようかなって。お見合いして、お互いの条件が合う人と」
「ええー! 恋とか愛とか関係なく、結婚相手を選ぶのか?」
「うん、そう。だってその方が上手くいくと思うのよね。結婚って、結局は日々の生活の積み重ねじゃない? 好きって理由だけで、その人とずっと何年も暮らしていけると思う? もっとこう、食べ物の好みとか生活のサイクルなんかも照らし合わせて、家事や仕事に対する考え方もすり合わせてから、互いの条件を出して合意の上で結婚を決めたいの」

淡々と述べると、原はポカーンとしている。

「花純。顔に似合わず変わってると思ってたけど、まさかここまでとは……」
「変かな?」
「変だよ! 条件が合うってだけで、好きでもない相手とずっと暮らせるのか? そこに愛はないのかい?」
「原くん、意外と少女漫画の世界だね。そんな何年も毎日好き好き言ってられないでしょ? 結婚ってさ、契約みたいなもんじゃない?」
「……あかん、もう、なんも言えねえ」

その時、千鶴がドリンクのカップを手に意気揚々と戻って来た。

「滝沢くん、いたー! 6時上がりでバーも行けるってー! ルンルン!」

原は千鶴と花純を交互に見比べてから「足して2で割れ……」と呟いた。



「で? なんで原までここにいるのよ」

バーの4人テーブルで、千鶴が原をジロリと睨む。
定時になると、千鶴は花純と5階のカフェに滝沢を迎えに行ってから50階に上がったのだが、バーの入り口で原が待ち受けていたのだった。

「別にー? 俺もバーで飲んで帰りたくなっただけ」
「嘘ばっかり! どうせ私の邪魔しようって魂胆でしょ」
「そんなことないって。滝沢くん、千鶴に何かされたらすぐ俺に言いなよ?」
「ほらやっぱり!」

二人のやり取りを、滝沢は笑って聞き流している。

「大人だねえ、滝沢くん」

花純は、ギャーギャー言い合う千鶴と原を横目に話しかけた。

「いや、普通っしょ?」
「でもこの二人よりよっぽど落ち着いてるよ。ごめんね、うるさくて」
「いいって。それより、オーダーどうします?」
「んーと、食事もするから取り敢えずビールで」
「料理は? 適当に頼んでいい?」
「うん、お願いします」

滝沢はスタッフに目配せして呼ぶと、ビールと一品料理をスマートにオーダーする。
慣れた様子に花純は感心した。

「滝沢くん、モテるでしょ」
「いや、普通」
「嘘だよ。あ、彼女いるよね? ごめん、誘って大丈夫だった?」
「いないから、平気」

するとそれまで原と言い合っていた千鶴が、ピタリと口を閉ざして振り向いた。

「滝沢くん、今フリーなの?」
「そうっすよ」
「なんで?」
「うーん、なんか面倒で」

ええ!?と原が声を上げる。

「面倒? それって恋愛がってこと? 滝沢くんほど若くて今どきの男の子が、恋愛が面倒だなんて。俺が大学生の頃には考えられん」
「けどなんかの調査で、大学生の3人に1人は、今まで誰ともつき合ったことがないって結果だったらしいっすよ」
「マジか、どうりで少子化進むわけだな。じゃあさ、滝沢くんも結婚願望ないの?」
「今は全然考えられないっすね。21だし」
「そうか、そうだな。俺も21の頃は遊ぶことしか考えてなかった」
「じゃあ今は? 結婚願望あるんですか?」
「結婚願望というか、好きな子が出来たら将来的にはそうなりたいって感じかな」

なるほど、と滝沢が頷いた時、ビールが運ばれてきた。
ひとまず4人で乾杯する。

「でもさ、ここにいる4人とも恋人いないって、なんか寂しいね」

千鶴がそう言うが、頷いたのは原だけだった。
滝沢が花純に尋ねる。

「森川さんも、恋愛面倒なの?」
「うん、そうなの。でも結婚はしようかと思ってる。条件が合う人がいれば」
「ふーん、どんな条件?」
「えっとね、私1人の時間も大切にしてくれて、どこに行くの? 誰と行くの? とか詮索しない人。あと、食事はテレビ観ながらじゃなくてちゃんと残さず食べて、靴下を丸めてその辺に脱ぎっぱなしにしない人」
「ぶっ! なんか熟年夫婦の離婚の理由みたい。経験談なの?」
「そう、元カレのね。もうね、靴下のかたつむりを見る度に恋が冷めていったの。極めつけは『仕事より俺との時間を優先してほしい』ってセリフ」
「あー、それ俺も言われて一気に冷めた。『私を置いてバイトに行く気?』って。そうですが、何か? って感じ」

分かるー!と花純は大きく頷いた。

「恋愛するとしても、割合が違うのよ。私は7対3くらいがいい」

千鶴が「恋愛が7割?」と聞いてくる。

「ううん、恋愛が3」
「少なっ!」
「そう? 充分多いと思うけどな。千鶴ちゃんは?」
「私だったら、つき合い始めは9対1。もちろん恋愛が9ね。で、だんだん少なくなっていって、最終的には6対4かなあ」
「恋愛が6? 多くない?」
「普通だよ。ねえ、原」

うん、と頷く原に「あら、やっと気が合ったわね」と千鶴が真顔になる。

「滝沢くんは? どれくらいの割合?」
「んー、割合じゃなくてスイッチ切り替え型っすね。彼女と会ってない時は、全く思い出さないから」
「ええー!? ほんとに?」
「そうっすよ。会えばちゃんと向き合いますし、好きって言いますけど、大学の講義中とかバイト中はスイッチ替わってますから全く」

信じられないとばかりにおののく千鶴と原を尻目に、花純は「なんか分かるわ」と呟いた。

「私もそうかも。仕事中に彼のことなんて思い出さなかったもん。お昼休みくらいメッセージくれって言われて、なんて? って真剣に聞いちゃった。なんて送るのが正解なの? 千鶴ちゃん」
「そんなの、『早く会いたいなー』とか『ランチはオムライス食べたよ』とか『このあともお仕事がんばってね』とか、なんだってあるでしょ?」

へえー、と花純と滝沢の声が重なる。

「え、原、私おかしい? 普通よね?」
「うん、千鶴が普通。花純と滝沢くんはかなりの少数派だと思う」
「だよね! あー、なんか私、気持ちが冷めちゃった。滝沢くん、私あなたとはつき合えない。ごめんなさい」

は?と、滝沢はキョトンとする。

「まあまあ、なんか丸く収まったな。さ、飲み直そうぜ」

原がご機嫌でグラスを掲げ、4人でもう一度乾杯した。



いよいよ梅雨入りし、じめじめした日が続く。
夏休みを前に海外旅行の予約が増え、花純たちもオフィスの業務が忙しくなった。

そんなある日。
定時を少し過ぎて退社した花純は、1階のロビーで声をかけられた。

「森川さん!」

細身のスーツ姿の若い男性が、タタッと駆け寄って来る。
黒髪を短く切り揃え、ネクタイもきちんと締めた爽やかなイケメンに、花純は首をひねった。

(え、誰だろう……)

男性は花純の前まで来ると、整った顔に笑みを浮かべる。

「お疲れっす。今帰りですか?」

聞き覚えのある声としゃべり方に、花純はぱちぱちと瞬きをしてから驚きの声を上げた。

「えっ! もしかして、滝沢くん?」
「そうっすよ。あ、そうか。出で立ち変わってますよね」
「変わりすぎだよ。どうしたの?」
「今、上の階の企業で面接受けてたんっすよ。その帰りです」
「面接? それって、就職活動ってこと?」
「そうっす。世間の就活の波はとっくに終わってますけどね。そん時は俺、妙な反抗心で就活なんかやらねえって思ってたんです。けど、やっぱ逃げててもしょうがないって思って」

そっか、と花純はしみじみと頷く。

「なんか分かる。私も大学生の時そう思ったから。どうしてこの先の人生を、みんなで一斉に今決めなきゃいけないの? って思った。タイミングなんて、人それぞれ違うものなのにって」
「あー、そう! まさにそれっす! 俺もその違和感しかなくて、就活から逃げてたんっすよね。でもいつまでもそうは言ってられないし……。森川さん、その気持ち抱えてどうやって就活したんすか?」
「実は私も世間の就活の流れに乗らなかったの。大学4年生の冬に、卒業論文書き終わってから就職先を探し始めてね……」

すると「ちょっと待って!」と滝沢が手で遮った。

「じっくり聞きたいから、バーに行ってもいい? 俺、おごるし」
「は? いやいや、こんな年下の子におごらせたりしないわよ。ごちそうする」

そして二人で50階のバーに向かった。

「お疲れ様」

ビールで乾杯すると、滝沢はゴクゴクと一気に半分ほどグラスを空ける。

「はあー、うまっ」
「ふふっ、今日も暑いし、疲れた時のビールは沁みるよね」
「うん、もうシミシミ」
「あはは!」

おつまみを食べながら、滝沢が身を乗り出した。

「で? さっきの続きは?」
「えーっと、どこからだっけ?」
「卒論書いてから就活始めたってとこ」
「あ、そうか。その前にね、大学3年生の秋に、急に思い立って海外の大学に編入したの」
「ええ!? なんでまた?」
「上手く言えないけど、滝沢くんの言う、妙な反抗心もあったと思う。型にはまりたくないっていう」

ふーん、と滝沢は何やら考え込む。

「森川さんって、見た目と違うんだね。なんか風紀委員みたいに、ちゃんとルールとか守ってそうなのに。『どうしてもこうしてもない、ルールはルールです!』って」
「あー、よく言われる。でも考え方は割りと男性っぽいのかな?」
「うん、そうかも。それで?」

続きを催促するように、滝沢はまた身を乗り出してきた。

「それで、アメリカの大学の単位を日本の大学に移行して、残りは卒論だけになった時に帰国したの。もう完全に就活の波には乗り遅れてるでしょ? だから正社員は諦めて、みんなより少し早く2月から契約社員として働き始めたの。そしたらありがたいことに仕事ぶりを評価されて、4月から新入社員と同じ、正社員にしてくれたのよ。で、今に至るってわけ」
「そうなんだ、そういうこともあるのか。俺、就活遅れただけで、人生踏み外した気がしてた」
「全然そんなことないよ! だったら私なんて、今頃草むらの中で生きてることになるよ?」
「ぶはっ! だから、ビール飲んでる時に笑かすなって」

滝沢は楽しそうに笑ってから、しみじみと呟く。

「良かった、森川さんの話聞けて。すげえ救われた」
「ほんと? 私の変な経験が誰かの役に立つなんて嬉しい」
「うん、めちゃくちゃ気持ちが楽になった。なんか、俺の存在を肯定された感じ」
「そっか。無理に周りと合わせたり、考え方を変えたりしなくていいよ。滝沢くんはそのままで充分、素敵な人生を歩める人だと私は思う」
「森川さん……」

しんみりする滝沢に、今日は飲みな!と花純はビールを勧めた。



「森川さん、こんばんは」

そのあとも二人で他愛もない話を楽しんでいると、ふいに光星が現れた。

「上条社長! こんばんは。これからお仕事上がりの1杯ですか?」
「いや、向こうのカウンターで軽く食事をしてたんだ。仕事が残ってるから、オフィスに戻るところ。森川さんは? ひょっとして、デートかな?」

そう言って光星は、滝沢に会釈する。
どうやら誰だか気づいていないらしい。

「ふふっ。上条社長、こちらは滝沢くんですよ」
「えっ、滝沢くん? ほんとに?」

滝沢は照れたようにクシャッと髪を手で崩し、「お疲れっす」と頭を下げた。

「おー、ほんとに滝沢くんだ。見違えたな、こんなに爽やかなイケメンだとは。何かあったの?」
「まあ、ちょっと」

答えにくそうな滝沢に代わり、花純が「内緒です。ね? 滝沢くん」と笑いかける。

「そうか、邪魔して悪かった。それじゃあ、ここで」
「はい。お仕事ほどほどにがんばってください」
「ありがとう」

頬を緩めて頷いてから、光星は出口へと去って行った。

「さてと! そろそろ私たちもお開きにしようか」

マスターに会計をお願いすると、「上条様よりお支払いいただいております」と言われて花純は驚く。

(いつの間に? もうほんとに気遣いの人なんだから)

恐縮しつつも、花純はふっと笑みをこぼした。
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