本当の愛を知るまでは

葉月 まい

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ささやかなお礼

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「花純ー、ランチ行こうよ」
「うん。ちょっと待ってね、千鶴ちゃん」

新オフィスに移転して1ヶ月が経ち、すっかり日々の業務にも慣れてきた。
千鶴にランチに誘われた時は、決まって5階のカフェに行く。

「滝沢くーん。今日はカルボナーラお願い。粉チーズ、マシマシでね」
「杉崎さんのマシマシは、20円アップですよ」
「ええー! ドケチ」
「あはは! 嘘ですって。森川さんはどうしますか?」

千鶴とテンポの良いやり取りをしたあと、滝沢は花純に尋ねた。

「えっと、どうしようかな」
「森川さんの最近のオーダーの傾向からすると、今日はグリルチキンホットサンドがおすすめです」
「あ、じゃあそうします」
「了解。ドリンクはアイスモカでどうです?」
「うん、いいね」
「あざーっす!」

すると千鶴が不機嫌そうに両腕を組む。

「ちょっと、滝沢。なんで花純には自分からオーダー聞いて、おすすめまでするのよ?」
「だって杉崎さん、聞くまでもなく自分からオーダーぶっこんでくるでしょ」
「言い方! 何よ、人を猪突猛進のイノシシみたいに」
「あ、杉崎さんイノシシ年ですか?」
「なんでよ? って、イノシシだけど……」

小声で呟く千鶴に、滝沢は「おおー、イメージぴったり!」と嬉しそうに笑う。

「じゃあ森川さんもイノシシ?」
「ううん、早生まれだからネズミなの」

答えながら花純は、ピッといつもと同じタッチ決済を済ませた。

「ネズミかあ……。はい、レシートです」
「ありがとう」

受け取って席に着くと、レシートの裏にネズミのイラストが描かれているのに気づく。

「やだ! もう滝沢くんたら」

どれ?と千鶴が覗き込んでくる。

「あはは!なんかシュールなネズミね」
「こういうノリ、若者って感じだね」
「うん、でも新鮮。あいつ、歳いくつなんだろう」

顔を上げると、ちょうど客足が途切れて、滝沢は返却カウンターの食器を下げているところだった。

「滝沢ー、干支なに?」

千鶴が声をかけると滝沢は振り返り、ヒヒーン!と鳴きマネをする。

「馬か……。ってことは私達と、1、2、……7歳違い? うわ、やっぱり随分下だな」
「そうだね、世代が違うよ。髪型もなんか、オシャレな感じだもんね」
「ああ、ウルフカットね」

ウルフカット?と花純は聞き返す。

「今流行ってんのよ。花純、相変わらずそういうのに疎いね」

その時、器用に左手にお皿を2枚、右手にドリンクを持った滝沢が近づいて来た。

「杉崎さん、ウルフじゃなくてハッシュね。はい、カルボナーラとホットサンド」
「えー、何それ?」
「だから、カルボナーラのチーズマシマシ」
「じゃなくて、ハッシュ? ポテト?」
「違うから! もう、杉崎さんもたいがい疎いよ。ググって」

千鶴にそう言い、花純にはにこやかに「チキンの特製マヨ、マシマシにしといたよ」と笑う。

「ありがとう! 美味しいんだよね、この特製マヨネーズ」
「ごゆっくりー」

滝沢は、ふわーっと軽い足取りでカウンターに戻った。



5月の下旬になると、気温の高い日が続いた。

(今日も暑くなりそう。冷たい飲み物でも買っておこうかな)

いつものように朝の7時過ぎに出社した花純は、低層階エレベーターに乗り、5階で降りる。
開店直後のガランとしたカフェを覗くと、カウンターの中にいる滝沢の姿が見えた。

「おはよう、滝沢くん」
「森川さん! おはようっす。この時間に来るの、珍しいですね」
「うん。暑いからアイスラテ買ってからオフィスに行こうと思って」
「アイスラテっすね。グランデにします?」
「うん、そうする」

会計を済ませると、ラテを作る滝沢の手元をその場から眺める。

「なんか……かっこいいね」
「は? 何がっすか?」
「男の人が手際良くラテ作るのが、妙にかっこいい。滝沢くんみたいな今どきの若者がテキパキしてると、特に」
「森川さん、何フェチなの? それ」
「え、なんだろ。滝沢フェチ」
「ぶはっ! ちょっと、手元狂うからやめて」

照れたように真顔を作って、滝沢はスチームミルクをマシンで注ぐ。

「このカフェの仕事、長いの?」
「んー、そうっすね。高校の時からだから、7年目かな」

7年目!?と、花純は驚く。

「私のキャリアと同じ? すごーい!同期じゃない」
「ぶはっ! だから笑わせんなって。はい、アイスグランデラテ。ミルクマシマシね」
「ありがとう!」

笑顔で受け取ると、あれ?と後ろから声がした。

「珍しい顔ぶれだな」
「上条さん! おはようございまっす」
「おはよう、滝沢くん。いつもの頼むよ」
「アイスブレンドっすね。毎度ー!」

光星はピッとタッチ決済を済ませると、コンディメントバーでシナモンパウダーをラテに載せている花純にも声をかける。

「おはよう、森川さん」
「おはようございます、上条社長」
「今日はエレベーターホールで会わないなと思ってたら、ここに来てたんだね」
「はい、暑さに負けて冷たいドリンクを買いに」
「確かに、今日も暑くなりそうだもんな」

カウンターに軽く肘を載せて、光星は窓から射し込む日差しに目を細めた。

「いつでもオフィスにデリバリーしますよ。上条さんも、森川さんも」

そう言って滝沢が光星にドリンクを差し出す。

「ありがとう、またお願いさせてくれ」

光星がドリンクを手に歩き出し、花純も「またね、ありがとう」と滝沢に手を振ってカフェを出た。

「どう? 最近。忙しい?」

二人で低層階エレベーターに乗ると、光星が花純に尋ねる。

「今月は忙しかったですが、来月は梅雨時期なので少し落ち着きます。そのあとは怒涛の夏休みですね」
「あー、なるほど。旅行業界だもんな」
「でも現場の人は、オフィスの私たちとは比べ物にならないほど忙しいので、泣き言は言えません。上条社長は? 相変わらずお忙しい毎日ですか?」
「ん? まあ、そうかな。仕事が好きだから苦じゃないけどね」
「そうですか。でもくれぐれもお身体大切になさってくださいね」
「ありがとう。君も」

1階に下りると、「それじゃあ」とそれぞれ別のエレベーターに乗り換えた。

(あ、そう言えば上条社長に何かお礼をしたいと思ってたのに、まだだったな)

先月、パニーニをさり気なく差し入れてくれたことを思い出す。

(でも難しいよね。社長ともあろうお方にお礼の品なんて、考えても何がいいのか分からない)

それで今まで先延ばしになっていた。
だがそろそろちゃんと決めたい。
花純は、うーん、と考えあぐねる。

(やっぱりあとに残らない物がいいわよね。パニーニとコーヒーのお礼だから、そんなに高価な物じゃなくて、お菓子とか? ううん、あの臼井さん以上のお菓子なんて思いつかない。他に何か、上条社長の好きそうなものって……)

そこまで考えて、ふとあることを思いつく。
ちょうどエレベーターが39階に到着し、花純は1つ頷いてからエレベーターを降りた。



「上条社長、おはようございます」
「おはよう、森川さん」

3日後の朝。
いつものエレベーターホールで光星の姿を見つけると、花純は声をかけて歩み寄る。

「あの、上条社長。こちらなんですけど……」

そう言って控えめに、手にした封筒から写真を1枚取り出した。

「ん? ああ! これ、君が撮った桜の写真だね」
「はい、そうです」
「へえ、やっぱり綺麗だな」

微笑んでじっと写真に見入る光星に、花純は、よし、渡そう!と決意する。

「あの、大変遅くなったのですが、先月パニーニを差し入れてくださったお礼にと思いまして……」

そう言って、写真をカードに挟んでから封筒にしまい、光星に差し出した。

「えっ、俺に?」
「はい。ご迷惑でなければ……」
「とんでもない、嬉しいよ。ありがとう」

光星は笑顔で受け取ると、カードを取り出して開く。
写真は薄桃色の柔らかい和紙で挟み、カードには『優しいお心遣いを ありがとうございました。 森川 花純』と書いてあった。

「綺麗な字だね。君こそ細やかな心遣いの出来る人だよ」
「いえ、そんな。処分に困るようなものを差し上げるのはどうかと思ったのですが、写真を見て喜んでくださったので、思い切ってお渡ししました」
「処分だなんて、まさか。とても嬉しいよ。ありがとう」
「はい。それでは、これで」

両手を揃えてお辞儀すると、花純は中層階エレベーターに乗る。
手を振って見送る光星は柔らかい笑顔を浮かべていて、花純も微笑み返した。

(ふう、緊張した)

SNSで「今日の1枚」にも選ばれた写真を印刷して渡そうと思い立ったはいいが、果たして迷惑にならないかと悩んだ。
渡す前に見せてみて、反応次第では渡さないでおこうと思っていたが、本当にいい写真だと思ってくれているような光星の表情に渡そうと思えた。

(季節外れだけど、少しでもあの桜を思い出してくれたのなら良かった)

渡した自分もなんだか幸せな気持ちになれたと、花純は笑みを浮かべた。
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