本当の愛を知るまでは

葉月 まい

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突然出来た彼氏

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「おはよう、森川さん」
「おはようございます、上条社長」

5日後の朝。
エレベーターホールでばったり会い、いつものように挨拶する。
あの日から特に何もなく、その場の冗談だったのかな?と花純は思い始めていた。

「今夜空いてる? 食事でもどう?」
「え、どうしてですか?」
「つき合ってるんだから、デートするのは普通でしょ?」
「つき合ってる……」
「あれ、覚えてないの? じゃあ、今夜改めて確認しよう。定時になったら俺のオフィスに来てくれる? それとも俺が君のオフィスに迎えに行こうか」
「いえ! それは困ります」
「ん、じゃあ待ってる」

そう言うと光星はスッとエレベーターに乗って去って行った。

(え、ほんとに? これっておつき合いって言うの? それとも上条社長は、私の変な結婚観を思い知らせようと、バーチャルな体験を提供してくれているだけとか?)

いずれにしても、もう一度よく話し合う必要がありそうだと、花純は仕事終わりに光星のオフィスを訪ねることにした。



「お疲れ様。ちょっとソファに座って待っててくれる? すぐ終わらせるから」
「はい」

定時になると、花純は52階の光星のオフィスにやって来た。
言われた通りソファに座り、デスクでパソコンに向かっている光星をじっと見つめながら待つ。

「そんなに見られると、やりづらいな」

苦笑いする光星に、すみません!と慌てて目を伏せた。

「いや、意識してくれてて嬉しい」
「いえ、あの。そういうわけでは……」
「どういうわけでも嬉しいよ。さて、じゃあ行こうか」

パソコンを閉じて立ち上がると、光星はハンガーラックからジャケットを取って腕を通す。
その様子を、花純はちらりと上目遣いに見た。

(なんか、かっこいい。男の人って、ジャケット着る時かっこ良くなるよね)

するもまたしても光星がクスッと笑う。

「どうかした? なんかじっと見られてる気がするけど」
「えっと、どうやったらそんなふうにかっこ良くジャケットを着られるのかなと思って。ぐるっと背中に回しながらシュッて袖に手を入れるの、難しくないですか?」
「あー、これはね。独身生活が長いと上手くなるんだよ。結婚したら奥さんが着せてくれるって、年配の人が言ってた」
「えっ! 結婚したら、そんな条件があるんですか?」

うっ、と光星は顔をしかめる。

「そういうわけじゃないよ。それに俺は、ほら。一人で立派に着られるからさ。奥さんには着せてもらわない。そんなことより、行くよ」
「はい」

二人でオフィスをあとにし、エレベーターに乗ると、花純は光星にレセプションで借りていたビジターカードを差し出した。

「こちらをお返しします」
「ああ、そうか。んー、でもこのまま君に持っててもらおうかな」
「いえ、私は部外者ですので」
「じゃあ、レセプションスタッフに伝えておく。森川さんは俺の彼女だから、いつでもカードを貸し出すようにって」

えっ!と花純は絶句する。

「そ、そのようなことは……」

ふるふると必死で首を振って訴えると、ははっ!と光星はおかしそうに笑った。

「可愛い」
「え?」
「もう一回言おうか?」
「いえ、結構です……」
「聞こえてたんだ」

ククッと笑いを噛み殺す光星に、花純はドギマギしてうつむく。
エレベーターが1階に着くと、どうぞ、と促された。
ロビーには、まばらに人が行き交っていて、職場の人に見つからないかと花純はヒヤヒヤする。
以前と同じ駐車場へ行くと、光星が開けたドアから車に乗り込んだ。

どこに行くのだろうと思っていると、着いた先は海に面したラグジュアリーなホテルだった。
ロータリーでバレーパーキングのスタッフに車を託し、光星は花純の手を取って歩き出す。

「あの、上条社長」
「ん?なに」
「手が……、繋がってます」
「ははっ、そうだね」
「離していいですか?」

すると光星はギュッと握る手に力を込めて、花純の顔を覗き込んだ。

「ダメ」

花純はピキッと固まる。
光星は楽しそうに花純の手を引いてエレベーターに乗り、最上階のフレンチレストランに入った。

案内された個室でようやく手を開放され、花純はふう、と息をつく。
スタッフが引いてくれた椅子にそっと腰を下ろした。
窓の外には綺麗な夜景が広がっている。

「海がすぐそこなんですね。月明かりでキラキラして綺麗……」

花純はうっとりと見とれた。

「上条社長のオフィスは空に近くて素敵だけど、ここは海に近くてそれもまたいいですね」
「そうだね。景色に酔いしれてるところ悪いけど、君のお酒は何にする?」

スタッフが差し出したアルコールメニューを見ながら、光星が尋ねる。

「いえ、社長が運転されるのですから、私もノンアルコールで」
「気にしなくていい」
「ですが、社長はシラフで私だけ酔うのは恥ずかしいので」
「へえ。酔うとどうなるの? 見てみたい」
「お見せするようなものでは……」
「でも、滝沢くんとは飲んでた」

ポツリと呟かれた声に、花純が、え?と聞き返すと、光星はアルコールメニューを閉じた。

「じゃあ、ノンアルコールのシャンパンでいいかな?」
「はい、もちろん」

スタッフはメニューを受け取ると、うやうやしく頭を下げて退室する。
二人きりになり、花純は姿勢を改めて話を切り出した。

「あの、社長。確認させていただきたいのですが……」
「しっ……」

光星が人差し指を唇の前にやり、花純は言葉を止めた。

「その社長って呼び方はナシ」
「ですが、社長は社長ですから」
「君の上司ではないよ。それに俺たちは恋人同士だ」
「それなんですけど、ちょっと腑に落ちなくて。恋人同士って、世間一般で言う、あの恋人ですか?」
「ん? あの恋人がどの恋人か知らないけど、まあそうだろうね」

その時スタッフが戻って来て、二人のグラスにコポコポとシャンパンを注ぐ。

「では、二人の夜に、乾杯」

ノンアルコールなのに、花純は思わずポーッと光星に見とれてしまう。

(いけない。ちゃんと聞かなきゃ)

スタッフがスープとパンを用意するのを横目で見ながら、花純は頭の中で考えをまとめた。

「社長が昨日おっしゃっていたのは、本当の愛を言葉ではなく、実際に身体で分からせる、ということでしょうか?」

ピタ……と、焼き立てパンをトングで花純の皿に置いていたスタッフの手が止まる。

「それでは、失礼いたします」

まだ光星の皿にはパンを載せていないのに、スタッフはスタスタと立ち去った。

花純は昨日のやり取りを思い出しながら、話を続ける。

「社長は、私がまだ本物の恋愛をしていないのが問題点だとおっしゃいました。それをこれから教えてくださると。ですが、私がいつまで経っても理解出来ない可能性の方が大きいと思います。ですので見込みがないと判断された時には、社長から関係を解消してください」

そう言うと、光星はゆっくりグラスを傾けてから花純を見つめた。

「分かった、そうしよう。その代わり俺からもお願いがある」
「何でしょうか?」
「俺たちは恋人同士だ。その意識を持っていてほしい。でなければ俺の伝えたいことが、きちんと伝わらないから」

花純は頭の中で噛みしめてから頷く。

「はい、分かりました」
「それと……」

一度うつむいてから光星は顔を上げ、真っ直ぐに花純の瞳を見つめた。

「俺から関係を解消することはない。覚えておいて。俺は諦めない、君が愛を知るまではね」

ドキッとして花純は息を呑む。

「分かった?」
「は、はい」

真っ赤になってうつむくと、光星はクスッと小さく笑って目を細めた。



「お料理、どれもとっても美味しいですね」

メインディッシュが運ばれてくると、花純は笑顔で味わった。

「君は苦手な食べ物はないの?」
「ありません。シイタケ以外は」
「ははっ、あるんじゃない。シイタケか。それも、本当に美味しいシイタケを、まだ食べたことがないだけじゃない?」
「美味しいシイタケなんて、あるんですか?」
「あるよ。ははは! 君、真面目そうに見えて、ほんとに面白いね。嬉しい誤算だな」

楽しそうに笑ってから、光星は花純に微笑みかける。

「これから一緒に色んなところに行って、色んな気持ちを共有して、二人の時間を重ねていきたい」
「はい。よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそ」

二人きりはまだ慣れない。
けれどいつか、二人のこの時間が心地良くなるのかな?

そんなふうに思いながら、花純は頬を赤らめていた。

食事が終わると、光星は車で花純のマンションまで送る。

別れ際に連絡先を交換した。

「このアイコン、臼井の作ったクッキー?」
「はい、そうです」
「……妬けるな。俺には出来ないから」
「え?」
「いや、何でもない」

光星は車を降りると、外から助手席のドアを開けて花純に手を差し伸べる。
光星の手を借りて降りた花純は、改めて向き直った。

「今夜は美味しいお料理をごちそうさまでした。送ってくださってありがとうございます」
「こちらこそ、楽しい時間をありがとう。また連絡する」
「はい。それでは」

お辞儀をしてエントランスに向かおうとした花純を、光星が呼び止める。

「待って、忘れ物」
「え?」

振り返った途端、花純はグッと光星に抱き寄せられた。
おでこにそっとキスが落とされ、耳元でささやかれる。

「おやすみ。またね、花純」

言葉もなく真っ赤になる花純にふっと笑い、
光星はまた耳元でささやいた。

「早く行きな。でないと帰してやれなくなる」
「は、はい。おやすみなさい」
「おやすみ。良い夢を」

するりと光星の腕から逃れて、花純は小走りにエントランスに入る。
振り返ると、優しく微笑んでいる光星に小さく手を振り、エレベーターに乗った。
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