本当の愛を知るまでは

葉月 まい

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後悔と寂しさの中で

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それから数日経っても、花純と千鶴の仲はギクシャクしたままだった。
仕事に必要なやり取りはするが、以前のように明るく会話をしたりは出来ない。

花純は毎日、後悔の念に駆られた。

(どうしてちゃんと千鶴ちゃんに話さなかったんだろう)

だがあの時は、お試しでつき合い始めてちゃんとした恋人同士だという自覚もなく、寂しさと不安に悩む日々だったのだ。

(それでも話しておけば良かった。千鶴ちゃんとこんなふうに気まずくなるなんて……)

同期として入社して以来、何でも相談出来る親友だったのに。
もう以前のようには戻れないのだろうか。

(そんなの嫌。こんなことになるなら、私……)

ーー恋愛しなければ良かったーー

思い浮かんだその言葉は、花純の心を一気に凍りつかせた。



『もしもし、花純? もうマンションに着いた?』

ある夜、久しぶりに光星から電話があった。

「はい、着きました」
『良かった。メッセージの返事がないから、心配してた。最近忙しそうだね』
「そういうわけでは……」
『そう? それなら明日、どこかで夕食でもどう?』
「あの、明日はちょっと……」
『そうか、分かった』

残念そうにそう言うと、光星は優しく『花純』と呼ぶ。

「はい」
『何か悩んでる? 良かったら、話してほしい』
「えっ……」

思いがけない言葉に目が潤む。
最近、光星を避けている自覚があった。
千鶴とのことで恋愛に対する気持ちが冷めたと思っていた。
けれど光星の温かさが電話でも伝わってくる。

(私はこんなにもそっけない態度を取ってしまっているのに、光星さんは……)

声を押し殺して涙を流す。

『花純? どうした?』
「……何でもないの。あの、時間が出来たら連絡します」

光星はしばし押し黙る。
様子がおかしいと感じているのが分かった。

「光星さん、ごめんなさい。少しお時間ください」
『……そう、分かった。花純、何かあればいつでも電話しておいで』

優しい声にすがりつきたくなるが、今は出来ない。

「はい。ありがとうございます」
『じゃあね、ゆっくり休んで。おやすみ』
「おやすみなさい」

電話を切ったあとも、花純はスマートフォンを胸に当ててしばらく泣き続けた。



その日は、支店長とのミーティングがある日だった。

「森川さん、またカフェのコーヒーデリバリー頼めるかな?」
「はい、かしこまりました。手配しておきます」

部長に頼まれた花純は、カフェに電話をして、デリバリーを頼んだ。
時間になると、千鶴と原と一緒に会議室に移動して準備を始める。
しばらくして滝沢がコーヒーを届けに来た。

「ありがとう、滝沢くん」

コーヒーを並べ始めた花純を手伝おうと、千鶴が手を伸ばすと、花純が笑顔で首を振った。

「大丈夫、一人で出来るから」

そう言って黙々と並べていく花純を、千鶴は言葉もなく見つめる。
すると隣で滝沢が小さく話しかけてきた。

「ねえ、杉崎さんさあ。もったいなくない? せっかく両思いだったのに」
「はあ? 何言ってんのよ。私、あっさりフラれたのよ? 完全な私の片思い」
「違うよ、杉崎さんがフッたんだ。森川さんを」

え……と、千鶴は真顔になる。

「どういう意味よ?」
「あんなに仲良かったのに、杉崎さんと森川さん。相思相愛だったでしょ? 杉崎さんが失恋したのは上条さんにじゃない。森川さんにだ」
「滝沢、あんた何言って……」
「じゃあ考えてみてよ。杉崎さんにとって、失ったら困る存在ってどっち? 上条さんか、森川さんか」

千鶴はハッとする。
そんなの……と言い淀んでから、千鶴は顔を上げてきっぱり言った。

「考えるまでもないわ。決まってるでしょ?」

滝沢は、ニッと笑う。

「やっぱベタ惚れじゃん」
「当たり前よ。何年のつき合いだと思ってんの?」
「ははっ、愛が重いねえ」

千鶴はふっと表情を緩める。

「ありがとね、滝沢」
「どういたしまして。あー、俺も誰かにベタ惚れされてえ」

そう言いながら、滝沢は会議室を出て行った。



午後になると、銀行や郵便局の用事で外出することになっていた。

「花純、私も行く」
「えっ? 千鶴ちゃん、やること多いんじゃないの?」
「大丈夫。行こ」

二人並んでオフィスを出た。
互いに何かを言おうとタイミングを計っているような、妙な雰囲気になる。
だが、1階に下りてロビーの窓から外を見ると、二人同時に驚いた。

「すごい風」
「うん、台風来てるもんね。ちょうど今ピークかも?」

木々が大きくしなり、風も不気味に唸っている。

「どうする? 時間ずらして行く?」

花純がそう言うと、千鶴は、うーん、と考え込む。

「でも銀行閉まっちゃうし、今なら雨も降ってないから、行っちゃわない?」
「そうだね」

そう言って自動ドアから一歩踏み出した途端、二人は吹きつける強風に動けなくなった。

「ちょっ、すごすぎるよ」
「ほんと。目も開けられないね」
「やっぱり無理かも? とにかく一旦戻ろうか」
「うん」

花純が頷いた時、千鶴が持っていた書類ケースが風で飛ばされた。

「あっ、大変!」
「私、取ってくる。千鶴ちゃんは中にいて」

そう言って花純は駆け出した。
向かい風でなかなか前に進めず、その間も書類ケースはズルズルと地面を滑っていく。

(大切な書類なのに。失くしたら大変!)

必死で追いかけていると、ようやくビルの外壁に当たって止まった。
ちょうど外壁補修工事の期間で、鉄パイプで足場が組まれている場所だった。

(良かった、あそこで止まって)

花純は懸命に手を伸ばし、書類ケースを掴む。
ふう、と胸をなで下ろした時、ゴーッとひときわ強い風が吹き付けてきた。
花純はその場にしゃがみ込み、目を閉じて耐える。

その時だった。

「危ない! 上!」

千鶴の声がして、花純はハッと目を開く。
見上げると、ガラガラとけたたましい音を立て、頭上に組まれていた鉄パイプが数本、ぶつかり合いながら落ちてくる。

「花純、逃げて!」

千鶴の悲鳴のような声がした。
だが花純は身体がすくみ、動けない。

(もうダメ!)

ギュッときつく目を閉じた時、身体に強い衝撃が加わった。
ザーッと身体が地面を滑る。
ガッシャーン!と派手な音が辺りに響き渡った。

「花純!!」

千鶴の声が遠くに聞こえ、花純はゆっくりと目を開ける。

(あれ、パイプが落ちてきたんじゃ……?)

身体を強張らせて覚悟していたがどこも痛みはなく、誰かの腕の中にしっかりと抱きしめられ、守られていてた。

(え……、誰?)

その時、千鶴が更に悲鳴を上げた。

「上条さん!」

えっ!と花純は身体を起こす。
頭から血を流した光星が、花純を守るように覆いかぶさっていた。

「光星、さん? 光星さん!」

花純は光星を抱き抱え、必死に呼びかける。

(まさか、私をかばって?)

震える声を振り絞った。

「光星さん、光星さん!? お願い、返事をして」

すると光星が、ゆっくりとわずかに目を開けた。

「光星さん!」
「……花純、ケガは?」

花純は涙を堪えながら首を振る。

「どこも、平気」
「良かった、無事で……」

光星はふっと笑みを浮かべると、そのまま目を閉じた。

「……光星さん? 光星さんっ! いや、お願い! 目を開けて」

光星を抱きしめる花純の目から、涙がほとばしる。
やがてサイレンを鳴らしながら救急車が滑り込んできた。
すぐに光星はストレッチャーに乗せられる。
光星を抱いていた花純は、血で真っ赤に染まっていた。
花純の身体は、急にガタガタと震え出す。

(いや、光星さん……)

救急救命士が振り返って花純に声をかけた。

「この方のお知り合いですか? 付き添いをお願いします」

花純は呆然としたまま反応しない。

「花純!」

千鶴が花純の両肩を掴んだ。

「しっかりしなさい! あなたがそんなのでどうするの?」
「……千鶴ちゃん」
「大丈夫、絶対に大丈夫だから! 上条さんのそばにいてあげなきゃ。花純の声ならきっと届くから」
「うん……、うん。私、行くね」

花純は立ち上がると、救急車に乗り込む。

「私も祈ってるからね!」
「ありがとう! 千鶴ちゃん」

バタンと後部ドアが閉まり、救急車はまたサイレンを鳴らしながら走り出した。
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