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決戦の火蓋
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「以上が本日のご予定です」
いつもより少し遅く出社した社長をエントランスで出迎え、社長室でコーヒーを淹れると、芹奈はスケジュールを読み上げた。
「分かった、ありがとう。あ、里見くん。視察の方はどうだい?」
「はい、昨日2回目の視察としてお台場と豊洲エリアに行ってまいりました。マンション建設における注意点や環境整備、あとはショッピングモールを魅力あるものにするなどのアイデアが得られ、また次回の視察に繋げたいと考えています」
「そうか。翔が用地の取得を考えているあのエリアはね、実はこの業界の全企業が狙っているといっても過言ではないんだ。行政が売りに出すことが珍しい立地で、しかも規模も大きい。私はなんとしても翔にこのプロジェクトを成功させてもらいたい。どうか里見くんもサポートしてやって欲しい」
普段は温和な社長が真剣に話す様子に、芹奈は圧倒される。
並々ならぬ期待とプレッシャーを、息子である翔にかけているのだろう。
「かしこまりました。わたくしも全力でサポートに努めます」
「うん、頼むよ。私の秘書は、引き続き井口くんに頼んでくれて構わない。彼もしっかり仕事をこなしてくれるしね」
「はい、ありがとうございます」
それでは失礼いたします、とお辞儀をして部屋を出ると、芹奈は気持ちを引き締めた。
秘書室に戻ると、早速村尾と視察のスケジュールを相談する。
「副社長は、次回は郊外のショッピングモールやアウトレットを視察したいとおっしゃっていた」
「アウトレットか。遠いし広いから、結構時間かかりそうだね」
「そうだな。取り敢えず関東近郊で、八王子、千葉、埼玉、神奈川、静岡辺りかな」
「そうね。手掛けた企業の系列もあるから、なるべく別系列のところをいくつかピックアップしようか」
「ああ。副社長に相談に行く?今なら時間取れると思うんだ」
そして二人で副社長室に向った。
◇
「なるほど。アウトレットって、今はこんなにあちこちに出来たんだな」
地図を見せながら説明すると、翔は熱心に目を落とす。
「はい。埼玉と八王子と静岡は運営会社が違うので、3ヶ所とも押さえたい所です。あとは栃木や長野にもあるのですが、さすがに遠くて現実的ではないでしょうか?」
「そうだな、けど行ってみたい。軽井沢に神蔵グループのホテルがあるから、もし二人さえよければ泊まりがけでどうだ?」
ええ!?と思わぬ話の流れに、芹奈も村尾も驚く。
「日帰りで何日もかけて回るより、泊まりがけの方が効率よく回れるかと思ってな。もちろん、俺一人で行っても構わない」
「いえ、私も一緒にまいります」
村尾がそう言うと、芹奈も「私もご一緒します」と頷いた。
「本当に大丈夫か?もし無理なら遠慮なく伝えてくれ」
「いえ、大丈夫です。それに視察は早めに区切りをつけて、プロジェクトの全体像も詰めていかなければ」
「そうだな。よし、じゃあ三人で行こう。スケジュール調整は任せる」
「かしこまりました」
村尾と芹奈がその場でスケジュールを確認し、翌週の水曜日から1泊と決まった。
「では午後にでも、どのルートで回るか決めておきますね。あ、芹奈は午後時間あるか?」
「えっと、15時からの社長の会議に同席するから、その前なら大丈夫」
「了解。じゃ、昼飯食ってからな。おっと!もう12時過ぎてる」
時計に目をやった村尾の呟きに、芹奈は、ええ!?と驚く。
「大変!早く戻らなくちゃ。お店が混んじゃう」
「ん?誰かとランチの約束してるのか?」
「うん、菜緒ちゃんと井口くん。それでは副社長、失礼いたします。村尾くんも、またあとでね」
いそいそと芹奈が出て行き、パタンとドアが閉まった次の瞬間……。
「村尾。井口くんとは、あの井口のことか?」
地を這うような翔の低い声がして、村尾はヒッと首をすくめた。
「ど、どうでしょう?彼女が誰と約束したのか、私はよく存じませんが」
「あの井口以外に、どの井口がいると言うのだ?」
「さ、左様でございますね。はい、あの井口かと思われます」
「おのれ、あの井口め。俺が彼女に惚れていると知っての狼藉か?」
「副社長!お控えください。ここは会社でございますゆえ」
「ならば空き地にでも呼び出して、とくと知らしめてやる。俺の里見さんに手を出すな!とな」
空き地ってどこだよ?と村尾は脱力する。
(これ、いつまで続くんだ?勘弁してくれ)
部外者の自分を巻き込むのはやめて欲しい。
それに、バリバリ仕事をこなす憧れの存在だった翔のキャラが崩壊していくのもガッカリだった。
(芹奈ー、頼むから身を固めてくれ。いや、井口とつき合い出したら、副社長は更に暴れるかも?)
考えただけで恐ろしい。
その時、翔が立ち上がった。
「村尾。里見さんがどこにランチに行ったか分かるか?」
「え?はい。おそらく行きつけのイタリアンかと……。って、え?まさか!」
すると翔はジャケットに腕を通してから、ニヤリと村尾に笑いかけた。
「村尾、ランチをご馳走しよう。そうだな、気分はイタリアンかな。いい店があったら案内してくれ」
「は、はい」
村尾は力尽きたようにガックリとうなだれた。
◇
「わーい、やっとランチタイム!午前中、ずっとソワソワしてたんです。井口さんの恋バナが聞きたくて!」
イタリアンのお店に着いてオーダーを済ませると、早速菜緒が身を乗り出した。
「で?誰なんですか?井口さんのお目当ての人って。社内の人ですよね?」
「うん、誰とは言えないけどね」
「そうなんだ!私も知ってる人かな?どんな人ですか?」
「多分知ってるんじゃないかなあ?優しくて可愛らしい人だよ」
そう言って井口は、チラリと芹奈に視線をよこす。
芹奈はうつむいたまま、心の中で冷や汗をかいていた。
(なんなのよー、もう。井口くんってば)
井口はどうやら、そんな芹奈の反応も楽しんでいるらしかった。
「えー!誰だろう。気になっちゃうなあ。芹奈さんは?誰か思い当たる人いますか?」
「ううん。ぜんっぜん分からない。あ、ほら。パスタ来たよ、菜緒ちゃん」
はい、これフォークね。紙ナフキンもどうぞ、とテキパキ菜緒に手渡していると、「あれ?」と頭上から声がして芹奈は顔を上げる。
「副社長!?」
慌てて立ち上がろうとすると、「ああ、そのままで」と手で遮られた。
「偶然だなあ。たまたまイタリアンが食べたくなって、村尾に案内されて来たんだ。な?村尾」
「そうですね」
能面のような顔で村尾が答えるが、翔はにこにことご機嫌だ。
「もしよければ、ご一緒しても構わないかな?この機会に、社員の皆さんと親睦を深めたくてね」
「もちろんです!」
菜緒が目をハートにしながら頷くが、四人席のテーブルでは椅子が足りない。
「副社長、仕方ないですよ。ほら、店員さんも案内してくれてますし」
村尾が翔を奥の空いているテーブルに促そうとすると、「あ、よかったらこのテーブルどうぞ」と隣の男性が声をかけてきた。
「俺達二人なんで、こっちの半分使ってませんから」
「ええー、助かります!ありがとうございます」
菜緒が満面の笑みで礼を言い、テーブルと椅子を寄せた。
「副社長、どうぞ」
「ありがとう。君、名前は?」
「はい!秘書室の松村 菜緒と申します」
「松村さんだね。君は?」
にっこりと翔が井口に笑いかけるのを見て、村尾は武者震いする。
(決戦の火蓋が切られる。いよいよ戦の始まりじゃー!)
翔に笑いかけられた井口は、負けず劣らずの笑顔で答えた。
「はい、同じく秘書室の井口と申します。初めまして、副社長。お目にかかれて光栄です」
「こちらこそ。井口くんだね、覚えておこう」
村尾の背中にツーッと寒気が走る。
(俺だけ?この異様な雰囲気が分かるのは俺だけか?バチバチと飛び散る火花は、君にも見えるかい?)
すると芹奈がそっと翔にメニューを差し出した。
「副社長、どうぞ」
「ありがとう。君は何を頼んだんだい?」
「私はラザニアです。ボロネーゼのペンネグラタンと迷ったんですけどね。どちらもお勧めですよ」
「そう。では私がそのペンネグラタンを頼むよ。シェアして食べよう」
ヒグッ!と村尾の口から妙な声がもれる。
「村尾、君はどうする?何でも好きなものを頼みなさい。松村さんと井口くんも、デザートは何がいい?ささやかだが、私からご馳走させて欲しい」
えー、いいんですか?と菜緒が目を輝かせた。
「もちろん。我が社の為に働いてくれる君達には、日頃から感謝しているからね。いつもありがとう」
「わあ、副社長からそんなお言葉をいただけるなんて。とっても嬉しいです!それにこんなに気さくに話してくださるなんて、もう感激です。ね?井口さん」
皆の視線が井口に集まる。
「そうだね。副社長なんて手の届かない雲の上の存在ですから、お話する機会なんてないと思ってました。僕達はこうやっていつも賑やかにランチしたり、毎日一緒に仕事をしてますけど。ね?里見さん」
ピキーン!と村尾は完全に固まった。
「うん、そうね。秘書室はみんな仲が良くて和気あいあいとしてるもんね」
「はい。僕も里見さんには、入社当時からずっと親身に指導していただいて、本当に感謝しています。里見さんのそばで仕事が出来て、僕は幸せ者です」
もはや村尾は石像のように動けない。
ただ時が過ぎるのをひたすら祈るばかりだ。
「そうだ、里見さん」
急に話の流れを変えるように、今度は翔が芹奈に話しかける。
「そのダイヤのネックレス、もう忘れていかないようにね」
は!?と芹奈は素っ頓狂な声を上げた。
「外す時には気をつけて。私も君が置いて帰らないように気をつけておくよ」
スーッと意識が遠くなる村尾。
目を見開いて仰け反る芹奈。
きゃ!なになに?と頬に手を当てる菜緒。
そして、口元に笑みを浮かべつつ目は笑っていない井口。
四人の反応を尻目に、翔は運ばれてきたペンネグラタンを取り皿に分け、芹奈の前に置いてにっこり笑った。
◇
「まじで、地獄を見た」
ランチを終えて秘書室に帰って来ると、村尾はぐったりとデスクに突っ伏す。
井口は専務の会議に同席する為、すぐに部屋を出て行った。
芹奈は視察のスケジュールを話し合おうと、隣のデスクの村尾に椅子を寄せたが、村尾は突っ伏したままだ。
「俺、もう、無理。ピクリとも動けない」
「そんなこと言わないで。ほら、一緒に考えようよ」
「芹奈、一人で考えてくれ」
「えー、どうしちゃったのよ?もう」
「頼む。俺にはその権利が充分あるはずだ」
「何それ?仕方ないなあ」
芹奈はパソコンを開いて、資料を見ながらカタカタと入力していく。
すると向かいの席から菜緒が身を乗り出してきた。
「ね、芹奈さん。副社長のあのセリフ、どういう意味だったんですか?」
「あのセリフって?」
「ほら、ダイヤのネックレスがどうとか」
ああ、と芹奈は手を止めて顔を上げた。
「どうってことないよ。ほら、菜緒ちゃんも知ってるでしょ?私が両親からもらったこのネックレスをパーティーの時に置き忘れて、たまたま副社長が気づいて渡してくれたっていう。あの時の話よ」
「じゃあ、どうしてあんな思わせぶりな言い方を?」
「んー、あれじゃない?小学生の、いーれーてーってやつ」
「は?なんですか、それ」
「だってあの時井口くんが、副社長は雲の上の存在だ、とか、秘書室のみんなで賑やかにやってます、みたいに言ったでしょ?それで副社長、拗ねちゃったんじゃない?なんかほら、仲間外れにされた、みたいな。だから私とはしゃべったことあるぞ、っていうエピソードを披露してみた、とか」
それを聞いて、いきなりガバッと村尾が顔を上げる。
「わっ、びっくりした。どうしたの?村尾くん」
「芹奈。お前、今の話、本気で言ってる?」
「ん?もちろん」
バッターン!と再び村尾はデスクに倒れ込んだ。
「うわ、痛そうな音したけど、大丈夫?村尾くん。顔ぶつけたんじゃない?」
「頼む、そっと、しておいて、くれ」
「う、うん。分かった。お大事にね」
芹奈は菜緒と顔を見合わせて首をひねると、またパソコン作業に集中した。
いつもより少し遅く出社した社長をエントランスで出迎え、社長室でコーヒーを淹れると、芹奈はスケジュールを読み上げた。
「分かった、ありがとう。あ、里見くん。視察の方はどうだい?」
「はい、昨日2回目の視察としてお台場と豊洲エリアに行ってまいりました。マンション建設における注意点や環境整備、あとはショッピングモールを魅力あるものにするなどのアイデアが得られ、また次回の視察に繋げたいと考えています」
「そうか。翔が用地の取得を考えているあのエリアはね、実はこの業界の全企業が狙っているといっても過言ではないんだ。行政が売りに出すことが珍しい立地で、しかも規模も大きい。私はなんとしても翔にこのプロジェクトを成功させてもらいたい。どうか里見くんもサポートしてやって欲しい」
普段は温和な社長が真剣に話す様子に、芹奈は圧倒される。
並々ならぬ期待とプレッシャーを、息子である翔にかけているのだろう。
「かしこまりました。わたくしも全力でサポートに努めます」
「うん、頼むよ。私の秘書は、引き続き井口くんに頼んでくれて構わない。彼もしっかり仕事をこなしてくれるしね」
「はい、ありがとうございます」
それでは失礼いたします、とお辞儀をして部屋を出ると、芹奈は気持ちを引き締めた。
秘書室に戻ると、早速村尾と視察のスケジュールを相談する。
「副社長は、次回は郊外のショッピングモールやアウトレットを視察したいとおっしゃっていた」
「アウトレットか。遠いし広いから、結構時間かかりそうだね」
「そうだな。取り敢えず関東近郊で、八王子、千葉、埼玉、神奈川、静岡辺りかな」
「そうね。手掛けた企業の系列もあるから、なるべく別系列のところをいくつかピックアップしようか」
「ああ。副社長に相談に行く?今なら時間取れると思うんだ」
そして二人で副社長室に向った。
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「なるほど。アウトレットって、今はこんなにあちこちに出来たんだな」
地図を見せながら説明すると、翔は熱心に目を落とす。
「はい。埼玉と八王子と静岡は運営会社が違うので、3ヶ所とも押さえたい所です。あとは栃木や長野にもあるのですが、さすがに遠くて現実的ではないでしょうか?」
「そうだな、けど行ってみたい。軽井沢に神蔵グループのホテルがあるから、もし二人さえよければ泊まりがけでどうだ?」
ええ!?と思わぬ話の流れに、芹奈も村尾も驚く。
「日帰りで何日もかけて回るより、泊まりがけの方が効率よく回れるかと思ってな。もちろん、俺一人で行っても構わない」
「いえ、私も一緒にまいります」
村尾がそう言うと、芹奈も「私もご一緒します」と頷いた。
「本当に大丈夫か?もし無理なら遠慮なく伝えてくれ」
「いえ、大丈夫です。それに視察は早めに区切りをつけて、プロジェクトの全体像も詰めていかなければ」
「そうだな。よし、じゃあ三人で行こう。スケジュール調整は任せる」
「かしこまりました」
村尾と芹奈がその場でスケジュールを確認し、翌週の水曜日から1泊と決まった。
「では午後にでも、どのルートで回るか決めておきますね。あ、芹奈は午後時間あるか?」
「えっと、15時からの社長の会議に同席するから、その前なら大丈夫」
「了解。じゃ、昼飯食ってからな。おっと!もう12時過ぎてる」
時計に目をやった村尾の呟きに、芹奈は、ええ!?と驚く。
「大変!早く戻らなくちゃ。お店が混んじゃう」
「ん?誰かとランチの約束してるのか?」
「うん、菜緒ちゃんと井口くん。それでは副社長、失礼いたします。村尾くんも、またあとでね」
いそいそと芹奈が出て行き、パタンとドアが閉まった次の瞬間……。
「村尾。井口くんとは、あの井口のことか?」
地を這うような翔の低い声がして、村尾はヒッと首をすくめた。
「ど、どうでしょう?彼女が誰と約束したのか、私はよく存じませんが」
「あの井口以外に、どの井口がいると言うのだ?」
「さ、左様でございますね。はい、あの井口かと思われます」
「おのれ、あの井口め。俺が彼女に惚れていると知っての狼藉か?」
「副社長!お控えください。ここは会社でございますゆえ」
「ならば空き地にでも呼び出して、とくと知らしめてやる。俺の里見さんに手を出すな!とな」
空き地ってどこだよ?と村尾は脱力する。
(これ、いつまで続くんだ?勘弁してくれ)
部外者の自分を巻き込むのはやめて欲しい。
それに、バリバリ仕事をこなす憧れの存在だった翔のキャラが崩壊していくのもガッカリだった。
(芹奈ー、頼むから身を固めてくれ。いや、井口とつき合い出したら、副社長は更に暴れるかも?)
考えただけで恐ろしい。
その時、翔が立ち上がった。
「村尾。里見さんがどこにランチに行ったか分かるか?」
「え?はい。おそらく行きつけのイタリアンかと……。って、え?まさか!」
すると翔はジャケットに腕を通してから、ニヤリと村尾に笑いかけた。
「村尾、ランチをご馳走しよう。そうだな、気分はイタリアンかな。いい店があったら案内してくれ」
「は、はい」
村尾は力尽きたようにガックリとうなだれた。
◇
「わーい、やっとランチタイム!午前中、ずっとソワソワしてたんです。井口さんの恋バナが聞きたくて!」
イタリアンのお店に着いてオーダーを済ませると、早速菜緒が身を乗り出した。
「で?誰なんですか?井口さんのお目当ての人って。社内の人ですよね?」
「うん、誰とは言えないけどね」
「そうなんだ!私も知ってる人かな?どんな人ですか?」
「多分知ってるんじゃないかなあ?優しくて可愛らしい人だよ」
そう言って井口は、チラリと芹奈に視線をよこす。
芹奈はうつむいたまま、心の中で冷や汗をかいていた。
(なんなのよー、もう。井口くんってば)
井口はどうやら、そんな芹奈の反応も楽しんでいるらしかった。
「えー!誰だろう。気になっちゃうなあ。芹奈さんは?誰か思い当たる人いますか?」
「ううん。ぜんっぜん分からない。あ、ほら。パスタ来たよ、菜緒ちゃん」
はい、これフォークね。紙ナフキンもどうぞ、とテキパキ菜緒に手渡していると、「あれ?」と頭上から声がして芹奈は顔を上げる。
「副社長!?」
慌てて立ち上がろうとすると、「ああ、そのままで」と手で遮られた。
「偶然だなあ。たまたまイタリアンが食べたくなって、村尾に案内されて来たんだ。な?村尾」
「そうですね」
能面のような顔で村尾が答えるが、翔はにこにことご機嫌だ。
「もしよければ、ご一緒しても構わないかな?この機会に、社員の皆さんと親睦を深めたくてね」
「もちろんです!」
菜緒が目をハートにしながら頷くが、四人席のテーブルでは椅子が足りない。
「副社長、仕方ないですよ。ほら、店員さんも案内してくれてますし」
村尾が翔を奥の空いているテーブルに促そうとすると、「あ、よかったらこのテーブルどうぞ」と隣の男性が声をかけてきた。
「俺達二人なんで、こっちの半分使ってませんから」
「ええー、助かります!ありがとうございます」
菜緒が満面の笑みで礼を言い、テーブルと椅子を寄せた。
「副社長、どうぞ」
「ありがとう。君、名前は?」
「はい!秘書室の松村 菜緒と申します」
「松村さんだね。君は?」
にっこりと翔が井口に笑いかけるのを見て、村尾は武者震いする。
(決戦の火蓋が切られる。いよいよ戦の始まりじゃー!)
翔に笑いかけられた井口は、負けず劣らずの笑顔で答えた。
「はい、同じく秘書室の井口と申します。初めまして、副社長。お目にかかれて光栄です」
「こちらこそ。井口くんだね、覚えておこう」
村尾の背中にツーッと寒気が走る。
(俺だけ?この異様な雰囲気が分かるのは俺だけか?バチバチと飛び散る火花は、君にも見えるかい?)
すると芹奈がそっと翔にメニューを差し出した。
「副社長、どうぞ」
「ありがとう。君は何を頼んだんだい?」
「私はラザニアです。ボロネーゼのペンネグラタンと迷ったんですけどね。どちらもお勧めですよ」
「そう。では私がそのペンネグラタンを頼むよ。シェアして食べよう」
ヒグッ!と村尾の口から妙な声がもれる。
「村尾、君はどうする?何でも好きなものを頼みなさい。松村さんと井口くんも、デザートは何がいい?ささやかだが、私からご馳走させて欲しい」
えー、いいんですか?と菜緒が目を輝かせた。
「もちろん。我が社の為に働いてくれる君達には、日頃から感謝しているからね。いつもありがとう」
「わあ、副社長からそんなお言葉をいただけるなんて。とっても嬉しいです!それにこんなに気さくに話してくださるなんて、もう感激です。ね?井口さん」
皆の視線が井口に集まる。
「そうだね。副社長なんて手の届かない雲の上の存在ですから、お話する機会なんてないと思ってました。僕達はこうやっていつも賑やかにランチしたり、毎日一緒に仕事をしてますけど。ね?里見さん」
ピキーン!と村尾は完全に固まった。
「うん、そうね。秘書室はみんな仲が良くて和気あいあいとしてるもんね」
「はい。僕も里見さんには、入社当時からずっと親身に指導していただいて、本当に感謝しています。里見さんのそばで仕事が出来て、僕は幸せ者です」
もはや村尾は石像のように動けない。
ただ時が過ぎるのをひたすら祈るばかりだ。
「そうだ、里見さん」
急に話の流れを変えるように、今度は翔が芹奈に話しかける。
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は!?と芹奈は素っ頓狂な声を上げた。
「外す時には気をつけて。私も君が置いて帰らないように気をつけておくよ」
スーッと意識が遠くなる村尾。
目を見開いて仰け反る芹奈。
きゃ!なになに?と頬に手を当てる菜緒。
そして、口元に笑みを浮かべつつ目は笑っていない井口。
四人の反応を尻目に、翔は運ばれてきたペンネグラタンを取り皿に分け、芹奈の前に置いてにっこり笑った。
◇
「まじで、地獄を見た」
ランチを終えて秘書室に帰って来ると、村尾はぐったりとデスクに突っ伏す。
井口は専務の会議に同席する為、すぐに部屋を出て行った。
芹奈は視察のスケジュールを話し合おうと、隣のデスクの村尾に椅子を寄せたが、村尾は突っ伏したままだ。
「俺、もう、無理。ピクリとも動けない」
「そんなこと言わないで。ほら、一緒に考えようよ」
「芹奈、一人で考えてくれ」
「えー、どうしちゃったのよ?もう」
「頼む。俺にはその権利が充分あるはずだ」
「何それ?仕方ないなあ」
芹奈はパソコンを開いて、資料を見ながらカタカタと入力していく。
すると向かいの席から菜緒が身を乗り出してきた。
「ね、芹奈さん。副社長のあのセリフ、どういう意味だったんですか?」
「あのセリフって?」
「ほら、ダイヤのネックレスがどうとか」
ああ、と芹奈は手を止めて顔を上げた。
「どうってことないよ。ほら、菜緒ちゃんも知ってるでしょ?私が両親からもらったこのネックレスをパーティーの時に置き忘れて、たまたま副社長が気づいて渡してくれたっていう。あの時の話よ」
「じゃあ、どうしてあんな思わせぶりな言い方を?」
「んー、あれじゃない?小学生の、いーれーてーってやつ」
「は?なんですか、それ」
「だってあの時井口くんが、副社長は雲の上の存在だ、とか、秘書室のみんなで賑やかにやってます、みたいに言ったでしょ?それで副社長、拗ねちゃったんじゃない?なんかほら、仲間外れにされた、みたいな。だから私とはしゃべったことあるぞ、っていうエピソードを披露してみた、とか」
それを聞いて、いきなりガバッと村尾が顔を上げる。
「わっ、びっくりした。どうしたの?村尾くん」
「芹奈。お前、今の話、本気で言ってる?」
「ん?もちろん」
バッターン!と再び村尾はデスクに倒れ込んだ。
「うわ、痛そうな音したけど、大丈夫?村尾くん。顔ぶつけたんじゃない?」
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