距離感ゼロ〜副社長と私の恋の攻防戦〜

葉月 まい

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副社長のピンチ

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「え?待って、芹奈。客室を用意しろって言われたのか?先方の女社長に?」

店を出て村尾に電話をかけると、驚いたような声が返ってきた。

「うん、そう。少し酔ったから、ソファでくつろぎながら話をしたいって」
「それで?副社長はそれを聞き入れたってこと?」
「そうよ、かしこまりましたって。そういう訳だから村尾くん、これからフロントに行って手配してくれる?」

すると電話の向こうで村尾が大きなため息をつくのが分かった。

「村尾くん?どうかした?」
「……芹奈。恐らくそれ、枕営業だ」

えっ!?と芹奈は思わず大きな声を上げてしまう。

「そ、そんな、まさか!そういうのって、現実にはないんじゃないの?」
「信じたくないのは分かるけど、現実にはある。ニックナックジャパンの石津社長は、アメリカ本社に長く勤めていたんだ。その時にCEOの愛人になって、日本法人の社長の座をもらったらしいからな」
「嘘。それじゃあ、今から……」
「ああ。客室に移動して、副社長に色仕掛けするつもりだろうな」
「そんな。どうしよう、村尾くん」

うーん……、としばしの沈黙のあと、村尾がきっぱり言った。

「とにかく部屋を手配する。副社長に頼まれた以上、それに従うまでだ。だけど芹奈。俺達は副社長のそばを離れず、何かあったらすぐに助けるんだ。いいな?」
「うん、分かった」

芹奈は拳を握りしめて頷いた。



「お待たせいたしました。副社長、今村尾が客室を手配しました。これよりご案内いたします」

店内の個室に戻り、芹奈はいつもの口調を崩さず翔に声をかける。

「分かった、ありがとう」

そう言うと翔は石津に「それでは参りましょうか」と声をかけ、皆で店を出た。

ちょうど村尾がカードキーを手にやって来て、芹奈に手渡すと小声でささやいた。

「あとで俺も行く。部屋の前で待機してるから」
「うん、ありがとう」

二人でしっかり頷き合うと、芹奈はにこやかに振り返る。

「エレベーターでご案内いたします。どうぞこちらへ」

すると先方の男性秘書が石津にお辞儀をした。

「社長、私はこれで。ロビーで待機しております」
「分かったわ」

えっ!?と芹奈は思わず村尾と顔を見合わせる。

(秘書が社長のそばを離れるの?それって……)

もはや疑惑が確信へと変わりつつあった。

どうしよう?と芹奈が目で訴えると、村尾は仕方ないとばかりに険しい表情になる。

芹奈は意を決すると、エレベーターホールへと向かった。



「こちらのお部屋です。どうぞ」

客室の前まで来ると、芹奈はカードキーをかざしてからドアを開ける。

村尾が手配してくれた部屋はセミスイートで、リビングとベッドルームが別になっていた。

(良かった。ここなら落ち着いて仕事の話が出来そう)

芹奈は少し安心して、胸をなでおろす。
先方の秘書がいない以上、自分も席を外すのが筋かと思い「それでは、私もここで」とドアの横で頭を下げる。

すると翔が振り返った。

「里見さん、コーヒー淹れてくれる?」
「あ、はい。かしこまりました」

失礼いたします、と言って部屋に入り、ケトルのスイッチを押してお湯を沸かす。

沸騰するのを待つ間、チラリと様子をうかがうと、石津は大げさなほど「素敵なお部屋ねえ」とうっとりしていた。

コーヒーを二人分淹れると、芹奈はソファに向かい合っている翔と石津の前にカップを置いてから立ち上がる。

今度こそ、私はこれで、と挨拶しようとすると、またしても翔が口を開いた。

「里見さん、資料を出してくれる?」
「かしこまりました」

芹奈が書類ケースから先程の資料を取り出していると、翔のスマートフォンに海外支社から電話が入った。

「石津社長、申し訳ありません。急ぎの要件で、少し電話に出てもよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
「失礼いたします」

翔は頭を下げると、隣の部屋へと姿を消した。



「ねえ、あなた」
「はい」

コーヒーをひと口飲むと、石津はそばに立っている芹奈に話しかけてきた。

「随分若いのにどうして副社長秘書に?彼の恋人なの?」

面食らったものの、芹奈は冷静に答える。

「いえ、違います。それからわたくしは、副社長秘書でもございません。普段は社長についております」
「あら、そうなの?良かった」

勝ち誇ったように笑うと、石津はゆったりとソファにもたれて足を組む。

タイトスカートの丈が更に短くなり、太ももまで露わになっていた。

「もうここはいいわよ。下がってちょうだい」

コーヒーを口にしながら追い払うような仕草をする石津に、芹奈は胸に抱えた書類ケースを持つ手に力を込めた。

「お言葉ですが、わたくしは上司の指示に従います」

すると石津はピクリと眉を動かし、不機嫌そうに鋭い視線を芹奈に向ける。

「気が利かないわね。分からないの?いいから早く出て行って!」

強い口調に芹奈が思わず唇を噛みしめた時、翔がスッと身を滑らせてきて芹奈を背中にかくまった。

「わたくしの秘書を侮辱するのはおやめください」

有無を言わさぬ態度できっぱりと告げると、石津は一瞬ひるんだあと再び居丈高になる。

「あら、私にそんな口をきいてもいいのかしら。私は社長なのよ?私のひと言であなたとの取引なんてどうにでも出来るんだから」

そして不敵な笑みで意味ありげな視線を翔に送った。

「あなた次第でこのお話、もっと大きくしてあげてもいいわよ?」

翔はじっと相手を見据えて何も言わない。
沈黙が広がり、芹菜がゴクリと生唾を飲み込んだ時だった。

「里見さん、預けてあった私の書類ケースをもらえる?」
「はい、ただ今」

真っ直ぐ前を向いたままの翔に、芹奈は急いでブラックの革張りのケースを手渡す。

「ありがとう」

翔は芹奈にほんの少し微笑んでから受け取ると、中から英文の書類を取り出した。

「石津社長、こちらをご覧いただけますか?」

怪訝そうに受け取った石津の顔が、見る見るうちに歪む。

「こ、これはどういうことなの?」
「アメリカの本社、ニックナックUSAのCEOと電話で話しました。弊社の手掛けるショッピングモールに、ぜひとも店舗を構えたいとのご意向です。それも日本に既存する店舗より更に大きな規模で。既に念書を交わし、CEOのサインもいただいています」
「そんな!私の知らないところで、どうしてこんなことを……」
「私は石津社長にもお伝えしようとしましたが、CEOが内緒にしたいと。どうやらサプライズとしてあなたに喜んでもらいたかったようですよ?会えなくて寂しいとも漏らしていらっしゃいました」

石津はカッと顔を赤くした。

「私はあんな年寄りとはもう関わりたくないの!日本法人の社長は私よ。私に全ての権限があるの!」
「ではあなたはこの話を受け入れない方針だとCEOにお伝えしましょうか。アメリカ本社のCEOと日本法人の社長。どちらの意見が通るのか、わたくしには分かりかねますから」

その言葉が決め手となり、石津は怒りに震えながら翔を睨みつける。

「この私に刃向うなんて、覚えてらっしゃい!」
「褒め言葉と受け取らせていただきます」
「なにを……!」

わなわなと身体を打ち震わせたあと、石津は怒りにまかせて立ち上がり、ズカズカと出口へ向かう。
一歩先を行きドアを開けた翔は、廊下に控えていた村尾に声をかけた。

「村尾、お客様のお見送りを頼む」
「かしこまりました」

翔と芹奈は深々と頭を下げて石津を見送った。
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