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1 地蔵のような上司から降りてきた企画書を前にするべきこと。

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ぎりっ。
奥歯が音を立てたらしく隣からささやきが聞こえた。

「お願い、風花、怖いから。眉間のシワもすごいよ。」

分かってる。
さっき地蔵のような上司から呼ばれて受け取った新しい企画書。
ここ数回、同じやり取りを繰り返してる。

だって、しょうがない、これは、いや、これも・・・思わず奥歯も唸り声を上げるでしょうよ。


「何、これ?」

とうとう声が出た。誰に聞いたのでもない。

「どうしてこんなものの承認が取れてるの?」

営業に回ってきた企画書。
当然企画課から上がってきた。
考えたやつがいて、書類に起こしたやつがいて、承認したやつがいて通った企画、そのはずなのに。

誰の企画書よ!

名前を見た。

まあ、見るまでもない。
地蔵上司の顔と言い方で想像はついてた。
ただ、言いたかった。
今回も懲りずに・・・・って言いたかった。


それはよくよく見覚えのある名前で。
これまでにも何度も奥歯をすり減らしてくれた。
最近は連続とも言えるくらい私に回って来てない?


『平林 優希』

堂々と名前を担当者として打ち込んできた。
又お前か~。

文章にも私がそれと分かるくらい癖がある。
それ以上にこんな穴だらけの企画書を恥ずかしげもなく上げて、通すなんて。
そんなに企画課は甘くないはず、ポンコツ揃いじゃないはず。


今更遠慮は不要な相手だ。
すぐに電話をとり、一覧で名前を見つけ内線を鳴らしてやった。
・・・・押し慣れた番号を確認しただけかもしれない。

「はい、企画課 平林です。」

調子いい声で名乗った平林君。

「営業の篠井です。今回、平林君の企画書を担当させていただきます。」

耳に息をのむ音が聞こえた気がしたけど無視。

「・・・・あの、今回もよろしくお願いいたします。」

無駄な挨拶はさっきので充分。
さっそく本題に入る。

「はい、それでですね、この書類では不勉強のためか理解の及ばないところが多々ありまして、お時間を頂いて恐縮ですが、直接お話をさせていただけたらと思いまして。ご都合はいかがでしょうか?」

「はい、はい・・・・・、あの篠井さんのご都合のよろしい時と場所で。合わせられますので。」

「それでは、早速ですが本日は内勤ですので3時から第二カンファレンスルームでいかがでしょうか?ちょうどあと一時間ほどあとの時間になりますが。」

「は、はい、了解いたしました。3時に第二カンファで。よろしくお願いいたします。」

「それでは、後ほど。」

丁寧に受話器を戻した。

わざわざ一時間の時間をおいたんだから、きっちり考えてくるだろう。
すぐさま引き出しからお馴染みの、ここ最近馴染み過ぎた赤鉛筆をとる。

まさか大人になってこんなベーシックな赤色の鉛筆を使うことになるとは思わなかった。
不出来な企画書を見据えて、早速チェックを入れる。

これで他人の子供に愛情を持てる自信があったら塾の先生にでもなれそうなくらいだ。
とりあえず今は出来の悪い、不完全な企画書に次々と赤色のチェックを入れる。


「風花。顔が怖い・・・・。」

又隣から小さい声のクレームが来た。


しまった、怒りがまだ顔に残っていたらしい。
慇懃無礼な丁寧さで電話をかけてスッキリしたと思ってたのに。

両頬を手の甲で軽く押さえてほぐす。
眉間とおでこのしわも伸ばすように引っ張る。


「違う、思いっきり口角が上がって笑ってたのが怖いの。」

笑ってた?じゃあいいじゃん。
やっぱりこの赤鉛筆の滑りは良いから。
サラサラと線が引けて、はてなマークが書けて、バツ印もバシッと決まって。
さすがメイド イン ジャパン。
昔ながらのシンプルな赤鉛筆、素晴らしい。
そう思った。もう一心同体の様に心通じ合ってる感じだ。


「なんだか悪魔の召還あとみたいだった。」

みたいって、見たことあるの?

「ぷっ。」

分かりやすい吹き出しが逆の隣から聞こえる。

「確かに、すごいギラギラと獲物を追い詰めてる目だった。もしかしなくてもサディストだよな。今の電話からもビシビシと伝わってきた。今頃平林は鴨ネギ状態で鍋を探してオロオロしてるんじゃないか?」

「何を言うの?これは仕事です。何でこんな穴だらけの企画書が通るのか疑問だし。しかも、これが初めてじゃないし、分からないところを聞くのは当たり前でしょう。」

「いやあ、毎回毎回、平林も凝りないんだけど。お前に担当してもらえたら自分の企画が立ち上がるって期待してるらしいから。」

「何、それ?」

「人には得手不得手があるんだよ。発想は悪くないだろう?ただ言語化が苦手ってやつもいるし。」

「いつまでも苦手では困るわよ。それにそんな可愛いものじゃない、完全な『不完全』です。」

「平林は篠井に対面で問答してもらうとうまくいくって喜んでるらしいよ。まあ、それまでは凍った水槽で心臓を動かすような時間を過ごさないといけないらしいけど。」

「凍った水槽って何よ・・・・。だいたい井口が何でそんなに詳しく語れるのよ。」

色塗りあとのように赤色の鮮やかな企画書の名前のところを指ではじく。

「この間飲み会に来てて話をしたんだ。いつもあんなに怖いんですかってビビッてたよ。たまには優しくしてやれよ。心臓が凍ったらまま止まったら企画も思いつかないよ。食事にでも行って、ゆっくり指導してやれば?」

「時間外になぜ?間違いなく私の仕事じゃないじゃない!!」

そんなことまで面倒見る義理はない。
ただちゃんとイメージの伝わる企画書を出せば良いんだから。


時計を見た。時間がない。
まだまだ赤いチェックを入れるところはたくさんある。
視線を不出来な企画書に戻す。


これで何度目だろう。
私に回ってきたのは、3回はあるだろう。
他の人が奥歯をかみ締めていたことはあったのか?
それともそつなくその場その場で乗り切って行けたのか?

最初は、びっくりした。
なんだこれは?原案を提出したの?・・・・と。

ちゃんとフォームに記入されて承認印も押されているのを二度確認した。
思わず裏も見た。
あの時は一枚も埋められてなかったのだ。
今でこそ量は増えたが、さっぱり内容は・・・・スカスカ。
単語の羅列と改行。それで嵩が増えたと満足してるのだろうか?
確かに企画の発想は問題ない、いいかも?
だがこれじゃあ、正確に企画者の意図が伝わるか微妙だ。
自分が曲げて解釈して、違うものになる可能性もある。
毎回そう言うのに、やはり今回も、スカスカ。

何故?

わざとかと疑ってしまう。

『言語化が苦手?』そんなレベルじゃない。
これまで打ち合わせしてコミュニケーションにもさほど問題なし。
じゃあ、出来るはず。

こうして自分に回ってきた平林君の企画書は毎回二人での意思疎通の儀式を必要とした。
説明は出来るのだ、じゃあ、書けばいい。
つたないながら説明する。
それをそのまま書けばいい。
サンプルだろうが、参考だろうが、何でも伝わるならいい。
具体的に書けばいい。

そんな思いがぐるぐると頭を回りながらもメイドインジャパンの赤色はさらさらと紙の上をすべる。

ふ~、とりあえず終わった。
真っ赤な企画書もどきを見て、手元から離した。

約束まで少し時間がある。

「井口、平林企画を担当したことある?」

「ああ、二回くらいあるよ。」

「分かったの?ちゃんと言いたいこと正確に読み取れたの?」

「あ・・・・・ああ、まあまあ。」

何、私の力不足なの?
いや・・・・まさか・・・・・。

「まあ、大体その方向ってことだよ。別に正確にって言われると、どうだろう。だってまあ、営業の相手によって表現も変えるし、結局は多少はずれる事もあるから。同行して話をすれば何とかなったし。」

それでいいの?

「だって企画よ。一生懸命考えたんだろうから。自分の企画が変わったら悲しいだろうし、そのズレは最小限がよくない?」


「うん、やっぱりそうだよな。だから平林の企画は篠井が担当するのが一番生きるから。」

ん?

「任せた。」

何?

わざと?
わざと私に回ってくる?
いや上司の采配のはず。

あそこでのんきに日向ぼっこしてる地蔵のような上司の采配のはず。

偶然だ。
多分他に空いてる人がいなかったとか・・・。
そう思いたい。


約束の時間前に仕上がった企画書をもう一度見た。
今回も赤だらけだった。
本当にこれは何だ。
承認もうけた企画書のはずなのに。

もう一度電話をかける。

今度は恐る恐る声が聞こえた。

「企画課、平林です。」


「先ほどお電話差し上げた営業の篠井です。パソコンを持ってきていただいたほうが早そうなので、お願いできますか?」

「・・・・了解しました。」

「じゃあ、後ほど。」

これも毎回のやり取り。

この時間まであなたの完全なはずの企画書に膨大な情報漏れを見つけてます!というさり気ないアピールだ。

さり気ない振りをしたあからさまな・・・嫌がらせじゃない・・・・前向きな段取りだ。


一瞬、ニヤリと口角が上がったのを急いで元に戻す。

決して楽しんでない。
ただ、企画書を完璧にしたいだけだ。

私は仕事は最初から詰めて詰めて、当たるタイプなのだから。
そうやって今までやって来たのだから。

文句ある?


頭に浮かんだウロウロしてる鴨に向かってそう言った。



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