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始マリ
壱話
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1月14日 12:45 梅代高校
「家がオカしいんだ」
陰のある表情で広田 真梧は口を開いた。
うすい灰色の雲が空にかかり、今にも雪が降りそうなこの寒い時期。
いつもなら教室で机を囲んで弁当をかき込んだあと駄弁っているが、真梧がどうしても話したいことがあると友人三人を屋上へと続く階段に引っ張ってきた。
彼ら以外に人気なく、閉まっている鉄製の屋上のドアからは心なしか冷気が漂ってきて、みな一様に身震いし、少年四人は白い息を吐きながら冷たいリノリウムの階段に腰をおろした。
連れてこられた三人はそれぞれ思い思いの暖を取りながら、大人しく真梧の話を待っていたが、落ちるのは無言ばかりで寒さだけが増していく。
始めの強引さは何処に行ったのか、俯くばかりの言い出しっぺに皆の視線が集中する。
心なしか彼の体が強張っていたため、余程の重大発表なのかと固唾を飲んで見守っていたが、一向に話し出さない。
結局、濃緑色のフレームの眼鏡をかけ優等生然とした芝山 優一が痺れを切らせて問いかけた。
そして、返ってきたのが、「オカしい」という抽象的で要領の得ない解答だったのだ。
何事もはっきりさせたい優一は曖昧な言葉に顔をしかめ、苛立ちを隠さずホッカイロをギュッと握りしめた。
そのままの勢いで詰め寄ろうとした彼の行動を原 鉄平が遮った。
筋肉質の長い足をズボンの上から手で擦って摩擦熱を起こしながら問う。
「オカしいってどういうことだ?」
それでも真梧は俯いたまま、話し出す気配がない。
青ざめた顔を床に向け、それ以上言葉にすることを恐れているかのように唇を噛みしめている。
その様子を知ってか知らずか、掌に息を吐き掛けながら小鳥遊 雅実が場に似合わない明るい声で言い放った。
「なぁ。オカシイって笑えるってこと?」
邪気のない声に釣られて顔をあげると、首を傾げた雅実の頭の上にハテナマークが透けて見えた。
体が小さい雅実がすると小動物のようで可愛らしい。
その能天気な様に、真梧は苦笑し肩の力を抜いた。
「お前な、この雰囲気でよくそっちだと思ったな。違う。笑えることじゃなくて、異常なことのほう」
「それで、なにが変だって? 前にお前ん家に遊びに行ったときは普通だったぞ」
急かすように優一が横から入ってきた。
顔には、「寒い。さっさと教室に帰らせろ」と書いてある。
友達甲斐のない奴と思いつつも、確かにこのまま此処に居たら風邪を引きそうだと覚悟を決める。
「わるい。怖かったんだ。……認めたら、もっと悪いことが起きそうでさ」
そして、深く呼吸をしたあと膝の上で手を組み、家に起きたオカしな事を並べっていった。
「俺、年末年始じいちゃんの家に泊まってたんだけど、三日の昼に帰ってきてから、家が変なんだ。家に入った瞬間、空気が重いような気はしたんだけど。その日から誰もいないのにノックされたり、子供の声とか足音とか聞こえたり、あと、人影が見えたりしてるんだ。しかも、俺以外の家族はたぶん、見えていないし、聞こえてもいない」
一気に言い終えた真梧は大役を全うしたとばかりに弛緩した。
対照的に聞かされた友人たちはピシリと動きを止めた。
しかし、例外が一人。
まさかの告白に固まる二人をよそに、一人だけ目を輝かせた少年がいた。
「怪奇現象ってことか?」
先ほどの機嫌の悪さが微塵もなく吹き飛んで行ったらしい優一少年だった。
声を弾ませ、稀有な体験をした友人に向かって身を乗り出した。
そんな優一に若干引き気味に真梧が問う。
「お前って、こういうの好きだったっけ?」
「別に好きとは言っていない。知的好奇心だ」
そんなキラキラした瞳ではまったくもって説得力がない。
幼児が「おとぎ話の続きを読んで」と、せがむ顔と同じだ。
「一応確認しておくけど、お前の勘違いってわけじゃないんだよな?」
「勘違いであって欲しいくらいだ。でも、これが勘違いなら、俺は病院に行った方がいいんだろうなぐらいに思ってる」
「……そうか。それで変なことが起きるときって、時間帯とか決まってるのか?」
「……だいたい夕方から夜中」
「人影ってどんな感じだ? 男か? 女か?」
「すぐ消えるからわからないけど、たぶん女の人だと思う」
「子供の声は?」
「性別はわからない。雰囲気は、はしゃぐような、笑った声だった、かな」
「他に起きたことはないのか?」
「ほか、……」
何かあったかなと、記憶の淵を辿っているところで、はたと我にかえる。
矢継ぎ早に質問され、思い出すのに必死で、話し出す時に感じた恐怖感が薄れていた。
あんなにも思い出すにも怖くて、なかなか喋れなかったというのに。
マイペースな友人たちにつられるように自分も通常運行に戻ったらしい。
ちらりと周りを見やれば、優一は怪奇現象に夢中になっているし、雅実は、しっぽを巻いた犬のように鉄平の大きな体の陰に隠れて耳をふさいでいる。
鉄平に至っては、ただ静かに傍観している。
「おい。何かないのか? 花子は? 貞子は? 富江は? お菊はいないのか!?」
続きを待ちきれなくなった優一が各種の怪談話のヒロインを並べ叫んだ。暴走気味の友人に迫られ、真梧は慌てて応える。
「ない! 全部でこれくらい!」
「しけてやがる」
その言い草は人としてどうなんだ。
あまりにも酷い。
怪奇現象の体験者としては、これだけでも十分だったというのに。
同じ家に住んでいるはずなのに体験するのはいつも己ばかり。
自分以外の家族は家の異変を感じていないはずだ。
気づいていて黙っている性分の人間は誰もいないから、体験したならば摩訶不思議だ、幽霊だ、と間違いなく激しく騒ぎ立てる。
その上、自己主張はしっかりするくせに、こちらの主張は自分が納得しなければ認めないのだから殊更タチが悪い。
怪奇現象だと言ったところで鼻で嗤われ、勘違いだと一蹴されて終わるだろう。
そもそも何故自分一人だけが、恐怖体験を強いられているのか。
なにか良からぬことをしただろうか、と頭を捻ったが、思い当たることは何もない。
むしろ、家族の中で一番慎ましく平凡な毎日を送っていると自負できるほどだ。
というのも真梧の家族はなかなかに濃い。
父親は輸入雑貨会社勤務で、年中海外を飛び回って耳馴染みのない外国にばかりいるし、母親はそこそこ名の通っている舞台女優だ。
四歳年上の兄は、ろくに受験勉強もせずに最高学府の最高峰にストレートで合格した。
濃い経歴の家族のなか真梧は、ただの男子高校生という薄味の経歴しかない。
人に恨まれるようなことも、身に覚えはなかった。
三が日が終わってすぐに仕事に戻った父はともかく、母と兄は同じ家に暮らしているのに、怪奇現象にあっていない。
二人が究極に鈍い可能性も考えたけれど、自分と同じ目にあって何も感じてないなんてありえない。
「なんで、家族のなかで俺だけこんな目に合うんだろう」
ため息混じりに真梧がそうこぼすと、優一が反応した。
「『チャンネルが合った』ってやつじゃないか?」
「チャンネル?」
「ああ。今まで霊感がなかったのに、急にラジオのチャンネルが合ったみたいに、幽霊と波長があって視えだす人がいるらしい」
「……そんなことがあるのか?」
頬をひきつらせながら真梧が問うと、優一は力強く頷いた。
正直認めたくない事実だ。
でも、自分以外の家族が被害に遭っていないのは、そういうことなのだろう。
勘違いで済まされるよりは、気持ちが軽くなった気がする。
とてつもなく嫌だけれども。
「まじかぁ。なあ、それって治る?」
「治るかどうかは知らん。視えなくするっていうのはあまり聞かないからな。ただ、ポジティブだったり、エロいこと考えると心霊現象にあいにくいとは聞いたことがある」
「むりむりむり。そんな気持ちにならない」
いまの心理状態だと、とてもじゃないけど出来ない対処法だ。
「そういえばお前、神社にお祓いしには行ったのか? あー、でも、今繁忙期か」
真梧も怪奇現象に悩まされ始めてすぐに、神社が行なっているお祓いについてインターネットで調べてみたが、だいたい一月上旬まで神社が繁忙期で、幽霊のお祓いなんて受け付けてもらえなさそうだった。
『幽霊 お祓い』と検索した時に、神社や寺と同時に繁忙期などなさそうな霊能者も出てきたが、どうにも胡散臭くて、頼る気はおきなかった。
「そう。それに、幽霊が俺に憑いてるんじゃなくて、家に憑いてるって思えて。だったら家に宮司さんを呼ばないといけないし。そうなると、お金が高くなる上に、母さんを説得する必要があるけど、……気のせい気のせいって言われて終わる気がする」
物事を決める決定権は、不在がちな父親よりも母親にあるため、宮司を家にあげる許可は彼女から取らなくてはいけないし、神社側としても保護者の同意は必須になるはずだ。
風水や占いなどは信じるくせに、心霊番組には嘘だヤラセだとテレビに文句を言っている母親が脳裏に浮かぶ。
説得するのは骨が折れるだろう。
考えるのも憂鬱になるが、真梧には母親を説得するという問題よりも、差し当たっての問題があった。
その問題を解決するために、階段の一番下に降りて友人達に向かって居住まいを正した。
「実は、みんなに折り入ってお願いがあるんだ」
急になんだ? と訝しむ友人達の前で真梧は清々しいほど綺麗な土下座をした。
「お願いします! 誰か一週間家に泊めて下さい! 今日から誰も家にいないんだ。あの家にひとりで居るとか無理!」
家で起こる怪奇現象について説明したのも、この本題のためだった。
母親は、明日から始まる舞台の京都公演のために今頃荷造りを終えて家を出ている頃だ。
兄はサークルの合宿があり、昨日から外泊しているし、合宿が終わっても、そのまま一人暮らしの友人宅に泊まるらしい。
二人とも一週間は帰ってこない予定だと聞かされている。
つまり真梧は、怪奇現象の起こる家で一週間ひとりでお留守番をすることになったのだ。
いつもなら一週間の留守番など悠々自適に過ごすが、今回は流石に無理だった。
たとえ怪奇現象を信じてくれなくても、誰かが家に居るのと居ないのとでは、心理的に大きく違う。
今まで怖いことが起こっても、リビングに行けば舞台の稽古から帰ってきた母がくつろいでいたし、夜中であれば、兄の部屋からゲームの音が聞こえたりした。
それも今日からなくなる。
あの空間にひとりでは居たくないと、土下座したまま真梧は涙目になった。
頭を下げたままの真梧を見つめたのち、優一はおもむろに膝を叩いて立ち上がり意気揚々と発案した。
「いや、むしろ俺たちがお前の家に泊まろう! もし俺たちが泊まって、同じ怪奇現象を体験したら、お前が母親説得するのも楽になるだろ? 今日が金曜日だから三泊は出来るな!」
思わぬ言葉に真梧は顔を上げた。
確かに、自分ひとりよりも友人達も同じ怪奇現象にあったと言えば説得力が増す気がする。
瞳を輝かせて宝島にいく冒険者のような意気込みは腑に落ちない気もするが、ありがたい申し出である。
今まで黙って成り行きを見ていた鉄平も口を開いた。
「俺は、土日と道場の用事があるから、今日だけ泊まらせてもらう。けど、月曜日からは俺の家に泊まればいい。部屋はたくさんある」
「てっぺー! ありがとう!」
鉄平の家は空手の道場を開いており、大会前には門下生が寝泊まりをすることがあるらしい。
その門下生用の部屋を貸してくれるつもりなのだろう。
この申し出は本当にありがたかった。
真梧の微妙な感激の違いを感じた優一が胡乱げに口を尖らせる。
「おい、なんか喜びようが違くないか?」
「そ、そんなことない。もちろん、優一にも感謝してる! っていうか、一緒に泊まってくれるみんなに感謝してる。ありがとう!」
と、感謝を述べたところで、ずっと鉄平の後ろに隠れていた雅実が顔を出した。
「悪いけど、俺は真梧の家には行かないからな! 絶対嫌だからな!」
ぷるぷると震えながら主張されては薄情だと詰める事など出来ない。
それに、あの家の怖さは自分が一番わかっているから無理強いをするつもりはなかった。
「了解。じゃあ、何か起こったら報告する」
怪奇現象の報告なんていらないと言いたげな困り顔の雅実は、本人には悪いけれど少し面白かった。
そんな雅実の様子に優一の目が意地悪く弧を描く。
「うんうん。怖かったことも、楽しくみんなでゲームをしたことも後でちゃあんと報告してあげるからな?」
あからさまな揶揄いと挑発を含んだ言葉に雅実の決心がぐらつくのを感じた真梧は優一をたしなめた。
「そういう言い方は良くないと思うぞ」
「けど、実際ゲームはするだろ? 鉄平だって楽しみだよなー? レーシングゲームやりたいんだっけ? 俺、新作のソフト買ったから持っていってやる」
まかせろと優一が鉄平にサムズアップする。
遊ぶ暇があるなら鍛錬しろという理由で小さな頃からゲームを禁止されている鉄平は、ゲームに飢えているので素直に頷いた。
鉄平でさえも楽しみにしている姿に雅実は狼狽え、終いにはうーっと唸り出す。
そして、やけっぱちに叫んだ。
「もーー! 俺も行く! 真梧の家に行く!!」
「無理するな、雅実」
「無理なんてしてない! 行くったら行く! 俺も三泊する!」
真梧が出した助け船は、鼻息荒く目が据わった雅実には届かなかった。
自分の想像通りの行動をした雅実が可笑しくて、声を震わせながら意地悪な優一は仕切る。
「よし! じゃあ、決まり! 今日の放課後一旦帰って、泊まりの準備をしてから、真梧の家に集合ってことで。真梧はどうする? ひとりで家に帰りたくないなら、とりあえず俺ん家に一緒にくるか?」
「ありがとう。けど、俺は学校で少し時間潰ししてから帰るつもり。あと待ち合わせは、俺の家じゃなくて、俺の家の近くのスーパーにしないか? そこで買い出ししていこう」
「お、それいいな。そうしよう!」
雅実と鉄平も異議なしと首肯する。
じゃあ、そういうことでと話を切りあげたところで、昼休みの終わりと五時間目の授業の開始を告げる予鈴が鳴った。
次の授業は遅刻に厳しい数学の先生だと思い出した四人は慌てて走り出す。
そのあと、学年主任に廊下を走るなと叱られるとも知らずに。
「家がオカしいんだ」
陰のある表情で広田 真梧は口を開いた。
うすい灰色の雲が空にかかり、今にも雪が降りそうなこの寒い時期。
いつもなら教室で机を囲んで弁当をかき込んだあと駄弁っているが、真梧がどうしても話したいことがあると友人三人を屋上へと続く階段に引っ張ってきた。
彼ら以外に人気なく、閉まっている鉄製の屋上のドアからは心なしか冷気が漂ってきて、みな一様に身震いし、少年四人は白い息を吐きながら冷たいリノリウムの階段に腰をおろした。
連れてこられた三人はそれぞれ思い思いの暖を取りながら、大人しく真梧の話を待っていたが、落ちるのは無言ばかりで寒さだけが増していく。
始めの強引さは何処に行ったのか、俯くばかりの言い出しっぺに皆の視線が集中する。
心なしか彼の体が強張っていたため、余程の重大発表なのかと固唾を飲んで見守っていたが、一向に話し出さない。
結局、濃緑色のフレームの眼鏡をかけ優等生然とした芝山 優一が痺れを切らせて問いかけた。
そして、返ってきたのが、「オカしい」という抽象的で要領の得ない解答だったのだ。
何事もはっきりさせたい優一は曖昧な言葉に顔をしかめ、苛立ちを隠さずホッカイロをギュッと握りしめた。
そのままの勢いで詰め寄ろうとした彼の行動を原 鉄平が遮った。
筋肉質の長い足をズボンの上から手で擦って摩擦熱を起こしながら問う。
「オカしいってどういうことだ?」
それでも真梧は俯いたまま、話し出す気配がない。
青ざめた顔を床に向け、それ以上言葉にすることを恐れているかのように唇を噛みしめている。
その様子を知ってか知らずか、掌に息を吐き掛けながら小鳥遊 雅実が場に似合わない明るい声で言い放った。
「なぁ。オカシイって笑えるってこと?」
邪気のない声に釣られて顔をあげると、首を傾げた雅実の頭の上にハテナマークが透けて見えた。
体が小さい雅実がすると小動物のようで可愛らしい。
その能天気な様に、真梧は苦笑し肩の力を抜いた。
「お前な、この雰囲気でよくそっちだと思ったな。違う。笑えることじゃなくて、異常なことのほう」
「それで、なにが変だって? 前にお前ん家に遊びに行ったときは普通だったぞ」
急かすように優一が横から入ってきた。
顔には、「寒い。さっさと教室に帰らせろ」と書いてある。
友達甲斐のない奴と思いつつも、確かにこのまま此処に居たら風邪を引きそうだと覚悟を決める。
「わるい。怖かったんだ。……認めたら、もっと悪いことが起きそうでさ」
そして、深く呼吸をしたあと膝の上で手を組み、家に起きたオカしな事を並べっていった。
「俺、年末年始じいちゃんの家に泊まってたんだけど、三日の昼に帰ってきてから、家が変なんだ。家に入った瞬間、空気が重いような気はしたんだけど。その日から誰もいないのにノックされたり、子供の声とか足音とか聞こえたり、あと、人影が見えたりしてるんだ。しかも、俺以外の家族はたぶん、見えていないし、聞こえてもいない」
一気に言い終えた真梧は大役を全うしたとばかりに弛緩した。
対照的に聞かされた友人たちはピシリと動きを止めた。
しかし、例外が一人。
まさかの告白に固まる二人をよそに、一人だけ目を輝かせた少年がいた。
「怪奇現象ってことか?」
先ほどの機嫌の悪さが微塵もなく吹き飛んで行ったらしい優一少年だった。
声を弾ませ、稀有な体験をした友人に向かって身を乗り出した。
そんな優一に若干引き気味に真梧が問う。
「お前って、こういうの好きだったっけ?」
「別に好きとは言っていない。知的好奇心だ」
そんなキラキラした瞳ではまったくもって説得力がない。
幼児が「おとぎ話の続きを読んで」と、せがむ顔と同じだ。
「一応確認しておくけど、お前の勘違いってわけじゃないんだよな?」
「勘違いであって欲しいくらいだ。でも、これが勘違いなら、俺は病院に行った方がいいんだろうなぐらいに思ってる」
「……そうか。それで変なことが起きるときって、時間帯とか決まってるのか?」
「……だいたい夕方から夜中」
「人影ってどんな感じだ? 男か? 女か?」
「すぐ消えるからわからないけど、たぶん女の人だと思う」
「子供の声は?」
「性別はわからない。雰囲気は、はしゃぐような、笑った声だった、かな」
「他に起きたことはないのか?」
「ほか、……」
何かあったかなと、記憶の淵を辿っているところで、はたと我にかえる。
矢継ぎ早に質問され、思い出すのに必死で、話し出す時に感じた恐怖感が薄れていた。
あんなにも思い出すにも怖くて、なかなか喋れなかったというのに。
マイペースな友人たちにつられるように自分も通常運行に戻ったらしい。
ちらりと周りを見やれば、優一は怪奇現象に夢中になっているし、雅実は、しっぽを巻いた犬のように鉄平の大きな体の陰に隠れて耳をふさいでいる。
鉄平に至っては、ただ静かに傍観している。
「おい。何かないのか? 花子は? 貞子は? 富江は? お菊はいないのか!?」
続きを待ちきれなくなった優一が各種の怪談話のヒロインを並べ叫んだ。暴走気味の友人に迫られ、真梧は慌てて応える。
「ない! 全部でこれくらい!」
「しけてやがる」
その言い草は人としてどうなんだ。
あまりにも酷い。
怪奇現象の体験者としては、これだけでも十分だったというのに。
同じ家に住んでいるはずなのに体験するのはいつも己ばかり。
自分以外の家族は家の異変を感じていないはずだ。
気づいていて黙っている性分の人間は誰もいないから、体験したならば摩訶不思議だ、幽霊だ、と間違いなく激しく騒ぎ立てる。
その上、自己主張はしっかりするくせに、こちらの主張は自分が納得しなければ認めないのだから殊更タチが悪い。
怪奇現象だと言ったところで鼻で嗤われ、勘違いだと一蹴されて終わるだろう。
そもそも何故自分一人だけが、恐怖体験を強いられているのか。
なにか良からぬことをしただろうか、と頭を捻ったが、思い当たることは何もない。
むしろ、家族の中で一番慎ましく平凡な毎日を送っていると自負できるほどだ。
というのも真梧の家族はなかなかに濃い。
父親は輸入雑貨会社勤務で、年中海外を飛び回って耳馴染みのない外国にばかりいるし、母親はそこそこ名の通っている舞台女優だ。
四歳年上の兄は、ろくに受験勉強もせずに最高学府の最高峰にストレートで合格した。
濃い経歴の家族のなか真梧は、ただの男子高校生という薄味の経歴しかない。
人に恨まれるようなことも、身に覚えはなかった。
三が日が終わってすぐに仕事に戻った父はともかく、母と兄は同じ家に暮らしているのに、怪奇現象にあっていない。
二人が究極に鈍い可能性も考えたけれど、自分と同じ目にあって何も感じてないなんてありえない。
「なんで、家族のなかで俺だけこんな目に合うんだろう」
ため息混じりに真梧がそうこぼすと、優一が反応した。
「『チャンネルが合った』ってやつじゃないか?」
「チャンネル?」
「ああ。今まで霊感がなかったのに、急にラジオのチャンネルが合ったみたいに、幽霊と波長があって視えだす人がいるらしい」
「……そんなことがあるのか?」
頬をひきつらせながら真梧が問うと、優一は力強く頷いた。
正直認めたくない事実だ。
でも、自分以外の家族が被害に遭っていないのは、そういうことなのだろう。
勘違いで済まされるよりは、気持ちが軽くなった気がする。
とてつもなく嫌だけれども。
「まじかぁ。なあ、それって治る?」
「治るかどうかは知らん。視えなくするっていうのはあまり聞かないからな。ただ、ポジティブだったり、エロいこと考えると心霊現象にあいにくいとは聞いたことがある」
「むりむりむり。そんな気持ちにならない」
いまの心理状態だと、とてもじゃないけど出来ない対処法だ。
「そういえばお前、神社にお祓いしには行ったのか? あー、でも、今繁忙期か」
真梧も怪奇現象に悩まされ始めてすぐに、神社が行なっているお祓いについてインターネットで調べてみたが、だいたい一月上旬まで神社が繁忙期で、幽霊のお祓いなんて受け付けてもらえなさそうだった。
『幽霊 お祓い』と検索した時に、神社や寺と同時に繁忙期などなさそうな霊能者も出てきたが、どうにも胡散臭くて、頼る気はおきなかった。
「そう。それに、幽霊が俺に憑いてるんじゃなくて、家に憑いてるって思えて。だったら家に宮司さんを呼ばないといけないし。そうなると、お金が高くなる上に、母さんを説得する必要があるけど、……気のせい気のせいって言われて終わる気がする」
物事を決める決定権は、不在がちな父親よりも母親にあるため、宮司を家にあげる許可は彼女から取らなくてはいけないし、神社側としても保護者の同意は必須になるはずだ。
風水や占いなどは信じるくせに、心霊番組には嘘だヤラセだとテレビに文句を言っている母親が脳裏に浮かぶ。
説得するのは骨が折れるだろう。
考えるのも憂鬱になるが、真梧には母親を説得するという問題よりも、差し当たっての問題があった。
その問題を解決するために、階段の一番下に降りて友人達に向かって居住まいを正した。
「実は、みんなに折り入ってお願いがあるんだ」
急になんだ? と訝しむ友人達の前で真梧は清々しいほど綺麗な土下座をした。
「お願いします! 誰か一週間家に泊めて下さい! 今日から誰も家にいないんだ。あの家にひとりで居るとか無理!」
家で起こる怪奇現象について説明したのも、この本題のためだった。
母親は、明日から始まる舞台の京都公演のために今頃荷造りを終えて家を出ている頃だ。
兄はサークルの合宿があり、昨日から外泊しているし、合宿が終わっても、そのまま一人暮らしの友人宅に泊まるらしい。
二人とも一週間は帰ってこない予定だと聞かされている。
つまり真梧は、怪奇現象の起こる家で一週間ひとりでお留守番をすることになったのだ。
いつもなら一週間の留守番など悠々自適に過ごすが、今回は流石に無理だった。
たとえ怪奇現象を信じてくれなくても、誰かが家に居るのと居ないのとでは、心理的に大きく違う。
今まで怖いことが起こっても、リビングに行けば舞台の稽古から帰ってきた母がくつろいでいたし、夜中であれば、兄の部屋からゲームの音が聞こえたりした。
それも今日からなくなる。
あの空間にひとりでは居たくないと、土下座したまま真梧は涙目になった。
頭を下げたままの真梧を見つめたのち、優一はおもむろに膝を叩いて立ち上がり意気揚々と発案した。
「いや、むしろ俺たちがお前の家に泊まろう! もし俺たちが泊まって、同じ怪奇現象を体験したら、お前が母親説得するのも楽になるだろ? 今日が金曜日だから三泊は出来るな!」
思わぬ言葉に真梧は顔を上げた。
確かに、自分ひとりよりも友人達も同じ怪奇現象にあったと言えば説得力が増す気がする。
瞳を輝かせて宝島にいく冒険者のような意気込みは腑に落ちない気もするが、ありがたい申し出である。
今まで黙って成り行きを見ていた鉄平も口を開いた。
「俺は、土日と道場の用事があるから、今日だけ泊まらせてもらう。けど、月曜日からは俺の家に泊まればいい。部屋はたくさんある」
「てっぺー! ありがとう!」
鉄平の家は空手の道場を開いており、大会前には門下生が寝泊まりをすることがあるらしい。
その門下生用の部屋を貸してくれるつもりなのだろう。
この申し出は本当にありがたかった。
真梧の微妙な感激の違いを感じた優一が胡乱げに口を尖らせる。
「おい、なんか喜びようが違くないか?」
「そ、そんなことない。もちろん、優一にも感謝してる! っていうか、一緒に泊まってくれるみんなに感謝してる。ありがとう!」
と、感謝を述べたところで、ずっと鉄平の後ろに隠れていた雅実が顔を出した。
「悪いけど、俺は真梧の家には行かないからな! 絶対嫌だからな!」
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それに、あの家の怖さは自分が一番わかっているから無理強いをするつもりはなかった。
「了解。じゃあ、何か起こったら報告する」
怪奇現象の報告なんていらないと言いたげな困り顔の雅実は、本人には悪いけれど少し面白かった。
そんな雅実の様子に優一の目が意地悪く弧を描く。
「うんうん。怖かったことも、楽しくみんなでゲームをしたことも後でちゃあんと報告してあげるからな?」
あからさまな揶揄いと挑発を含んだ言葉に雅実の決心がぐらつくのを感じた真梧は優一をたしなめた。
「そういう言い方は良くないと思うぞ」
「けど、実際ゲームはするだろ? 鉄平だって楽しみだよなー? レーシングゲームやりたいんだっけ? 俺、新作のソフト買ったから持っていってやる」
まかせろと優一が鉄平にサムズアップする。
遊ぶ暇があるなら鍛錬しろという理由で小さな頃からゲームを禁止されている鉄平は、ゲームに飢えているので素直に頷いた。
鉄平でさえも楽しみにしている姿に雅実は狼狽え、終いにはうーっと唸り出す。
そして、やけっぱちに叫んだ。
「もーー! 俺も行く! 真梧の家に行く!!」
「無理するな、雅実」
「無理なんてしてない! 行くったら行く! 俺も三泊する!」
真梧が出した助け船は、鼻息荒く目が据わった雅実には届かなかった。
自分の想像通りの行動をした雅実が可笑しくて、声を震わせながら意地悪な優一は仕切る。
「よし! じゃあ、決まり! 今日の放課後一旦帰って、泊まりの準備をしてから、真梧の家に集合ってことで。真梧はどうする? ひとりで家に帰りたくないなら、とりあえず俺ん家に一緒にくるか?」
「ありがとう。けど、俺は学校で少し時間潰ししてから帰るつもり。あと待ち合わせは、俺の家じゃなくて、俺の家の近くのスーパーにしないか? そこで買い出ししていこう」
「お、それいいな。そうしよう!」
雅実と鉄平も異議なしと首肯する。
じゃあ、そういうことでと話を切りあげたところで、昼休みの終わりと五時間目の授業の開始を告げる予鈴が鳴った。
次の授業は遅刻に厳しい数学の先生だと思い出した四人は慌てて走り出す。
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最後の台詞が衝撃です。
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