真訳・アレンシアの魔女 下巻 石碑巡りたち

かずさ ともひろ

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第一の石碑 セレンディア

08話 解析

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「マールって、ずっと一人でアレンシアを旅してたんじゃなかったっけ?」

 ユーリエの言葉に僕は、首を振る。

「正確には違うよ。マールには一人だけ、短い時間だけど、旅を一緒にした男性がいた。セレニウス・ノートリアスっていって、彼がマールの偉業を手記に収めてくれたお陰で、マール経典ができたんだ。でも、マールにかけられた呪いのせいで結局、離れなければならなくなった」

「そんな……こんなに強く想っていたのに。可愛そう」

「その辺は学校の魔法史で習ったよね?」

「まあ習ったけど、私はどちらかというと魔法という技術の方に興味があったから」

「え、でも、ユーリエって魔法史でも学年トップだったよね?」

「あれは勉強のための勉強をしただけ。だからテストが終わったらすぐ頭の中から消してたよ」

「そんな器用な……」

「だって興味なかったし」

「君は石碑巡りだよね!?」

 マールに興味がない石碑巡りって。
 野菜に興味がないのに畑に種をいて水をやるようなものだ。

「でも、少し興味がわいた。天涯孤独だと思っていたマールにも、好きな人がいたんだね」

「僕は……驚いてるし、動揺してる」

「やきもち?」

「バカなのかな?」

 次の瞬間。
 ユーリエは僕の後ろに回って飛び跳ねると、背中に乗っかってきて、足と腕で首と銅を絞めてきた!
 たいして苦しくはないけれど……色々、柔らかいところがあたってる!

「ちょっとユーリエ、やめてよ!」

「誰がバカよ。と~り~け~せ~!」

「て、訂正します。ユーリエは頭が良くて、可愛くて、いい匂いがして、色っぽくて、すごい女の子です」

「!?……」

 ふっ、と、ユーリエから力が抜ける。
 足を離し、腕も解いてすとん、と床に降り立つと、すたすたと僕の前にきた。

「今、カナクが言ったこと、もし冗談やうそだったら……一部だけ残して、残りは全部、灰にする」

「一部ってどこ!?」

「そんな恥ずかしいことを女の子の口から言わせる気!?」

「恥ずかしい部分なんだ!」

「まあ、個人の趣向に口を出すのは良くないわね」

「いやいや、なんで僕が哀れまれてるのかな?」

「もう少し真面目に考察してよ!」

「僕が怒られるの!?」

 レニウスから聞いていた話や、学校で流れてくるうわさと、現実のユーリエは大分違った。
 学力についてはその通りなんだろうけれど、清楚せいそでおしとやかという部分はかなりの猫かぶりだったのは間違いない。学校の教室でもそうだったけれど、頑固でままで、わけがわからないところがある。

 それでも一緒にいたくなるのは、なんでだろう。
 やっぱり好きだからかな。

「……うん?」

 その時。
 ユーリエは石碑が出した魔法陣を目にして表情を変えた。
 眉をげ、唇をきゅっと引き締める。
 その瞳は大きく見開き、集中している。
 真剣そのものだ

「どうしたの、ユーリ――」

「ごめん、ちょっと静かに!」

 ユーリエは僕に一瞥いちべつもくれず、魔法陣を分析し、細見していた。

「あの構文がこうなって、ここにつながって……石碑からのマナはここで……」

 凄い分析力だ。僕にはなにがなんだかわからなかったけれど、驚くことにユーリエは魔法の始祖マールが書き記した魔法の詠唱を読み解いていた。

「これ、は……まさか……嘘、でしょ?」

 どこまで天才なんだ、ユーリエは。

「カナク!」

「わ!」

 突然大声で呼ばれて、びっくりした。

「私、俄然がぜん、石碑巡りを完遂かんすいしたくなったわ!」

「えっ、最初からそのつもりだったんじゃ?」

「そうだけど、もっともっと、もーっと! マールを知りたくなった!」

「そっか。さすがの天才ユーリエでも、石にマナを込めて魔法を発動させるなんて、できないもんね」

「まぁね。でもこの石碑も普通じゃないのよ。多分、ドワーフの鉱山からごくまれに発掘されるっていう、マナをめ込められるっていう“マール石”って呼ばれるやつね」

「マール石?」

「昔は“黒石”って呼ばれていたらしいわ。本来はもっと小さいんだけど、マナを込めると巨大化する不思議な石よ」

「え!? じゃ、じゃあこの大きさって、マールは一体どれだけのマナを――」

「言葉にできないくらいの量と、膨大な時間と、命を削って作られたのよ」

「そう、なんだ……」

 きっとそれは、僕なんかの想像を絶する苦行だったに違いない。
 しかしマールはなんで、こんな日記のような文章を残すためだけに、そこまでしたんだろう。
 
 いや、しかしこの内容なら、ひょっとしたらこれは、マールなりのノートリアスへのおもいだったのかもしれない。仮にマールが一途いちずに想っていたのがノートリアスだったとしても、二人は別れを余儀なくされた。

 しかしこの文章、一点だけマール経典との矛盾がある。
 それは「偶然、彼と再会した」という部分だ。

 確かにマールはノートリアスに二度会っている。
 しかし、一度目は鼠人ウエアラツトに襲われていた幼い頃のノートリアスを助けた側であり、マールが恩人ではない。それにノートリアスがマールを見つけ出したのであって、そんな彼がマールを忘れるはずがないんだ。
 
 これが最初の石碑というのが気になったけれど、きっとマールは誰かに恋をした。
 最有力なのはノートリアスだけど、その秘めた想いを、膨大なマナと、時間と、命を使って石碑に込めたのではないか。
 そう考えれば、まあ辻褄つじつまはあう。

 僕は再びマールが残した言葉に目を向けて、顔をほころばせた。
 アレンシアは広い。それをたった一人で、何ヶ月、何年も旅をするなんて、あまりにも辛すぎる。

 そんなマールにも想い人がいたということ。
 それがわずかながらでも過酷な旅の気慰みになってくれたのなら、どんなに素晴らしいことだろう。
 自然と僕は右手を左の二の腕に当て、目を閉じてマールに祈りをささげていた。

 僕とユーリエはその後、石碑の間を後にして、ほこらの扉を開く。
 するとそこは、あの大自然豊かな坂道ではなく、セレンディア・マール聖神殿の通路で、エナ聖神官が笑顔のまま、立っていた。

「え、え、え?」

 困惑に次ぐ、混乱。
 僕とユーリエは、思わず顔を見合わせる。
 なにが起きたのかを整理するのに、少し時を要した。

「おかえりなさいカナク、ユーリエさん。ちゃんと石碑を見られたようね」

 エナ聖神官が、目を細めてにっこりと笑う。

「はい。なんて言えばいいのか……不思議な体験をさせて頂きました。それに……ん? あれ?」

 マールの石碑は、四つ全て見なければ記憶に残らない。
 事前に知っていたとはいえ、今見てきたばかりの文章の内容が全く思い出せないというのは、なんだか気持ちが悪いというか、凄い違和感だった。
 隣に立つユーリエは、なにやら沈思黙考しており、話しかけづらい雰囲気を出していた。

「さあ、ここは暗いから。ホールに戻りましょう」

「はい」

 エナ聖神官は、ランタンを掲げて道を戻る。
 僕は、左手を口に当てて黙り込んでいるユーリエの右手を引っ張りながら、その様子が気になって仕方がなかった。普段はあれだけ饒舌じようぜつなユーリエが、石碑を見た後からなにやら考え込んでしまって、口を開かなくなった。

 ただ、その双眸そうぼうには鋭い光を宿していることから、熟考しているだけであって、体調が悪くなったとかではなさそうだ。
 こうして大ホールに再び入った僕らは、そこにいたフランツ司教さまとニルス聖神官の前に戻ってきた。

「おおカナク、ユーリエ嬢。無事に石碑は見られたかね」

 司教さまがいてきた。
 僕は大きくうなずき、あの不思議な体験を話した。

 暗闇を抜けて青いポータルに入ると、自然豊かな場所に出たこと。そこで感じた風や、草木の息吹いぶき、土の香りなどは、とても幻術とは思えなかったこと。
 祠のこと。石碑と、今は覚えていないマールの言葉のこと。

 それらを報告している間も、ユーリエは僕の少し後ろで考え込んでいる。
 一体、どうしたんだろう。

「そうか。そこまで行けたのなら、かつてカナクが勝手に石碑の間に入ろうとした時、私が厳しく叱った理由がわかっただろう?」

「はい、今なら理解できます。確かにあの空間は幻術でしたが、実際はただの幻術ではありませんでした。最初に入った暗闇も、ポータルを見つけられなければ永遠に彷徨さまようことになったでしょう。ポータルを抜けた先でも、もし祠に行かず別の所に行ったなら……帰ってこれなかったと思います」

「うむ、そういうことだ。つまり敬虔けいけんなるマール信徒でなければ、入っても戻れない仕組みになっているのだ。それをかつてのお前は、好奇心だけであの石碑の間に入ろうとした。全く、おそろしい子供だったよ」

「へぇ~、カナクってそういう子だったんですね!」

「ぅわぁああ!」

 突然ユーリエの声がして、僕は驚きのあまり、変な声を出した。
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