真訳・アレンシアの魔女 下巻 石碑巡りたち

かずさ ともひろ

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第二の石碑 コルセア王都カリーン

11話 少しでも人間らしく

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「おお、カナク」

 廊下に出ると、グウェイル大司教さまがユーリエと一緒に待っていた。

「なんだ、無事か」

「どういう意味です!?」

 さらっと恐ろしいことを言われた気がしたけれど。

「では聖神殿に案内しよう。二人とも、こちらへ」

「はい」

 いよいよ、二つ目のマールの石碑を見られる。胸が高鳴ってきた。
 ガウェイン大司教さまの後ろを歩いて行くと、ユーリエが話しかけてきた。

「ねえ、カナクは女王様からなにを言われたの?」

「いやいや、それを言っちゃったら個別で話をした意味がないじゃん!」

「むう」

 僕がユーリエを愛してる、なんて暴露をしたことなんて、口にできるわけがない。

「私はね、カナクをどうかよろしく頼むって言われたよ」

「ユーリエは言っちゃうんだ!?」

 しかも割と大きな声で。
 完全にガウェイン大司教さまにも聞こえたよ?

「まあ言われなくてもそうします、って答えておいた。あのくらいの話をなんでわざわざ私だけにしたのか、よくわからないや」

「うん、そうだね……」

 ユーリエは不思議そうだったけれど、僕は女王さまの意図を理解できた。
 女王さまは始めから、僕だけに話をしたかったんじゃないだろうか。ユーリエがいる前で、僕が銀獣人であることを知っているなんて言われたら、とても困る。だから、わざとユーリエには他愛のない話をして僕と離したんだ。
 さすがは女王さま。頭がいいなあ。

「さあ、着いたぞ」

「え」

 僕はユーリエとの会話と考えごとで夢中になっていて、目の前に扉があることに気づかなかった。それだけじゃない。いつの間にか窓がなく、暗い地下通路のような場所になっていた。
 ユーリエのこととなると周りが見えなくなる癖、直さないと。

「ここは既にカリーン聖神殿の最奥部だ。この先が石碑の間になっておる。確か二人は、ここで二つ目だったであろう。ならば説明は不要。要領は一つ目と同じだ。我々が敬愛するマールの言葉を目にするがいい」

「「はいっ!」」

 僕とユーリエの声が重なり、視線を交わす。自然と僕は右手を差し出し、ユーリエがその手を取った。
 そして僕らはカリーンの石碑の間に入り、暗闇の中を進んだ。

 セレンディアの時と同じだ。
 天地がわからなくなるほどの、漆黒。
 その中で微かな輝きを見つけ、そこに歩いて行く。
 そしてポータルに入ると、暗闇を切り裂くように景色が変わった。

 今回は、険しい山道だった。
 周囲はかなり高い岩山が屹立しており、道の右側は転落したら間違いなく命はないほどの崖になっていた。
 どうしてマールはこんな場所を、石碑に込めたんだろう。

「カナク、あれ!」

 ユーリエに言われて、僕はワンドを抜きながら左を向く。

「なっ……!」

 坂道の上にあったのは、落石によって潰された荷馬車だった。僕より何倍も大きな岩に、三台の馬車が無残にも押し潰されている。

「これはもしかしてマール経典に書かれていた、ルチル商隊かな」

「なに、それ?」

「マールがかけられた呪いの一つに“マールと五日以上、行動をともにした人や団体には、災禍が訪れる”っていうのがある。マールがそれを知った最初の事件が、山道を乗せてくれたルチルという人の商隊が、五日後に落石で命を落としたことだった。ここがまさに、その場所なんだ」

「そ、そんな」

「その前にマールはラミナの街という、今は存在しない街に滞在して、十日目に稲妻で壊滅させてしまったらしい。それとここの二つの事件から、マールは真紅の髪を持つ魔女として“紅の魔女”と呼ばれ、恐れられたんだ」

「紅の魔女……」

「うん。魔法も、それまでマールは法術と呼んでいたけれど、当時の人々は“魔女が使う不思議な法術”として“魔法”と名付けられた。治癒系や、回復系のような、悪い効果じゃないものも魔法と呼ぶのは、そういういう経緯があったからなんだ。そのことに関してマールは特に否定しなかったから、魔法という呼び名がアレンシアに定着した」

「そうね。そこからは学校で習ったわ。でも、紅の魔女の由来までは教わらなかった」

「僕は聖神殿で育ったからね。マールが“暁の賢者”と呼ばれ始めたのは、その死後、ノートリアスが記した“アレンシアの魔女”というマールの人生を記した――」

「待ってカナク。まず石碑を見ようよ」

「おっと、そうだったね」

 いけない、いけない。
 マールの話となると、つい饒舌になってしまう。

「でも、どこに石碑があるんだろうね?」

「ちょっと待って」

 僕は目を閉じて、石碑の気配を探る。
 その気配は……背中から感じた。

「後ろだ」

 僕とユーリエが同時に振り返ると、下り坂の真ん中に石碑が浮いていた。セレンディアのものと同じく、真っ黒な卵形をしていて、表面に輝く白い線や文字が走っている。

「行こうユーリエ」

「うん」

 僕らは坂道を歩き、石碑の前に立つ。
 その石碑はまるで、大岩に押し潰されてしまったルチル商隊を偲ぶように、静かに佇んでいた。そして石碑の目の前までくると、魔法陣を出して、マールの文章を僕らに伝えてくれた。

「二つ目の文章……」

 僕はなんとか脳裏に焼きつけようと、集中して文章に目を走らせた。


 ○ ● ○ ● ○ ●

 彼は手を伸ばせばすぐそこにいるのに。
 結局、彼との距離を縮められなかった。
 私はなけなしの勇気を振り絞って、彼に近づいた。
 世の中には辛いことや悲しいことなんていっぱいある。でも、胸を躍らせるような楽しいことや、幸せなこともある。
 それを彼と共有していることが、なによりも嬉しかった。
 彼の前では、何故か素の自分でいられる。それは一人で過ごしているよりも遙かに幸せで、心地よい時間だった。
 しかし、不安もあった。
 彼には好きな人がいるのだという。それを初めて聞いた時、表向きは平気な顔をしていたけれど、本当は心が張り裂けそうだった。
 もう絶対、誰にも渡さない。
 私は彼のもの。彼は私のもの。
 黒い感情が私の中に巣くいはじめている。
 このままでは、本当に悪魔のような女になってしまう。
 私は、私は……。
                             双月暦五二九年 マール

 ○ ● ○ ● ○ ●


「まただ」

 僕が呟く。

「なにが?」

 ユーリエに顔を向けると、やはりセレンディアの時と同じように、魔法陣そのものを凝視していた。

「少し妙だよ、この文章は」

「妙?」

「経典によると、ノートリアスはマールと出会ってから、ずっとマールのそばにいた。マールがどんなに拒んでも断っても、そばを離れず、ずっと旅をしたんだ」

「え、でも、確かマールには呪いがかけられていて、五日以上一緒にいると、災いが起こるんじゃないの?」

「そうなんだ。でも、何故かノートリアスにだけはその呪いが通じなかった。そのおかげでディゴバの石碑も建てられたし、暫く一緒に旅をできたんだけど、マールの呪いが再発したせいで、二人は完全に離ればなれになった」

「ふーむ、教科書に載っていない部分ね。そうだったんだ」

 会話を交わしながらも、ユーリエの瞳はじっと魔法陣に向いている。
 解析、しているのかな?
 いやまさか。
 
 普通の魔法はまずマナの力を集めて二つの円を描き、外周と内周の間に構文を記して発動する。
 でもこの石碑は四重の円に三列の詠唱分が時計回り、反時計回り、時計回りとそれぞれ別々に動いていて、しかも速度がそれぞれ違う。
 それを……解析できると?

「まあ、ともかく、この文章は違和感だらけだ。おかしいな……」

 僕は何度も何度もマールの文章を読み返す。
 その度に、違和感はどんどん膨らんでいく一方だった。

「随分、気にしてるのね」

「うん。やっぱりどう考えてもおかしい。セレンディアの石碑の文章が思い出せれば少しは……あれ、今は思い出せる!」

「そうね」

「知ってたの?」

「まあね」

 ユーリエの反応は素っ気ない。
 どうやら本当に、あの三重文章を解読しているっぽい。
 ならば僕は、別の考察をしよう。

 まずは思い出せた、セレンディアの石碑だ。

 彼といた時間は、とても短かった。
 すごく残念だったけれど、私たちはすぐ離されてしまったんだ。
 一緒に過ごした時間はごく僅かだったけれど、彼の印象は強く私の中に焼きついた。
 彼のお陰で、私は生きる希望を抱くことができた。
 いつしか私は、そんな恩人でもある彼にまた会いたいと強く願うようになっていた。
 それから数年が経ったある日。私は偶然、彼と再会した。
 きっと私のことを覚えていないだろうけれど、私は彼を忘れたことはなかった。
 胸がはち切れそうで、すぐ彼に声をかけたかったけれど、冷たくされたらと思うと勇気が出なくて、無為な時間を過ごしてしまった。
 彼と時間を共有したい。
 彼の温もりを感じたい。
 彼が……ほしい!
 でも結局、勇気がなくて、なにもできなかった。
 諦めかけた私の時計は、そこで凍った。
                             双月暦五二八年 マール

 そしてここ、カリーンの石碑。

 彼は手を伸ばせばすぐそこにいるのに。
 結局、彼との距離を縮められなかった。
 私は、なけなしの勇気を振り絞って、彼に近づいた。
 世の中には辛いことや悲しいことなんていっぱいある。
 胸を躍らせるような楽しいことや、幸せなこともある。
 それを彼と共有していることが、なによりも嬉しかった。
 彼の前では、何故か素の自分でいられる。それは一人で過ごしているよりも遙かに幸せで、心地よい時間だった。
 でも、不安もあった。
 彼には好きな人がいるのだという。それを初めて聞いた時、表向きは平気な顔をしていたけれど、本当は心が張り裂けそうだった。
 もう絶対、誰にも渡さない。
 私は彼のもの。彼は私のもの。
 憎悪にも似た、赤い感情が私の中に巣くいはじめている。
 このままでは、本当の悪魔のような女になってしまう。
 私は、私は……。
                             双月暦五二九年 マール

 年代や内容から、この二つが続きものであることは間違いない。
 経典には暁の賢者マールと旅をしたのはノートリアスという男性しか存在しない。ノートリアスは幼い頃、マールが初めて魔法を使って魔物から助けた子供らしい。

 それも加味しても、経典とこのマールの言葉とは齟齬がありすぎる。

 ここに書かれているその“彼”とは恩人であり、心を奪われた人にしか見えない。それもかなり深く愛していたようだ。しかし経典では逆で、ノートリアスが強引にマールの旅に着いて行ったと記されている。
 ここまでのマールの文章が示すもの、それは……。

 マールの中には、ノートリアス以外の男性が存在していたということだ。

 これは大変なことだ。
 マール聖神殿で信徒に教えているのはノートリアスが書いたものを編纂した経典だけれど、石碑に記された文章はその真逆のことが書かれている。
 この先、もしかしたら魔法学的にも重要な情報が現れてくるかもしれない。

 魔法学、最大の謎。
 それは“何故、マールだけが魔法を使えたのか”である。

 魔法の始祖としても崇められているマールだけれど、そもそも何故マールだけが魔法を熟知していたのか。その謎に対する明確な回答は、未だに出されていない。

 僕の知らないマールが、いろいろと明らかになっていく。
 まだたった二つの石碑なのに、もう頭の中は破裂しそうだ。

「……この石碑を聖神殿が厳重に庇護している理由、わかった気がする」

 僕が呟くと、ユーリエは「そうなの?」と首を傾げた。

「劣化を防ぐためなんかじゃない。アレンシアで神と崇められている暁の賢者マール。その壮烈な生き様を記した経典と、石碑の文章には多くの矛盾があるから、聖神殿側からすれば都合が悪いんだ」

「確かにカナクの言う通り、この文章を読んでいると、まるで普通の女の子が大好きな人への想いを綴っているようにしか見えないわね。しかも、ノートリアスではない誰かに」

「それじゃダメなんだ。マールは誰にでも等しく慈愛を与え続けた“神”でなければならない。個人を愛した人じゃなくて、暁の賢者じゃなきゃいけないんだ」

「なんかそれ、やだな」

 ユーリエの瞳に、憂いが宿る。

「僕もマール信徒だけど同感だよ。マールだって一人の人間なんだ。だから、少しでも人間らしく幸せな時間があったのなら、それは嬉しいことだと思う」

「カナク……」

 ユーリエが今までになかったような、優しい声をかけてくれた。

「そろそろ行こうか。そっちはもういい?」

 僕がユーリエに問うと、凜々しい顔つきでうん、と頷いた。
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