24 / 24
第六章:碧眼の光に導かれ
エピローグ
あれから、半年の月日が流れた。
エリオットは、自らがオメガであることを公に発表した。
それは決して、容易な決断ではなかった。事実を墓場まで持っていく選択肢も、幾度となく脳裏をよぎった。弟に家督を譲り、一人のオメガとしてカイルの傍らで静かに生きる道も検討した。何度も天秤にかけ、答えの出ない夜を幾晩も数えた。
だが――エリオットは、どうしても公爵であることを辞めたくないと思った。
領民のために老朽化した橋を修繕し、活気ある市場を整え、不当な税制を見直す。屋敷の使用人たちと穏やかな朝の挨拶を交わし、街を歩けば「旦那様、今日は魚が安いですよ」と気さくに声をかけられる。かつて暴君と恐れられた男が、領地に住む人々の生活を支えるために奔走できること。
それが今、何にも代えがたい生きがいとなっていた。前世では組織の歯車に過ぎず、誰の顔も見えない仕事を、誰からも感謝されることなくこなす毎日だった。今は違う。己の手で誰かの暮らしが確実に良くなっていく様が、目に見える。この確かな実感を手放すことは、到底できなかった。
しかし、アルファを装ったまま当主の座に留まり続ければ、いずれ限界が訪れる。カイルとの関係こそが、その最大の障壁であった。
次期国王たる王太子には、正統なる世継ぎが必要だ。カイルと番を契った以上、アルファを装い続ければ、世継ぎ問題が浮上した際に二人の関係は致命的な足枷となる。王太子が同性のアルファである公爵と番であると知れれば、周囲は必ずや世継ぎを産める別のオメガとの婚姻を要求するだろう。そうなれば、カイルを板挟みの苦境に追い込むことになる。愛する男に泥を塗ることだけは、何としてでも避けたい。
ならば、自らの手で真実を明かそう。
オメガであっても領主は務まる。公爵家の当主として、立派に職務を全うできるのだと証明できれば――エリオットの母のような悲劇を、二度と繰り返さずに済むはずだ。オメガの子を産んだ絶望から、真実を隠蔽し、偽りの人生を強要し、精神を崩壊させていく人間を。
アルファ至上主義に毒されたこの国の慣習が、どれほど多くの人間を窮地へ追い込んできたか。母の壊れた姿を目の当たりにした今なら、痛いほどに理解できた。己のこの行動が、世界のどこかで同じ苦悩を抱える誰かの光になれるなら。そのために恥を晒す覚悟は、とうの昔に固まっていた。
カイルに胸の内を明かした夜の光景は、今も鮮明に記憶に刻まれている。
長い告白をすべて聞き終えたカイルは、ただ穏やかに笑った。愛おしそうに、誇らしそうに、あの碧い瞳を細めてエリオットを見つめた。
「お前がそう望むのであれば、俺は全身全霊でお前を支え抜く」
迷いのない、一言であった。反対も懸念もなかった。ただ静かに笑い、エリオットの手を強く握り締めてくれた。
公表当日、議場は未曾有の騒乱に包まれた。名門公爵家の現当主がオメガであったという前代未聞の事実に、貴族たちは一様に色めき立った。弾劾の声が四方から上がり、当主の資格を剥奪する動議が即座に提出された。怒号が飛び交い、議場の空気は殺気立った緊張感に満たされた。
その混乱を切り裂くように、カイルが立ち上がった。
王太子の権限をもってエリオットの当主継続を全面支持すると宣言し、議場を力ねじ伏せるような沈黙で支配した。「エリオット公爵が成し遂げた治世を見ろ。この半年で領地の税収は二割増加し、インフラは整備され、領民の支持は王家をも凌駕している。性別を理由に資格を問うのであれば、まずは実績で彼を上回ってから口を開け」と、居並ぶ貴族一人一人の顔を厳しくに見据えて言い切った。
反論を試みる者は、一人として現れなかった。あの凍てつくような碧い瞳に射竦められ、異を唱えられる度胸を持つ貴族など、この国には存在しなかった。
母は、地下牢から釈放された。
それを実現させたのは、エリオットの権力ではなかった。腹違いの弟が、自ら行動を起こしたのだ。弟はカイルのもとへ幾度も直談判に訪れ、「自分が責任を持って面倒を見ます。厳重に監視もいたします。ですから、どうか母を牢から出してやってください」と、地に頭を擦りつけて懇願したという。弟の不撓不屈の熱意に屈する形で、カイルは特別に許可を下した。後から聞いた話では、弟は三度足を運び、三度とも誠実な態度で頭を下げ続けたという。
母は今、公爵家が管理する北方の静かな土地にある、小さな屋敷で余生を送っている。かつて激しく嫌悪し、蔑んでいた愛人の息子の献身的な世話を受けながら、静穏な生活を営んでいた。
エリオットは弟に対し、厄介な荷物だろうから無理に世話を焼く必要はないと告げた。
弟は、穏やかな笑みを浮かべて首を振った。
「自分がこうして十分な教育を受け、一人の人間として成人できたのは、義母上が自分を公爵家の次男として受け入れる決断をしてくださったからです。その恩義を、忘れることはできません」
どこまでも誠実な青年であった。母が死に物狂いで家督を死守しようとした愛人の子は、権力にも地位にも一切の執着を持たない、ただただ優しい男だった。母が一生をかけて恐れ続けたものの正体を知り、エリオットは切なさに目を伏せた。
(このような優しい弟が傍にいたというのに。もっと早くに歩み寄れていれば――いや、もはや過ぎ去ったことだ)
レオンのその後については――どうやら、ディートリヒと番になったらしい。
あれほど脱走を繰り返していた奔放なレオンが、いつの間にか騎士団長の掌中に収まっていた。事の経緯は知る由もないし、知りたいとも思わない。ただ、ディートリヒが「噛みつかれる感触も、悪くない」と愉悦を滲ませていたとカイルから聞いた際は、流石に失笑を禁じ得なかった。冷徹な騎士団長と、傲慢なオメガ。世の中の歯車とは、妙なところで噛み合うものだ。
先日、王宮の庭園で偶然その二人を見かけた。レオンが不満げに何かを喚きながら、ディートリヒの分厚い胸板を叩いていた。ディートリヒは微動だにせず、涼やかな顔でその様子を見下ろしていた。レオンの顔には、かつての計算された怯えも、甘い媚びも存在しなかった。素の感情で怒り、ありのままの声で叫んでいた。ディートリヒが何か短く言葉を返すと、レオンの顔は一瞬で真っ赤に染まった。それは仮面を脱ぎ捨てた、真実の表情であった。
もっとも、レオンは未だにカイルへの誘惑を諦めていないらしい。番であるディートリヒの目を盗んでは、隙あらばカイルに接近してくる。
「あいつ、まだ懲りずに続けているのか」
「ディークの独占欲を煽るための道具として利用されているだけだ。俺はただのダシに過ぎない」
そう話すカイルの表情には隠しきれない不機嫌が滲んでいた。毎回レオンに触れられるのは、彼にとっても不本意極まりないのだろう。
そのたびに「清めてくれ」と甘えてくるのだから、こちらの身にもなってほしいものだ。
(決して嫌ではないが。頻度があまりに多すぎる。もはやレオンは、俺たちの夜の生活における着火剤と化しているのではないか。それはそれで、問題があるような気もするが……)
――そして。
エリオットは今、その腹の中に、小さな命を宿していた。
紛れもなく、カイルの子だ。
カイルには、まだ伝えていない。体調の優れない日が続き、嘔吐が繰り返されるため医師の診察を受けたところ、懐妊を告げられた。その瞬間、頭の中は真っ白な空白に支配された。オメガとして目覚めてからの期間は、まだ一年にも満たない。懐妊に関する知識も皆無で、何もかもが手探りだった。医師の説明も、半分ほどしか意識に届かなかった。
だが――恐怖は、微塵も感じなかった。
アルファとして生を歩み、突然オメガであることを突きつけられた当初は、底知れぬ不安に苛まれた。偽りの人生を暴かれ、実の母に鎖で繋がれ、鞭で打たれた。それでも、隣には常にカイルがいた。あの碧い瞳が「お前は俺の番だ」と、揺るぎない肯定を送り続けてくれた。だからこそ、自暴自棄になることなく、前を向くことができたのだ。
前世で親しんだゲームとは、似ても似つかぬ物語となった。処刑される結末も、隠遁する結末も、どのルートにも存在しない未知の場所に、エリオットは立っている。これからは予測不能な展開しかない人生だ。だが――最愛の推しと共に一生を添い遂げられるのであれば。
この腹の中に宿る小さな命と、三人で未来を歩んでいけるのであれば。それは、いかなるハッピーエンドよりも幸福な結末であると確信できた。
窓の外から、近づいてくる馬車の音が聞こえた。
今夜は、王宮からカイルが泊まりに来る予定の日だ。エリオットは無意識のうちに、平坦な腹部へと手を添えていた。まだ膨らみさえ感じられないが、ここには確かに命が息づいている。カイルの血を引いた、愛おしい命が。
(彼は、どのような顔をするだろうか。感極まって泣くのだろうか。それとも、破顔して笑うのだろうか。あの実直な男のことだ。おそらく――最高の笑顔を見せてくれるに違いない)
エリオットは、弾む心を抑えて玄関へと向かった。扉を押し開けると、ちょうど馬車からカイルが降り立つところだった。残照の光を背負い、碧い瞳が瞬時にエリオットの姿を捉える。いつものように、眩い笑みが零れた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
差し出されたカイルの手を取り、指を深く絡めた。温かな、大きな手だった。エリオットの手を丸ごと包み込むような、揺るぎない温もり。
「カイル。今夜は、伝えておきたい知らせがあるんだ」
「いい知らせか?」
「ああ。――中で、ゆっくりと話そう」
繋いだ手を優しく引き、エリオットは屋敷の中へと歩き出した。
柔らかな春の夕暮れの風が、二人の背中を慈しむように、優しく押していた。
了
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
アルファポリス版ではカイルとエリオットの二人きりの愛を描きましたが、実はもう一つの可能性として、レオンも含めた三人で熱を分かち合う物語も存在します。
カイルとレオン、二人のアルファが同時にエリオットを蹂躙し、溺愛する「カイル×エリオット×レオン」ルートは、現在Kindleにて販売中です。
本作はKindle Unlimited(アンリミテッド)対象となっておりますので、会員の方は追加料金なしで、こちらの「三人の夜」の結末まで一気にお楽しみいただけます。
「三人がかりの激しい愛も見てみたい!」と思ってくださる方は、ぜひKindle版ものぞいていただけると嬉しいです。
改めまして、最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
エリオットは、自らがオメガであることを公に発表した。
それは決して、容易な決断ではなかった。事実を墓場まで持っていく選択肢も、幾度となく脳裏をよぎった。弟に家督を譲り、一人のオメガとしてカイルの傍らで静かに生きる道も検討した。何度も天秤にかけ、答えの出ない夜を幾晩も数えた。
だが――エリオットは、どうしても公爵であることを辞めたくないと思った。
領民のために老朽化した橋を修繕し、活気ある市場を整え、不当な税制を見直す。屋敷の使用人たちと穏やかな朝の挨拶を交わし、街を歩けば「旦那様、今日は魚が安いですよ」と気さくに声をかけられる。かつて暴君と恐れられた男が、領地に住む人々の生活を支えるために奔走できること。
それが今、何にも代えがたい生きがいとなっていた。前世では組織の歯車に過ぎず、誰の顔も見えない仕事を、誰からも感謝されることなくこなす毎日だった。今は違う。己の手で誰かの暮らしが確実に良くなっていく様が、目に見える。この確かな実感を手放すことは、到底できなかった。
しかし、アルファを装ったまま当主の座に留まり続ければ、いずれ限界が訪れる。カイルとの関係こそが、その最大の障壁であった。
次期国王たる王太子には、正統なる世継ぎが必要だ。カイルと番を契った以上、アルファを装い続ければ、世継ぎ問題が浮上した際に二人の関係は致命的な足枷となる。王太子が同性のアルファである公爵と番であると知れれば、周囲は必ずや世継ぎを産める別のオメガとの婚姻を要求するだろう。そうなれば、カイルを板挟みの苦境に追い込むことになる。愛する男に泥を塗ることだけは、何としてでも避けたい。
ならば、自らの手で真実を明かそう。
オメガであっても領主は務まる。公爵家の当主として、立派に職務を全うできるのだと証明できれば――エリオットの母のような悲劇を、二度と繰り返さずに済むはずだ。オメガの子を産んだ絶望から、真実を隠蔽し、偽りの人生を強要し、精神を崩壊させていく人間を。
アルファ至上主義に毒されたこの国の慣習が、どれほど多くの人間を窮地へ追い込んできたか。母の壊れた姿を目の当たりにした今なら、痛いほどに理解できた。己のこの行動が、世界のどこかで同じ苦悩を抱える誰かの光になれるなら。そのために恥を晒す覚悟は、とうの昔に固まっていた。
カイルに胸の内を明かした夜の光景は、今も鮮明に記憶に刻まれている。
長い告白をすべて聞き終えたカイルは、ただ穏やかに笑った。愛おしそうに、誇らしそうに、あの碧い瞳を細めてエリオットを見つめた。
「お前がそう望むのであれば、俺は全身全霊でお前を支え抜く」
迷いのない、一言であった。反対も懸念もなかった。ただ静かに笑い、エリオットの手を強く握り締めてくれた。
公表当日、議場は未曾有の騒乱に包まれた。名門公爵家の現当主がオメガであったという前代未聞の事実に、貴族たちは一様に色めき立った。弾劾の声が四方から上がり、当主の資格を剥奪する動議が即座に提出された。怒号が飛び交い、議場の空気は殺気立った緊張感に満たされた。
その混乱を切り裂くように、カイルが立ち上がった。
王太子の権限をもってエリオットの当主継続を全面支持すると宣言し、議場を力ねじ伏せるような沈黙で支配した。「エリオット公爵が成し遂げた治世を見ろ。この半年で領地の税収は二割増加し、インフラは整備され、領民の支持は王家をも凌駕している。性別を理由に資格を問うのであれば、まずは実績で彼を上回ってから口を開け」と、居並ぶ貴族一人一人の顔を厳しくに見据えて言い切った。
反論を試みる者は、一人として現れなかった。あの凍てつくような碧い瞳に射竦められ、異を唱えられる度胸を持つ貴族など、この国には存在しなかった。
母は、地下牢から釈放された。
それを実現させたのは、エリオットの権力ではなかった。腹違いの弟が、自ら行動を起こしたのだ。弟はカイルのもとへ幾度も直談判に訪れ、「自分が責任を持って面倒を見ます。厳重に監視もいたします。ですから、どうか母を牢から出してやってください」と、地に頭を擦りつけて懇願したという。弟の不撓不屈の熱意に屈する形で、カイルは特別に許可を下した。後から聞いた話では、弟は三度足を運び、三度とも誠実な態度で頭を下げ続けたという。
母は今、公爵家が管理する北方の静かな土地にある、小さな屋敷で余生を送っている。かつて激しく嫌悪し、蔑んでいた愛人の息子の献身的な世話を受けながら、静穏な生活を営んでいた。
エリオットは弟に対し、厄介な荷物だろうから無理に世話を焼く必要はないと告げた。
弟は、穏やかな笑みを浮かべて首を振った。
「自分がこうして十分な教育を受け、一人の人間として成人できたのは、義母上が自分を公爵家の次男として受け入れる決断をしてくださったからです。その恩義を、忘れることはできません」
どこまでも誠実な青年であった。母が死に物狂いで家督を死守しようとした愛人の子は、権力にも地位にも一切の執着を持たない、ただただ優しい男だった。母が一生をかけて恐れ続けたものの正体を知り、エリオットは切なさに目を伏せた。
(このような優しい弟が傍にいたというのに。もっと早くに歩み寄れていれば――いや、もはや過ぎ去ったことだ)
レオンのその後については――どうやら、ディートリヒと番になったらしい。
あれほど脱走を繰り返していた奔放なレオンが、いつの間にか騎士団長の掌中に収まっていた。事の経緯は知る由もないし、知りたいとも思わない。ただ、ディートリヒが「噛みつかれる感触も、悪くない」と愉悦を滲ませていたとカイルから聞いた際は、流石に失笑を禁じ得なかった。冷徹な騎士団長と、傲慢なオメガ。世の中の歯車とは、妙なところで噛み合うものだ。
先日、王宮の庭園で偶然その二人を見かけた。レオンが不満げに何かを喚きながら、ディートリヒの分厚い胸板を叩いていた。ディートリヒは微動だにせず、涼やかな顔でその様子を見下ろしていた。レオンの顔には、かつての計算された怯えも、甘い媚びも存在しなかった。素の感情で怒り、ありのままの声で叫んでいた。ディートリヒが何か短く言葉を返すと、レオンの顔は一瞬で真っ赤に染まった。それは仮面を脱ぎ捨てた、真実の表情であった。
もっとも、レオンは未だにカイルへの誘惑を諦めていないらしい。番であるディートリヒの目を盗んでは、隙あらばカイルに接近してくる。
「あいつ、まだ懲りずに続けているのか」
「ディークの独占欲を煽るための道具として利用されているだけだ。俺はただのダシに過ぎない」
そう話すカイルの表情には隠しきれない不機嫌が滲んでいた。毎回レオンに触れられるのは、彼にとっても不本意極まりないのだろう。
そのたびに「清めてくれ」と甘えてくるのだから、こちらの身にもなってほしいものだ。
(決して嫌ではないが。頻度があまりに多すぎる。もはやレオンは、俺たちの夜の生活における着火剤と化しているのではないか。それはそれで、問題があるような気もするが……)
――そして。
エリオットは今、その腹の中に、小さな命を宿していた。
紛れもなく、カイルの子だ。
カイルには、まだ伝えていない。体調の優れない日が続き、嘔吐が繰り返されるため医師の診察を受けたところ、懐妊を告げられた。その瞬間、頭の中は真っ白な空白に支配された。オメガとして目覚めてからの期間は、まだ一年にも満たない。懐妊に関する知識も皆無で、何もかもが手探りだった。医師の説明も、半分ほどしか意識に届かなかった。
だが――恐怖は、微塵も感じなかった。
アルファとして生を歩み、突然オメガであることを突きつけられた当初は、底知れぬ不安に苛まれた。偽りの人生を暴かれ、実の母に鎖で繋がれ、鞭で打たれた。それでも、隣には常にカイルがいた。あの碧い瞳が「お前は俺の番だ」と、揺るぎない肯定を送り続けてくれた。だからこそ、自暴自棄になることなく、前を向くことができたのだ。
前世で親しんだゲームとは、似ても似つかぬ物語となった。処刑される結末も、隠遁する結末も、どのルートにも存在しない未知の場所に、エリオットは立っている。これからは予測不能な展開しかない人生だ。だが――最愛の推しと共に一生を添い遂げられるのであれば。
この腹の中に宿る小さな命と、三人で未来を歩んでいけるのであれば。それは、いかなるハッピーエンドよりも幸福な結末であると確信できた。
窓の外から、近づいてくる馬車の音が聞こえた。
今夜は、王宮からカイルが泊まりに来る予定の日だ。エリオットは無意識のうちに、平坦な腹部へと手を添えていた。まだ膨らみさえ感じられないが、ここには確かに命が息づいている。カイルの血を引いた、愛おしい命が。
(彼は、どのような顔をするだろうか。感極まって泣くのだろうか。それとも、破顔して笑うのだろうか。あの実直な男のことだ。おそらく――最高の笑顔を見せてくれるに違いない)
エリオットは、弾む心を抑えて玄関へと向かった。扉を押し開けると、ちょうど馬車からカイルが降り立つところだった。残照の光を背負い、碧い瞳が瞬時にエリオットの姿を捉える。いつものように、眩い笑みが零れた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
差し出されたカイルの手を取り、指を深く絡めた。温かな、大きな手だった。エリオットの手を丸ごと包み込むような、揺るぎない温もり。
「カイル。今夜は、伝えておきたい知らせがあるんだ」
「いい知らせか?」
「ああ。――中で、ゆっくりと話そう」
繋いだ手を優しく引き、エリオットは屋敷の中へと歩き出した。
柔らかな春の夕暮れの風が、二人の背中を慈しむように、優しく押していた。
了
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
アルファポリス版ではカイルとエリオットの二人きりの愛を描きましたが、実はもう一つの可能性として、レオンも含めた三人で熱を分かち合う物語も存在します。
カイルとレオン、二人のアルファが同時にエリオットを蹂躙し、溺愛する「カイル×エリオット×レオン」ルートは、現在Kindleにて販売中です。
本作はKindle Unlimited(アンリミテッド)対象となっておりますので、会員の方は追加料金なしで、こちらの「三人の夜」の結末まで一気にお楽しみいただけます。
「三人がかりの激しい愛も見てみたい!」と思ってくださる方は、ぜひKindle版ものぞいていただけると嬉しいです。
改めまして、最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(3件)
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢の兄でしたが、追放後は参謀として騎士たちに囲まれています。- 第1巻 - 婚約破棄と一族追放
大の字だい
BL
王国にその名を轟かせる名門・ブラックウッド公爵家。
嫡男レイモンドは比類なき才知と冷徹な眼差しを持つ若き天才であった。
だが妹リディアナが王太子の許嫁でありながら、王太子が心奪われたのは庶民の少女リーシャ・グレイヴェル。
嫉妬と憎悪が社交界を揺るがす愚行へと繋がり、王宮での婚約破棄、王の御前での一族追放へと至る。
混乱の只中、妹を庇おうとするレイモンドの前に立ちはだかったのは、王国騎士団副団長にしてリーシャの異母兄、ヴィンセント・グレイヴェル。
琥珀の瞳に嗜虐を宿した彼は言う――
「この才を捨てるは惜しい。ゆえに、我が手で飼い馴らそう」
知略と支配欲を秘めた騎士と、没落した宰相家の天才青年。
耽美と背徳の物語が、冷たい鎖と熱い口づけの中で幕を開ける。
竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜
レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」
魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。
彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
悪役令嬢の兄でしたが、追放後は参謀として騎士たちに囲まれています。- 第3巻 - 甘美な檻と蹂躙の獣
大の字だい
BL
失われかけた家名を再び背負い、王都に戻った参謀レイモンド。
軍務と政務に才知を振るう彼の傍らで、二人の騎士――冷徹な支配で従わせようとする副団長ヴィンセントと、嗜虐的な激情で乱そうとする隊長アルベリック――は、互いに牙を剥きながら彼を奪い合う。
支配か、激情か。安堵と愉悦の狭間で揺らぐ心と身体は、熱に縛られ、疼きに飲まれていく。
恋か、依存か、それとも破滅か――。
三者の欲望が交錯する先に、レイモンドが見出すものとは。
第3幕。
それぞれが、それぞれに。
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
初夜の翌朝失踪する受けの話
春野ひより
BL
家の事情で8歳年上の男と結婚することになった直巳。婚約者の恵はカッコいいうえに優しくて直巳は彼に恋をしている。けれど彼には別に好きな人がいて…?
タイトル通り初夜の翌朝攻めの前から姿を消して、案の定攻めに連れ戻される話。
歳上穏やか執着攻め×頑固な健気受け
【完結】一生に一度だけでいいから、好きなひとに抱かれてみたい。
村松砂音(抹茶砂糖)
BL
第13回BL大賞で奨励賞をいただきました!
ありがとうございました!!
いつも不機嫌そうな美形の騎士×特異体質の不憫な騎士見習い
<あらすじ>
魔力欠乏体質者との性行為は、死ぬほど気持ちがいい。そんな噂が流れている「魔力欠乏体質」であるリュカは、父の命令で第二王子を誘惑するために見習い騎士として騎士団に入る。
見習い騎士には、側仕えとして先輩騎士と宿舎で同室となり、身の回りの世話をするという規則があり、リュカは隊長を務めるアレックスの側仕えとなった。
いつも不機嫌そうな態度とちぐはぐなアレックスのやさしさに触れていくにつれて、アレックスに惹かれていくリュカ。
ある日、リュカの前に第二王子のウィルフリッドが現れ、衝撃の事実を告げてきて……。
親のいいなりで生きてきた不憫な青年が、恋をして、しあわせをもらう物語。
※性描写が多めの作品になっていますのでご注意ください。
└性描写が含まれる話のサブタイトルには※をつけています。
※表紙は「かんたん表紙メーカー」さまで作成しました。
悪役神官の俺が騎士団長に囚われるまで
二三@冷酷公爵発売中
BL
国教会の主教であるイヴォンは、ここが前世のBLゲームの世界だと気づいた。ゲームの内容は、浄化の力を持つ主人公が騎士団と共に国を旅し、魔物討伐をしながら攻略対象者と愛を深めていくというもの。自分は悪役神官であり、主人公が誰とも結ばれないノーマルルートを辿る場合に限り、破滅の道を逃れられる。そのためイヴォンは旅に同行し、主人公の恋路の邪魔を画策をする。以前からイヴォンを嫌っている団長も攻略対象者であり、気が進まないものの団長とも関わっていくうちに…。
電子書籍版を読んで、違うエンディングがあると目にしてこちらにも訪れました。
どちらかというとこちらの方が好みでした。
素敵なお話を堪能させていただきました、ありがとうございました。
感想ありがとうございます!
好みのラストで嬉しいです。
こちらこそお話を最後まで読んでくださり、感謝しております。
ありがとうございます!
私も一気読みしました!
とってもおはなしが上手でどんどん読み進めてしまいました✨
表紙絵も綺麗で、それがあることによって頭の中でのお話の情景も想像しやすかったです。
ハッピーエンドがやっぱり良いですね💕︎
書いて下さりありがとうございました!
感想ありがとうございます!
一気読み、めっちゃ嬉しいです❤️
ありがとうございます。
ハッピーエンドいいですよねえ♪
楽しんでいただけて、嬉しいです。
一気に読んじゃいました。
エリオットに漸く幸せが訪れて良かったです。
もしその後の2人の話があったら是非読んでみたいです。
感想ありがとうございます!
すごく嬉しいです❤️
二人のその後の話ですね〜。
ちょっと考えてみますね♪
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!