年下αの一途な愛〜離さない、諦めない〜

ひなた翠

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第七章:君だけを

退職届

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 神宮寺記念病院の院長室の扉をノックして開けると、俺は中に入った。朝の光が窓から差し込んでいて、院長室全体が明るく照らされている。

父は机に座っていて、書類に目を通していた。ペンを走らせる音が静かに響いて、俺の足音に気づいて顔を上げる。

「何の用だ」

 父が冷たい声で言って、俺を見る。鋭い視線が俺を射抜いて、威圧感が漂った。俺は懐から封筒を取り出して、父の机の上に置く。白い封筒に「退職届」と書かれた文字が、父の目に入る。文字に驚いたのか父の目が見開かれて、信じられないという表情が浮かんだ。

「なんだこれは!」

 父が封筒を掴んで、怒鳴った。声が院長室に響いて、壁に反射する。父の顔が真っ赤になり、怒りで震えていた。

「見ての通り退職届です」
 冷静に答えると、父が机を叩く。ペン立てが倒れて、ペンが机の上に散らばった。

「この病院の後継ぎだろうが! 何を馬鹿なことしてるんだ」

 父が立ち上がって、俺を睨みつける。威圧的な視線を向けられて、普通の人間なら怯むところだろう。俺はもうすっかり慣れて、何も感じない。

「馬鹿じゃないですよ。正当なことをしています」
 答えて、視線を逸らさない。一歩も引かずに、父の視線を受け止めた。

「俺、専業主夫になるので」

 言葉に、父が固まった。口を開けたまま、俺を見ている。時計の秒針が進む音だけが、静かに響いた。

「――はぁ?」
 間の抜けた声を出して、首を傾げる。理解できないという顔で、俺の言葉を反芻している様子だった。

「先輩……妻が育休を取れる職種じゃないので、俺が子育てをするんです」
 説明すると、父の顔が引きつった。眉間に皺を寄せて、俺の言葉を理解しようとしている。

「……お前は何を言ってる?」
 父が眉間の皺を指で揉みながら、椅子に座り直す。力が抜けたように、椅子に沈み込んだ。

「だから、子どもが生まれたんです」
 言って、父の反応を窺う。呆然とした顔で、口が半開きになっている。

「先輩は開業医で仕事を休めないので、俺が子育てをします」

 父が息を呑んで、言葉を失っている。さっきまで赤くなっていた顔が真っ青になっていて、現実を受け入れられない様子だった。

「交際してたんじゃないのか?」

 父がやっと声を絞り出して、俺に聞く。震える声で、信じたくないという気持ちが滲んでいた。

「とっくに結婚してますよ」

 答えて、左手の薬指を見せる。結婚指輪が光を反射して、きらりと光った。シンプルなプラチナの指輪が、俺の指にぴったりと収まっている。

「番同士です。両家の親への挨拶は済ませています」
 父の顔が歪んで、拳を握りしめる。怒りを必死に抑えている様子だった。

「私のところには来てない」
 父が机に手をつく。指先が白くなるほど、強く机を押さえていた。

「母にはしました」
 顔が歪んで、苦しそうな表情を浮かべた。

「だって俺の親権って母親だったでしょう?」
 言葉に、父の血の気が引いていく。喉が動いて、何か言おうとしている。

「――んぐっ」
「俺が高校生のときにとっくに別れてるの知っていますよ」

 離婚をして、母がずっと俺の面倒を見てくれた。そもそも幼い頃から俺を育ててくれたのは母で父は何もしてくれなかった。そんな人間の顔色を伺い、結婚報告までする必要なんてない。

「交際は許した。お前が後継者になるって言うから――」
「え? 後継者になるなんて言ってない……『後継者として振舞ってもいい』って言っただけ」

 父が顔を上げて、俺を睨みつけてきた。

「一言も後継者になるなんて俺、言ってないから」

 父がわなわなと怒りに震えて、立ち上がろうとする。椅子が後ろに倒れて、床に転がった。大きな音が響いて、廊下にいる看護師たちが驚いたかもしれない。俺は父に笑顔を見せてから、院長室の扉に向かった。扉を開けて、振り返らずに院長室を出ていく。

(ああ、すっきりした)

 俺は満足感が胸に広がった。

 廊下を歩いて、産科へと向かう。白い壁が続く廊下を進んで、医師や看護師とすれ違った。挨拶されて、軽く頭を下げる。

 産科のフロアに到着して、ナースステーションの前を通り過ぎる。

 先輩の病室の前に立って、カーテンの隙間から中を確認する。先輩がベッドに座っている姿が見えて、「先輩、入ってもいいですか」と声をかけた。中から「どうぞ」という声が聞こえて、俺はカーテンを開けて中に入った。消毒液の匂いが鼻をつく。

 病室に入ると、先輩がベッドに座っていた。腕の中に赤ちゃんを抱いていて、優しい顔で見つめている。産まれたばかりの赤ちゃんが、小さな手を動かしていた。ピンク色の肌が柔らかそうで、小さな指が愛おしい。

 先輩の表情が穏やかで、母親の顔になっている。窓から差し込む光が先輩と赤ちゃんを照らして、神々しい雰囲気を纏っていた。

「先輩」

 声をかけると、先輩が顔を上げる。疲れた表情が浮かんでいて、出産の大変さが伝わってくる。

「幸せだなあ」

 呟いて、先輩と赤ちゃんを見つめる。胸が温かくなって、幸せな気持ちが溢れてくる。先輩が赤ちゃんを抱いている姿が美しくて、見惚れた。光に包まれた二人が、まるで絵画のように見える。

「ほう、幸せそうで何より」

 先輩がそう言って、俺を睨む。目が細くなっていて、明らかに不機嫌だった。

「僕は乳腺が腫れて痛いし、産む際にキレて縫った場所も痛いし、後陣痛で腹が痛すぎて、にこにこしているお前を今すぐにでも蹴りたい衝動に駆られてるよ」

 先輩が冷たい声で言うと、鋭い視線を向けてくる。。赤ちゃんを抱いていなければ、本当に蹴られていたかもしれない。

「先輩……」
 ぼやいて、先輩の隣に座る。ベッドの端に腰を下ろして、先輩の顔を覗き込んだ。

「出産を終えた妻を美しいと思って見惚れた俺の純真な心を踏みにじらないでください」

 言うと、先輩の顔が真っ赤になった。耳まで赤くなっていて、視線を逸らす。赤ちゃんに顔を向けて、俺を見てくれない。

「……馬鹿」

 先輩が小さく呟いて、赤ちゃんを抱き直す。赤ちゃんが小さく声を出して、先輩の腕の中で身体を動かした。

 俺は先輩の肩に頭を乗せて、赤ちゃんを一緒に見つめた。小さな命が俺たちの腕の中にあって、愛おしさが胸を満たす。赤ちゃんの柔らかい髪が光を反射して、天使のように見えた。

「ありがとう、先輩」
 囁くと、先輩が小さく頷いた。
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