リアル人狼ゲーム in India

大友有無那

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第1章 リアル人狼ゲームへようこそ(1日目)

1ー5 1日目夜

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(私は死ぬのか)
 首にチクリと刺さった直後、体中の力が抜けた。ぐらりと揺れた視界は霞みがかったままぐるぐる回り胃からは吐き気、心臓は異様に早く打ち普通ではないことが体内に起こっているのがわかる。
 最後に何を残そうーと手を伸ばし薄茶色の石の床を探る。石の継ぎ目の黒い線が目に入り、たどると水色に塗られた個室のドア下、縁に挟まった割れたヘアピンに行き着く。
 視界が落ち着いてきているのに気が付いた。鼓動はまだ早く、血流もどっどっと鳴って耳を押しまともとは言えないが体を支配していた不快感はかなり和らいだ。
(なら、これは処分ではなく警告?)
 ガラス戸を壊そうとした男たちが崩れ落ちたのはこの感覚だったのか。
 麻酔などと生やさしいものではないと直感した。量を抑えた劇薬のようで、増やされたならあの男ふたりのように殺されるー?
 思考がまとまってきてクリスティーナは恐怖に目を見開いた。
(麻薬かもしれない)
 留学時代に見させられた啓蒙動画を思い出して身震いする。一旦麻薬が入ったら人生破滅ではないか。
(いやそうなったらまともそうなNPO探して逃げ込んで薬断ちをすればいい。今はここを生き延びることだけを考えろ)
 ベッドの足元側の台の上で、黄色地に太く黒い文字列が点滅していた。

『警告! 警告! ルール違反です。
 警告! 警告! ルール違反です。』

 まだ胸で大きく息をしているうちにモニターの文章が変わる。

『ドアへの細工は施設への破壊行為です。
 1分以内に原状復帰しなさい』

 部屋に入る時ヘアピンをぽきりと割って床の上ドアとの隙間に滑り入れた。電子錠をいじる知識はないが戸が物理的に閉まりきらなければ何かいけるのでは? と考えたが見つかってしまった。
「ごめんなさい」
 見上げて言った声の弱さと思いがけず籠った媚び、手を伸ばし割ったピンを引き抜く惨めさが気持ちを塞がせる。
 
『二十三時になりました。これより五時までが夜の時間となります』
 やがて五分前から流れていたシタール旋律の音量が大きくなり、室内と廊下両方から繰り返しアナウンスされた。
 やらなければならないことは山積みだが今は疲れ切っている。泥のように眠りたい。いつもならこういう時は寝るのが一番、休んだ方が頭が働く! とベッドに倒れこむがそうもいかない。「狼」の活動時刻は二十四時からだ。
 何から手を付けようかという迷いはモニター画面の変化で消えた。
 カチリ。白地に普通の字体で文章が現れる。

『夜になりました。二十四時までの間に占星術師のあなたは誰かひとりの正体を占うことが出来ます。占いますか?』

 役が宣告される前クリスティーナは組み分け帽の前でのように人狼は来るな人狼は来るなと心の中で繰り返していた。占星術師と出た時、
(うわあっ)
 と思った。悪い方の落胆だ。人狼でなくて良かったがこれはまた危険過ぎる。情報を提供しなければゲームがまともな方向に進まないから犠牲になりやすい役ではないか。逆に良い点は、確実な情報を握れるところか。

『占いますか?  ジー(はい)/ ナヒーン(いいえ)』

 文章の横にケーキのように分割された円のイラストが入っている。西洋占星術のホロスコープのつもりだろう。日本で西洋式ホロスコープ図を知ったので理解出来るがインドでこれはない。北式のクンダリーだったとしても文句の一つや二つ飛ばしたいのに、それとも自分が日本帰りだからわざわざパーソナライズしたのか。とくだらない文句を脳内で垂れ流すのもこの後に緊張しているからだ。
 モニター前に置かれたリモコンを手に取り「ジー」を選択すると席順に四角く囲まれた中に数字と小さな顔写真が入った図が現れる。写真は監視カメラから撮ったもののようで表情は様々だ。
 先ほどのヘアピン挟みも体の陰でサッと動いたつもりだったがどこまで細かく監視しているのか。ともかく決めていたひとりを選択して出てきた結果に頷く。
 会議では例え話で出したが「占星術師」「タントラ」「武士」の村人陣営で使える役全滅はないと知っていた。自分が占い師だからだ。明日はどう出るか。

(なぜ最初に大事なことを訳さなかった?)
 責める言葉がまた胸をよぎる。
 闇の中、助けを呼ぼうとした少年の骸は揺れている。
 この場の皆のためにも次からはもう誤るまい。それが今シヴァムに出来るたったひとつのことだと自分に言い聞かせる。
 危険な役を引いたのも神の思し召しなのだろうか。

 行動を始める前にベッドの横に降りて跪き手を組んで祈る。
 主の祈り、それから自分たち誘拐被害者が全員が無事帰れますように。
 シヴァムたち失われた魂のために。
 リアル人狼ゲームを知る自分をどうか適切にこの場の人々のため働かせてください。


『わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください』


 昔おじいちゃんに聞いた。
 酷いことが続いてもなぜ「誘惑におちいらせず」と祈るのか。ただ悪から救い出して助けてとお祈りするのは駄目なのか?
 神様のお恵みが来るようにだよとおじいちゃんは言った。窪んだ目から子ども心にも悲しみが伝わる。
「私たちが正しくあらねば、もっと酷い悪が来る」
 もっと酷いことなんてあるのだろうか?
 おじいちゃんはぎゅっと抱え頬擦りをした。
「一番酷いこと、それはクリスティーナまで死んでしまうことだよ」


「生きなきゃ」
 声に出して前を向く。
 ろくに教会にも通っていないのにこういう時だけの神頼みに許しを請うと立ち上がる。
 ベッド奥の窓にはシャッター、というよりは鋼板に近い丈夫そうな一枚板が下がり視界は覆われていた。二十三時のアナウンスで静かに降りたのに動揺で気付かなかったのだろうか。閉じ込められたことをわざわざ実感させなくてもいいのに趣味が悪い。
(いや、デスゲームってそもそも悪趣味だから)
 人の命と心を弄び、あがくプレイヤーの弱いところ汚いところがぶつかり地獄の中で地獄を作り沈んでいく様子を楽しむのも「物語」ならそれでいい。
 本当にその舞台を作り私たちをぶちこんだ、シヴァムのような優しい子や他の人を軽く殺したお前たちを、私は許さない。
 見世物として楽しんでいるどこかの国の金持ち連中も許すものか。
 どうか力を。
「私は、闘う」
 

 シャワールームで服を脱ぎ手洗いする。血が飛んだ様子は見えなかったがそれでも念入りに洗い自分もシャワーを浴びる。クローゼットにはアーリヤー・バットに似合いそうな可愛いパジャマもあったが行動しやすい水色のシャツとジーンズを選ぶ。
 ベッドサイドにあった白い半円形のテーブルをそっと引く。次に持ち上げて靴先に噛ませそっと引いてみる。警告は来ない。なら大丈夫だろう。
 先ほどの薬の恐怖が奥深くに染みこみ一挙一動に警告が飛ばないかとびくつく。悔しい。
 移動したテーブルの直線部分をドアに押し付け上に椅子を乗せる。次にサルワール・カミーズのクリーム色の格子柄のドゥパタを引っ張り出し、片方をレバー式のドアノブに結びつけもう片方は、と見るが適当な場所がない。別のサルワール・カミーズのドゥパタ、緑の織りのストライプを結んで伸ばしクローゼットの丸いノブに結びつけた。
 これでドアが開けば確実に大きな音がする。時間も稼げるし寝落ちたままということはないだろう。ドゥパタの結び目に金庫に入っていたペンを差し込み、もう一本は枕の横、最後一本はその下に忍ばせた。これでも急所を刺せば武器になる。部屋へ引き上げる前に台所から包丁を隠し持ってくるつもりだったのだがそれどころではなかった。この失敗が命取りになったら、と考えてまたゲームの中に取り込まれ過ぎだと自分を叱る。
 小柄で非力でタラパティでもない自分には腕力で闘う術はない。けれど出来る限りの準備はしておく。
 ベッドのスプリングは上等で心地良い弾力が押す腕に返る。シーツもしっかりした生地で程よい滑り、素晴らしい寝心地だろう。
 眠れるならば。

 洗濯済みの服をドゥパタに掛け並べる。血が飛んだ服だと警告すれば一瞬の足止めになるかもしれないしどちらにしろ適当な干し場がない。
(いっそ洗わない方がよかったかも)
 血を忌避する人間向けにはより大きな武器になったかもしれない。本当に自分は考えなしだ。
 窓を開けると熱した外気が入り込み乾いた土の匂いがほのかに香る。撫でる程度に鋼板を押すがびくともしない。警告も来ない。工夫せずすぐにここから逃げ出すのは無理だ。何か考えよう。
 ノートに今日の出来事を最低限の簡潔さで記録し終えると枕の横に置き、ベッドの中にもぐり込む。瞼が重い。

 普通の人狼ゲームなら「狼」はシドかアビマニュ、次点で自分を狙うだろう。読みを混乱させたい狼は流れを整理出来る人間を嫌う。
 だがこれはリアル人狼で、しかもほとんどの人間がゲームを知らない。そして舞台は日本ではなくインドだ。
(今、皆はどう考えている?)
 27の番号のうち既に五人殺された。窓を壊そうとしたふたり、玄関を破壊しようとしたひとりにシヴァムとザハール。我々は命のかかった舞台に放り出された。
 気配を感じさせないためかひとつずつ空けた部屋に閉じ込められた二十二人は自分同様、殺される恐怖に脅えているだろうか、「狼」が「噛む」ことへの実感がないから漠然とした不安に苛まされているかもしれない。
 シドの言葉は「人狼」たちに響いただろうか。
 シヴァムがいなくなった現在の狼はふたりかひとり。敵は村人でも象でもなく、天井から偉そうに指図する誘拐犯たちだとの立場に立ってくれるだろうか。
(薬で警告されただけでもこんなに恐いのに)
 博奕はどう転ぶ?
 「武士」がいてシドを守るか他の何かでも最悪のことが起こらなければそれでいい。
 
 正体不明のゲーム運営に殺されるだけではなく、自分たちの手で殺すという線を早くも越えてしまった。同数投票狙いは失敗し、明日以降多くの人間はザハールを思い出してそれを拒絶するだろう。
(アイシャが狼だったら役者だけれど、そうは思えない。それに会議での処刑者を増やせば狼が吊られる可能性も高くなる)
 投票処刑者を出さねば村人は減らない。「人狼」の勝利条件には回り道になるが、「狼」にも悪いばかりではない。
(もし私が「狼」を引き当てていたらそうした?)
 首を横に振る。自分には人は殺せない。だけど黙ってなんて死ねない。

 今夜簡単に暴力に走った三人は要注意だ。
 自分の左隣、15番のサミル。25番プラサット、例の州知事後援者の息子ロハンの隣でいつの間にか彼の子分のように行動していた十二年生。あとひとりは確認出来なかったが前方の席だ。
 サミルはふるまいが荒く目付きにも暗い癖がある。まさか裏社会の人間だろうか。無駄に乱暴な行動をされたら悪い方向に流れかねない。誘拐犯との対決に持ち込めた時には使えるかもしれないが。
 プラサットは流されやすい乱暴者のようでこれもまずい。
 親分を気取っていたロハンは意外にも動かなかった。ああいう奴はどう出るかわからないと注意していたが、終始椅子から立とうともせずただ状況を見守った。ほざく割には落ち着いているのか、行動は手下の役目だと決めているだけなのか。
 怖がりな人間ほど突拍子も無い行動に出る。
 クリスティーナはよく知っていた。自分がそうだからだ。

ーーーーー

 「象使い」は怒っていた。ここは「ゲーム会場」だと言うが当たりが悪すぎる。自分で出来ることがほぼない酷い役だ。
 「象」と「子象」が生き延びなければ勝てないが、誰かわからないから協力も出来ない。「村人」「人狼」両陣営から目の敵にされる彼らが役を明かすことも考えられない。
 なら自分が公表したらどうかと思い付いた。勝利条件では村人扱いならば多数派の「村人」は自分を処刑しない。そのうち「象」の方から協力をもちかけてくるのではー思考を展開していくうちに現実的でないとそれも排除した。誰が狼かわからないのに誰かを処刑しなくてはいけないなら、敵扱いの「象使い」は簡単に票を集めてしまう。
 日本帰りが指摘していたが、最悪「象」も「子象」も死んだ中に入っていて既に勝ち目はない可能性もある。

 ルールブックを読み返し頭を抱えていた「象使い」は、ならば脱出の方に多くかけようと目標を変えた。

ーーーーー

 「人狼」は言った。
「処刑されるのはヒンドゥー教徒以外、または低カースト、または女。
 ならば高カーストのヒンドゥーはいい」

ーーーーー

 テキストアプリに長々とプログラムを打ち込む。何回か見直してからエンターを押した。

ーーーーー

 窓の外を覆う鋼板を上下左右と手のひらでなぞり様子を探る。次にタブレットを窓枠に乗せその光を頼りに上部を覗く。
「滑車はここかー」

ーーーーー

 彼女は点滅するモニターを見つめた。どうにも意味がわからず脅えた。






<注>
・アーリヤー・バット ボリウッドのトップ女優のひとり。
・ドゥパタ 女性が着るサルワール・カミーズは上着(サルワール)とズボン(カミーズ)、ショールの三点セット。そのショールのこと。
・クンダリー インド占星術のホロスコープ図。四角に囲まれた形で北インド式と南インド式がある。クリスティーナ出身のタミルナードゥ州はインド南部にあたる。
・タラパティ タミル語で「大将」。タミル映画の男性トップスターにはこの冠名で呼ばれる者がいる。

※「主の祈り」はカトリック中央協議会サイトの訳を引用しました。


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