リアル人狼ゲーム in India

大友有無那

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第8章 宣戦布告(新5日目)

8ー1 ベジタリアン食堂の朝(新5日目朝)

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「後でイムラーンさんがトーシタに英語のリスニングのコツ教えるんだって。私達も聞かない?」
「お邪魔じゃないかな」
 隣でダルを口に運ぶにダルシカにレイチェルは返した。
 ダルシカの手食は上品で美しく匙のようだ。食事の度にレイチェルは見とれる。

 トーシタには格好いいイムラーンお兄さんとふたりでのちょっとしたデート気分ではないか。のこのこ顔を出すのは気が引ける。
(わたしはもうちょっと緩いっていうか、優しい男の人の方が好きだけど)
 彼は女子に人気が出るタイプだ。
「聞くだけなら大丈夫だよ。イムラーンさんはいいって言ってくれた」
 本人はこのダルシカと同じお堅さでそちら方面にはさっぱり気が回らない。
(ダルシカのこういうところはむしろ好きなんだけどさ)
 あの大人っぽい年下の少女にちょっとばかりレイチェルは同情する。

 能力が下の者から上は測れない。
 英語で筆記通訳を続けられるイムラーンも普通に会話出来るダルシカもどちらも凄いと思うが、彼女が勉強させてほしいと思うくらいイムラーンの英語力は高いのだろうか。
 彼らなら大学で普通に英語で授業が受けられる。
 自分にはとても無理だ。思うと家に帰りたくなくなる。


「やり方とか出来たか出来なかったじゃねえよ。現実にラディカは外に出てたじゃねえか」
「ドアの電子錠も開けて、ですか?」
「あいつはずっと工場に勤めてたんだろ? だったら機械には詳しいんじゃねえか」
 そうかも、とロハンにプラサットが呟く。
 食堂から聞こえる声にラクシュミは呆れた。
 織物工場で働いたら爆弾が作れたり電子錠が解錠出来るのか。
 本人は否定したが機械工学専攻のスンダルや、鉄加工業のラジェーシュの方がまだ理解は深いだろう。

 だが責められない。一番呆れるのは自分の失態だ。決まりが悪い。
 マーダヴァンとイムラーンの組み合わせで女の子に酷いことはしない、理解すれば良かったのに慌ただしさと睡眠不足、そこからの不調でとっさの判断を誤った。今朝の自分は完全にコントロールを失っている。
 ラクシュミが少しの気絶から意識を取り戻すとマーダヴァンは脳震盪を心配し安静を勧めた。イムラーンが泣きそうな顔で良かったと繰り返しより気恥ずかしくなった。六時過ぎ、礼拝室でのお祈りのごく最初にだけ顔を出し、その後部屋のベッドで少し休んだが結果としてこれは良かった。
 ミラーワークの布を全てひっくり返し水をかけた行動も説明し損なったので、当初未明の「建物損壊」をこの暴挙のことだと勘違いした者が出たという。

 全ての布で裏のミラーは三カ所、小さなレンズに替えられていた。
 説明して悲鳴を上げたのはアンビカだ。
 ベッドシーツがミラーワークだという。男性も含め過半数のシーツがそれでちょっとした騒ぎになったがスンダルが、
「ピント合いませんから。空調も効いているし真っ裸でなんて寝てないでしょう。なら大丈夫です」
 デリカシーのない話し方にダルシカとレイチェルの未成年組が顔を赤らめたものの何とか場は収まった。

 爆弾魔との「会話」布巾だけではなく、「連中」に知られたくないことを大テーブルのミラーワーク布の下で筆談することもあったが、それも文字が読めるほどには都合良くピントは合わない。
 だが手元が映れば無記名の布巾会話でも誰が書いたかはわかるかもしれない。
『特に私達ヒンドゥーは何か付けている人がほとんどだから』
 ラクシュミもジョーテーシュから割り出したお守り宝石の指輪を複数、規定の曜日・規定の回数マントラを唱えてからその惑星にふさわしい指に付けている。
 布の下なら秘密が隠せるなどとんだお笑い草、もっと警戒が必要だった。
 彼らのあざ笑う声が聞こえる心地がする。
(……)


 朝食の台所ではダルシカとレイチェルのちょっと危ういふたりよりもウルヴァシが主に動いていた。言葉数は少ないが手際は良い。が味は少し自分の好みとは違う。塩が足りないのか味はぼやけ、それでいて茄子やカリフラワーなど野菜の風味は引き立たずチリに隠されてしまっている。
 三人を食堂へ送り、休ませてもらった代わりに追加のチャパティ焼きを引き受けた。合間に鍋へも少しスパイスを加え味を調整する。
 今は台所という寺院にいる最中、余計なことは考えないー決意しても食堂から会話が流れてくるなら難しい。
 自分はまだまだ意志が弱い。神の姿を脳裏に描き口の中でマントラを唱える。


「何らかの手段でシャッターを破壊したとして、出て行かなかったのは何故なんだろう」
 マーダヴァンの声。
 ノンベジ食堂の角を曲がって二つ目のシャッターの下の隅に、人ひとり通れるほどの穴が開いていた。バスルームの天井点検口より少し大きいくらいのサイズだ。外から木の板で塞いだのは連中だろう。
 穴のすぐ横の柱には白いチョークで、

『Good luck!』

 そしてbに丸。布巾の書き付けと同じだ。
「銃撃されたんじゃないですか。おれの時みたいに」
 プラサットは今も毎日包帯を替えている。痛みもまだ残るが腕は普通に回せるようになったと言う。
「銃の音は誰も聞いていないのではないでしょうか」
 とのダルシカに、
「爆発とは音の大きさが違うだろうが」
 ロハンが少し声を低めて返す。
 爆弾魔のことは言ってはならない。「連中」に気取られてはならないから。
 だが布下にはカメラがあり、大きな音と破壊跡の後、ひとり先に脱出しようとして失敗したらしいとくれば投げやりにもなってくる。

「それでは時間が合いません。男の方たちに寄ればー」
 複数人が爆発音らしき音を聞いたのがアナウンスで叩き起こされる直前。
(私の夢もその音から汲み上げられたものだったのか)
 三時過ぎから遺体発見の朝五時過ぎまで二時間もない。
「私はラディカさんの服を整えるのに参加しました。その時指の先は既に固くなっていたんです。死後硬直は顎から始まるのですが末端に来るまで数時間かかります。目も白濁が進んで曇り瞳はよく見えませんでした。これも数時間ー」
「止めようよっ! そういうの恐い」
 レイチェルが袖を引く。
「どうして? これは科学的見地からー」
「おれも恐えよ。リアルに考えちまうとよ」
 離れた席からプラサットも投げた。
「だけど……」
「ダルシカ。人が恐がっていることを言うのは良くないよ。夜の会議で必要なら話していいと思うけど、今は食事中だ」
 マーダヴァンがたしなめるのにしゅんと俯く。
「君が言いたいのは、科学的見地からすればラディカが三時過ぎに亡くなったというのはおかしい。そういうことでいいかな?」
 はいと彼女は答える。

 科学的なのか探偵物からなのかは疑わしい。
 だが口を出してくれたのは助かる。ラディカ=爆弾魔で脱出に失敗し殺された、という筋には早急に訂正が必要だ。
 布巾として作られた物を紙扱いにし文字を書き連ねるのは好きではないが背に腹はかえられない。

 チャパティの籠を右腕に、手には今書いて二つ折りにした布巾を挟み食堂へ出る。
「開かないで読んで」
 それから回せとマーダヴァンに布巾を渡す。お代わりを求める者たちの皿にチャパティを置く合間にちらりと様子を窺う。

『「爆弾魔」との布巾一式は「連中」に読まれるのを防ぐために今朝まで私が保管していた。
 その際ページ数を振っている』

 話の流れがわからなくならないように最初の爆弾魔の宣言を含め計三枚、表裏で6ページ目まで記入した。

『最後の「爆弾魔」のメッセージはその後だ』

 昨夜までの書き込みはタブレットで撮っている。
 あの「Good luck!」は今朝までなかった。

 マーダヴァンは細く開いた布巾を凝視した。
 その後ロハン、プラサットとそれぞれ驚きを隠さない。ダルシカはあまり顔色は変えず他の者より長く文面を見つめてからレイチェルに回す。彼女は困り顔でダルシカに顔を向け、最後に少し離れた席で淡々と食事を進めるウルヴァシへ回す。彼女はきゅっと目を見開いたが静かに文章を吟味するとこちらを見た。
「置いておいていい。下に向けて」


「ラクシュミさん、俺パウバジ食いたいんですが……。明日の朝どうですか?」
 ノンベジ食堂では出たそうだとロハンが下手に頼んでくる。
 「明日」の朝、を無邪気に言えるのは彼くらいだと呆れつつ返した。
「パウバジは数えるくらいしか作ったことはない。私は、あれは外で食べた方がいいものだと思っている」
 ラクシュミが母から習ってきたのはお客様用のもてなしメニューも含めてあくまで家庭料理で、
「人には出せない。誰か得意な人がいたら」
 レイチェルとダルシカは顔を見合わせ共に否定で大きく首を振り、ウルヴァシも作り方をよく覚えていないと断った。

「Gitsのレトルトならあるでしょ? あれ評判いいけど」
 肩を落としたロハンは、チャパティ三枚を置いたラクシュミを見上げ口を開いた。
「……ラディカは『狼』だったんでしょうか」
「私は今火の神アグニに奉仕している最中。とても大事なこと」
 それが料理だ。一方、
「昨夜から今朝にかけての出来事を吟味するのも私達の生死に関わる大事なこと。大切なことふたつを片手間では出来ない」
 食事と片付けが終わったら広間に出るからそこで聞いてくれと台所に戻る。

 「人狼」は新入りふたりのうちのひとり、または両方。
 自分たち前からの人間の中に1人かふたり。
 「狼」でない可能性が濃厚なのが「タントラ」のマーダヴァン、次に行動からロハン。後は誰が「人狼」でもおかしくない。
 アビマニュは言い残した。もう無駄撃ちする余裕はないー

 爆弾魔はラディカではなく生存者たちの中にいる。
「なら昨日は『狼』仕事はなかったのかな」
 とプラサット。
 それはない。夜に誰かを襲わなければ全「人狼」が殺され「ゲーム」は終わる。
(ってルールだったと思うけど)
 あやふやだ。後でタブレットのルールブックを確かめよう。
 最早「人狼ゲーム」のルールについて頼り確認出来る人は誰もいない。

 自分が排除されたトーシタの「相談」では何が話されたのだろうか。マーダヴァンは夜の会議でとしか言わない。
 アビマニュは「人狼」だけでなく「象」の存在にも気を付けろとも警告していた。
 昨夜「狼」が襲撃したのは「象」だったのではないか。それで犠牲はなくルール違反のラディカだけが殺されたー
(それなら。それならどうする……?)
 火の神様に全く気持ちが入っていない。自嘲して食材を片付けにかかる。
 ラクシュミは他人の食器を洗わないのでこれが終われば食事に移ることが出来る。その後で広間にいる者と話せばいい。朝の会議を提案する者も時間を決める者もおらず、ラクシュミもそこまでの必要はないと思った。
 自分はアビマニュやクリスティーナの代わりにはなれない。
 彼らとは違う方法でこの集団を守る努力をするしかない。


 最後のお代わりだとダルを配って歩く。
「マーダヴァンさん喧嘩するんですか」
「しないよ」
 プラサットの質問に笑い含みでマーダヴァンが返す。
「わたしの職場では割り切れないことがよく起こる。かけがえのない人を失ったり、突然体の機能を失ったり……」
 アビマニュやクリスティーナ、ファルハの面影がラクシュミの脳裏を通り過ぎる。
「……やり切れない気持ちをドクターにはぶつけられないからってこっちに向けたり、ドクターに向かいそうになった時には間に入るから、暴力を受けることは結構ある」
「……」
「だけど男に殴られた時よりもラクシュミさんの衝撃は凄かったです。驚きました」
(……)
 古武術をかじったと言うとロハンに流派の名前を聞かれる。答えれば、
「舞踊ですか」
「そう」
 古典舞踊の基礎として武術を習ったことをさっと理解してきた。
「あのですねラクシュミさん、お願いしますから手加減してください。本当に死にますから」
「手加減してもらったからわたしが生きているんだろうが」
 マーダヴァンがからから笑う。柔らかい話し方とは裏腹に彼は肝が据わっている。
 率直なところロハンだったら振り切ったかもしれないが、マーダヴァンということで力を抑えたのは確かだ。
「心も意志の強い方だとは思っていましたが、腕力まで強いとは感服しました」
「……そうなれるよう努力はしている」
 普段は堂々と受けるが今は褒められても気恥ずかしく、これがやっとだ。

「マーダヴァンさんもいつも冷静で凄いなって思ってます」
「どうだろう。理不尽なことが多すぎて心が麻痺してしまっているだけかもしれない」
 憧れる目のプラサットにマーダヴァンは低く返した。
 
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