129 / 152
第10章 ムンバイへの道(新7日目)
10ー3 平穏なドライブ(新7日目)
しおりを挟む
ロハンがまず指摘したのはプネーの方が近かったのではとの点だった。
「わざわざムンバイまで行かなくても良かったんじゃねえかよ? お前、このルート通ったことない?」
「いえ」
助手席でライフルの紐を肩に掛けたままプラサットは前方に目を遣る。
時々対向車が通り過ぎるだけの暗い国道を車は順調に進んだ。昼は酷暑でも今の時間はそこまで暑くはなく、言われていた襲撃もない。眠くなるほど平和な旅路だった。
他州からムンバイのカレッジに来ているロハンからすれば自分は地元民だが、ムンバイ外となると土地勘はないに等しい。
プネーは州内ではムンバイに次ぐ大都市で最近メトロも開通した。大きな警察署もあるだろうから首輪にも対応出来そうだし、村長への賄賂で自分たちを握りつぶす類いもないだろう。
だがムンバイとは反対方向で今更どうにもならない。
「なあ、ロナヴァラでもいいんじゃねえか」
次の指摘はもっと経ってからだった。
路肩の標識がもう少しでロナヴァラの市街地に入ることを告げていたのにはプラサットも気付いていた。
「……ですね」
ロナヴァラもそれなりに大きな街だ。
「警察どこだろうな……。お前ロナヴァラはわかるか?」
首を横に振る。
「ガキの頃一度連れて来られただけっす。君は?」
後部座席、ぎちぎちに身を寄せ座っているレイチェルに声を掛けるがやはり知らないという。州外のトーシタは問題外だ。
「携帯があればな」
ロハンが舌を打つ。
地図も警察署の位置もスマホで検索出来れば訳もないが、その手の物は車内にない。首輪への指示がネット経由で行われているため避けるよう指示されている。
街中でフリーWi-Fiが動き出す朝までにムンバイ北東部の大きな警察署へ逃げ込む、というのがチャットで決まった計画だ、がー
(ラクシュミさんたちは、どうしてロナヴァラへって言わなかったんだろ?)
プネーが近かったら何故そちらへと考えなかったのか。
胸の中、疑いが芽を出す。
自分たちのうちで最も賢かったのは、エリートのラクシュミでも大学院生のクリスティーナでも、インド工科大生のマートゥリーでもない。
ダルシカだープラサットは思っている。だがもういない。
あの子を殺したウルヴァシが吊された時には歓声を上げたくなった。
「兄貴は凄いな。おれは何も気付かなかった」
風の流れが変わったのか木々の枝が道路にせり出すように揺れ出す。
「おれ、これで仕事務まるのかな」
運転席に首を向ける。
「平気だろ」
ロハンの返しは軽い。
「叔父さんの紹介だったか?」
頷く。
叔父の取引先から複数の職場候補が見繕ってあり一度顔合わせに、とこちらに連れてこられる二日前に話があった。
頭はそう良くない。というと何故か人は手先の方は器用だと期待する。プラサットはそちらも駄目だ。
「おれが職場でやらかしたら、叔父さんの顔を潰すことになっちまうから……」
「悪いな、脅しすぎたかな」
ロハンは大口を開けて笑った。
「そりゃあビジネスの場ってのは騙す奴もズルい奴もそれなりにいるが、そればっかりじゃねえ」
信頼出来る人間を見極める。そして、
「人・文書・金。この三つの動きさえ意識しておけば問題ない」
さすがだ。だが、
「おれは兄貴みたいに役員になるとかじゃねえから書類は関係ないかな」
学生ながら役員会議で書類にサインするロハンとは違う。
「バーカ! どんな仕事だろうと役人共の許認可は絡んでるぞ。見えない所で文書は動いている。そいつを想像しておけって話だ。……叔父さんはお前のことよく知ってるんだろ? だったらちゃんと合う所に話を付けてると思うぞ」
レイチェルは震えた。
一度車を止めてもらいトーシタと左右を代わり、今は助手席プラサットの後ろで身を縮めている。
勉強は苦手だ。だが進学しなければ仕事をすることになる、という方が頭からさっぱり抜けていた。
ロハンやプラサットとは違い自分は普通の庶民だ。
両親が仕入れの話、資金繰りと真剣な顔で話しているのは家にいれば耳に入ってくる。いつもくたくたでお仕事は大変だと子どもの時から知っている。
大卒ではなく仕事を探すとなれば販売員か工房・工場あたりだろう。だがそこにはもう、ラディカやセファのように七年生くらいの頃から働いているベテランが居る。彼女たちは世の中を知っている雰囲気で落ち着いていた。
高校を出てからで着いていけるのだろうか。
「?」
体の緊張に気付いたトーシタが不思議そうにこちらを覗いてくる。
至近距離からだと何か見透かされそうで気恥ずかしい。
「あのー! 一度どこかで止めていただけますか。用を足したいので……」
前の席に呼びかけた後半、声が小さくなる。家族でもない男の人に言うのははしたないが今は仕方ない。
「ああ。そこら辺でいいかな」
ロハンは何ということもなく応対し間もなく車を止めた。
左手荒れ地の数十メートル向こうに何本か木が生えている。身を隠すには良い場所だ。
「Pee」
と囁いて指せばトーシタもすぐ頷く。
「ちょっと待ってろ! 街も近いし人が居たらまずいから見てくる」
ポンとドアを開けてプラサットが駆けていった。戻って来て、
「行ってきな。おれが見張っているから」
助かる。「ああいうこと」を企てたロハンには信用がおけない。
車に戻るとロハンがこのまま後続組を待つと告げた。
「警察なら知事閣下のことも効く。皆が早く安心出来る方がいいだろ」
汗がシャツに浸みかなり経ってから、
「アレだ!」
ぶわん、ぷわーん!
ハンドルに手を延ばしロハンが警笛を鳴らした。
どこかからほのかに甘い花の匂いが運ばれてくる。二度目の建物に閉じ込められてからは嗅ぐこともなかった香りだ。
「オーイ!」
プラサットに習いレイチェルとトーシタも軽トラックへ両手を振る。
ジャキッ!
近寄ってきたスンダルが言葉もなくライフルを構えた。その右腕には包帯が巻かれている。
(っ!)
運転席の窓からは、ラクシュミが両手で支えた小銃もこちらを狙っていた。
<注>
・メトロ 地下鉄ではなく高架の都市高速鉄道
「わざわざムンバイまで行かなくても良かったんじゃねえかよ? お前、このルート通ったことない?」
「いえ」
助手席でライフルの紐を肩に掛けたままプラサットは前方に目を遣る。
時々対向車が通り過ぎるだけの暗い国道を車は順調に進んだ。昼は酷暑でも今の時間はそこまで暑くはなく、言われていた襲撃もない。眠くなるほど平和な旅路だった。
他州からムンバイのカレッジに来ているロハンからすれば自分は地元民だが、ムンバイ外となると土地勘はないに等しい。
プネーは州内ではムンバイに次ぐ大都市で最近メトロも開通した。大きな警察署もあるだろうから首輪にも対応出来そうだし、村長への賄賂で自分たちを握りつぶす類いもないだろう。
だがムンバイとは反対方向で今更どうにもならない。
「なあ、ロナヴァラでもいいんじゃねえか」
次の指摘はもっと経ってからだった。
路肩の標識がもう少しでロナヴァラの市街地に入ることを告げていたのにはプラサットも気付いていた。
「……ですね」
ロナヴァラもそれなりに大きな街だ。
「警察どこだろうな……。お前ロナヴァラはわかるか?」
首を横に振る。
「ガキの頃一度連れて来られただけっす。君は?」
後部座席、ぎちぎちに身を寄せ座っているレイチェルに声を掛けるがやはり知らないという。州外のトーシタは問題外だ。
「携帯があればな」
ロハンが舌を打つ。
地図も警察署の位置もスマホで検索出来れば訳もないが、その手の物は車内にない。首輪への指示がネット経由で行われているため避けるよう指示されている。
街中でフリーWi-Fiが動き出す朝までにムンバイ北東部の大きな警察署へ逃げ込む、というのがチャットで決まった計画だ、がー
(ラクシュミさんたちは、どうしてロナヴァラへって言わなかったんだろ?)
プネーが近かったら何故そちらへと考えなかったのか。
胸の中、疑いが芽を出す。
自分たちのうちで最も賢かったのは、エリートのラクシュミでも大学院生のクリスティーナでも、インド工科大生のマートゥリーでもない。
ダルシカだープラサットは思っている。だがもういない。
あの子を殺したウルヴァシが吊された時には歓声を上げたくなった。
「兄貴は凄いな。おれは何も気付かなかった」
風の流れが変わったのか木々の枝が道路にせり出すように揺れ出す。
「おれ、これで仕事務まるのかな」
運転席に首を向ける。
「平気だろ」
ロハンの返しは軽い。
「叔父さんの紹介だったか?」
頷く。
叔父の取引先から複数の職場候補が見繕ってあり一度顔合わせに、とこちらに連れてこられる二日前に話があった。
頭はそう良くない。というと何故か人は手先の方は器用だと期待する。プラサットはそちらも駄目だ。
「おれが職場でやらかしたら、叔父さんの顔を潰すことになっちまうから……」
「悪いな、脅しすぎたかな」
ロハンは大口を開けて笑った。
「そりゃあビジネスの場ってのは騙す奴もズルい奴もそれなりにいるが、そればっかりじゃねえ」
信頼出来る人間を見極める。そして、
「人・文書・金。この三つの動きさえ意識しておけば問題ない」
さすがだ。だが、
「おれは兄貴みたいに役員になるとかじゃねえから書類は関係ないかな」
学生ながら役員会議で書類にサインするロハンとは違う。
「バーカ! どんな仕事だろうと役人共の許認可は絡んでるぞ。見えない所で文書は動いている。そいつを想像しておけって話だ。……叔父さんはお前のことよく知ってるんだろ? だったらちゃんと合う所に話を付けてると思うぞ」
レイチェルは震えた。
一度車を止めてもらいトーシタと左右を代わり、今は助手席プラサットの後ろで身を縮めている。
勉強は苦手だ。だが進学しなければ仕事をすることになる、という方が頭からさっぱり抜けていた。
ロハンやプラサットとは違い自分は普通の庶民だ。
両親が仕入れの話、資金繰りと真剣な顔で話しているのは家にいれば耳に入ってくる。いつもくたくたでお仕事は大変だと子どもの時から知っている。
大卒ではなく仕事を探すとなれば販売員か工房・工場あたりだろう。だがそこにはもう、ラディカやセファのように七年生くらいの頃から働いているベテランが居る。彼女たちは世の中を知っている雰囲気で落ち着いていた。
高校を出てからで着いていけるのだろうか。
「?」
体の緊張に気付いたトーシタが不思議そうにこちらを覗いてくる。
至近距離からだと何か見透かされそうで気恥ずかしい。
「あのー! 一度どこかで止めていただけますか。用を足したいので……」
前の席に呼びかけた後半、声が小さくなる。家族でもない男の人に言うのははしたないが今は仕方ない。
「ああ。そこら辺でいいかな」
ロハンは何ということもなく応対し間もなく車を止めた。
左手荒れ地の数十メートル向こうに何本か木が生えている。身を隠すには良い場所だ。
「Pee」
と囁いて指せばトーシタもすぐ頷く。
「ちょっと待ってろ! 街も近いし人が居たらまずいから見てくる」
ポンとドアを開けてプラサットが駆けていった。戻って来て、
「行ってきな。おれが見張っているから」
助かる。「ああいうこと」を企てたロハンには信用がおけない。
車に戻るとロハンがこのまま後続組を待つと告げた。
「警察なら知事閣下のことも効く。皆が早く安心出来る方がいいだろ」
汗がシャツに浸みかなり経ってから、
「アレだ!」
ぶわん、ぷわーん!
ハンドルに手を延ばしロハンが警笛を鳴らした。
どこかからほのかに甘い花の匂いが運ばれてくる。二度目の建物に閉じ込められてからは嗅ぐこともなかった香りだ。
「オーイ!」
プラサットに習いレイチェルとトーシタも軽トラックへ両手を振る。
ジャキッ!
近寄ってきたスンダルが言葉もなくライフルを構えた。その右腕には包帯が巻かれている。
(っ!)
運転席の窓からは、ラクシュミが両手で支えた小銃もこちらを狙っていた。
<注>
・メトロ 地下鉄ではなく高架の都市高速鉄道
0
あなたにおすすめの小説
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる