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第4章 いつまで耐えねばならないのか(4日目)

4ー6 敵意

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「ダウドはどこだ」
 一時過ぎ。
 ベジ・ノンベジ双方で昼食が提供され始めた頃にナラヤンが騒ぎ出せば誰もがスティーブンのことを思った。館内を探すナラヤンにマリアがそっと近付きラジューからの伝言を告げる。ダウドは考え事をしたいと一階のバスルームに篭っていて、
「そっとしておいてあげた方がいいんじゃないかって」

(何やってんだ?)
 思いつつナラヤンは広間奥の使用人スペースへ向かう。
「ダウドいるのか? もうメシの時間だぞ」
 クリーム色の引き戸を小さく叩く。反応はない。繰り返した後に、
「開けるよ」
(!)
 右側の水場の横にダウドが右半身を下に倒れていた。
「オイっ! しっかりしろ!」
「う……っっ……」
 口元には少量の戻した跡。背に腕を入れ仰向けにしようとしてはっとする。吐いた物が気管に入らないようにまずうつ伏せにして背中を叩こうとする。が自分より体格のいい彼を支えるのは難しい。
「おーい! 男子、手伝ってくれ!」
 開け放したドア向こうに叫ぶ。
 寄ってきた中アッバースがダウドの顎を開かせ、ルチアーノが布巾を手に口内の吐瀉物を拭い取る。
「あ……あ……ううう……」
 震えか痙攣か小さく動く腕。意識なくうめく。
「ダウド!」
 部屋に運ぼうと同室のバーラムを目で探すがいない。食堂か?
 スティーブンだったらこういう時どうした?
 小さな足音を立てて来て後ろから覗く姿にナラヤンは唸った。
「ラジュー。どういうことだ?」



「何で犯人扱いするの? そういうのは差別だってルチアーノも言ってたじゃない?」
(マリア止めてくれ!)
 顔を見られても反応に困る。とアディティの、
「マリア。ラジューに話してもらった方が無駄な疑いはなくなると思う」
 落ち着いた声にほっとする。
 広間の時計を背にした側に脅え顔のラジューが座り、正面にアッバース。はさんでスレーシュとイジャイが窓側のソファーに陣取る。ルチアーノは少し離れた後ろに立っていた。アディティら女子はテーブル横に立ちマリアだけがラジューの背後で他の全員に立ち向かうような表情を見せる。

「ラジュー。俺はあの場所に今日初めて入った。他の皆も同じだと思う。あのスペースについては君が一番よく知っているから話を聞かないと俺たちは何も判断出来ない。だから教えてくれ」
 丁寧に言えばラジューは頷く。
 これは半分だけが本音だ。ナラヤンたちが疑うようにラジューがダウドを害そうとしたのか違うのか、ルチアーノには判断がついていない。 
 ざっと目を動かしマリアに反応がないのを見とってから右手を上げる。
「じゃあ俺から最初に。君が最後にバスルームを使ったのは女子棟の掃除が終わってから、でいいかな?」
「はい」
「何時頃だった?」
「女の方の所からは時間に出ないとお困りになるだろうと思いまして、マリア様に聞いてかなり気をつけていました」
「『様』付けは止めてって言ったよね?」
 言うマリアにはあ、と顔を伏せ頬を赤らめてからラジューは背後に首を向ける。
「最後の作業が水場でしたが、確かめていただいた時が十二時八分でしたよね?」
「うん!」
 間もなく作業を終えて女子棟を出たので、
「十二時十五分にはこちらに戻って来たと思います。そこでマリア様が台所の方に呼ばれて、わたしもベジの台所に入らなくてはと沐浴しに行きました」
「マリアが台所に入ったのは何時頃だった?」
「特に時計は見なかったけど、ニルマラに呼ばれたの」
「青菜の日持ちを相談したかったんだけど時計は見ていないから」
 十二時過ぎは確かだがそれ以上はわからないとニルマラは首を傾げる。

「湯は出ねえ時間だぞ。この寒いのにシャワーを浴びたってのか」
 ヴィノードが詰問した。
「寒いです」
 ラジューも即答した。
「特にこちらの冬は。ですがお母さんが台所に入る前には身を清めると言ってましたので。こちらではそうしないんですか?」
 南のケララなら今月でもセーターを着るほどには気温は下がらないだろう。
「家は手を洗うだけ」
「暑い時期はシャワーするけど」
「昼はわざわざはしないよ」
 ひとしきり女子が言い合うのに被せて、
「沐浴終えてから洗面……水場は使ったか?」
「いいえ」
 アッバースにラジューが答える。
「なら最後に使ったのはいつ?」
 ルチアーノは尋ねた。
「その前です。シャワーの前にトイレに行ったので」
「その時変わったことに気付かなかったか?」
「変わったこととは?」
「いつもとは違うことだ」
 あえてはぐらかした。アディティがこちらを注視しているのがわかる。ラジューが後ろへ向かいマラヤラム語で尋ねれば顔を寄せて来たマリアが聞き取り、
「具体的に何を答えればいいのかわからないって」
 助ける。アディディが、
「そこを含めて答えだから」
 と止めた。マリアの耳打ちに口元に手を寄せたラジューが何度か頷く。余計な情報を入れていなければいいのだがー
(大丈夫だ。マリアは「現場」を見ていない)

「続けるよ。シャワーを終えてここに出て来たところでダウドに頼まれた、のでよかったかな」
「はい」
「それは何時頃かわかる?」
 ラジューは考える目をし、
「シャワーは十分くらいで済ませたと思います。ですから半にはなっていなかったのではないでしょうか」
 ダウドがバスルームに向かうのを見送ってラジューはベジの台所に向かい、
「ナイナ様の指示をお伺いしました」
「ナイナ時間は?」
 アディティの問いに時計は見ていなかったとナイナは首を振る。
「わかった。俺からは以上だ」

 ルチアーノが終えるとすぐナイナが尋ねた。
「水場には蛇口が三つ並んでいたけど普段使うのはどこ?」
 ぐるりと目を廻らせてから、
「よくは覚えていません。ですが一番こっち側を使うことがほとんどだと思います」
 体をひねり背後向かって右を指差す。一番右か確認すればそうだと言う。
「トイレからすぐですので」
「シャワーを使った後は?」
 ラジューは何度か首をひねった。
「シャワーの方で十分なのでそこから水場には……」
「この昼に洗面を使った時も一番右だったのね」
「はっきりとは覚えていません。ですが多分そうだと思います」
「覚えてないが多分って意味ないじゃねえか」
 ヴィノードの煽りにラジューは申し訳ありませんと首を垂れる。
 問いも尽きた様子にアッバースがここはいいから仕事へとラジューに告げる。立ち上がったところを、
「待って。ラジューはこの後あの洗面で手を洗う? それとも場所を変える?」
 ルチアーノは呼び止めた。
「変えてもよろしいのでしょうか」
「うん」
「どこを使うつもりだ」
 ヴィノードの問いに、
「それをここで言ったらまた狙われるかもしれませんので」
 断るのに唇だけで苦笑する。
「どう言うこと? ラジューが狙われてるの?」
 左右を見るマリアやヴィノードよりラジューの方が現状を把握している。
「わからなー」
 言いかけた自分に、
「ラジューが狙ったのと違うの? 私はそう思ってるけど」
「だからどうして。さっきからそんなことばかり」
 さえぎったナイナにマリアが訴える。
「学生さんのバスルームは使いませんのでご安心ください」
 取り合わずぴょこんと頭を下げるラジュー。
 清掃用シンクか各部屋の洗面あたりを使うつもりだろう。
「わたしは学生さんたちのお世話が仕事ですから」
 暗に自分には敵意はないとも主張しているのだろうがどこまで通じているのやら。彼が何かをしたのかまたは標的なのかどちらにしても、
「あの洗面が安全かはわからない。変えられるなら変えた方がいいと俺は思う」
 

「いいのか」
 洗濯機の方へ向かう彼を目で追いヴィノードが言う。
 ダウドのことを聞いたナイナは「毒かも」と即座にラジューを台所から追い出しそれからの食事の時間は誰かしら男子の監視下にいた。

 ダウドは今3号室のベッドで眠りナラヤンとバーラムが様子を見ている。
 なるだけ動かさないで広間に寝かせたらとの女子に対しゆっくり休ませるべきだとナラヤンらが彼を運んだ。
 ダウドは一度意識を取り戻したという。それでもぼんやりとした様子だったが、
・喉が渇き思わず水道から水を飲んだ
・途中変な味に気付いたところで気分が悪くなり倒れた
・三つ並んだ水道の中央を使った
 そこまで聞き取ったところでまた目を閉じたそうだ。

 現場にはルチアーノも含め数人が入った。
 洗面真ん中の水道の下、水場に粘性のある水滴のようなものがこびりついていた。
 触ろうとするアッバースをアディティが止め、ルチアーノが清掃用具入れから紫のゴム手袋を持ち出した。とアディティがひったくりまず「水滴」を軽く押して指先を見る。続いて蛇口のナットを回しーアディティ曰くゆるかったー蛇口の先を外し小指で中を探った。
 粘性のある透明なものに白い粉がついていた。
 使用人用バスルームは正面が洗面、左が二本のシャワーが並んだシャワー室、右に個室一つと男性用便器が二つ並んだトイレとなっている。
 シャワールーム側、向かって左の端のナットも少しゆるかった。中からは白い粉がざっと落ちすぐ水に溶けた。アディティは顔を近づけたが刺激性の匂いなどはなかったという。
 右端蛇口のナットは硬くて動かないとのことでアッバースがナットを回して蛇口先を外したが、付着物は何もなかった。


「ラジューが使っている所だけに仕掛けがなかった。疑うしかないでしょ。これは差別なんかじゃないからね」
 ナイナがルチアーノを見据えた。
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