学生旅行紀

ヨージー

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解決

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 車はまだあたりが明るいうちに三度目となる横長いホテルにたどり着いた。駐車場は自分達を除いて数台しか見当たらなかった。従業員の車もあるだろうから、今晩はほとんど貸し切りかもしれない、と澤村は期待を膨らませた。今日ここにくるにあたって、須田も吉永も無理強いして連れてきているので、彼らの宿泊料金は一部澤村が立て替えることになっていた。その分生活に響くが、それでも、盛大に楽しんで気持ちを切り替えたかった。
「ようこそおいでくださいました」
初老の男が出迎える。よこに若い男性スタッフが控えていて、姿勢正しく頭を下げた。
「佐藤さん、またきてしまいました」
須田は勝手知ったる様子で初老の男に挨拶する。須田のこういうところはたまに、友人として驚かされる。今回も宿泊は三階だが、前回の宿泊と違って一泊してそのまま帰るため、荷物が極端に少なかった。佐藤という男の脇に控えた若いスタッフに荷物を運ぶ役目を断り、自分で荷物を持った。佐藤に連れられ今回の部屋に通された。部屋は前回とほとんど同じ配置だった。部屋に三人だけになると吉永が早速騒ぎだした。
「今晩変に悪酔いするなよ。もしかしたら朝起きたら、この電飾で首が…」
「おい、それ不謹慎」
澤村はテンションのあがっている吉永を抑える。
「え、電飾で首がどうなるのさ」
須田は本当に何も知らないようだ。
「ああ、もう須田はいいの。あなたは何も知らずに幸せ心地で泊まりなさい」
須田は不思議な顔のまま、興味を失い自分の荷物をベッド脇に移動させた。

 大浴場が男三人と荷物に圧迫された車移動を洗い流してくれる。天然温泉で、しかも広大な思い出深い崖を見下ろせる露天風呂。吉永の塞いでいた気持ちに新鮮な空気が入ってきた気がした。
「吉永、あんまり明るくないから滑って転ぶなよ」
澤村も声から元気が感じられた。やはり三人の時間というのはそれぞれにとって大切なものなのだと実感させられる。
「須田、澤村が転ぶなよって」
完全貸切を思わせる浴場は一段と気分を明るくさせた。
「うーん」
「どうした須田、冴えない声だして、振られたか?」
「おい、澤村、何か言ったか」
吉永は湯に浸かっている澤村の顔に両手でお湯を水鉄砲のようにしてかけた。
「やめろ、吉永はしたない」
「いやあ、さっきの電飾、なんか見覚えが」
須田は一人首をかしげている。
「難しい顔してるなよ」
澤村と一緒に吉永は須田の顔にお湯を飛ばした。

 お湯あがりに牛乳を飲むというのはどこでも共通のようで、立派なホテルに似つかわしくない、よく見かける牛乳瓶の自販機が脱衣場に備え付けられていた。浴室のサウナで惨敗した須田は二人に牛乳をおごった。
「これから高級ディナーというのにそんなでいいのかね」
吉永はいち早く牛乳を飲みほして自慢気に言う。なんだか吹っ切れた様子で須田はなんとなく安心する。
「いやあ楽しみだね、前回は緊張して全然食べた気がしなかった」
澤村は懐かしそうに語る。
「俺は止めたのに」
須田は澤村に目配せする。
「別にいいんだよ。今日めいっぱい堪能するから」
三人は浴衣に着替えて大浴場を後にする。
「ここから洗濯物置きに三階まで登るのめんどくさいな」
「あ、そういえばここ貨物用エレベーターあるんだっけ」
須田は唐突に思い出した。
「なんでそんなこと知ってるんだよ」
澤村が突っ込みをいれてくる。
「ほら、二回目ここに来たとき、俺ここで聞き込みしてたじゃん」
須田は二人に言う。
「あれ、お前そんなことしてたんだ」
吉永は少し驚いていた。
「ああ、もういいよ。それなりに聞き回ってたのに」
須田は階段を登り始めた。

「おおお」
澤村は目の前に並ぶ豪華な食事に感嘆する。
「お前喜び過ぎだろ」
吉永はそういうものの頬を緩ませていた。
「三人で食べるのは始めてだな」
須田の皮肉を軽く聞き流す。
「お前らテーブルマナーはいかがかな。これから先そういう所も社会人としての品格に差をつけていくんだぜ」
「吉永、なにそれ自虐?」
「まったく、俺がそんな無作法な奴に見えるかね」
「お前からは品性を感じない」
「須田はもう少しオブラートにものがいえないのか」
食事はとても美味しく、酒も進んだ。気前よく飲み進めてしまっている気もしたが。澤村は今回限りと割りきって、思い切り贅沢していた。
「よし、端のバーで飲み直そう」
食事を終えた三人はラウンジ脇のバーになだれ込んだ。決して酔いすぎているというわけではなかったが気分が高揚していたのは否めない。
「場をわきまえよう」
須田の一言で我に帰り、なんとか節度を保ってバーも大人らしく楽しめたと思う。
「部屋でも飲めるけどどうする?」
須田は物知顔でいう。須田は酒豪だが、少し酔っている気配がした。
「お、もちろん付き合おう」
澤村は二つ返事で応えた。そして、応えない吉永を横目に見る。すると吉永はラウンジの外を見て固まっていた。
「ちょっとごめん、行ってくる」
いうやいなや吉永は一人ラウンジの外に出ていってしまう。
「あいつ支払い俺らに投げやがったな」
澤村はしぶしぶ財布を広げた。

「お久しぶりです」
吉永の言葉に大場は顔をしかめる。
「お久しぶり、君はなんでここにいるの」
吉永は大場の言葉を身体に染み込ませる。
「もう会えないだろうって思ってました」
「うーん、よくわからないけど、今仕事中なんだ」
大場の言葉に吉永は困惑する。
「うん、だからちょっと、…また今度」
吉永は気持ちを押さえられなかった。
「どうしてですか?俺はそんな嘘をついてまで」
「あ、ストップ」
大場は吉永の手をつかんで引き寄せる。吉永はなんの反応もできない。自分の影になるように大場は吉永を移動させた。大場は壁越しに何者かのあとを追っているようだ。
「あの大場さんのお仕事って?」
「しっ、だまって」
大場は人差し指を吉永の口許に持ってくる。吉永はもう何がなんだかわからなくなっていた。
「騒ぎ立てるようなら付いてきてもいいけど、絶対に邪魔しないでね」
吉永はもうこの先どうなってもいい気がした。

 須田は澤村と日本酒を酌み交わしていた。
「吉永は何してるんだろうな」
須田は素朴に呟く。
「大方新しい女神様でも見つけたんだろう」
澤村はおちょこを一息に飲みほした。
「ん、んー、そうか、見てこようかな」
「やめとけ、やめとけ、人の色恋を見るのは悪趣味なんだそうだ」
澤村はおちょこに自分で日本酒を注いだ。
「そうか、わかったよ」
須田はベッドに腰掛け直した。先ほどまであまりにも大盤振る舞いしてしまっていたのて、食べ物はアタリメだけだった。須田はアタリメを噛みしめながら、部屋を見渡す。部屋には自分達の荷物がある他はベッド、小型冷蔵庫、テレビやエアコンが視界に入った。そして電飾が目にとまった。ランプ型の作りのそれは、支柱の部分が細長く、精細な掘りこみがされていた。須田の記憶が刺激される。
 リズミカルな電子音が鳴り響いた。澤村が携帯を取り上げた。
「あ、ごめん、ちょっと電話してくる」
澤村は携帯を片手に部屋を出ていってしまう。須田は思考を遮られ、日本酒に口を付けた。部屋の扉がノックされた。吉永だろうか。須田は扉を開いた。

「もしもし、城里か」
澤村は酔っている気配を感じさせないように少し声色に気を配った。
「もしもし、あれから連絡なかったけど大丈夫?」
澤村は城里の声を聞いて会いたい気持ちにかられた。
「ああ、吉永たちとリフレッシュ中だ」
澤村は通話しながら酔いも手伝い通路をどんどん進んでいく。
「いたっ」
「どうしたの?」
「いや、なんでもない。なんか扉をくぐっただけだ」
澤村は額を抑える。
「なんだ皆で楽しく呑んでいるわけだ」
「え、と。ああ、そうだね。楽しいよ」
「お楽しみの最中失礼しました。それじゃね」
「え、あ」
澤村は唐突に切られた電話を見てため息をつく。あたりはうすぐらい。部屋の明かりを付けようと手を伸ばすとちょうど手元にボタンがあった。澤村は携帯の履歴を見ながら壁に寄りかかった。ついうとうとしてしまう。城里の声を思い出す。
「あ、うお」
澤村の頼っていた背もたれが突如失われた。
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